第2話


「で、この状況は何?」

私の家は、決して裕福ではない。むしろ、貧しい方だ。だから、今住んでいる家も広くはない。町営住宅を借りられる程度の家庭、と言えば分かるだろうか。しかも、町営住宅とは言えども、築何十年と言う代物で、部屋の数などたかが知れている。

この男が落ちてきてから、三時間ほどしか経っていないのだが、母が帰ってくるのも時間の問題だった。それは分かっていた。

しかし、しかしだ。

「麻結、かっこいい人だねえ。こんないい人と出会ってお付き合いしていたなんて、おばあちゃんもびっくりしたけど、早く言ってくれなきゃ困るじゃない!」

「はは、そんなに褒められても困りますよ。でも、お礼と言ってはなんですが、今日のご飯は僕が作りますね。」

「あら、楽しみねえ。」

「待って……なんか頭痛くなってきたわ……。

なんで、恋人だって思われてるのか説明してくれる?」

そうだ。然程広くない家であるからこそ、すぐに私が居る部屋へ戻ってきた事自体は、大して問題では無かった。問題は、祖母を連れ立って戻ってきた事だ。しかも、恋人だと誤解されている。何を吹き込んだんだ、というかそんなに口が上手い男だったのかサタナキアは。

「麻結。僕のこと、手伝ってくれるよね?」

「……後でちゃんと説明してくださいね。」

で、名前はなんて呼べばいいんですか?そのままだと、不自然だと思うし。

小声で、且つ、出来る限り背伸びをして耳の近くでそう問うと、

「じゃあ、不自然じゃない名前を君が考えてくれ。別の名前か、ワクワクするなあ……。」

と、また小声で返される。

なんだか、脅迫されているような気持ちにもなってくる。そんなに期待されても困る。私にネーミングセンスは、余り無いと断言出来るのに。友達が褒めてくれようとも、世辞かもしれないし、本音だとすれば嬉しいとしても、それはそれ。

ましてや、この立腹するほど見目麗しい男に、どんな名前を付けろと言うのか。

「ほら、早く。」

急かすな、思考が横へ逸れる。と心の中で伝えておく。どうせ心を読まれるのなら、不服は胸中で伝えてやろうと思った。気持ち多めに。

「……鶴城義友、とか。」

「へえ、日本人の名前か。戸籍の問題も解決しやすいし、それがいい。

……あだ名とかも欲しいかなあ。」

「っ……!き、キア……とか、は?」

安直ではあるものの、サタナキアのキアを取って渾名として提案した所、満足げに笑った。不覚にも、かっこいいと思ってしまったとは言えない。口が裂けても言えない。でも、バレているんだろうな。悔しい。

「こそこそ何を話してるの?内緒話?」

「いえ、照れ屋さんだから、小声で好きだよって言ってくれたんですよ。僕からは、熱烈なラブコールをお返ししておきました。」

「あらあら、お熱いねえ……。」

それにしても、何故祖母は、恋人だなんて名乗った男を簡単に信じてしまったのだろうか。説明して欲しいことは、これに尽きる。それに、この後帰ってくる母にはどう説明するのか。あと、家の状況を見てなんとも思わないのか、この悪魔?

午後四時半。壁掛け時計は霞んで見えない。スマホで確認してから、もう一度時計を見るが結果は同じだ。

諦めて、キアの手伝いをすることにした。

「春と言えばなんだろう、北海道の春は何を食べるんだ?」

「……ジンギスカンとかは良く食べるかな。

って、今から買い出しに行くつもりなの?」

「Of course.車ならすぐに用意させる。僕の力を証明してやるから、そこで待っているといい。ああ、ちゃんと着替えるんだよ。」

「えっ、ちょっと……。」

身勝手な悪魔に、若干振り回されつつも、これはこれで悪く無いなと思った自分がいた。

久々に、家族以外の誰かと喋った気がする。その事実に気づいた時、ほんの少しだけ、心が暖かくなった。



生活をするに当たって、必要な事を済ませるべく外へと出た僕は、ルキフグスから支給されていた端末へと手を伸ばす。スマートフォンという奴だ。少しだけ変わった機能はついているものの、外見は人間界のものと変わらない。そして、その性能も人間界のものと同一だ。その変わった機能である一点を除けば。

