第38節 -新たなる同盟-

 支部のミーティングルームに重たい空気が流れる。

 今しがたウォルターから今回の事件の黒幕が誰であったのかを聞いた機構の面々は皆一様に沈痛な面持ちで遠くに視線を投げかけるしか無かった。

 この国の発展と明るい未来を誰よりも願っていたはずの大統領が薬物密売組織を引き込み薬物汚染を引き起こした張本人であるという。

 爆破事件の主犯であるという説明の後にも大統領が疑惑に深く関わっている根拠となる証拠の提示や、これまでの事件における不自然な行動、警察から開示された情報を逆手に取られて組織に繋がる情報の握り潰しを図られたことなどがウォルターの口から次々と説明された。

 各事件が起きた当初は警察内部からの情報流出の可能性も含めて内部監査をかけたようだが、結局内部からそういった痕跡は出ることはなく、調べれば調べる程浮かび上がるのは大統領が個人的に密売組織と繋がりをもっているという事実だけだったという。

 また、今まで警察が機構への情報開示に積極的でなかった理由として、大統領府との情報共有協定を結んだことが理由として挙げられた。

 大統領を容疑者として捜査している警察にとって、自分達の情報が機構を通じて大統領府へ流れることを危惧したのだ。

 信じたくはないが、これだけ本人が関わっている証拠の数々を次々と並べられれば誰だって認めざるを得ない。

 また9日に起きたアヤメの殺害未遂事件にまで関与している明確な証拠まであるともなれば猶更だ。

 警察が今まで行ってきた捜査について説明を終えたウォルターは機構の面々に対して言った。

「本題を話すのが遅くなってしまったが、我々が今日この場に足を運んだのは大統領に関するこれらの情報を貴方がたに伝えると同時に、第六の奇跡に向けて我々と緊密な協力関係を結んでほしいと願っているからだ。」


 ウォルターが話終えた場には沈黙が流れる。現実を受け入れたくないという思いから誰もが口をつぐんでいるような状態だ。

 何をどういう風に言えば良いのか分からない。誰もがそういった気持ちを抱いている。

 室内に重たい空気が流れる中でふとイベリスが口を開く。

「ロザリア、貴女は最初から全て知っていたわね?私達と会うよりもずっと前から。」イベリスの言葉で機構の全員の視線がロザリアへと向けられる。

 彼女の言葉を受けたロザリアはしっかりとした口調で答えた。

「このような場ですもの、何も包み隠すこと無くお話いたしましょう。いつの時点から悟っていたのかといえば、 “大統領と初めてお会いした時から” ですわ。その時に全て、何もかも。」

「そう。けれど警察の方々が私達に情報を伝えなかったことはともかく、どうして貴女達は2日の会合の場で私達にそのことを言わなかったのかしら?」

「“こちら側の計画” の為、ですわ。」イベリスの問いにロザリアはそう答えた。

「こちら側の計画?」訝し気な表情でルーカスが言う。

「はい。わたくし達と警察は初期の段階から独自の協力関係を構築するという協定を結んでおります。全てはアヤメさんの奇跡を止め、マルティムを瓦解させ大統領を逮捕するという目的を掲げた計画の為に。故にわたくし達が貴方がた機構へ情報を伝えなかったのは、彼ら警察と同じ理由によるものですわ。加えて申し上げるならば、先にイサム中佐がおっしゃったように、第六の奇跡に向けてその計画を完璧な形で成し遂げる為には貴方がた機構の協力が必要不可欠。ですので本日は協力を取り付ける為に伏してお願いする立場としてこの場に参りました。」

「ひとつ気になることがある。機構が大統領府と協定を結んだことを理由に情報開示に消極的だったとお話されたが、元々我々機構が大統領と協定を結ぶに至った経緯は貴方がたヴァチカンが大統領へ働きかけたことによるもののはずだ。であれば、我々が大統領府と緊密な関係性を築くきっかけを作ったこともその計画とやらに意味があるということなのだろうか。」ジョシュアが言う。

「おっしゃる通りにございます。貴方がたがこの地に訪れることが決まった時、大統領にその旨をお伝えして接触するように取り計らったのはわたくしの作為によるもの。貴方がた機構と大統領府が緊密な協力関係を結んでほしいという意図があったからですわ。」

