国外追放

 宗教国家であるコンチネンタル聖王国における重要な行事である、新たな聖女候補による舞が、松明に灯された聖なる炎が全て消えると言う前代未聞の事態によって打ち切られてから数日後、女神エクスティアを祀る大神殿で緊急の裁判が実施された。

 被告人席を見つめるのは、まるで厄介な害虫をこの手で捻り潰したかのような笑みをひそかに見せる大神官と、彼の左右に立つ宗教幹部たちであった。そして聴衆席の中央には、先代国王が病によってあの世へ旅立った結果国のトップの座に就く事となった、コンチネンタル聖王国の若き国王であるヒュマス・コンチネンタルがいた。


「違います……!私はそのような女神エクスティアに逆らうような事など……」


「黙れ!被告人に発言は許されていない!」

「松明の火が全て消えた事が、貴様が『邪悪』である何よりの証拠ですな」

「それに、貴様の様々な罪が多くの人々から寄せられているではないか」

「それでもまだ否定するつもりかねぇ?」


 宗教幹部たちの口から様々な罪――長年に渡り『聖女候補』と偽った、人々に怪しげな言葉をかけて惑わせた、悪意の上で舞を踊り女神を冒涜した、等々――が述べられる度に、被告人席に立たされた元・聖女候補のセイラ・アウス・シュテルベンは懸命に言葉を張り上げて否定し続けた。当然だろう、大神官の教え、そして女神からの教えを守り続け、女神の教えに関する書籍を何度も読み直して暗記したり、王族や貴族など様々な立場の人々との接待に参加したり、尊敬する女神エクスティアに最も近い存在である聖女を目指し、周りからの視線や圧力、様々な嫌がらせなど気に留めないよう日々懸命に努力を続けていた彼女にとって、そのような『罪』は完全に身に覚えがない事ばかりだったからである。

 何よりも、ずっと昔に大神官から命じられた通り、セイラは常に名誉ある衣装と言われる純白のビキニアーマーを着続けている。そして聖女候補の地位から追放されたこの瞬間でも、彼女は常にビキニアーマーを着用している。これが女神を尊敬し続けているという私の誠意の現れだ――数少ない発言の時間を利用して、セイラは懸命に自身の無実を訴え続けた。


「私は何も身に覚えがありません、私は……!」

「静粛に!被告人、それ以上の発言は慎んでいただこう。それとも、罪をまた増やしたいのかね?」

「っ……」


 既に何度も何度も注意を受けていた彼女は、聴衆は勿論、裁判を進める宗教幹部、そして大神官や国王からも冷たく厳しい視線を浴びているのは嫌でも承知していた。だが、それでも彼女は罪を認めることはしなかった。身に覚えがない罪を着せられたからというのも理由であったが、ここで相手の言う事を少しでも認めてしまうと、自分自身が毎日懸命に積み重ねていた女神エクスティアへの尊敬や忠誠の心が崩れてしまう。そして、何よりも――。


「国王陛下!」


 ――そのような事を考えながら、懸命にセイラが今の状況を耐えようとしていた中、突然発言権を求めてきたのはコンチネンタル聖王国を収めるヒュマス国王本人だった。そして、了承を受けた彼はおもむろに立ち上がると、目の前にいるビキニアーマーの美女へ向けて憎しみを込めた目線を向け、彼女は自身にも牙を剥いた、と堂々と告げた。


「何だと!?」

「そんな不敬な事を……」


「そ、そんな事は……!」

「黙れ!貴様に発言権は……」

「よいよい。そうやって反論しようとする所が何よりの証拠。重要な参考資料だからな」


 そう言いながら嘲りを見せる国王は、そのまま過去にあった出来事を彼の視線で告げた。以前、聖女候補として国王に謁見した彼女は、国王からお褒めの言葉を授かり、将来この国を自身とともに背負って立つ役割を担う事への励ましを貰った。確かにその時、彼女は国王からの言葉に対して丁寧な返答をし、ビキニアーマーも含め将来の聖女らしい清らかな姿を見せていた。だが、国王はその時に妙な違和感を感じ、それが拭えないまま今に至っていた。そして、その奇妙な感覚の正体は――。


「この元・聖女候補――いや、この大罪人はこの私が誉め言葉をかけたにもかかわらず!私を睨みつけたのだ!敵意ある目線で!!」


 ――国を治める最高位の人物に対する、この上ない不敬な態度だった、という訳だ。


 その言葉を聞いて、セイラがはっとした態度を見せたのが非常にまずかった。それを見た国王は言葉を荒げ、彼女がその事をはっきりと覚えている事もまた証拠だ、と述べたのだ。そして、彼女が反論する暇も与えられないまま、この貴重な発言もまた元・聖女候補であったセイラに対する罪に加えられる事になってしまった。最早、彼女がどのような反応を示そうとも、それは全て何らかの『罪』に変貌してしまう――宗教関係者や王族という特定の思想に基づいた判断でのみ展開される裁判は、セイラにとってまさに地獄と化していた。


