9.「『イケナイコト』って言った方が興奮する?」




 ──午後の部活も、俺はひたすらコートの隅で体育座りをしていた。


 正直、見学は退屈だった。別にバスケが好きなわけでもないし、どうしても部活に入りたいわけでもない。

 ただ、芽縷が楽しそうにプレイしているのを見ると、付き添いでも来てよかったなと思うのだった。



 ……いや『思うのだった』じゃねぇよ。なに平静装ってんだ、内心穏やかじゃねぇんだよ!


 何?! さっきのセリフ! あれって『(下心が)あってもよかったのに』ってことだよね?!

 つまり……『芽縷とどうにかなりたい』という気持ちがあってもいいってこと……?!


 ……いくら自尊感情の低い俺でも、いい加減気づくぞ。

 たぶんだけど、芽縷は俺に………好意を寄せてくれている。


 一昨日のラインヌでの『ヤキモチ』発言。

 加えて、今朝の『毎日一緒に登校してよ』発言。

 さらには『あたしのことだけ見ていて?』と見つめ合い……ていうかそもそも、好きでもないヤツに弁当作らなくね? 体験入部にも誘わなくね??


 あああ、なんてこった。まじか。そうなのか。俺が難聴系鈍感主人公だったらなー、まだ気づかずにいられたんだけどなー。残念ながら人の機微にはまぁまぁ敏感なんだよなー。



「………………」



 ちら、と女子のコートでパス練習をする芽縷を見遣る。


 可愛い。どっからどう見ても美少女だ。俺とは住む世界が違うのでは? というくらいに、キラキラしている。


 そんな彼女が……こんな冴えない俺のことを……


 ……いや、まだわからない。まだ、期待しすぎないようにしておかなきゃ。『女は魔性』。二人の姉に虐げられて育ち、それは痛い程身に染みているじゃないか。

 女ってヤツは、綺麗な顔して笑うクセに、腹の中では何を抱えているのかわからない生き物なのだ。

 現に、さっきも……



『……人ってさ、本当に欲しいものほど持ち合わせていなかったりするんだよね』



 暗い表情でこぼした、彼女の言葉を思い出す。


 ……本当に女ってヤツは、綺麗な顔して笑うクセに。

 腹の中では、辛いことも悲しいことも抱えていたりする生き物なのだ。


 彼女が言った『欲しいもの』が、何なのかはわからない。俺からしたら彼女は完璧超人で、欠けているものがあるとは思えない。

 しかし確かに、自身の生い立ちや家族についてはあまり語りたがらないふしがある。恐らくその辺りに、何か抱えるものがあるのだろう。



 ……もし俺が、芽縷と『クラスメイト以上』の関係になれたら……

 彼女が抱える『何か』を、少しは背負ってやることができるのだろうか……?



 ……なんて、カースト最底辺のヘタレ陰キャが何を烏滸がましいことを。恥を知れ、恥を。


 俺は頭をぶんぶんっ、と振って。

 とっくに温くなってしまった湿布の巻かれた情けない右手を、静かに眺めた。





 * * * *





 ──午後四時。ようやくバスケ部の活動が終わった。


 いかにも体育会系な部長から体験入部生に向けての「ぜひ我が部へ!」という総括で締めくくられ解散し、皆各々部室や更衣室へと消えていった。



「じゃ、着替え終わったら自販機の前で待ち合わせね」



 芽縷はそう告げると、手を振りながら女子更衣室へと去っていった。

 俺も反対方向にある男子更衣室へと向かい、まったく汗のかいていない体操着を脱ぎ、制服へと着替えた。


 体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下の手前に、自販機と横長のベンチが置かれている。

 芽縷に指定された待ち合わせ場所だ。俺以外には、まだ誰もいなかった。


 俺は自販機で炭酸飲料を買うと、ベンチに座ってそれをちびちび飲む。女の身支度は総じて長い。気長に待つとしよう。



 ……明日は月曜日か。

 どうしようかな。とりあえず放課後、チェルシーに煉獄寺の件を報告しなきゃ。

 なんなら、二人で直接話をしてもらった方が早いかもしれない。煉獄寺が間違いなく魔王の生まれ変わりだとわかれば、チェルシーも安心することだろう。

 その結果……チェルシーはあっちの世界に帰り、煉獄寺とも今までみたいなオタク友だちではいられなくなるのだろうが……


 ああもう……まともに考え出したら気が滅入りそうだ。そういった意味では今日、芽縷に連れ出してもらって本当によかった。



「……あらためて、お礼を言わなきゃな」



 そうだ、アイスを奢る約束をしていたんだ。帰りがけにコンビニに寄って行こう。立ち食いも何だから、どこか座れるところ……公園にでも行って。そしたら……


 ……今日のこの流れ的に、一気に告白されちゃったりなんかして……


 ……いやいやいや、だから何を期待しているんだ俺は。純粋にお礼をするんだろう? 弁当と、今日誘ってくれたことに対して。


 いやでも、下心があってもいいってことだし、このまま急接近してもおかしくは……


 いや、いやいやいや…………





 ……などという悶々とした葛藤を延々と繰り返し…………



 気がつけば、一時間が経過していた。



 …………あれ? 芽縷さん、遅くね??