「つまり我々機構に大統領府のスパイを演じさせたということでしょうか?」ロザリアの言う意味を悟ったルーカスの厳しい視線が彼女を捉える。

 彼が発言するその瞬間を待っていたとでも言うように僅かな微笑みを浮かべてロザリアは答えた。

「えぇ、それがわたくし達の計画における第一段階にございます。」

「理由については私から説明をしよう。」ロザリアから話を引き取ったウォルターが言う。

「先に見てもらった映像にあったような容疑者が殺害されるという事件が立て続けに起きた後、我々警察は大統領府への情報開示量を極端に絞り込んだ。情報を与えることで真実に辿り着く為の手掛かりを消されることを防ぐ為だ。その結果、反対に大統領府から我々に流れてくる情報量も少ないものになった。互いが互いに当たり障りのないような情報交換しか行わなくなったのだ。」

「当然、大統領は警察が自分に疑いの目を向けたことで情報の開示を取りやめたのだと気付いたはずです。これまで警察から流れてくる情報を元に証拠隠滅を図ってきた大統領は捜査状況が何も掴めなくなったことにもどかしい気持ちを抱いたに違いありません。しかしながら、それは警察とて同様。大統領府の動きが掴みづらくなった以上、捜査の手を動かしづらくなるのは必至。互いが互いにどうにかして相手の持つ情報だけを得ることは出来ないかと考えるに至りました。」これまで口をつぐんでいたアシスタシアが補足するように言った。

「なるほど、そこで俺達の登場というわけか。」ルーカスと同様に話の根底にあるものを悟ったジョシュアが言う。

「我々が大統領府と緊密な関係を築くことになれば、我々は大統領府の動きを詳細に知り得る立場となる。そうすれば機構を通じて警察は大統領府の動きを知ることが出来るようになる。それを目的として接触するように取り計らったと。」リアムが言った。

「反対に大統領側から見れば、我々を通じて警察の動きも把握できるのではないかという期待があったということになるのでしょうか。」続けてフロリアンが推察する。

「その通り。貴方がたが協力関係を結ぶ前の会合で大統領はこう言っていなかっただろうか? “自分は警察のことを信用していない” と。」

「確かにそうおっしゃっていました。わざと情報を流していない節があると。」ウォルターの言葉にフロリアンが返事をする。

「だろうな。機構から自分達の情報が警察に流れることを牽制したものだろう。」フロリアンの答えにウォルターは頷いた。

「しかし、互いに牽制し合っている以上は我々を間に挟んだところで何も変わらないのでは?我々をスパイの立ち位置に置くことが特に意味のある行動とは感じられません。」ジョシュアが疑問を呈したが、その意味についてロザリアがすぐに答えた。

「いいえ。それはあくまでも大統領府と警察と機構という “三角関係だけ” で物事を見た時のお話ですわ。しかし実際に貴方がたが得られた大統領府の情報は全てつつがなく警察へと伝わっておりました。」

「そうか、ヴァチカンか。」彼女の答えの意味に気付いた玲那斗が言う。

 ロザリアは玲那斗へ視線を向けて一瞬だけ微笑んだ。そして彼女に代わってウォルターが返事をする。

「その通り。彼女らと初期から協力関係にあった我々警察は彼女達を通じて貴方がた機構が得た情報を逐一入手していた。」

「ふむ。その為にヴァチカンは我々がこの地へ訪れて間もなく会合の場を持ち協力関係を構築したいと申し出た訳か。貴方がたは大統領と同じ目的を持って協力をする振りを装い、我々を紹介して接触をさせた後は自らが警察に情報を受け渡す筒の役割を果たしたと。我々の目には政府、ヴァチカン、機構の協力関係が構築されていたように見えたが、実際は警察、ヴァチカン、機構の協力関係がその時既に完成していたということだな。」

「はい。ですが言い換えると、わたくし達に出来ることはその程度のことしか無かったということですわ。」ハワードの言葉にロザリアは言った。

 すると話を聞いていたルーカスがロザリアに向けて悪態をつく。

「大統領府と同じ目標を持つと見せかけてすり寄り、一方では裏切りの画策をする。計画の為とは言え、総大司教様ともあろうお方がイスカリオテのユダの行為を地でなさるとは恐れ入る。」

「あらあら?よくご存じですわね。てっきり科学のことにしかご興味があらせられないのかと存じておりましたが、信仰の分野にも造詣が深いご様子。ですが、わたくしはユダのように後悔することはないでしょう。捕えようとしているのは主の皮を被ったサタンなのですから。」ロザリアは動じることもなくストレートに切り返した。