 しかも、この国王に対して一瞬睨みつけたと言う点に関しては、彼女は否定できなかった。常に誠実であれ、人々に怒りを見せるなどもっての外、と厳しく指導を受け続け、王族や貴族から嫌らしい視線を向けられても、ビキニアーマーに包まれた胸や尻、腰などを触られても、懸命に耐え続けていた。そのような邪な感情を露わにしてしまっては女神に顔向けができない――その言葉を懸命に守り続けた。だがあの時――ヒュマス国王から密室で声をかけられた時、心の中に押しとどめていた感情が危うく爆発する寸前に至ったのだ。


 定期的な謁見に訪れ、すべての行事を済ませた後、彼女は個人的に国王に呼ばれ、見知らぬ密室に誘い込まれた。そして彼は彼女を壁際に追い詰めるかのような姿勢をとりながら、はっきりと述べたのだ。聖女になる夢など捨てて、自分自身の妃にならないか、と。その実力は勿論、セイラの持つ美貌があれば社交界でも十分にやっていける、贅沢もし放題、面倒くさい聖女の仕事など忘れて遊び惚けることだってできる、まさに理想の環境だ――彼女の容姿を誉める内容を含めた様々な言葉を並べながら、ヒュマス国王は彼女を自分の永遠の愛人にしようと誘い続けたのだ。だが、その金色の髪を有する国王の美しい視線は、セイラの顔でも瞳でもなく、なくビキニアーマーから覗く胸の谷間やおへそ、そして腰回りにのみ注がれている事に、セイラ自身は既に気づいていた。何よりも、国王陛下には既に『妃』――正式な妻がいる。それを差し置いて、彼はセイラを自分の正式な妻として迎えようとしていたのだ。


『どうだ、私の永遠の妻にならないか、セイラ?ぐふふ……大丈夫、悪いようにはしないぞ』


 そして、一瞬漏れた下種な笑い声を聞いた瞬間、セイラの顔は歪み、彼を睨みつけた。そしてそのまま本音をぶちまけたのだ。


『申し訳ありません、国王陛下。貴方の願いを受け入れることが出来ない事をお許しください』

『……何だと?』

『私は聖女を目指す者。万人を愛することが使命です。個人の愛を受け入れることは出来ない立場なのです……』 


『……貴様、私の言う事が聞けないと……?』

『……貴方の妃ではなく、万人の中の1人として貴方を今後とも愛したいと思います』

 

 下種な視線を見せるような貴方の妃にはならないという、自分の中で押し殺していた感情を露わにする事で、確かにあの時はほんの少しだけ楽になった気がした。そして、そのまま国王は諦めたような口調で彼女に部屋から出ていくよう命令を下した。大神官を始め皆から次期聖女候補として期待を背負われ、頼りにできる存在もいないという状況の中で、彼女は一瞬だけ救われたのかもしれない。

 だが、その『代償』はあまりにも大きすぎた。ヒュマス国王はねちっこくもその出来事をずっと心の中に抱き続けていたのだ。セイラに対する憎悪という感情と共に。


「いい加減に罪を認めろ!!」

「そうだそうだ!偽聖女め!」


 それでもなお、懸命に耐え続ける彼女に対し、とうとう聴衆からも野次が飛び始めた。しかも、彼女が反論しようとした時は即座に対応した宗教幹部たちが、彼らの野次に対しては全くの無反応、それどころかそれらを聞いて楽しそうな表情すら見せていたのだ。その様子は、まざまざとセイラにも映し出された。既に彼女の瞳には、心が限界に達しようとしていた事を示す涙が零れ落ち始めていた。だが、そんな状況でもなお彼女は小声ながらも懸命に自身の無実を訴えた。私は何もやっていない、私は無実だ――その言葉に耳を貸す者は、既に誰もいなかった。


 そして、一通り野次が収まった頃合いを見計らうかのように、宗教幹部がこの裁判が間もなく終わる事を告げた。偽聖女候補として多くの人々を、この国を欺き、更には国王の敬意すら裏切った大悪党であるビキニアーマーの女性へ向けて、判決を言い渡す時が訪れたのだ。そして、わざとらしく一息をついた後、女神エクスティアを祀るエクス教の最高幹部にあたる大神官は、厳かな声を会場に響かせた。



