第37節 -ペルソナ-

 支部のミーティングルームに3人の来客が訪れた。指令室からのメッセージに対してリアムが自分達の元まで彼らを案内するように命じたのだ。

 いかにも警察官という風貌をした眼光の鋭いスーツ姿の男性が1人と、修道服に身を包んだヴァチカンの使者が2人。

 彼と彼女らが唐突に支部を訪れた目的は不明ではあるが、今回の事件に関わることについて極秘に話しておきたいことがあるという。

 ミーティング中の部屋に入室した3人の中で最初に口火を切ったのは警察官の男性であった。

「機構の皆さん、お初にお目にかかる。私の名はウォルター・イサム。連邦警察の中佐であり、薬物密売組織マルティムの捜査における指揮権を預かっている。ヘンネフェルト君とは会うのは2度目になるな。」

 挨拶をするウォルターを目にしたフロリアンは、自身が数日前に会った時との違いに驚いた。

 前回会った時とはまるで印象が違う。警察に任意聴取を求められた際の彼は自分を容疑者として扱い、言葉の節々に棘がある物言いで一切心を通わせた会話を求めるというような人物には見えなかった。

 しかし今は正反対だ。そのことを自ら証明するようにウォルターはフロリアンに言う。

「先日はすまなかった。君がマルティムとは何の繋がりも持っておらず、ある人物の作為的な導きによって裏通りでテンドウさんと遭遇したことは最初から承知していた。そしてその場の状況を素早く判断して彼女をマルティムの暗殺から守る為に勇敢に行動をしたということについてもだ。彼女の命を守ってくれたことに対し、警察組織を代表して改め礼を言う。先に作為的と言った部分についての説明は彼女達にしてもらう。」

 フロリアンは警察署内で会った時の彼とのあまりの違いに目を丸くしたまま言葉を発することが出来なかった。

「皆様、ごきげんよう。こうしてお会いするのはおよそ2週間ぶり2度目のことになりますわね。以前にお話しできなかったことを伝える為に…いえ明かす為に本日はお邪魔させていただきました。第五の奇跡が終わった今、貴方がたは知る必要がございます。この地で起きている出来事が “誰の手によって” 引き起こされたことなのかを。」ロザリアが言う。

 彼女の顔にいつものような不敵な笑みは無い。穏やかな表情ではあるが、以前よりも真剣さが勝っているような印象だ。その様子と意味深な語り掛けに対して全員の顔が険しくなる。

 ウォルターやロザリアの緊迫した態度はこれから語られようとしていることの重大さを物語るかのようであった。アシスタシアだけは二人とは異なり、以前とまったく変わりなく澄ました表情をしたままロザリアの傍らに付き添っている。


 リアムに促されて3人は会議中の席へ導かれて着席をする。そして、着席と同時にウォルターが言う。

「本題に入る前に、前提としてこの国で起きている薬物事件について我々警察がどのような経過を経て今日に至っているのかをお話させて頂きたい。少し長い話となるが、順序立てて話することが最善であると認識している。まず、皆さんも知っての通り、今我が国は薬物密売組織マルティムが密輸して違法に販売する危険薬物によって汚染されている状況だ。過去数年間の内に薬物による逮捕者は2倍、3倍はおろか10倍以上と劇的に増加し続け、もはや歯止めが効かなくなっている状態にある。我々警察がマルティムの存在を確認した時には既にポーンペイ州全土に汚染が広がっている状況だった。ただ、ヤップやチュークといった他の州では薬物汚染は見られず、我が国という言い方こそするが、これらはポーンペイ州のみで引き起こされている事件ともいえる。」

「観光事業の強化で経済対策を施し、海外旅行客が増加したタイミングと併せて問題が広がったという話を聞いています。」ジョシュアが言う。

「その通り。最初はポーンペイ島を訪れる海外観光客に対する密売が主だったようだが、それほどの期間を空けることなく徐々に国民に対する密売も広がりを見せた。初動捜査の結果、まずは観光事業の発展の為に建設現場で働く作業員に対して〈疲れをとる為の栄養剤〉というような名目で売られたことが始まりだと認識している。そこから国民への拡散が始まり、観光事業に関わる人々以外にも農業を営む人々や運送業を営む人など、とにかく肉体労働に従事する人々に対する薬物汚染が広がっていったことが確認された。薬物汚染の広がりを受け、挙動の怪しい人物を大勢調べていった結果、大麻やコカインやヘロイン、LSD、5-MeO-DIPT、マジックマッシュルームといった海外でも密売されている薬物が次々と押収されたのだ。」