 2人の間には何とも言えない空気が漂っている。なぜかは分からないが、どうにもこの2人が会話をすると一触即発の空気が流れてしまう。

 原因を作るのは大体ルーカスの言動が先だが、ロザリアもなぜかそれに対してだけは先のように火に油を注ぐ。

 好ましくない状況になる前に場を落ち着けなければならないと思った玲那斗が間に割って入る。

「総大司教ベアトリス。ひとつ質問があります。」

「貴方様はロザリアとお呼び頂いて構わないと2週間ほど前にお伝え申し上げたはずですわ。」先程のルーカスへの対応とは打って変わってニコニコとした表情でロザリアは言った。

「え?あぁ…ではロザリアさん。ひとつ質問をさせてもらっても宜しいですか?」

「どうぞ、何なりとお申し付けくださいまし。」

 前回と同じく、微妙なやり辛さを感じながらも玲那斗は先のロザリアの言葉で引っかかった部分を尋ねた。

「そもそも貴方がたヴァチカンの目的というのはアヤメちゃんの起こす奇跡による殺戮を止めることだったはずです。つまり奇跡を止めることだけが目的であれば自らの意思で警察に協力をするという行為には意味が無い。なぜ敢えてそのようなことを?」

 玲那斗の質問にロザリアはしばしの間を置いて答えた。ゆっくりと、己の心の内にある言葉を丁寧に紡ぎ出すように。

「 “貴方がたに新しい掟を授けましょう。互いに愛し合いなさい。自らを愛するように貴方の隣人を愛しなさい。” わたくし達が信仰する道において幾度となく説かれ重要視されていることにございます。ミクロネシア連邦という国家はキリスト教を信仰する人々で溢れています。その多くはプロテスタントの方々だと聞き及んでおりますが、それでも同じ信仰の道を歩む者。であるならば、その精神に則りこの国を混乱に陥れる災厄から救いあげる為の手を差し伸べるのは自然の道理。わたくし達は彼女の起こす奇跡を容認致しません。如何な理由があろうとも殺戮をもってことの解決を図るというやり方に賛同の意を示すことは有り得ません。しかしながら、彼女の奇跡を止めてしまえば同じ信仰の道に生きる人々が救いを求めて縋ったものを打ち砕いてしまうことにも繋がりましょう。それはわたくし達にとって本懐ではない。だからこそ奇跡を止めつつ、全ての民が救われるであろう道を模索し、一番実現の可能性の高い手段をもって事を進めているのです。奇跡を止めてしまった後、国民が抱くやり場のない怒りを鎮める方法も同時に施さなければ別の混乱を招く可能性がありますもの。」

「その意見には同意する。今この国に生きる人々にとっては彼女の奇跡こそが唯一の拠り所になりつつある。奇跡を止めるのであれば、それに見合うだけの救いが必要だろう。」奇跡を人々から奪うならば相応の代価が必要であるという共通認識を自分達も持っていることをハワードは伝える。

「そうですわね。信じるから救われるのではなく、救われたからこそ信じる。それが人と神の在り方なのでしょう。人々は第一から第五の奇跡をもって怪我や病から救われ、暗い話題がひしめく世界に明るい光を見出したことで心が救われたからこそ彼女を信じている。しかし、この奇跡の先に待つものは決して明るい希望や未来といったものにはなり得ない。一時的に救われたように思えたとしても、歴史という長く記録されるももの中に必ずや暗い影を落とすことに繋がりましょう。」

「ロザリアさん、答えを聞かせて欲しい。」具体的な回答を未だにしていない彼女に対して玲那斗が言う。

「わたくし達が警察に協力するのは、奇跡とはまったく別の方法でマルティムという組織を瓦解させる必要性を認識しているからですわ。全てが望ましい方向に向くよう根本的な解決を図る為には、奇跡を止めた上で元凶となるものを現代における正しい裁きにかける必要があります。わたくし達は貴方がた機構のように奇跡を止め得る手段を導くような特別に優れた力を持つわけではありません。警察のようにこの国にはびこる悪を捉え裁きにかけるような権利も持ち合わせておりません。しかし今の立場であれば必要な情報をお伝えすることは叶いましょう。だからこそ両者に協力する道を選び取った。わたくし達が手を取り合うことでしか道は開かれないと考えたからこその判断ですわ。そして今、貴方がたが求めていらっしゃるのはまさに奇跡を止めた後に人々が納得できるだけの別の救いを用意すること。即ちマルティムの完全なる瓦解とそれを主導した大統領の逮捕ですわ。問われた質問以上のことを申し上げるようで憚られるのですけれど、機構が隣人であるわたくし達の手を取ってくださるか否か。目の前に道行きは示されていると、わたくしはそう思っています。」

