第7話 さようならって別れるよりも、ありがとうって別れた方が100倍悲しい

 本当は、あの日。


 俺は、あの高さから落ちて死んでたんだよ。誰も助けになんて来なかった。誰も見て見ぬふりをしていたんだ。関わると、ろくなことないって。そうだろうな。普通は面倒くさいよな。


 ホントはさ。

 誰も何も興味もなかったんだよ。ただ、何組の誰かが夏休みに飛び降りたんだってくらいで、夏休み中で、さして噂にもならなかったんだ。死んでも目立たないのな、俺。

 クソ暑い体育館でだるそうに校長先生の長い話をみんな興味なさげに聞いてるだけだったんだ。

 内容なんてどうでも良くって、ただ少しだけ刺激が欲しくて、それでいて退屈で。


 そんな感じだったんだよ。

 俺の人生も。

 なんの取り柄もない、クラスの中に紛れた空気のようなただの男子生徒は、高校一年生の夏休みに自殺したんだって。

 それだけだったんだ。そう、それだけ。


 おかしいな〜。

 なんかさ。未来にさ。友達らしき奴らと、楽しそうに笑ってるおっさんの俺がいたんだよね。なんだろうな、とてもとても変な感じがする。どうでもいいのに。


 なのに、寂しいのはどうしてだろう。


 あのゆらゆらと揺れる水面にうつる影は、なんだったんだろうね。


 ねえ。おかしいね。ねえ。




 ******

 やかんの水が沸騰する。悲鳴のような音が部屋に響き渡って、慌てたようにそれをタエさんが止める。沸いた湯の中に麦茶の袋を入れて、それを水の張った、浅い盥に入れる。

「こうすると、早く冷えるのよ」とタエさんが笑った。


 此処は、よく知っているはずなのに、まるで知らない空間だった。俺が知ってるあの場所ではなかった。俺が笑えば、ペグも笑って。時間の流れを共有してた。そこにテツさんが加わって、腹を抱えて目に涙をためて、苦しいくらいに笑ってた。


 そういえば、ペグはどこにいるんだろう。見覚えのある学生カバンに、あの缶バッチは付いていない。そりゃそうか、新木場のフェスは八月だもんな。壁に吊り下げられたカレンダーは、まだ七月後半だった。


 俺たちは、まだ出会っちゃいないんだ。二年の新学期まで、知り合いですらないんだな。なのに、なんで此処に来ちゃったんだろう。



「あの……もう落ち着きました。なんか本当にすいません。ご迷惑をかけてしまって……」

 俺は、ヒデさんの目も、タエさんの目も見れなかった。ただ少し俯いて謝るばかりだった。


「気が済んだかい? 誰に何を謝りたいのか、俺は知らんよ。でもな、そんな気にすることないんじゃないのかい? 人生ってもんは、悩んで学んでいくんだよ。俺なんてこんな爺になってもまだまだ悩み足りないよ。学ぶこともいっぱいだよ。それにな、迷惑だなんて思ってないよ」

 ヒデさんは腕を組んで俺をしっかりと見て、それからテーブルの上にあったライターと煙草を手に取った。その煙草の銘柄は今のペグが吸っている物と同じだった。吸い始めの煙の匂いは甘いのに、あとから苦い匂いが混じるんだ。ちょっと優しいのに大人の匂いがする。そんな印象がするのは、ヒデさんの面影が重なるからだったのかと、俺は思った。


「ばあさん、篤哉は今日は遅いのか」

「今日は、家に一度戻ると言っていたわ。荷物がまだたくさんあるそうよ……」

「そうか……」

「ええ。お盆前ですからね。篤哉にとって、やることもたくさんあるんじゃないかしら」

「もう、三回忌か」

「……ええ」

 高校生を卒業してしばらくして聞いた話だと、中学の時、部活後に友達の家に寄り道している間に家族に不幸があったと。それで、今は、じいちゃんとばあちゃんの家に住んでいると聞いた。

 俺は、詳しくは聞かなかった。いや、聞けなかったんだ。誰にだって根掘り葉掘り聞かれたくないことがあるだろう。

 俺だってそうだ。聞かれたくないことなんてごまんとある。


「あの…… 篤哉くんは……」

 俺は小さな声でペグのナマエを言った。

 俺は、大それたことを始めようと思ったんだ。出来るかも分からないのに、時間と時空を曲げてみようと思ったんだ。


 助かりたかったのは、俺なのに。


 偶然と必然。

 なんともタイミングが悪い。

 ぎこちない音を立てて店の引き戸が開いた。


 ダンボール箱を両手に抱えて、額に大量の汗をかいて、日焼けで少し赤くなった頬は痛そうで、それでいて、透き通るほどに白い肌が引き立つ。


 なんだよ、ちくしょう。そう思った時には遅かったんだ。色々な想いが込み上げて俺は両手で顔を隠すようにしてしまった。


「ただいま。って……アンタ、誰?」


 その俺の声とチャンスを消したのは、まだまだ幼さが残るペグだった。


 あの頃のままの川瀬 篤哉が立っていたんだ。



 ******


「なあ……」

「テツさんが何が言いたいか、さすがに分かりますからね……黙っててください」

「あ、そう……」

 テツさんと俺は、和菓子屋の看板を見上げて、きっとこれ以上ないほどに首を傾げていただろう。

 ここに来たのは、当たりだろう。でも、おっさん二人が高校生の姿であろうシャムをどうして呼び出せば良いのか悩んでいた。


「ペグ、俺な、場違いな勘違い……な気がする」

「俺も……そんな気がしてます……」

 駅前は人が疎らで、時折、生ぬるい風が二人の間を抜けていく。

 しかし、なんとなく変な自信だけがわいて店の扉を開けて俺は声を出した。


「あのう、すいません」

 俺に気がついたシャムの母さんが、菓子折りを綺麗にショーケースに並べながら笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ。なにをお探しかしら」

 そう言ったシャムの母さんは、もちろんとても若くて、俺は少しだけドキドキしていた。


「ペグ…… おまえ……金持ってねえだろうが」

 肘で俺の脇をつついてテツさんが顔を歪めた。

「テツさん。別に何か買おうって、俺は入ったわけじゃないですって!」

 もちろん言った俺も、それを聞いていたテツさんもシャムの母さんも驚いた表情をしていた。


「なにも買わないんですね。ということは、うちの誰かのお知り合いかしらね」

 機転を利かせたシャムの母さんは、やっぱり素敵な人だ。こんなワケの分からない客に笑顔で聞いてくれる。店の扉を開けて意気揚々とショーケースの前に立った癖に、云うに事欠いて「別に何か買おうって入ったわけじゃないですって!」は、さすがにない。俺ないわ〜。さすがのテツさんも呆れた顔で俺を黙って見ていた。


「お母さん。もうそろそろ閉店だよ……ってお客様いたんだ。お父さんの知り合いですか? 今日は商店街の寄り合いで公民館にいますよ」

 そこに現れたのは、高校生の姿のシャムだった。


 俺たちを見て驚いた顔もせずに。

 俺たちの知らない普通の高校生の土屋 史郎が店の奥に立っていた。




 仄暗き奥座敷。

 そこに、ひっそりと潜む。

 その子は、誰の代わりに現れたのやら。


 ゆらりゆらりと水底に見えつ隠れつする影は妖か、精霊か……


 普通は「そんな馬鹿な話あってたまるか」と一笑に付するようなことも、さもありなんと頷く人もいるんですってよ。


 それぞれの話にも、生々しい意味合いが込められているんですってよ。



 座敷わらしなんかが、居たりするかもですってよ。








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