 ウォルターはミクロネシア連邦で薬物汚染が広がった経緯を順に説明していく。その過程でマルティムという組織が密売の主犯として事件を引き起こしていたこと、組織に繋がる人間を逮捕した後に何者かに殺されるという事件が多発したこと、そしてある時を境にして新型薬物 “グレイ” の存在が確認されたことなど。


 そして、マークתがこの地に訪れた初日にリアムから説明を受けたことに加えて、警察がどのような捜査を行ってきたのかについての一通り説明を終えた後にウォルターは言った。

「重要なのはここからだ。これからの話で、今まで我々警察が貴方がた機構に対する情報開示について積極的でなかった理由をお話することになる。まずは言葉よりも先に映像を見てもらいたいのだが、モニターを使用させてもらっても?」

 リアムが許諾の意志を示すと、ウォルターは鞄から取り出したタブレット型端末を無線接続でモニターと連動させる。次に一つの映像ファイルを呼び出し再生した。


 モニターに映し出されたのはパトカーに設置されたドライブレコーダーの映像であった。

 目の前を大型の護送車と思われる車輌が走行している。

「これはマルティムの組織内部と関りが深いと疑われる人物を警察が管轄する拘置所へ移送している時の映像だ。間もなく前方の車輌が爆破され容疑者が死亡する。」

 ウォルターが言い終わると同時に目の前の車輌から突然火の手が上がり、容疑者を乗せているはずの車輌後部が激しく爆発した。

 轟音と共に炎上する車輌。怒号を上げながら慌てふためきパトカーから飛び出る警官の様子が映し出される中、後部車輌から火だるまになって飛び出た容疑者らしき男が叫び声を上げている。

『くそっ!やっぱり裏切りやがったな!使えない無能どもめ!役立たずの政府の犬め!畜生!』

 その後も激しく燃え盛る炎に包まれた容疑者の叫び声と呻き声がしばらく録音されていたものの、間もなく燃え盛る炎と軋む車輌の音、警官の声以外は聞こえなくなったことで容疑者が死亡したことが見て取れた。

「裏切り。無能な政府の犬。最初、これらの言葉は組織の人間及び我々警察に向けられたものであると思っていた。自分を助けると思っていた組織の人間への罵倒、自分を守り切れなかった警察への罵倒、そういう類のものだと。しかし、後にこれが別の意味を示すことであると我々は知ることになった。」

「別の意味?」ハワードが言う。

「裏切ったのは組織ではなく、また使えない無能と呼ばれる政府の犬は我々では無かったという意味だ。」

「そのままの意味だな。イサム中佐、具体的におっしゃって頂きたい。」

「そうだな。はっきりと言おう。この車輌爆破事件を引き起こした犯人は “ミクロネシア連邦政府” の中にいる。薬物密売事件に対する証人を車両爆破や自殺と見せかけた暗殺で葬り、数々の証拠隠滅を図った人物。そもそも密売組織マルティムをこの国に呼び込んだ張本人。全てが “ジョージ・キリオン大統領の手によるもの” だ。」