 一同の間に再び沈黙が流れる。マークתの面々とハワードは視線をリアムへと向けた。


 決断が求められる時がきた。


 今回の調査の指揮を執るのはハワードであるが、この国で生まれこの国で生きて、この国の支部で全てを見続けてきたのはリアムだ。

 そのことを理解しているハワードとマークתのメンバーは彼に意思を託す。

 警察とヴァチカンの計画に協力するか否かの最終意思決定はこの支部を預かる彼の手に委ねられた。

 全員の意志を汲み取ったリアムはおもむろに顔を上げて言う。

「分かりました。我々機構ミクロネシア連邦支部は警察及びヴァチカンとの協力関係を新たに構築し、貴方がたの以後の計画に携わることにしましょう。但し、機構とミクロネシア連邦の間に定められた国際協定による事項を逸脱した行動を取ることは出来ません。我々に出来る範囲で協力をするということでご理解願います。」

「感謝する。貴方がた機構の協力が得られるということでこの計画はようやく最後まで完遂することが出来る。」ウォルターは心から安堵した様子で感謝の意を示す。

 機構の面々は静かに頷き、ロザリアはそっと目を閉じてことの成り行きが丸く収まった様子にほっとしているようだった。

「では、早速だが計画の話の続きをお伺いしたい。」ハワードが切り出す。

「大統領府と警察の間に機構が入り、さらにヴァチカンが仲介を果たすことで警察は大統領府の情報の入手可能となっていたことについては理解した。おそらくはそれによって捜査状況もある程度の進展は得られたのだろう。しかし私の勘が正しければ決定的な決め手がない。大統領を逮捕しマルティムを瓦解させる為に必要となる証拠や証言がまだ残っていると感じられる。例えばマルティムの内部に詳しい容疑者を1人確保することなどが最たるものだろう。正しい法の裁きを解決の寄る辺とするのであれば、物的証拠に対して事実だと認める第三者の存在が今の所欠けているように思える。」

「指摘の通りだ。第三者的な視点から見た論証というものが欠如しているのが現状だ。そして実際の所、我々警察にとってその証拠と証言を同時に得る千載一遇のチャンスが9日に起きた事件だったのだ。」

「というと?」ウォルターの言葉にハワードが問う。

「大統領府と我々が実質的な膠着状態に入り、機構が大統領府と協定を結んで以降は我々はただひたすら相手が焦りから尻尾を出すのを待ち続けた。いや、待ち続けるしか無かった。奇跡を止める手掛かりも得られず、当てにしていた機構からの情報も得られないとなれば痺れを切らせた彼らが何らかの実力行使に出てくるのではないかと最初から踏んでいた。そしてようやく尻尾を出したのがあの事件だ。」

「アヤメちゃんが狙撃された事件ですね。」フロリアンが言う。

「そうだ。あの狙撃事件の実行犯であった男は組織の中枢に深い繋がりを持つ人物で、奴を逮捕して証言を得ることさえ出来れば、どんな反論をしても覆すことが出来ない程の強力な第三者証言による証拠となるはずだった。事件が起きる前にその情報を掴んだ我々は何としてでも奴を捕まえるべく万全の対策を整え捜査にあたった。そこで “大統領とマルティム双方を” 仕留める為に。」

「待ってください。事件が起きる前に情報を掴んでいたということは、あの日アヤメちゃんが命の危険に晒されることを貴方がたは承知した上で彼女を1人きりにさせたというのですか?」怒りを滲ませた声色でフロリアンは詰め寄る。

「いかにも。彼女が命の危険に晒されることと引き換えに証拠を得ようとしていたということだ。言い訳はしない。言い逃れもしない。君の言うことは正しい。事実だ。」

「横暴な。結果的に狙撃を回避できたから良いようなものの、彼女は命を落としかけた。幼い女の子を囮にして利を得ようなど常軌を逸した発想に感じます。」

「言いたいことは重々承知している。先にも言った通り、そのことについて弁明などするつもりはない。我々がしたことは人道的に間違った行いだ。だが避けて通ることも出来なかった。彼女の命が危険に晒されるのは時間の問題で、ただ時期が早いか遅いかの違いでしか無かったのだよ。」

