第六十話 因果応報


「……はあぁ、はあぁっ……!」


 宮中から少し離れた場所には鬱蒼とした森があり、その中を杖を突きながら必死に歩く大臣。まもなく彼は振り返り、汗と疲労にまみれた顔に安堵の色を混ぜる。


(ククッ……ここまで逃げればさすがにもう大丈夫だろう……。こんなこともあろうかと、私の部屋には隠し通路が用意されていたのだっ。金もたんまりと貯めていたし、これで余生を送れば――)


「――ごはっ……!?」


 一本の矢が大臣の腹部を貫通し、彼はよろよろと数歩歩いたのち、木陰に倒れ込むようにして隠れる。


「……ぐ、ぐぐっ……バ、バカなっ。誰にも見られていないはずだ……なのに一体誰が……ごほっ、ごほおっ……!」


 咳き込み、口を押さえる大臣だったが、その手にこびりついた血を見て震える。


「い、嫌だ。まだ死にたくはない……。だ、誰かぁっ、私を助けておくれえぇえぇえええっ……! ひっ……!?」


 その眼前に現れたのは人間の頭部並みの大きさの蜘蛛で、大臣に向かって次々と糸を飛ばし始めた。


「な、何をするのだっ……!? や、やめろ、やめるのだぁっ……!」


 最早抵抗する力も残っていない大臣だったが、まもなく体が楽になっていくことに気付く。糸が包帯のようになり、大臣の体に巻き付いていくことで出血も痛みも治まっていくのだった。


「お、おぉっ……? お、お前はまさか、私を治してくれるというのか……?」


『シュルシュル……』


「ありがたい……私はお前の仲間を殺してしまったが、あれは間違いであった。やはり神の使者であったか……」


『シュルルルルルッ……』


 大臣に愛おしそうに頭を撫でられても蜘蛛は逃げる素振りすらなく、ますます勢いよく糸を出し続けるのであった……。




 ◆ ◆ ◆




「……何、大臣に逃げられただと……?」


「も、申し訳ありませんっ、王様ぁっ……!」


 謁見の間にて、床に頭を擦りつけるほどひれ伏する兵長の男。


「詳しく話すのだ」


「は、ははぁっ! そ、それがっ、牢獄に入る前に準備があるから少しだけ部屋で一人にさせてくれと言われ、待機していたところ……しばらく待っても出てこないゆえ突入しましたら、もぬけの殻でして……! し、しかしながら、つい先ほど隠し通路を発見しましたゆえ、只今部下たちが全力で探している最中――」


「――もうよい」


「……は? い、一体それはどういう……」


「そのままの意味だ。もう捨て置け。あの男は確かにとんでもない罪を犯したが、余の側で長らく仕えてきた忠臣でもある。だから島流し程度にとどめておくつもりだったが……雲隠れしたというのなら仕方なかろう。もう戻ってくるわけでもなし、似たようなものだ……」


「た、確かに……」


「ん……?」


 ダビル王がギロリと兵長のほうを睨む。


「あ、あぁっ! 王様、お許しください……! 私如きがとんでもない口の利き方をしてしまい――」


「――いや、何を勘違いしておるのだ? 余はを見ておったのだ」


「は……?」


 兵長が振り返ると、大型の蜘蛛が素早く物陰に隠れようとするところだった。


「あ、あれは……」


「ん、あの蜘蛛を知っておるのか?」


「は、はい。あれは近くの森に棲む大蜘蛛の一種でして、基本的に鼠のような小動物や害虫等を餌にしております」


「ほお……それはつまり、蜘蛛の中でもかなりの益虫というわけだな?」


「……は、はい、そ、そうなるかとっ……!」


 兵長の返答に対し、訝し気に眉を顰めるダビル王。


「何か妙に引っかかりがある物言いではないか。正直に申せ」


「え、あ、それが……場合によっては……」


「な、何、人もだと……!?」


「し、しかし、それは極めて珍しいケースでして、捕食される対象がよっぽど弱っていたり、蜘蛛がかなり腹を空かせていたり、その状態で体に触れ続けることで激怒させたりと、条件がすべて揃っていないと難しいかと――」


「――ん、今悲鳴のようなものが聞こえなかったか……?」


「……おそらく、ヒヨドリかと」


「……そうか、余の気のせいか。まあよい。このような益虫が好んで食べようとする人間など、相当な大悪人だろうて。ハッハッハ……!」




 ◆ ◆ ◆




「やっぱりここが一番落ち着くな……」


 宮殿の豪華さ、美麗さにも憧れるが、やっぱり俺は郊外にあるこのボロアパートのほうがずっと似合っている。王様の粋な計らいで、近くには鍛冶屋も用意してもらえることになったしな。


「うがー! 私もハワードと同じ気持ちですっ」


「くんくんっ……あたしも、ハワードさんの匂いが詰まってるこの部屋が大好きなのぉー」


「そ、それがしもだっ。ハワード様とここで住んでもよいくらいで――あ、これは決して、リヒル様との縁談を邪魔するものではなくっ……!」


「はっはっは……」


 ハスナ、シルル、シェリーもこの部屋に我が家のような空気感を覚えているらしい。今まで俺とずっと一緒にやってきたってことも大きいんだろうな。勇者パーティーも懲らしめてやったし、連帯感も当初より格段に増してる感じだ。


 ちなみに、女王リヒルとの縁談の話については、まだ考えさせてほしいとは言っているが、そろそろ嫁さんも欲しいし相手さえよければ受けるつもりではいるんだ。前向きに考えてくれるか、とダビル王が言ったときにもちろんですと俺が答えたとき、傍らにいた女王が王様以上に嬉しそうだったので多分大丈夫だとは思うが……。


 さて、あとは迷宮術士をなんとかするだけだ。とはいえ、これがかなり難しいわけだが――


「――ハッ、ハワード様あぁぁっ! ここを開けてくだされえぇええっ!」


「「「っ!?」」」


 ドンドンと戸を激しく叩く音とともに悲痛の叫び声がして、何事かと思って玄関へ急ぐと、伝令らしき兵士が青ざめながら飛び込んできた。


「はぁっ、はぁぁっ……!」


「お、おい、どうした?」


「どうしたです?」


「何があったのぉー?」


「どっ、どうしたというのだっ……!?」


「……そ、そそそっ、それがっ……! きゅ、きゅ……宮殿が、灰色にっ……!」


「「「なっ……!?」」」


 宮殿がダンジョン化してしまったというのか……。ということは、迷宮術士は俺たちとはかなり近いところに存在していたってことなるが、一体どこにいたというんだ……?


 とにかく、考えている暇はない。急がなくては。このままでは女王様や王様が危ない。そういうわけで、俺たちは飛ぶような勢いで宮殿へと向かった。本当の戦いはこれからだ。今度こそ迷宮術士の正体を暴き出し、神の手で罰を与えてみせる……。

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幼馴染勇者パーティーに追放された鍛冶師、あらゆるものを精錬強化できる能力で無敵化する 名無し @nanasi774

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