地獄に居るルキフグスに状況を説明すべく、通話機能を使う。そうだ。コレの変わったところは、界を隔てても、すべての機能が使える事だ。ネットワーク回線に左右されることがないため、どこに居ても使える。自分が健在な限りは。

余談だが、この端末をうっかり落としてしまった下級悪魔のせいで、人間界でも噂が広まり、「幽霊さんのスマートフォン」という話がネット上で広まりつつある。全く、情けない話だ。

「もしもし。」

ああ、出た。今回は3コールだったか。前回は1コール目だったな。などと考えつつも、受け答えは忘れず。

「サタナキアです。宰相。」

「うむ、首尾よく行ったようだな。」

「はい、滞り無く。

……ところで、折り入って相談があるのですが。」

「ああ、戸籍の手配等は済ませておいた。金銭も心配するな、換金できるようにしてある。端末から確認してくれ、抜かりは無いはずだが、お前の財産だ。

万が一のことがあっては、困るだろう?」

なんて便利な時代になったんだ。ここまで現世に溶け込めるなどと、誰が思っただろうか。それもこれも、アガリアレプトや僕、ルキフグスの働きあってのものだが。

社畜と名高いフルーレティのことも忘れてはいないが、アイツは物理的に五月蝿いから、すぐに省きそうになる。

サルガタナスもよくやってくれたものだ、この端末の研究で不在だった僕の代わりに、軍事に関しての一切を、自分とネビロスの二人で解決して見せた。

お陰で、この端末はこうして地獄と天界に普及したのだ。帰った時には、改めてその働きを褒め称え、労ってやろう。

「わかりました。僕が手配して欲しかったことを、殆どやっておいてくれたとは……有難い。

財産管理をこちらでも行えるのなら、金に困ることはないですし、いくらでも増やせますからね。

……そこまでして頂けたという事は、僕にこなして欲しい仕事がある、ということですね?」

「お前は……察しがいいな。聡明な大将でよかった、と思っているよ。

……そうだ、お前に頼みたい仕事がある。お前が必要としている車も手配してやる。だから、今から言う事をよく聞いてくれ。」


パンデモニウムに囚われていた筈の悪魔が、逃げ出した。



「……なんですって?あの、巨躯の悪魔が?」

「ああ。ルシファーの怒りを勝って、パンデモニウムに幽閉されていただろう?確か、これから千年間は出られんと思え、と言われていたほどには怒りを買っていたはずだが……あれが、先程確認したところ、見当たらないのだ。」

「待ってください……彼奴に、パンデモニウムから逃げ出せるような力があるとは思えないのですが。

図体だけではなかった、と?」

「いや……もしかすると、誰かが脱獄の手引きをした可能性もある、と考えている。単独犯では無いだろう。なにせ、我らが地獄の、どの牢獄よりも堅牢なのだから。」

僕はそんな事などどうでも良いのだが、未来の妻に何かあっては困る上に、首を捻じ切られるようなことがあれば本末転倒どころの話では無い。

「……わかりました。奴は、僕が捕まえておきます。捕まえた後は、そちらに連絡して、部下に取りに来させますが……良いですね?」

「ああ、それでいい。とりあえずは、奴を捕まえる方が先だからな。あまりに待たせれば、私たちの首が狙われる羽目になるぞ。

……買い出しや料理をする時間くらいはあるだろうが、早めに動いてくれ。」

渋々ながらに承諾して、通話を切る。面倒な事を任されたものだ。だが、下手に断って全てを台無しにされるよりは余程いいだろう。また翼が折れるよりはマシだ、嫁と自分の将来の為ならなんでもやれるだろう、と自分の中で納得しながら、自分の前に現れていた黒い高級車の中を確認した。