「その言い回しだと我々が調査に関与するより以前からその兆候は見て取れていたということだな。」感情的になりかけているフロリアンを制止してジョシュアがウォルターへ返事をした。

「第三の奇跡の直後辺りからそのような兆候が見られ始め、彼女の自宅付近にマルティムから依頼を受けたであろう売人が出没するなどという機会も増えた。当然我々は彼らを彼女に近付けないように厳重な警備体制を構築していたが、第四の奇跡を過ぎた辺りから奴らの動きはさらに活発となり、事件が起きるのも時間の問題という時期に差し掛かっていたことも事実だ。」

「そうした中で貴方がた警察が求めていた情報…つまりアヤメちゃんの命を危険に晒すと承知した上でも欲しかった証拠。それは彼女が命を狙われたという事実において、それを指示したのも大統領であるという実行犯からの証言ですね。」リアムが言う。

「事件が起きる1週間前から大統領のデバイスから接続先が偽装された痕跡のある通話がいくつも見つかっている。どれもが政府庁舎に向けて電話をかけていたことになっているが、それらの通話記録は実の所マルティムのメンバーに繋がれたものだということが捜査の結果判明した。話の冒頭付近でもお話したが、こうした事実から彼女の暗殺未遂事件には大統領が深く関わっていることは明白だ。彼のやり取りの相手はベルンハルト・J・ヘカトニオンという男でマルティムのナンバー2の人物だったのだよ。」

「その証拠に加えて実行犯の証言が得られれば大統領には逃げ道が無い。そういうシナリオを描いていたのですね。」ウォルターの話を聞きリアムが言う。

「だが失敗した。あの日、テンドウさんが我々の監視を撒いて裏通りへ逃げ込むことは事前に想定しており、こちらも対策として複数の警官隊を裏通りに3か所に分けて配置していた。裏通りからメインストリートへ抜ける為にはその3か所のポイントの内どこかを必ず通り抜ける必要があり、狙撃犯が事件を起こすより先にテンドウさんを確保し周囲に潜んでいる実行犯を確保しようという魂胆だった。しかし、何者かの手によって3か所に配置した警官隊は襲撃を受けて気絶させられてしまっていたのだ。」

「マルティムの手の者による仕業でしょうか?」フロリアンが言う。あの日、裏通りを走り抜けるときにあまりにも警察や政府の動きが無いと思っていたが、まさかそのようなことがあったとは。

「いや、違うだろうな。マルティムの手先になって動くような素人の人間が出来ることだとも思わないし、そもそも人間業で出来ることだと思えない。」戸惑いながら話すウォルターを見やってリアムが尋ねる。

「どういう意味でしょう。」

「実際、私も現地にいた警官から聞いた話でしか状況を理解することが出来ないが、3か所に配置していた警官隊の人間すべてが “気が付いたら医務室のベッドの上だった” という証言をしたのだ。つまり現場の配置に就いた後、気を失う直前から意識が戻るまでの記憶が一切なく、何をされてそういう状況に陥ったのかすら誰も理解していなかった。当然犯人に繋がる手掛かりはない。」

「僕を裏通りで襲撃した男はマルティムに関わりのある人物のように感じました。彼らはそのことに関わっていないでしょうか?」落ち着きを取り戻したフロリアンはウォルターに言う。

「確かに君とテンドウさんを襲撃した男はマルティムに関わりのある人間だった。しかし、ただ金を渡されて君達を襲えと指示をされただけで組織のことは何も知らないに等しい人物でもあった。だからこそ彼らにはそのような真似事が出来ないという確信もある。」

「当日、裏通りに入った人物の中で怪しい人間はいなかったのでしょうか?貴方がた警察は道路の監視カメラを通じて情報が得られるはずです。」メインストリートなどに設置されている監視カメラのアクセス権限などを警察が握っていることを知っているリアムがウォルターに言った。

