第3話

「ごちそうさまでした!」

「ごち……そうさまでした。」

人間の文化は、よくわからない。食事に感謝するのはまだしも、食後食前に唱える特有の言葉も作ってしまう。その点では、日本という国そのものが分からないと言う方が正しいだろう。

「綺麗に食べるねえ、鶴城くん。」

「え……?そう、ですか?」

「気持ちのいい食べ方、たった今してくれたじゃない。」

やはり、よく分からない。最後まで食べることの何が綺麗なのか。当然のことじゃないのだろうか?

用意されたものも、自ら用意するものも、全て平らげて然るべきと生きてきた僕には、この世界の食への価値観など、理解できるはずもなかった。

「最近の子って、よく食べ残すの。」

「は、はあ……。」

「残さないのって多分、うちの子とか……あまり外に出たりしない子だと思うわ。ほら、SNS?とかに載せて、それっきり……そのまま近くへ置いて行ったり、一口だけ食べて店を出たり……酷いと、手付かずのまま、行ってしまうらしいのよ……。」

「みんな、食べることに困るってことがないんだよ。元が裕福だから、食べ物に困ったりしたことがないんだ。私たちみたいなのと違ってさ、節約する術だって知らないと思う。」

……私みたいなクズが言うのもなんだけど。

そう聞こえたが、母親には当然聞こえていないため、盛れ出そうになった言葉を喉奥に押し込む。

「あ、ジュースか何か、買ってきましょうか?」

「ええ?気遣わなくていいのに、休んでいいのよ。疲れてるでしょ?」

「まあ、これは建前なんですけど……実は、ちょっとこの子を連れてドライブに行きたくて。

いいですよね?お土産は、ちゃんと買ってきますから!」

「お土産って言っても、大したもの売ってないと思うけどなあ……行ってもコンビニとかになるでしょ。」

「まあそこは、気持ちってことで……ね?」

これで従わない者はいない。僕の能力がある限りは、死んでも従うほかない。

母親は、若い二人には二人きりの時間も必要と思考したのちに、首を縦に振った。やはり、快諾だった。

「さ、行こうか。早く行って、早めに帰ってきた方がいいかもしれないし、ね?」

「早めに帰るつもりなさそうだけど……。」

「心配しちゃうから、今日は……やめておくよ。」

図星であったために、言葉の冴えを失った。本当は、夜空でも見せながらドライブを満喫してやろうと目論んでいたのだが、愛娘を託された身である以上、下手な真似は出来なかった。

「ほら、カーディガンくらいは羽織って。」

「車なんだから良くない?」

「良くない。風邪でも引いたら、どうするんだ。」

ぷくっと頬を膨らませるが、正論であることは理解していたらしい。すぐに、薄手のカーディガンを羽織って、僕の手を取った。

「早く行こ。」

舌足らずな子供のような返答をするから、僕は思わず笑ってしまった。拗ねた彼女に、軽く胸のあたりを叩かれた。

「ごめん。じゃあ、行こうか。」

今度は僕から、ふっくらとして柔らかい手を取る。この温もりだけは、僕にも伝わってくれる。麻結は何故か、顔を少しだけ俯かせていた。


彼女は、ただただ夜景を眺めていた。

代わり映えのしない風景のはずなのに、淡々と川の流れを見つめるように、建物や街灯の光が過ぎ去っていく様を特に目で追うわけでもなく、ただ呆然とするかのように眺めていた。

放心する理由もないはず、と思案しながら、一瞬横に逸らした視線をすぐに前へ戻す。別に前を見ていなくても見えるものは見える。ただ、人間の目に入ると厄介な事になる。

フロントガラスの外を見ながら、彼女の姿を視る。

やはり、微動だにしないまま、ただ夜景を眺めている。話題を提供して話した方がいいのかと思うものの、そもそも大事な話があると言って連れ出したのは僕なのだから、その話を今した方がいいだろう。

……気づくのが、遅すぎたんじゃないか?

「なあ」

「なに?」

「話があるって言っただろ?そのことなんだけど……。」

「早く話して、気になるから。

引き伸ばされるのは嫌いなの」

不安になるから。

ああ、憂鬱そうな顔はそのせいだったのか。彼女には、悪い事をしたかもしれない。それはこちらに非がある、全面的に認めよう。忘れていたに近しい訳だから、僕に言い逃れる権利はない。

「ごめん。ちょっとテンション上がっちゃって、忘れてた。」

「大事な話なら忘れないでよ!?」

「君と二人で過ごす以外に、大事なことなんてないし。」

そうだ、と話題を変える。本題に入らないといけない。

「僕、今日の深夜から明日の朝くらいまで居ないと思うけど、大丈夫?」

「いや、どのツラ下げてそんなこと言ってるの?初対面から一日経ってないよ?不安になる訳ないじゃない?」

「あっ、そうだった。」

「しっかりしてるのか、抜けてるのか、頭がおかしいのかはっきりしてくれるかな?」

「僕は至ってまともだよ。」

「嘘つけ!」


「……ああ、そう。それでね。僕以外にも、悪魔って居るけど、まあそれは知ってるよね?

それで……捕まってた悪魔が逃げ出して、こっちに来てるみたいでね。いわゆる脱獄、ってやつだけど、そいつを捕まえろって言われてて。

一日もかからず捕まえてくるから、僕の帰る場所を残しておいて欲しいんだ。」

「勝手に押しかけた奴が言う事じゃない。

……でもまあ、うーん……お母さんもおばあちゃんも、恋人だって信じてるしな……。

……別に、いいけど。」

「それで、さ。

……僕と、本当に付き合って欲しいんだ。」

私は耳を疑った。突然にも程がある告白に。仕事内容には驚かなかったのに、その告白だけはやはり聞き逃すことはできなかった。もう一度言おう。

この男と私は、出会って、一日も経っていないのである。

「何故受けると思った?」

「えっ!そういうムードだと思ったんだけどな!?」

「あのね、うん。私たちが出会ったの、今日の昼過ぎだぞ。

……とにかく、それは受けるつもりないからね。」

こんな速さで付き合うカップルが、居てたまるか。世の中にはそういう恋人もいるのかもしれないけど、自分がそうなりたいとは、たとえここで首が絞まったとしても思わない。

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僕の妻《マスター》はヒキニート! 時島氷雨 @hisamekia03

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