                 * * *


 ジョージは大統領執務室の大きな窓の向こうに広がる雄大な自然を目にしながら物思いに耽っていた。

 第五の奇跡が完遂され、残された奇跡はあと一度。

 この国の行く末までも左右しかねない運命の日まであと1ヶ月を切った。


 いつから歯車が狂ってしまったのだろうか。

 思い返せば短い歳月だった。自身が大統領に就任してからこの国の発展の為にありとあらゆる手を尽くしてきた。

 縦割り社会の最たるものである各州独自の上下関係基準。文化の違いにより一つにまとまらない島々。独立経済の確立が難しく他国に依存せざるを得なかった状況。

 尊重されるべき文化と現実の狭間で八方塞がりのそんな状況を打破する為には何よりもまず力が必要であった。

 その力とは単純に言ってしまえば経済的強さだ。金銭的潤いだ。何かを変える為には強いきっかけが必要なのだ。

 世界トップのGDPを誇る経済大国アメリカと比較して当時のミクロネシア連邦は約5万分の1のGDPしかもたなかった。

 つまるところ、国内の経済的な弱さを補う為にはアメリカや諸外国による資金援助に頼らざるを得ないという意味でもある。しかし、それはもろ刃の剣だ。海外の経済状況によっては支援の継続が難しくなることだって起こり得る。

 海外の経済状況に簡単に左右されてしまう現状は何としても早急に解決を図るべき案件だ。純たる独立国家として運営してく為には、やはり国家としての悲願である経済的自立がどうしても必要だった。

 国内で生まれる付加価値を飛躍的に高め、経済的基盤を強固なものにしていく為には従来の農業や漁業のみに頼る方法では到底追い付くことなど叶わない。

 どうしても自国のみでは整備が難しい上下水道整備や交通分野の整備などの公共事業は海外の援助を多大に受けたが、それ以外については基本的に自国資本によるもので賄ってきた。

 この国が世界で生き残る為に武器に出来る要素はおそらく観光産業の強化だ。最大の成長曲線を描くことが可能な産業である。

 世界の旅行市場を取り込むほどの魅力的な観光産業の構築。海外資本に頼らない国内労働力を基盤とした観光産業強化を掲げこれまで政策を進めてきた。

 それによって創出された新規建設事業の活性化、若年雇用の創出、情報システム社会における基盤の確立、外貨の獲得、得られた収入による国内経済の潤滑といった要素は現実に我が国に高度経済成長をもたらすという成功の道筋を描いている。

 何もかもが順風満帆に見える道筋の中で、唯一の汚点を除いて。


 国内労働力を基準にすると言ってもそこにも限度がある。自国で賄えるものと賄えないものはしっかりと切り離して考える必要があった。観光産業を構築する上でも海外に頼らざるを得ない部分は多々あるのだ。

 工事に必要な重機や資材の獲得、建設におけるノウハウの提供、労働者の教育などがその筆頭である。

 これらを得る為には相応の金銭が必要だった。元々経済的な余裕があるわけではない中でどうやってそれらを賄うべきなのか。

 友好国同士の資金援助に頼る方法や、国連の統治開発部、通称セクション3へ後進国支援・援助を申請する方法がまずは考えられる。

 実際、協力してくれる国々の援助を取り付けたり、国連の援助を取り付けたりする方法はうまくいった。自身が大統領に就任した2031年には早速国連の使者による視察を受け、援助の取り決めを交わすことも出来た。

 しかしそれだけでは足りなかった。善意のみに頼る方法では賄うことが出来ない部分があったのだ。

 その問題に頭を悩ませていた時にあの “悪魔” がやってきた。金銭的問題を解決できると豪語する1人の少女が政府庁舎へ訪れて自分に契約を持ち掛けたのだ。

 契約を交わした瞬間が悪夢の始まり。歯車が狂った瞬間だったに違いない。

 何ということをしたのだろうと後悔しても遅い。全てが取り戻すことが出来ない過去の話となってしまった。

 あとになって分かった話ではあるが、彼女がこの国に持ち込んだものこそマルティムという薬物密売組織であった。

 薬物を販売することで上げられた収益が政府へと流れ込み、彼女の言う通り “金銭的問題は解決した”。

 だがこんなことが許されるはずがない。許して良いはずが無かった。しかし、内容を知らなかったとはいえ、話を決めたのは他でもない私自身だった。

 それ以来、来る日も来る日も自分を悩ませたのはこの問題をどうやって解決するかということである。いや、厳密に言うとどのようにして自己保身を図るかというところに目が向いてしまっていた。

 経済的な潤いをもたらす組織を壊滅させることも出来ず、事情が公に出ることを危惧して追い出すことも出来ず、自身との繋がりを暴かれる可能性を考えれば警察に協力することも出来ない。