 するとウォルターは監視カメラで捕らえられた人物を含めて当日に路地にいた人々の内訳を答えた。

「あの日、我々警察を除いて裏通りに居た人間は全部で9人だ。1人は狙撃犯、5人がマルティムの手先、1人がヘンネフェルト君でもう1人がテンドウさん。そして、最後の1人は “桃色髪の少女” だ。」

 最後の言葉を聞いた瞬間に機構の面々の表情が強張り固まる。

 桃色髪の少女。フロリアンを裏通りへ誘導した人物だ。機構のセキュリティを軽々と突破し悠然と監視カメラにも映り込むという現実的に有り得ないことをやってのけている少女でもある。

 イベリス曰く、彼女の名はアンジェリカだと言う。自分達と同じようにリナリア公国に存在していた少女で、現代において本来生きているはずがない人物。

 今この場にいるイベリスやロザリアを含めたリナリア出身の人物たちの特徴に当てはめるなら彼女にも何らかの特別な力があるとみて良いだろう。紛うこと無く警戒を強めるべき要注意人物だ。

 警察の3小隊全てを気付かれることなく潰すなどという芸当が可能なのはおそらく…その事情を知る機構の一同は誰もが同じ結論に達していたようだった。

 そうした事情は抜きにして、努めて冷静にジョシュアがいう。

「フロリアンが裏通りに入る前に目撃したという少女だったな。その子が一連の事件に絡んでいると警察は見ているのだろうか?」

 するとジョシュアの質問に対してウォルターが答えるよりも先にロザリアが厳しい口調で割って入った。

「中佐。我らの警告をゆめお忘れなきように。」今まで見せたことのない剣幕だ。

「承知している。彼女には関わるなというのだろう?安心したまえ。業腹ではあるが、言われた通りに彼女は我々の捜査対象から完全に外している。」

「言われた通り?」ルーカスが問う。

「はい。機構の皆様におかれましても彼女のことをそれ相応に認識していらっしゃるようですが、彼女の調査からは皆様も即時に手を引いてくださいまし。全てわたくし達にお任せ頂ければと存じますわ。はっきりと申し上げてこのような状況下で彼女に関わるべきではありません。警察に対しても彼女を完全に捜査対象から外し絶対に追いかけないようにと、わたくし達の協力関係において順守して頂くべき誓約として承諾を頂いております。」ロザリアは真剣な表情をしてそう言い切った。

 理由を知る機構の面々はそれ以上何も言わずに黙り込んだ。

 その言動は誰も傷つけたくないというロザリアなりの優しさに基づいていると察したイベリスは彼女に言う。

「ロザリー、ひとつ良いかしら?」

「はい、何なりと。」

「以前に少女の通報を受けて深夜の裏通りに駆け付けた2人組の警官が襲撃されたという事件。誰の仕業によるものか貴女は知っているのかしら?」

「神のみぞ知る、とだけ申し上げておきましょう。」

「そう、分かったわ。」ロザリアの答えに対して何ら追及することなくイベリスは引き下がった。


 玲那斗には2人がアイコンタクトで何か意思の疎通を図ったように見えたが、それが何を意味したのか理解に至ることは出来なかった。

 これ以上この話題を継続することは好ましい結果を引き寄せるとは思えなかった玲那斗はすぐに話題を変えようと思い言った。

「裏通りにいた少女の話は棚上げして先の話の続きをしましょう。フロリアンが裏通りに入ったことでアヤメちゃんの9日の事件における狙撃犯の確保に失敗したという話ですが、犯人の行方はどうなったのでしょう?」

「死んだよ。いや、殺されたというべきだな。ビルの一室で何者かによってバラバラに解体された状態の遺体が発見された。それもただバラバラに解体されたわけではない。指の1本に至るまで丁寧に解体された死体を様々な形になるよう組み上げて “遊んだような” 形跡が見て取れた。思い出すだけで背筋に悪寒が走る。誰が見たってあれは異常だ。」

 湧き上がる記憶を押し殺すようにして目を閉じながらウォルターが言う。そうした現場を多く目撃しているはずの百戦錬磨の警官を震え上がらせる惨状とはどのようなものだったのだろうか。

 ウォルターは再び目を開けて言った。

「我々は組織に繋がる犯人の逮捕と証言を得る千載一遇の機会を失った。失いはしたが何も得られなかったわけではない。狙撃犯が現場に残したスマートデバイスからマルティムの本拠地と見られる場所の割り出しを行うことがついに叶った。」

