第8話 もう一度会いたいと思ったんだ
「なあ〜 川瀬〜」
「ん〜?」
「ペグって知ってるか?」
「ペグ? ああ、テントを固定するために地面に打ち付ける、スクリューペグにV字ペグ、それからピンペグに……有名なスノー〇ークのソリッドステークってのもあるよね? それがどうしたの」
「……いや、そっちじゃなくて。俺が言ってるのはギターやベースの方だよ。ってなんでそんな詳しいのよ」
「あー そっちか。いや、じいちゃんがアウトドア好きでさ、よく小さい頃は山中湖とか長野なんかも行ってたんだよね。って、ごめん。なんの話だっけ?」
「話脱線したな〜 川瀬、血液型B型だろ」
「うんにゃ、A型。で?」
「あ〜 A型ね、了解。んでね続きね。ペグって言うのは――」
少し苦笑いをするシャムは、手振り身振りを入れて説明を続ける。
「ギターやベースやヴァイオリン、弦楽器のペグって弦を楽器に固定してテンションを保つ大事な役割を担っててね――」
たわいない会話も、高校二年の五月にはすでに当たり前で、休み時間の度に俺たちは盛り上がって騒いで、あっという間に親友になってた。
それなのに―――
どうしてこうなっちゃったんだろうか。
どうして、こうも俺たちはすれ違ってしまうんだろう。
この数時間、ずっとさ、何かが零れてる音がするんだ。ぽたぽたぽたぽた。水が滴るなんとも耳障りな音だ。それに機械の音も混じるんだ、古い冷蔵庫や室外機みたいな何かが回る時に鳴る音。ああ、気分が悪い。
現実は、想像よりも理想よりも残酷で、それでいて、あっさりとしたものだった。
最後は呆気ないものだった。落ちる瞬間のふわりと胃の中の内容物とか、内蔵とかそういうごちゃ混ぜになった物が身体の中で揺れる感じに思えた。次に襲ってくるのは、気を失う時のなんとも言えない感覚で気が触れてしまいそうになった。
ああ、こんな感じなんだ。
飛び降りたら、あっという間なんだ――
******
午後九時
同じ時刻
別の空間
曲がりくねった場所
商店街の端と端
高校生のペグと俺
でも、何も知らない。
まだ友達じゃない。ペグと俺。
少し、人見知りで、警戒心が強い。
ダンボール箱をテーブルにことりと音を立てて置くと、首筋に垂れた汗を気持ち悪そうに拭って、ペグは俺を睨みつけるように見る。
「で? あんた誰?」
ペグは俺を知らない。小さなころ、俺は何度か店に来るペグを店の奥から見ていた。どら焼きをいつも3つ買って、店先のお狐様にお供えして、じいちゃんの手を取って嬉しそうに笑う顔を知っていた。陽に晒されて赤っぽくなるサラサラの髪がとても綺麗だと思っていた。
高校生二年のクラス表で名前を見て、声を掛けるって、決めて教室に入ったんだ。窓際の席でグラウンドを眺める横顔を今でも鮮明に覚えてる。友達になりたかったんだ。ずっと。
「あああ〜、えっと、その……」
俺はしどろもどろでうまく言葉に出来ないでいた。
「篤哉。その子は駅前の和菓子屋の坊ちゃんだよ」
その言葉にペグはピンと来たようで、少しだけ警戒心を解いた表情になった。
「ああ〜 どら焼きの美味しい和菓子屋さんの。それで、そこの人がなんでうちにいるの?」
「それは、話せば長くなるわね」
と、タエさんが何故か嬉しそうに笑った。
「そう、長いんだ。だったら……」
そう言ってペグは肩の力を抜いて目を細くして笑う。冷蔵庫のアイスを二本取り出して一本を俺に差しだす。氷菓子は想像以上に冷たくて、俺はなんだか安心した。
「ふーん……なんか知らないけど、ワケありなんだね」
「そう言えば、シロウちゃんと篤哉は同じ学校みたいね。ほら、その制服。それに同級生よね」
「ホントだ! 同じ制服じゃん! なんだ、それ早く言ってよ」
安心からかペグはため息をひとつ吐いてアイスにかじりついた。今のペグよりも少しスレた感じがする。どうしてかヒリヒリとした匂いがして、俺たちを挟んでいた何かあったのに、俺は思い切って話しを切り出した。
「川瀬くんて、三組だよね」
「うん? どうして知ってるの?」
「サッカー部でしょ? 俺は九組なんだけどサッカー部の今野が一緒でしょ? だから知ってる」
「ああ〜 今野から聞いてるんだ。悪口?」
「違うよ。とてもボール使いが上手いって聞いてたから」
「なにそれ。言われたことない」
なんだろう。やっぱり薄いけれど壁を少し感じる。ぎこちない会話だった。
そりゃそうか、俺は明日落ちて消えるんだもんな。って、あれ? なんか違うな? あれ? なんか変だぞ?