中には、この世界において重要なものたちが全て揃っていた。

「……流石に鍵は、中に入れていなかったか。」

手配を任されたであろう同僚の揚げ足を取ろうと思ったが、悔しいかな、一片のミスも無かったのだった。

まあ、良いだろう。

彼女が気付いていないだけで、既に僕たちは、契約したも同然だ。名前を与え、名前を教えた仲なのだから。

緩む口元を窘めつつ、彼女を呼びに、あの家へ戻る。

「結婚まで、何日かかるか……楽しみだなあ。」



「着替えは終わった?」

「まあ、長めに外へ出てくれてたお陰でね……。それで、さっきの……。」

「なら行こう、そろそろ君の母も帰ってくるだろうし、早めに済ませて早く作るぞ。」

「あ、ちょっと……。あっ痛い痛い!腕抜けるって、ねえ!」

あっという間に、車中へ押し込まれてしまった。本当に用意してある……なんて驚いていたら、シートベルトも閉めてくれた。腕が長いな……身長高いからかな……。

いや、そんなことよりも。この車どこかで見たことがあるぞ?私の推しが乗ってた気がするぞ?このメーターの形とか、レイヤーさんが載せてたし見覚えがある。とてもある。

「あ、あの、車名をお伺いしても?」

「そんな、敬語なんてよしてくださいよ。僕達はもう恋人なんですよ?

僕もやめる……だから、君もタメ口になって欲しいな……。」

やめてほしい、私はそういう口調とか顔とかに弱い。さてはあの本で全て察せられてしまったな?何故あんなところに置いておいたんだ!

はい、全年齢だからですね……。砕けた自問自答を済ませた後に、もう一度メーターの方を見る。何度見ても、あの車だ。あの高級スポーツカーだ。悪魔すごい。

「……車名、だったね。えっと……」

名前を聞いた瞬間、見事に的中してしまった事と、カラーは違えど推しの車に乗っているという事実で目が眩んだ。


「大丈夫?また気を失いかけていたけど。」

「大丈夫!心配しないで!あと降りて良いかな!?」

「駄目だよ、買い出しに行くんだから。ほら、行くよ。」

「待って……あの、免許は?」

「あるに決まってるだろ?地獄でも運転のプロだったから安心して、まあこっちの免許は手配してもらったものだけど、実績に伴った物だから合法だよ。」

嘘だあ……。と。げんなりした様子で言ってみたら、突然発進されて、ぐいっ!と後ろに引っ張られる。若干Gかかったぞ、大丈夫なのか?

「君がひ弱なだけだよ!ヒキニートちゃん!」

「やだあ!それ言わないで!お耳がキンキンする!」

「耳にタコが出来る、だろ?はは、可愛いな君!」

「可愛くねえええ!」

この後、それなりに仲良くお買い物をしましたとさ。

そう、それなりに。



「ジンギスカンって何が必要なんだ?僕、道外出身、しかもハーフだからわからなくてさ……。」

「めちゃくちゃ賢い……。えっとね、まずラム肉のスライスは必須だよ。後は南瓜、キャベツ、玉葱、にんじんも使うかな……。」

「ネギは要らないの?」

「ネギは……焼き葱は美味しいけど、玉葱があるから良いと思う……。あ、ピーマンとかはいいかも!」

人間の食事に関する知識は、今まで興味が無かったものの、妻が人間となると話は変わってくる。

ダイスが転がったように、ころりと面が変わって、興味しか湧かなくなってくる。もっと知りたい、お前の全てを、僕だけが把握していたい。好きな物はなんだろう?人間が良く語る夢とやらはなんだろうか、なんでも買い与えてやる。叶えてやる。だから、僕と添い遂げてほしい。お前が欲しいんだ。何を排除しようとも、どんな悪逆に身を委ねようとも、お前だけが欲しい。

