8.本当に欲しいもの




 ……もうね、違うんだ。俺と彼女は。


 次元というか、生きている世界というか……『格』みたいなものが。



『スクールカースト』なんて言い方、あまりしない方がいいのかもしれないが、実際は大なり小なりどこにでもあると思うんだ。そういうの。

 あって当たり前なんだよ。だってみんな、違う個性を持っているのだから。


 人前に立って、リーダーシップを発揮することが得意なヤツもいれば、目立たなくともコツコツ頑張れて、縁の下から力を発揮するヤツもいる。

 どっちがいいとか悪いとかって話じゃない。ただ、目立つか目立たないか。そうだろ?



 ……で。

 彼女……烏丸芽縷は、今の例えで言うと、間違いなく前者なんだ。


 容姿端麗で、コミュ力が高くて、発言力があって……なのに、まったく嫌味じゃない。

 キラキラした笑顔で、自然と周囲を魅了していく。

 圧倒的なカリスマ性を持った、チームのトップに立てる存在。それが、芽縷。


 恐らく彼女は、なんらかの物語の主人公だ。アニオタの俺が言うのだから間違いない。

 え? 俺? 俺は第三話くらいに一瞬だけ画面端に登場する、クラスメイトのモブだ。声優はおろか、キャラ名すらもつかないだろう。

 地味で、消極的で、周りから疎まれるようなレベルの暗さを醸し出し生きてきた陰キャなのだから。


 それだけの差があるからこそ、芽縷は俺みたいなカースト最底辺のヤツにも分け隔てなく接してくれているんだ。

 まだ陰キャ臭を消し切れていないんだろうな、放っておくと孤立しそうな男だから、構ってくれているだけ。決して、それ以上の感情があるわけではない。



 勘違いするなよ、俺。

 ヤキモチ発言も、見つめ合ったのも、全て『お慈悲』だ。





 ……と、芽縷がディフェンス陣を華麗なドリブルさばきで抜き、そのままレイアップシュートを美しく決める様を見つめながら、俺はそんなことを考える。


 亜明矢学院高校の体育館。

 バスケ部は、男子と女子で普段からコートを左右半分ずつ使用して練習しているらしい。

 俺たち以外にも数名いた体験入部生を交えて、軽いウォーミングアップを挟んでからの練習試合に移ったところだ。


 体験入部とは思えない見事な動きでシュートを決めた芽縷は、隣の男子コートにいる俺の視線に気づくと、にこっと笑ってピースサインをしてきた。



 ……嗚呼、やっぱり住む世界が違うな。

 あのキラキラした笑顔。勝利は彼女のためにあるのだろう。


 嬉しそうに笑う彼女に、俺は遠慮がちに手を振る。

 ……え? 俺は何しているかって?



 ……参加して初っ端、ウォーミングアップ中に右手を突き指して、今はコート端で見学だ。



 な? 『格』が違うだろ?





 * * * *





「──そんなに気を落とさないで? 咲真クン」



 午前の練習を終え、バスケ部は昼休憩に入った。

 体育館周りの日陰は上級生たちに陣取られていたため、俺と芽縷は中庭のベンチまで移動してきたわけだが。



「これが気を落とさずにいられるか……ダサすぎるだろ、開始五分で突き指って……」



 ベンチに座り、ガクンと項垂れる俺。

 嗚呼、恥ずかしい。穴があったら入りたい。



「でも、あたし見てたよ? 咲真クンとパス練してたコが、勢い余って女子のコートにボール飛ばしそうになったのを止めてくれたんだよね? それで無理に手を伸ばしたから……」

「それでも、デキる男ならあそこで突き指なんかしないだろ……颯爽とボールをキャッチして、何食わぬ顔でパス練を続けるだろ……俺は、そうはなれない。何にも貢献できない代わりに、バスケ部の湿布と包帯だけ無駄に消費して帰る。そういう存在だよ、俺は……」



 はあぁ、と黒い靄でも出そうなため息をつく俺に、芽縷は「もー陰気だなー」と笑う。



「そんな咲真クンには……じゃじゃーん! 特製めるちゃん弁当☆ これ食べて元気出して。ね?」



 と、微笑みながら花柄の可愛らしい弁当箱を俺に差し出した。

 おずおずとそれを受け取ると、ずしっとした確かな重みが感じられる。

 ああ、すごい。こんなカースト最上位の美少女サマが、本当に俺なんかに弁当をこさえてくださった……

 