「まあ理由は聞かないけどね。帰らなくて良いの? もう結構な時間だけど」
ペグはそう言ってから、壁の時計を指さした。
「うん。帰ろうかな」
俺は帰れもしないのに、そう言うしかなくて言葉を口にしつつ諦めたように立った。
「篤哉。コンビニで、じいちゃんとばあちゃんに甘い物を買ってきてくれるか? お釣りはいらないぞ」
「マジで! 行く行く!」
「ついでに送ってやれ」
「おー? うん。そうする」
すぐに何かを察したヒデさんの心意気に心底頭が上がらない。やっぱりなんかすごいと思った。
薄暗い街灯がぽつぽつと商店街を照らす。夜遅くでもここの商店街には疎らだが人が歩いている。その中に高校生の姿の俺が浮き上がったような変な感覚がしたんだ。
まだボコボコの石畳になる前の道。歩きやすくて夜道を二人で、てろてろと歩く。
「川瀬くんさ……」
「ん?」
「なんかごめんね」
「どうして謝るの?」
「だから、なんかごめんって」
「ふーん…… 別にいいんじゃないの? 俺ら思春期真っ最中じゃない? だからいいんじゃない」
「あ、うん。ありがとう」
「どういたしまして」
ペグは俺を見ないで前だけを見て、街灯の灯りが当たる白い横顔が少し笑っているように見えた。今とペグと何一つ変わらない。優しくて、そばにいるだけで安心が出来た。そうこうしていると、うちの店の近所のコンビニに到着する。どちらともなく足取りがゆっくりとなる。
「俺ここでいいよ。家すぐそこだし」
「おお。俺はじいちゃんの頼みでコンビニでおつかいだしな。じゃ、土屋くんここで」
軽く手を振って、ペグは店に入っていった。その後ろ姿を見届けて俺は家に帰らずにそのまま前を通り過ぎて学校に向かった。
******
「そうですか、チアキさんは公民館なんですね」
「え? お父さんの名前マサアキですけど」
「あああ〜 そうでしたそうでした! マサアキさんでした。なんで間違えちゃうかな〜」
「私達も公民館へ行きます。お邪魔しました」
テツさんは焦ったように俺の背を叩くと店を後にした。
「あのシャムは俺らの知ってるシャムじゃないぞ! じゃ、誰だ? あれは普通の高校生じゃないか! どうなってんだよ! じゃ、俺らの知ってるシャムはどこにいるんだよ!」
「テツさん! 落ち着いて!」
「同じ時間に居ないのかよ? どうなってんだよ」
「だから落ち着いて!」
こんなに慌てたテツさんを見たのは初めてだった。いつも飄々として、それでもキメる時はキメる、今、俺の目の前にいるテツさんはいつものテツさんじゃなかった。
「なあ、もう一回学校に戻ってみるか?」
「そうですね。あと、テツさん……俺、ひとつ疑問があって」
「お? なんか思い出したのか?」
「プールの金網…… あれが実は高校三年の時に俺とシャムが夜中に学校に忍び込んでペンチでこじ開けた穴なんですよ」
「うん?」
「と、いうことはですよ?」
「ほう?」
「……昼に新聞で調べた年数と合ってないんですよね」
「え?」
「……二年、早いんですよね」
「じゃアレか、同じように見えて違う場所かよ」
「考えたくはなかったんですけどね」
「うーわ…… なんとも漫画っぽいし、映画みたいだな」
「パラレルワールドって……あれ、ですかね?」
「いやあああ〜 聞きたくない! いやあああ〜 俺あえて言わなかったのに〜」
「テツさん……話を戻しますよ」
「すまん。ちょっとはしゃいでみた。話戻そうな。で、同じようで違う歪みで出来た空間か。どうやって戻る?」
「もう一度プールに落ちれば戻ると思います。たぶん」
「真顔で、たぶんかよ。しゃーない、戻るか」
「そうしましょう」
俺たちは学校にもう一度足を運んで真っ暗な中を歩いて行く。
「ペグ……」
「テツさん、どうかしました?」
「……俺、トイレ行きたい」
「真顔で何を言い出すと思ったら。良いですよ。鍵が開いていれば、その校舎の扉のすぐ入ったところにトイレありますよ」
「おお! サンキュ。行ってくる」
テツさんは申し訳なさげに頭を掻く。そして扉を触ると開いていると親指を立てて中に入っていった。どうも、テツさんは間をはずす癖がある。そう思いながらも、俺はトイレから帰るテツさんを待つことにした。
「うひ〜 真っ暗だな…… トイレ、トイレっと。おお! あった……って人? こんな夜中にか?」
