第4話 インディゴブルーが何色なのか説明できない
ちゃぷんと水が跳ねた気がしたんだ。
あぶくが弾けたようなそんな音を立てて。
それはあっという間だったんだ。
あっという間に起きたんだ。
******
ずぶ濡れの三人は、プールサイドでシャツや靴下を絞って空を見上げて同時に大きな溜め息をついた。
「あ〜 新しいジーンズから色出ちゃったよ〜」
新品のジーンズは、洗わずに履くと色が出やすい。ましてや夏の汗のかきやすい時期だから汗でしっとりジーンズになったのが濡れてたことで色落ちしやすくなっていたのだろうか、真っ白のスニーカーにうっすらと色がついてしまった。シャムは少し残念そうな顔をして、しばらくスニーカーを眺めていたがプールサイドに腰を下ろし水面に足を浸した。
「まあ、いっか」
「いいのかよ」
俺は気が抜けたようなシャムに吹き出すように笑ってしまった。
「で…… これからどうすんだよ」
俺とシャムのこの大変な状況をうまく飲み込めてない通常の会話に痺れを切らしたようにテツさんが言葉を吐く。その横で辺りをキョロキョロと見てシャムが徐ろにこう言った。
「……ねえ、これって俺ら不法侵入じゃね?」
その言葉に俺は汗が一気に吹き出し言葉を失う。そりゃそうだろう。いい歳をしたおっさん三人が高校のプールサイドでびしょ濡れで、しかもテツさんとシャムに至っては半裸だ。こんな姿を女生徒が見たらどう思う? いや、男子生徒でも気持ち悪いと思うだろう。これは警察を呼ばれても仕方ない出で立ちだった。
******
俺は高校のことは忘れもしないよ。
高校二年の新学期。クラス替えで下駄箱前の掲示板にクラスの名簿が貼られていた。俺はショックで言葉にならなかった。一年の頃に仲良くなったグループのヤツらと全て離れてしまったのだ。うちの学校は異常に人数が多く、クラスは全部で12クラスまである。名前も知らなければ、顔も知らない奴だらけの中にまた俺は放り込まれた気がした。そうでなくても、根っからの人見知りをまた一からやり直すのかと思っただけで、嫌で嫌で仕方がなかった。
教室に入ると、辺りは既に仲良しグループでわいわいと騒がしく俺は自分の机を見つけるために黒板の席順を見る。やっぱり知り合いは誰ひとりとして居なかった。幸いグラウンドが眺められる窓側の席で机にカバンを置いてため息をついた。
新学期早々についていない。友達は二階でまだ同じ廊下沿いにクラスがあるのに、俺は運悪く三階のよりにもよって一番端っこにあるクラスだった。一年生の時と変わらずの三階。毎日面倒だし、何より二年なのに一年生と同じ風景に微妙な気分になった。
俺は机に肘を付き、息を殺すような小さなため息をもう一度ついてグラウンドをみつめた。三階だから景色は良いのに心は晴れずに小さく遠くに見える富士山が寂しく見える。そのまま突っ伏して教師が来るまで寝ていようと思った時だ。
「ねえ、君は一年の時は何組?」と声が聞こえる。その声に振り向くと後頭部に見事な寝癖の花が咲いた少し目つきの悪い男が立っていた。
「ああ、三組……」
「へえ〜 俺はね〜 九組だったのよ」
と、聞いてもいないのに彼はベラベラと話し出した。だけど、嫌な気持ちにはならなかった。不意に見せる人懐っこい笑顔に嫌味のない話し方。それよりも俺は、彼の手に持っている通学カバンに付けてある缶バッジに目が行く。そんな俺の視線に気がついた彼はキョトン顔でコレ? っとカバンを俺の前に差し出してきた。
やっぱりだ! 一年前の新木場で行われたフェスの缶バッジだ。俺はとても目を輝かせていただろう。自分のカバンを持ち上げて色違いの缶バッジを見せてみた。
「うわああ〜 俺、その色持ってねえ! めちゃくちゃ迷ってこっちの青にしたんだよ。そのショッキングピンクかっけええ!」と彼は、とてもテンションが上がっていた。もちろん俺のテンションも頂点まで上がっていた。
これがシャムとの出会いだ。音楽の趣味が高校の俺たちを仲良くさせる近道だったみたいだ。
シャムと俺が親友になるのは、あっという間だった。シャムは軽音部でベースを弾いていてとてもカッコイイと俺は思っていた。が、シャムはシャムで、サッカー部の俺に憧れを持っていたらしい。「The ないものねだり」ってやつだね。
うちの学校は、二年と三年はそのままクラスが上がるから三年になってもクラス替えはなく俺は胸を撫でおろした。シャムと離れ離れにはなりたくなかったんだ。高校生になって親友が出来て本当に嬉しかったからね。
俺、何かとても大事なことを忘れているような気がする。なんだろう。そう思いながら濡れたシャツの裾をぎゅっと絞った。ぽたぽたと玉になった水滴がカラカラに乾いたコンクリート床に落ちていくとあっという間に吸い込まれた水滴が乾いていく。
「ペグ? どうした」
そんな俺の様子にシャムがかがみこんで顔を下から覗き込んできた。
「なんでもないよ」
咄嗟に嘘をつく理由なんてなかったはずなのに、俺はシャムに気を使ったのだろうか。
「そっか。ならいいけど」
シャムは力を抜いたように笑うと、まだ濡れたシャツに袖を通して空を見上げた。
シャムは何かに気がついたかな? 俺、今嫌な感じじゃなかった? 変じゃなかった?
そんなことを考えてた。また悪い癖が出た。俺は高校生の俺と何ひとつ変わっていなかった。
「なあ! とにかくここから外に出て飯食わねえ? 俺のお腹はペコペコよ?」
テツさんのその声で俺たちの腹がつられるように鳴った。
とりあえず三人でこの場所から出ることにした。まあ、通報されるのも怖いしね。
「あ…… ちょっと先行ってて」
「ん? どうしたシャム」
何かを思い出したシャムが引き返す。それを見てテツが声をかけた。
「靴下の片方をプールサイドに置いてきちゃったみたい」
「あらら。シャムは相変わらずだな。取ってこいよ」
「テツさんごめん」
「謝らなくていいよ。飯おごって」
「テツさん抜かりないっすね」
「シャム、いいから取っておいでよ。俺たち待ってるから」
「おう。ペグ、悪いな」
「こういうのは、もう慣れっこだよ」
シャムのおっちょこちょいは昔からで何かを必ず忘れたりする。でも俺はそれを気にしたことなんてなかった。たいしたことだなんて思った事がなかった。俺だって完璧じゃないし、何よりシャムが俺をみつけてくれたから今の俺が居るんだし。思わずにやけかけた口元を慌てて片手で押さえた。気が付かれたら恥ずかしいからね。
穴のあきかけた金網は、まだ錆びちゃいないのかと、指で触れようと思った矢先にテツさんが声を出す。
「ねえ、今の音なに?」
「え?」
テツさんがまだ濡れたシャツと前髪を気にして、人差し指に髪をくるりと巻きつけながら俺を見る目が胸の奥を一瞬ざわつかせた。慌てて俺はシャムがプールサイドにいく後ろ姿を確認した。
「……シャム?」
そこにはシャムの後ろ姿はなく、プールの水面にインディゴブルーのシミが付いた真新しいスニーカーが波紋を描き揺れていた。
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