「偽聖女候補、セイラ・アウス・シュテルベン!列挙するのも暇ないほどの罪により、『帰らずの森』への追放を命ずる!」



 帰らずの森――その言葉を聞いた瞬間、人々はどよめき、そして歓声を放った一方、『偽聖女候補』のレッテルを完全に張られた格好となったセイラは愕然とした表情を見せた。王都から遥か遠く離れた、文字通りどす黒い不気味な木々が並び、棘のように鋭い葉や根で侵入者を串刺しにし、更に恐ろしい猛獣までうろついているという噂すらあると言うこの森に追放されるという事は事実上『国外追放』に等しく、生きて帰ったものは誰一人としていない程の重い罪であった。ただ偽者とはいえ、これまで聖女候補として世のため人のため活躍してきた功績も吟味したうえで直接的な死罪だけは避けた、と判決内容を述べる大神官の顔は、まさに勝者――厄介者を追い払えることへの嬉しさに満ち溢れていた。そして、同じような笑みを若き国王も同時に見せ合っていた。


 彼らを始めたこの国に渦巻く大きな感情や思惑によって、セイラは全ての地位を奪われる結果となったのである。


 その後、唖然とした彼女を教徒たちが乱暴に引っ張り、その身を再度牢獄へと連れて行った。それでも私は何もやっていない、私は無実だ、とか細い声で懸命に訴える彼女の声など、誰も聞く耳を持たなかった。



 それから数日後、馬車へ詰め込まれるように乗せられた彼女は、『帰らずの森』への文字通り二度と帰ることができない旅へ誘われた。馬車の周りは、既に彼女が偽りの聖女候補であり『森』への追放が決定した事を知っていた野次馬たちが集まり、口々に罵声を放った。


「よくも俺たちを騙しやがったな!!」

「破廉恥な格好なんてつけて恥ずかしくないの!?」

「二度と戻るな!偽者め!」

「死ね!死んじまえー!」


 人々の間にも女神エクスティアの教えが行き届いていた事が仇となり、周りに集まった者は誰もセイラへ同情の念を感じる事なく、自分たちをずっと騙し続けていた『偽者』のレッテルが張られた彼女へあらん限りの罵詈雑言を並べ続けた。これまで彼女が人々との間に築き上げていた信頼や安心感、そして友情は、ほんの僅かな時間であっという間に崩れ落ちてしまった。中には石や腐った食べ物を投げつけ、その怒りを馬車に閉じ込められたセイラへぶつけようとする者すら現れた。幸いそういった物は馬車の壁に阻まれたものの、四方八方から聞こえる罵声は耳を塞ごうとしても彼女の心へ突き刺さり続けた。


 私は本当に聖女にふさわしい存在だったのか。本当に、人々を導く事ができる力を持っていたのだろうか。


 人々との間の信頼と同様、今まで懸命に築き上げてきた自分自身の根源すら崩れ落ちそうになっていたが、それでもなお彼女は懸命に耐え続けていた。例え王族も国民も、そして大神官様たち主教幹部も自分自身に対して敵意を向けようとも、女神様はきっと真実を知っているはずだ、という、今にも消えそうな灯のような心の中の一抹の希望を、彼女は守り続けていたのだ。

 そしてもう1つ、女神様と同じぐらい、いや、失礼な態度なのは分かっているが女神様の御心よりも守らなければならないもの――セイラ・アウス・シュテルベンと言う純白のビキニアーマーに身を包んだ緑色の髪の女性、この世界でとりわけ大事な存在である自分自身に対して、嘘は決してつきたくない。その心が、女神への信仰心とともに彼女の最後の心の支えになっていたのである。



 例え本当に聖女にふさわしくなくても、私は何もやっていない。私は無実だ。それだけでも、この私自身だけは信じていて欲しい――彼女はずっと心の中で言い聞かせ続けた。



 やがて、突然止まった馬車の振動に巻き込まれ、ビキニアーマーから露出した体に傷を負ってしまった彼女は、乱暴に扉を開いた兵士たちによって外へ連れ出され、そしてどこまでも続く暗い森の中へと文字通り投げ捨てられた。もう二度とその汚らわしい姿を見せるな、と言う捨て台詞とともに。

 そして、何とかゆっくりと起き上がった彼女の目に、馬車は猛スピードで『帰らずの森』の近くから走り去るのが見えた。



「……はぁ……」



 この瞬間、セイラ・アウス・シュテルベンと言う存在は、コンチネンタル聖王国から完全に抹消された……。

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