テツは、人影に気を取られながらもトイレに入り、用を済ますと手を洗いながら考える。
「もしかして……シャムか?」
外で待っているペグを呼ぶこともせずに、急いで人影を見た階段を登っていく。すると逃げるようにその影は上に登っていく。テツはその後を追う。ふたつの足音が真っ暗な校舎に響く。逃げる音に追う音。続いて鉄の扉が開く音がして、バタンと大きな閉まる音がした。
「誰だよ……こええよ。追っかけて来んなよ」
シャムは息が苦しくて横腹が痛いのを我慢して階段を登る。もう追いつかれる。そう思って屋上に続く扉を開けた。開けた瞬間に吸い込まれるように外に飛び出した。何がどうなっている? そう思った時に何かに引っ張られてシャムは自分がギリギリのところに立っていることに気がついた。それを風が追い討ちをかけるように背中を押した。
魑魅魍魎―――
何故か、シャムはそう思った。ああ、呆気ない。こうやって俺は屋上から落ちたんだ。死にたかったんじゃなくて、必然的に此処にナニカに呼ばれたんだ。なんだよ。情けないな。全く。
ひらりと宙を舞う。真っ暗な闇に引っ張られるようにふわりと体が浮いた。
「そうは…… させるかよ!」
テツさんが俺の手を取り、怒ったようで安心したように、ヒヒヒと声を漏らした。
「どうして…… テツさんがなんで? どうして」
咄嗟に出た言葉は、あまりにも陳腐でテツさんの耳には幼稚に聞こえただろう。
「そんなことは……この状況をなんとか……してから言えっっっ!」
額から首筋にかけて流れる汗がまるで吹き出すように玉になって俺の上に落ちてくる。悲鳴にも近いテツさんの吐息が聞こえる。力を振り絞って出されたこんな声は初めて聞くものだった。こんな状況なのに何故か俺は笑っていた。
「なーに笑ってんだよ。覚えてろよ? この野郎」
眉根を下げて、いつものくしゃりと笑うテツさんに俺は安心したんだろうか、力が入らなくて、汗で手が滑りそうで諦めたように目を細めた。
「諦めんじゃねええ。お前ここで落ちて死んだら殺すからな?」
「死んでも殺されちゃうんだ、俺」
なんだろう。これってなんなんだろう。この状況ってなんなんだろう。
そんなことをふと考えていた。
「馬鹿! おまえは本当に馬鹿!」
滑り落ちかけた俺の手を、夏なのに冷たい手がテツさんの横から伸びてきて力強く握った。
「ペグ…… ビビったよ、おまえかよ!」
「テツさんはトイレ長いんですよ!」
「いや、俺はオシッコよ? おっきいのじゃないからな?」
「知ってますよ! 笑わさないでくださいよ。力が抜けますから。シャムっっ! おまえが死んだら、俺が何度でも助けに来てやる! 絶対だからな! 覚えとけ!」
場所なんて関係なく、カッコウも全て投げだして、嗚咽を混じえて泣きながら俺たちを見上げるシャムを力いっぱい引っ張り上げた。
「……マジで死ぬかと思った」
高校生の姿のシャムは、俺たちをしっかりと認識していた。ちゃんと俺たちのことを知っているシャムは中に確かにいた。
その後、俺たちはプールに飛び込み無事に神社の緑の藻が群生している池に戻ってきた。
足元には、しなしなのちくわの磯辺揚げが浮いていた。ああ、もったいねえ。
******
「そんでな、駒と反対側に備えられて弦を巻き取りながら調律する、いわばチューナーなんだよ。めちゃくちゃ大事な部分なんだよ」
「へえ〜 そうなんだ」
「って、川瀬あんまり分かってないだろ」
「えへへ〜 実はあんまり」
「だと思った。でもさ、それくらい大事よ? おまえは俺にとっても」
「なにそれ〜 照れるじゃん」
「だからね〜 川瀬は今日からペグな?」
「ええ〜」
「俺が決めたんだから。大事に後世まで使えよ! ペグ!」
冗談を諭すように、それでいて優しい。それが夏のはじまりでした。空にはクジラみたいなどこかの店の宣伝用の飛行船が浮かんでいた。青い空に大きくて白い飛行船が優雅に泳いでいるようだった。
それが、高校二年の夏のはじまりでした。
【カクヨム版】 【 「それいけ!でこぼこトラベラーズ」⠀】 櫛木 亮 @kushi-koma
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