 その思いを胸に頭を悩ませていた時に更なる問題が生じてしまった。

 アヤメによる太陽の奇跡の再来だ。第一の奇跡から第三の奇跡まででその予感はあったが、彼女が第四の奇跡でこの国に災いを持ち込む愚かな者に裁きを与えると公言した時に悟った。

 その “愚か者” の中には自身も含まれているのだと。

 おそらく聡明な彼女にはこの国で起きた一連の出来事の元凶が何であるかが視通せているはずだ。だからこそ政府と関りを持つ人物を自身に近付けることを強く拒み続けていたに違いない。 

 おそらくは警察も自身が事件の元凶であることを把握しているのだろう。ある時を境にして警察から政府に対する情報開示があからさまに少なくなった。

 警察がマルティムと繋がりを持つと予想される容疑者を確保するたびに何者かの手によって殺害されるという事態の中、警察が情報を流していた唯一の機関である政府、ひいては大統領である自分に疑惑の目が向くことは至極当然の流れだ。

 そうして警察と政府の関係が静かなる破綻を迎えていた時期に機構の奇跡による異常気象調査に関して大西洋中央司令から応援が来るという情報を得た。

 機構がこの事件に絡むきっかけとなったのは自分の依頼によるものだ。アヤメの奇跡の矛先が自分に向くのではないかという考えから、機構に対して異常気象の調査を名目として奇跡の調査を開始させたのが始まりだ。

 アヤメに殺人を犯してほしくないという言葉や神の聖名を利用した殺戮を許せば世界を巻き込んだ災害に繋がるなどという言葉はただの詭弁だ。本心はただ自分に奇跡の矛先が向くのではないかという恐怖のみが占めていた。

 調査の進行の為にマークתというリナリアの奇跡を解決に導いたチームがこの国へ訪れるという情報はヴァチカンの総大司教からもたらされた情報だった。

 彼らの耳に警察から自分が怪しいという情報が入れば、奇跡の調査に対して大きな影響が出かねない。

 そう考えた末に、奇跡を解決に導く可能性がある彼らを警察に近付けたくないという思いからすぐに会合の場を持ちたいと彼らに打診し、自分達に情報を開示しない警察は信用できないという嘘の情報を与えることで警察と彼らが近付く可能性を排除した。

 警察からの情報が機構経由でこちらに流れることについては僅かに期待はしたが、警察も愚かではない。政府と深い繋がりを持ったと判断した彼らは機構に対する情報提供も渋るようになっていたことでその期待は露と消えた。

 その後、第五の奇跡を迎える直前に業を煮やしたマルティムのベルンハルトからアヤメの殺害を企てていると報告を受けた時、実行しろという指示を下したのも自分である。

 機構が奇跡を止めることに期待もしているが、それ以前に彼女という存在が無くなってしまえば何を怯える必要もなくなる。

 彼女自身が大統領である自分が主犯であると知っている以上、いつかは下さなければならない決断でもあった。

 だが、この計画はマルティムをこの国に持ち込んだ少女の手によって潰されてしまう。彼女は意図的に機構とアヤメに助力し、マルティムの計画を台無しにした。狙撃事件の後、彼女から直接電話連絡を受けたことでその事実を知ることになったのだ。

 “自分の楽しみの邪魔をするな” という趣旨のことを言っていたと思う。

 これが決定的となって事態は八方塞がりとなった。かつてないほど厳重な警察の保護下に入ったアヤメに対する干渉も出来ず、警察の捜査の状況を知ることも出来ず、機構の調査が成功する可能性に賭けるしか無く、下手に動けば “あの少女” に殺される。