「……聞いてる?」

「あ、ああ。ピーマン、だよな?この緑色の……へえ、赤や黄色もあるのか。色は悪くない。」

「あ……あのさ。野菜の鮮度とか……分かる?」

「そんなことが知りたいの?」

「味や保存できる期間に影響するの!知りたいに決まってるじゃん!……実は、まだ見分けるの、苦手で……。」

恥ずかしそうに、背中を丸めてしまう彼女を見ていると、愛おしさが仮初の臓物の底から込み上げてくる。可愛らしい、とはこういう感覚なんだな。やわらかそうな頬を突いてやりたくなる。どんな感触がするだろう。

「……。」

我慢できずに、頬を突いてしまう。

「な、なんで……?からかってる……?もしかして、見分けもできない馬鹿で愚鈍な女って思ってる……?」

「思ってない。」

即答するに決まっている。レスポンスは速ければ速いほどいい。肝心な感触は……。


結論から言うと、とても、とても漲る感触だった。



「ふにふにほっぺたもっと触らせてくれ……。」

「嫌だ!絶対やだ!」

帰宅した私とサタナキアは、車に詰め込んだ荷物を玄関まで運んだ。いったん足元に置いてから、ノックをする。

……扉が開いた。出迎えてくれたのは、お母さんだった。

「おかえり……あれ?その人は?」

「えっと……なんで言えば……。」

「鶴城義友です。麻結さんとお付き合いをさせて頂いております。よろしくお願いしますね、お母様。」

「ええ!?麻結、彼氏いたの!?早く言ってよ!」

「ちが……違わないけど……ああ、いいや。今日は私たちがご飯、作るから。ジンギスカンだよ。」


「君のノック、変わってるな。」

ノックが変だという自覚はある。だけど、それも家族が帰ってきたと知らせるためなので、今更変えられる物でもない。第一、他所へ尋ねる時は使わない為、わざわざ変えるまでもないと思っている。

「わかるわあ、昔からこれだったんだけどね。物心ついた時から、こう、リズミカルに叩いて……家族だよ!って知らせてるんだよね。まあ、お母さんがそうしていたからなんだけどさ。」

「そうか、そういう理由が……防犯面では良い効果を齎せるな……。家の外でその事を喋らないでくれ、聞かれると困るからね。」

「誰が聞いてるっていうのよ……。」

「……後で、話さなきゃいけないことがあるから、ご飯を食べ終わったら二人きりになろう。家の中では難しいだろうから、飲み物を買いに行くフリをして、車の中に。」

改まって何を話すつもりなのか、あの恋人という主張がたやすく通る事に関してか、それともまた別の話か……考えながら材料を切っていたら、いつの間にやら、人差し指から血が出ていた。

「っ……おい!刃物を扱うときは集中しろ……!ああもう、一度、傷を流水で洗うぞ。動くなよ……!」

包丁を取られる。まな板の上に少々手荒に置かれて、びくりとしてしまうものの、サタナキアがしっかりと押さえ込んでいたので動きはしなかった。左手の人差し指を、適度な水量で洗ってくれる。力が強くて、だんだん掴まれている手首が痺れてきた。おかげで、指の出血はいつもより早く止まった気がする。

……本当に、圧迫だけで止まったのだろうか?

なんだか、早すぎる気がしないでもない。水で流しているからかもしれないけれど。

「……もったいないな。」

何故か、私の指を見つめている。そして、その指を、至極当然であると言わんばかりに、自然な手つきで自らの口元へ持っていき、口に含んだ。

指が吸われている。ちうちう、と赤子が母乳を飲むように、吸っている。

「な、何してるの……。」

「治療だよ……こうすれば……ほら、見て。」

口からするりと抜き出された人差し指は、てらてらと光を反射していた。注視してみる。先程まで確かにあった傷が、跡形もなく消えている。

「き、きえ……消えてる……?」

「ね、治っただろう?」

信じられない。目の前の光景が、幻であると言われた方がまだ信憑性があるというのに。

「……小傷一つ、残して欲しくないんだ。不注意には気をつけて、ね。」

「わ、わかった……。あの……ありがと、ね。」

「別に……君は、そう気にしなくても、いい。僕がしたくてしてるだけだから。」

顔をゆったりと上げたサタナキアと、瞳がかち合う。微かに瞳が震えている。ゆらゆらと。蜃気楼を見ているように、だんだんと自分の思考がぼやけていく。

「あ、後は……後は、僕がやるから、休んでて。」

目を逸らされた。同時に、思考の霞が消える。

「そっか、うん。じゃあ、甘えさせてもらうね……ちょっと、調子、悪いみたいでさ。」

数時間の内の情報量が、多すぎたのかもしれない。彼には悪い気もするが、素直に休ませてもらおう。途端に浮かぶ、休んでばかりで情けないと思わないのか、という言葉には、見えないふりをして蓋をした。