 それだけで充分じゃないか。

 ダサいのなんか今に始まったことではない。

 陰気モードは、終了だ。



「……ありがとう。開けてもいいか?」



 芽縷は「もちろん」と頷く。

 俺はワクワクしながら、弁当の蓋を開ける……と。


 なんとも色彩豊かな弁当だった。玉子焼きに唐揚げ、ブロッコリーにプチトマト。アスパラの肉巻きやきんぴらごぼうといった手の込んだおかずも入っている。



「すごい……めちゃくちゃ美味そう!」

「えへへ。お口に合うかわからないけど」



 なんて謙遜する芽縷だが、俺は逸る気持ちを抑え切れず「いただきます!」と手を合わせ、箸を伸ばした。まずは、玉子焼きから。



「……んんんんんまいっ!」



 美味い。文句なしに、美味い。ダシが効いていて、ちょっと甘みのある味付けが俺好みだ。

 続けて頬張った唐揚げもまた美味い。肉巻きも、きんぴらも。これは箸が進む。


 俺が唸りながら食べ進めるのをしばらく眺めてから、横に座る芽縷も自分の弁当を食べ始めた。量は少なめだが、内容は俺のと同じなようだった。


 うららかな春の昼下がり。

 よく晴れた空と、隣には可愛い女の子。

 そして、その子が作ってくれた美味しい弁当を、腹一杯食べる。


 嗚呼、これが『幸せ』ってやつか……母ちゃん、産んでくれてありがとう。



「……っはー美味かった! ごちそーさんでした」



 あっという間に平らげ、俺はパチンと手を合わせた。ふぅ、腹が幸せで満たされている。



「お粗末さまでした。どう? 少しは元気出た?」

「ああ、お陰さまで。突き指したことも忘れて掻っ込んじゃったよ。ありがとな」



 礼を述べると、彼女は「ん、よかった」と笑う。それを見て、俺はあらためて思う。



「……芽縷はほんと、すごいよ。人当たりもよくて、スポーツもできて、おまけに料理もできるだなんて……完璧超人だ」



 なにより美少女だしな、という言葉は飲み込んでおく。

 芽縷はパタパタと手を振って、



「や、やだなー完璧超人だなんて。あたしなんか全然だよ」

「いやいや、俺の前でそれを言う? 正直羨ましいよ。俺にないもの、たくさん持っていてさ」



 それは、最大限の賛辞のつもりだった。

 しかし彼女は……急に弁当を食べる箸を止め、



「……そっか。咲真クンには、あたしがそんな風に見えているんだね」



 やけに平坦な声音で、そんなことを呟いた。

 違和感を覚え、どんな顔をしているのかと見れば……

 口元は笑っているけど目は笑っていない、そんな表情を浮かべていた。


 ……え、やばい。なんか地雷踏んだ……?

 今まで感じたことがない雰囲気に、機嫌を損ねてしまったのではと俺は焦る。



「ほ……ホラ、俺なんか中学の時ぼっちだったしさ。実は高校デビューできたらなー、なんて狙っているくらいで……でも結局、このザマだよ。やっぱり根本的に陰キャだからかなー。なかなか変われないよな、人って。ははは」



 と、包帯が巻かれた手を振り、ヘラヘラと笑ってみせる。が、



「……なかなか、変われない……うん、そうかもね」



 彼女は、やはり無感情な瞳のまま、俯く。

 そして、




「……人ってさ、本当に欲しいものほど持ち合わせていなかったりするんだよね。それも、努力じゃどうにもならない部分に限って」




 自嘲するような、諦めたような笑みを浮かべて、言う。

 いつも明るくて前向きな芽縷の口から初めて聞いた、ネガティブな言葉。

 驚きと戸惑いを隠せず、「芽縷……?」と尋ねると、



「……あは。ごめんね、いきなり。とにかく、あたしはそんな大した人間じゃないよ。むしろ咲真クン羨ましいなーって思うことだってあるんだよ?」



 と、いつも通りの人懐こい笑顔で小首を傾げる。

 何かを誤魔化すようなその態度に、俺は先ほどの言葉の真意を追求したくなるが……とりあえず今は、



「お、俺に人から羨まれるようなところなんてないだろ」



 鈍感さを発揮して、芽縷のテンションに合わせておくことにする。

 彼女は微笑みながら、



「えー、あるよぉ。見ず知らずの女の子を、身を挺して痴漢から守るだなんて……本当に優しくて、勇気がないとできないことだもん。あたしには無理だなぁ」

「いや、あれはその、気づいたら身体が動いていたというか……」

「それがすごいって言ってるの。損得感情ナシに他人のために動けるんだから。あの時の咲真クン、お姫様を守る騎士ナイトみたいでかっこよかったよ」



 顔を覗き込むようにそんなことを言われ、心臓が跳ね上がる。

 やめてくれ。褒められ耐性ないんだから、そんな上目遣いで肯定されまくったら……



「そ、そんな聖人みたいな人間じゃねーよ。損得感情だらけだ」

「ふーん。じゃあ、あの時あたしを助けたのも、何か下心があったからなの?」

「へっ?!」



 ドキッ。としたのも束の間。

 彼女は俺の膝に手を乗せ、ずいっと顔を近づけ、



「ね……どうなの? 咲真クン」



 囁くように、尋ねてきた。


 う……そ、そりゃあ下心がなかったと言ったら嘘になる。

 そもそも可愛かったから目についたわけだし、「こんなコと仲良くなれたらなー」という考えがよぎったのも事実だ。

 しかし、



「な……ないよ、下心なんて。泣きそうな顔してたから、ほっとけなかっただけだ」



 と、答えておく。

 芽縷はスッと目を細めて、



「……本当?」

「ほ、本当……」



 じー……っと俺の目を見つめたのち……

 ふーん、と鼻を鳴らしてから、



「……………別に、あってもよかったのに」



 顔を背け、ぼそっと呟いた…………って?!



「えっ?! 今なんて……」

「なんでもなーいっ。ほら、午後の練習始まっちゃうよ? 早く片付けて!」



 聞き返す俺をあしらい、彼女は弁当を片付け始める。

 手元の弁当箱を彼女に奪われながら、今の言葉の意味をぼーっと考える……が、



「ぼーっとしない! 行くよっ」



 芽縷にぴしゃりと言われ、俺は慌てて彼女の後を追い、体育館へと向かった。


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