 バスケ部の部員や他の体験入部生たちもとっくに帰ってしまったようで、体育館の周辺はシンと静まり返っていた。渡り廊下から射し込む光は、鮮やかなか橙色に変わっている。


 ……まさか芽縷さん、先に帰った? そんな馬鹿な。ここで待ち合わせようと言ったのは彼女の方なのに。

 俺はスマホでラインヌを立ち上げ、芽縷にメッセージを送る。



『大丈夫? まだ更衣室にいるのか?』



 置いて行かれた可能性がよぎり、少し緊張しながら返事を待っていると……一分もしない内に、芽縷からの返信があった。



『たすけて』


「…………え……」



 絵文字もない。変換すらされていない。その短い一言に、俺は……


 考えるより早く、女子更衣室に向けて走り出していた。

 何かあったんだ。具合が悪くて動けないとか、更衣室に閉じ込められたとか……まさか、誰かに襲われていたり……?



「………っ、芽縷! 中にいるのか?!」



 辿り着いた更衣室の扉をバンバン叩き、呼びかける。

 すると中から「咲真……クン……」という弱々しい声が聞こえてくる。



「……! 開けるぞ!!」



 ドアノブを捻ると鍵はかかっておらず、扉は容易く開いた。

 勢い良く足を踏み入れた更衣室の中は……真っ暗だった。電気が消え、カーテンも閉め切られている。

 そこに、人の姿はない。芽縷の姿も……



「…………芽縷……?」



 困惑しながら、部屋の中を見回していると……

 突然、後ろからドンッと誰かに突き飛ばされた。

 たまらず床に倒れこむ。すぐに後ろを振り返ると、そこには……



「め、芽縷………って?!」



 俺に助けを求めたはずの彼女が、倒れた俺を見下ろすように立っていた。


 …………上下白色の、下着姿で。



「あは。ごめんね、咲真クン。痛くなかった?」



 ガチャ、と後ろ手にドアの鍵を閉めてから……固まる俺にゆっくりと近づいてくる。



「な……おま、大丈夫なのか?! 『たすけて』って……」

「ごめん、あれウソ。そう送れば咲真クン、絶対に来てくれると思ったから」

「う、ウソ……? なんのために、そんな……」



 目のやり場に困りつつ、倒れた身体を起こそうとするが、



「ね、咲真クン……」



 半身を起こした俺の上に、芽縷が四つん這いになってのしかかってきた。下着に包まれた胸が、眼前に広がる。そして、



「あたしのこと……好き?」



 押し倒されながら囁くように尋ねられ、俺の鼓動は一気に加速する。



「へ……へっ?! どうしたんだよ急に……!」

「……あたし、咲真クンになら、何されてもいいよ? その気持ちを伝えたくて、ここに来てもらったの」



 ななな、ナニされてもいい、って……


 思わずチラッと彼女の身体を見る。

 うわぁ、綺麗な肌。控えめながらも形の良い胸。手のひらに収まりそうな、ちょうどいいサイズ……ってバカ! 何凝視してんだ俺!!


 その視線に気づいたのか、芽縷は「んふ」と笑い、



「……どう? ドキドキする? そりゃあミストラディウスさんや煉獄寺さんと比べたら、胸は負けるかもしれないけど……」



 そのまま、俺に跨るようにして腰を下ろし、



「テクニックなら……けっこう自信あるよ……?」



 舌舐めずりをしながら、言った。

 ……て、ててててテ、テクニックって……なんのですかぁぁあああっ?!!


 ちょっと待て、こんなのおかしいだろ?!

 たしかに今日の流れ的に、もしかしたらもしかするかも、などと考えはしたが……これはいくらなんでも飛ばしすぎだ!!




「おおお、落ち着け芽縷! こういうのには順序っつーモンがあるだろ?! いきなりこんな、最終段階からなんて……」

「……そっか。やっぱり咲真クンは、巨乳の方が好きなんだね……」

「そういうことじゃねぇええ! 芽縷のカラダもすっごく魅力的だよ?! だけどさ……」

「じゃあ、いいでしょ? ほら」



 彼女は強引に、俺の右手を取ると……自身の胸に、それを押し当てた。


 手のひらに感じる、柔らかい感触。

 下着越しでもわかる、生々しい体温……


 ちょ、これはまじでやばいって!!



「……ね、咲真クン。あたしと……イイコト、しよ?」

「い、いいい、イイコト?!」

「あ、それとも『イケナイコト』って言った方が興奮する?」



 さっきから何を言っているんだ、この娘は!!


 何なんだ、一体……これ、本当に芽縷か? 酔っ払ってんじゃねーのか?

 だって俺の知っている芽縷は、品行方正で、天真爛漫で、誰からも好かれる正統派美少女で……こんな言動をするタイプではないのだ。


 ぐるぐる混乱する思考に加え、腰に跨る股の感触と、いまだ押し付けられた手のひらの胸の感触が相まって、いよいよオーバーヒートをしようかというところで……



「……わかった。じゃあ、もっとイヤラシイ言い方してあげよっか」



 芽縷はぐっと顔を寄せ、俺の耳に唇を近づけると………

 吐息混じりに、囁いた。




「あたしと…………子作り、しよ?」


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