「ああ、鶴城くんに一人でやらせちゃってるじゃん……。ごめんね、鶴城くん。」

「いいえ、良いんですよ。僕の方から、休んでいてくれって言ったんですから。」

「……また、調子悪そうだったの?」

「また、ですか?」

と言うと、決まりが悪そうな顔をして、考え込んでしまった。

「……一度、病院に連れて行った方がいいのかもしれないって思ってるんだけどね。本人、行きたがらないから。」

病院。どちら連れていくつもりか、考えてみる。おそらく、精神病院の類ではない。通常の、それも内科だと推測したが、僕自身の考えでは、内科では解決できないものだと睨んでいた。その為に、内科ではなく心療内科と眼科を勧めるべきか迷っている。

「……あの、お母様、少々、宜しいでしょうか。」

「改まる必要ないのに!どうかしたの?」

「内科よりも、心療内科をお勧めします。」

ああ、失敗したかもしれない。そう思った。

明らかに表情を陰らせて、押し黙ってしまったからだ。それはそうだろう。自分の娘に、他人とは大きく違う部分がある。精神病の可能性がある。と言われているようなものだ。

僕の真意は、伝わっていない可能性の方が高いと思っていい。

「……昔ね、連れて行こうか迷ったことがあったのよ。」

「じゃあ、やはり……。」

「でも、私は当時忙しくてね……それに、見ての通り、うちは貧しくてそんなお金もなかったから、結局行けなかったし、行かなかったのよ。」

今も大して変わらないんだけどね、と付け加えて、笑っているが、笑える状況でもないことは分かる。

あの時、抱きしめていたぬいぐるみは、親代わりに抱き締めていたものだったんだろう。愛情が無いわけではない。金銭面で苦労しつつも、この歳まで家に置いて育てているのだから、容易く想像できる。

「なら、僕が説得して連れて行きますよ。僕も気になることがあるので……。」

「そこまでしてもらうなんて、悪いわ……。」

「結婚を前提に付き合ってるんですよ!それくらいはさせてください!華を持たせると思って、ね?」

「……そう……そこまで言うなら、お言葉に甘えて……うちの娘を、お願いします。」

そう、それでいい。僕に任せて欲しい、彼女のことは。もはや、生殺与奪をも委ねると宣言させてしまいたい。

「……はい!たしかに、任されましたよ。あ、二言は認めませんからね!ちゃんと、僕が連れて行きますから!勿論、こちらも二言は無しですよ。」

念押しをしておく。言葉を違えてもらっては困る。やはり止めるべきだとか、やめておくだとかは聞かない。断じて。

治せるものならば、やはり治してやりたいと思ってしまったからだ。心身ともに健康体で居てこそ、こちらも気兼ねなく甘えられるというもの。確かに、死へ引き摺り込むのなら、今のまま……或いは、より腐蝕させる方が容易く食い物に出来るだろうが。生憎、今の僕にはそんなことよりも、愛おしいという感情の影響が大きく、何より優先すべきもの。

形のない熱は、今この瞬間にも合わせ鏡の中の光のように、心と呼ばれる籠の中で反響して、更に高まって行くのだ。

今まで知り得なかったその言葉を、声に乗せて形にして仕舞えば、この熱は収まるのだろうか。

それとも、もっと……激しさを増して燃え盛り、この身の全てを焼き尽くしてしまうのだろうか。

己の行く末が分からない事に、恐ろしさと、相反する愉悦と恍惚を感じた。

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