 ジョージがその全ての元凶でもある危険な少女について考えを巡らせた瞬間だった。

 自分の他に誰もいるはずのない室内から甘ったるい少女の声が聞こえてきた。

「はぁい!ジョージ~☆ご機嫌いかがかしら?」

 その声の主が誰かを理解して背筋に悪寒が走る。この国の歯車を狂わせた張本人、18番目の悪魔を招き入れた真正の悪魔。アンジェリカだ。

 ジョージが振り返ると大統領専用椅子に足組をして着座した彼女が狂気を覗かせた紫色の瞳でじっとこちらを見据えている。

 獲物を嬲ることを楽しむような目をした彼女は上機嫌そうに言った。

「残念なお知らせと良いお知らせを持って来たんだけどどっちから聞きたい?」

「どちらからでも構わん。君が言いたい方から言いたまえ。」ジョージはアンジェリカから目を逸らすこと無く言う。

「そんなに私のこと見つめられると照れちゃんだけどなー。じゃぁ、まずは悪い方のお知らせから。さっき警察とヴァチカンが一緒に機構へと入っていったよ。きっと諸悪の根源が貴方だってことを報告しにいったんじゃないかな?いよいよ事態は詰みの方向へ向かって行ってる感じだね。今の気持ちはどう?ねぇねぇ、今どんな気持ち?」

 これが素の態度なのかわざと挑発して反応を楽しんでいるのか判断の難しいところだが、この女の性格からするとおそらく “両方” なのだろう。素で挑発して楽しんでいるのだ。

「特に思うことは無い。その時が来たというだけの話だ。いや、君の思惑通りに事が進んでいるというだけの話ではないのかね?マルティムのことにせよ、ヴァチカンのことにせよ、機構のことにせよそうだ。この地に後から訪れた者達は全て君の差し金で集められたといっても過言では無い。最初からこのような結末を迎えることを理解した上で、こうなるように行動していたのだろう。願いが叶って良かったじゃないか。」挑発し返すような言動を彼女に送る。

「辛辣ぅ!そういう皮肉的な物言いは、めっ!なんだよ?」

 楽しそうに笑いながらそう言った彼女はふいにジョージを目を真っすぐ見据えると声のトーンを押さえながら言った。

「でも恬淡な貴方が自己保身の為に落ちぶれていく様を陰から眺め続けているのは確かに楽しいんだけどね。最後はどんな無様なオチを私に見せてくれるのかしら?」

 笑顔で大きく見開かれた目はまるで獲物を捕食する前の蛇のようでもある。ふざけている中で時折垣間見せる冷酷な本性の邪悪さは底知れない恐ろしさがある。

「だって悪いことをしたら裁かれる。それは当然のことじゃない?誰から見ても善性なる貴方のペルソナが剥がされ暴かれた時、この国がどういう方向に向かって転がっていくのか。私の興味はそこにも向いているのよ。」

「私1人を失ったところでこの国が崩壊するなどということは無い。一つの悪を滅ぼした後に新たなる指導者を立て、正しい未来へと歩みを進めていくだけのことだ。多くの麦を実らせる為に一粒の麦が死ななければならないのはいつの時代も道理だ。私が間違っていたのは自らの命と立場を “愛してしまったから” に他ならない。だが、そう言う君の悪意もいずれ裁かれる時が来るだろう。その時になって君がどのような結末を迎えるのかについて私は興味を抱くよ。」ジョージはアンジェリカに反論した。しかし彼女はすぐに切り返す。

「残念。私の生きる道において絶対の法は私だけのもの。事の善悪の価値基準は全て私が決めることで他者が決めることでは無い。だから私が誰かに裁かれるなんてことは絶対に有り得ない。貴方ごときが私の結末を見るですって?あるわけないじゃない?きゃははははは☆」

 嘲笑を浮かべながら無邪気に少女は笑う。その様子を眺めながらジョージはただ一言だけ言う。

「そうかね。」

「えぇ、世の中には絶対不変の定められた規則というものが存在する。生まれて来ただけで大金持ちになる人もいるし、生まれて来ただけで極悪人にならざるを得ない人生を歩む人だっている。生まれつきの障害や病気で人生を人より短く終える人だって。性別、容姿、腕力、学力、財力、時間に至るまで誰もが平等だなんてことは絶対に有り得ない。自分の力だけではどうにもならない生まれつきの事情という物事が不変に定められているように、私が己の行動によって裁かれることが有り得ないということも生まれつき不変に定められた規則のひとつなの。」