「マルティムの本拠地の場所とは?」ハワードが問う。

「首都パリキール、旧連邦政府合同庁舎跡地に建設されたモニュメントなどを入り口のひとつとして地下に広大な空間が広がっているが、その中の一角がマルティムの本拠地だ。」

 連邦政府合同庁舎跡地。灯台下暗しとはこういうことを言うのであろうか。

 国家に災厄をもたらす薬物密売組織の本拠地は政府機関や裁判所等が立ち並ぶ首都パリキールに存在するという。

 連邦政府合同庁舎跡地は大統領府などと同じように政府関係者以外の立ち入りは原則出来ない。関係者であっても厳重なセキュリティによる認証をクリアしなければ近付くことすら出来ないようになっている。

 つまり、この国の中で最も警備が厳重で最も犯罪に縁が無いと目される場所なのだ。

 言い換えれば、この国で最も厳重な警備が敷かれた最も怪しまれない場所に拠点を構えているということになる。

 過去の捜査で組織の本部の所在地が掴めなかったことも納得が出来る。

「我々は第六の奇跡が起きる直前にこの本拠地を押さえようと思っている。」

「しかし、ここまで来ると早期に決着を付けなければ彼らが国外に逃亡する可能性があるのでは?」ウォルターの言葉にジョシュアが疑問を呈する。敵の本拠地が判明した以上、悠長にことを構えている暇はないのではないかという疑問だ。

 しかしウォルターはジョシュアの懸念をあっさりと否定した。

「それは無いだろうな。第五の奇跡が終わった直後、連邦政府は入出国審査を厳重にするとともにかなり厳しい入出国規制を敷いた。海外の要人や特別な理由がある者でなければ空港に留まることすら出来ないだろう。彼らが出国する為には偽造パスポートが必要になるが、現在の状況ではまず出国システムを通過することが出来ない。空が駄目なら海からと思い至るかもしれないが、海洋は警察の巡視船による監視体制が整えてあり船による脱出の可能性も潰えている。彼らはこの島で第六の奇跡が起きるまでの間じっとしていることしか出来ない状況に既に追い込まれているのだよ。それに我々にも準備というものが必要だ。今度こそ失敗は絶対に許されない。」

「では、貴方がたの計画において我々に求められる役割とは何でしょうか。」リアムが核心を問う。

「10月13日に予定されている第六の奇跡、虹の架け橋と呼ばれるアヤメ・テンドウの奇跡を確実に止めて欲しい。私の立場でこう言うのもおかしな話だが、大統領やマルティムに対して加えられる裁きを止め、彼らの身の安全を確保してほしい。正しい裁きを受けさせるために国民が縋る希望を打ち砕くことになるが、その希望は我々警察が引き継ぐ。」

「そしてわたくし達ヴァチカンは貴方がたの行動がつつがなく上手くいくように後方からサポートをさせて頂く所存にございます。繰り返しますが、例の少女については関わり合いにならないよう願いますわ。」ウォルターとロザリアがそれぞれ答える。

 計画における最後の仕上げとは、第六の奇跡を止める役割を機構が担い、マルティムの瓦解と大統領の逮捕を警察が担い、その動きが阻止されないようにヴァチカンが裏から立ち回るというものだ。

 それぞれの組織にしか出来ないことをそれぞれが確実に行う。為すべきことを為す。

 機構の面々が先のミーティングでどうしても解決できそうになかった “最後の問題” も警察が介入してくれることによって道筋が示された。

 最後に至る道が提示されたことで自分達の目標を明確に見出した機構を代表してリアムが告げる。

「分かりました。では、これより我々機構は第六の奇跡を止めることのみに注力していきましょう。」

「感謝する。それと、ここから先は僅かな情報であっても大統領府やマルティムへ伝達されることは防ぎたい。何か相談事や報告事項がある場合は各組織の責任者が窓口となって直接話し合いをすることにさせてもらう。我々警察は私が、ヴァチカンは総大司教殿が、機構はモーガン中尉で宜しいかな?」

「結構です。そのように致しましょう。」

「決まりだな。唐突な会合に応じて頂いたこと、そしてぶしつけな協力要請に同意して頂いた事に今一度礼を言う。事件の終わりに至るまで宜しく頼む。」

 ウォルターがそう言うと一同全員が起立をし、代表同士が握手を交わした。

 新たなる同盟がここに構築され、終わりへの始まりが告げられたのであった。


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