 そう言ったアンジェリカは椅子から立ち上がるとゆっくりとジョージへ歩み寄り、顔を覗き込むようにして告げる。

「良い?私が善と言えば善となり、私が悪と言えば悪となる。これは千年前から変わらない真理よ?」

 その言葉を告げた彼女はくるりと後ろを振り返り、椅子に向かって歩きながら言った。

「それに、誰もがみんな同じだなんて “つまらない” と思わない?生まれてきた境遇による違いから誰もが違った人生を歩み、その積み重ねの結果を交えることで今の世界は成立している。悪人がいるから正義の警察が存在できるように、ね。」

 そして再び椅子に腰掛けるとジョージを真っすぐに見据えて言う。

「あとは良い報告のお話もしないと。機構がアヤメの奇跡の正体を見破ったみたいよ?第六の奇跡はきっと彼らによって防がれる。私にとっては残念だけれど、貴方が雷に撃たれて殺されてしまうということは無くなったかもしれないわね。ただし、機構の彼らはアヤメの奇跡を防ぐことによって、マルティムへの裁きを望む国民の願いを断ち切ることになる。彼らは国民からどう思われるのかしら?」

 アンジェリカはそう言い残すと紫色の光の粒子を散らしながら、煙が霧散するようにその場から姿を消した。

 どうやら機構は奇跡を止める術に辿り着いたらしい。であるならばそれが成し遂げられる一点に賭けつつ自分に許された残る道は一つ。


 自らの手で招き寄せた災厄を、自らの手で葬り去る時が来た。


                 * * *


「アヤメ、何か食べたいものはある?」サユリがアヤメに優しく話し掛ける。

「お母さんのパンケーキが食べたい。」

「そう、用意するから待ってなさい。」

 国際文化交流フェスタで銃撃を受けたあの日以来、奇跡の日である昨日を除いてアヤメは一切外に出ていない。

 外では常に警察の護衛が監視の目を光らせており、外部の不審者はおろか一家で暮らす自分達すらも外出することは容易ではない。

 父ダニエルは奇跡が終了を迎える翌月の13日以降まで仕事をリモートによる業務に切り替え、母サユリも買い物などは警察が代行してくれるようになったので外出しなくなった。

 アヤメは学校の授業をリモートで受けることになり、毎日決まった時間に遠隔授業を受講している。友人たちとも時折ホログラフィ通話を使用して他愛のない会話をしたり、ビデオゲームのネットワーク対戦などを通じて遊んだりもしている。本当に1人で過ごす時は趣味の読書に没頭しているようだ。


 今まで当たり前だと思っていた日常が非日常へと変わる。

 そのことについてサユリは最初こそ息苦しいと思っていたが、ここ最近は気の持ちようを変えたことが功を奏したのかそれほど気に留めなくなっていた。

 考えようによっては、家族水入らずで常に一緒にいられる時間がたくさん出来たとも言える。

 全員がただ外に出なくなったということ以外に変わったことは無い。カーテンを開いた先に見える物々しい警備体制を除いては。

 奇跡と呼ばれる現象をアヤメが起こし始めてからしばらくの間は僅かにぎくしゃくした空気が家庭を覆っていたが、例の事件以降はそういったものも無くなった。

 愛する家族と共に日常を過ごす。そんな当たり前の出来事が非日常を通じて実は奇跡のようなものなのだと理解したからだろうか。

 経過する一秒一秒の全てがかけがえのない瞬間であると思う。


「出来たわよ。どうぞ。」サユリは焼き立てのパンケーキをアヤメに差し出す。

 バターとメープルシロップ、そして彼女の大好きなホイップクリームを添えて。

「美味しそう!頂きます!」

「ゆっくり食べるのよ。」


 目の前に用意されたご馳走を無邪気に頬張る愛しい我が子を眺めながらサユリは微笑む。

 残る奇跡はあと一度。その後に何が待ち受けているのかなど今は考えたいとも思わない。

 ただこの子の笑顔を慈しむこと、かけがえのない時間を全て取りこぼさないように過ごすこと。それだけで十分だ。


 それだけで良いのだ。

 それだけで良かったのだ。


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