第五章 白き結界地に火種は燃ゆる 2

 その日の昼を過ぎた頃。市伊は葛良と話すべく、もう一度水城神社を訪れた。鳥居をくぐると足下でちりり、ちりりと鈴の音が鳴り、程なくして迎えのものが現れる。上下とも黒い衣に身を包んだ案内人は葛良の式神のようで、ある一室の前まで来ると煙のように消えていなくなった。


「市伊さん、ようこそお越し下さいました」

「お招きいただき、ありがとうございます。月士殿とお呼びした方が良いのでしょうか。もはや軽率にお名前をお呼びするようなご身分ではなくなってしまわれたので」

「いえ、お気になさらず。昔のまま、葛良とお呼び下さい」


 昨日とは変わって、下手に出るように敬語を使う。ここはいったん相手を敬う態度を見せたほうが良いと判断したからだ。だが畏まる市伊に対してゆるゆると首を振り、堅苦しいのは苦手なのでと言い添えてはにかむ様子は昔のままだった。極度に人と関わることを嫌い、神社で儀式のあるときはいつも融の衣の裾に隠れておびえていた少女。昨日の堂々たる態度は別人のようにも思われたが、やはり芯の部分では変わっていないらしい。これならまだ漬け込むすきがあるだろうか。そんなことを考えながら、継ぐ言葉を探す。


「ではお言葉に甘えてそうさせていただきましょう。葛良さん、俺があなたに協力できることはなにか、教えていただきたい」

「そうですね……では、大城山の案内を。以前、よく狩りで山に入るとおっしゃっていましたね?」

「狩りと薬草採取で知っている場所しか案内できないですが、それでも良ければ」

「ええ、それで十分です。妖とて獣に近いものも多くいる。きっと何か手がかりが見つかるでしょうから」


 ふふ、と笑った葛良の目の奥に、仄暗い灯りがともる。ざわざわと肌を撫でていく気持ち悪い感覚に襲われて、市伊は奥歯を噛みしめた。一体彼女はこの山に入って、何をしようというのだろう。朝廷から依頼された『邪悪な妖』を捕まえて、どうするつもりなのか。底知れなさだけがじわじわと広がり、不安に襲われるのをなんとか押しとどめながら、市伊は口を開く。


「ただし、一つだけ条件をつけても良いでしょうか」

「それは、いかような条件ですか?」

「昼に山へ立ち入る際、向こうから襲ってきた妖以外は手出しをしないでいただきたい。もちろん、あなたが探している妖は別として、ですが」

「ほう……それはまた、随分と妖に寛大ですね。そんなもの、全部退治してしまえばもっと生きやすくなるのに」

「我々はそれを望まない。今までそうやって生きてきて、これからもその線引きを守っていく。それをあなた方に壊して欲しくないのです」


 大城山の妖は柚良に忠誠を誓い、昼の間は人間に手出しをしないことを条件に、この山へ住み彼女の庇護を受けることを許されているのだという。代わりに、夜は彼らの時間である。本当の意味を知るものこそ少なくなれど、夜に山へ入る人間はいない。そうやって、二つの世界は均衡を保ち生きてきたのだ。


「いいですよ。我々も暇ではない。向こうから手出しをしなければ、何もしないと誓いましょう……ただし。調査は夜にも行います。その時は、身を守る程度のことはさせて貰いますよ」

「ええ、それで構いません。葛良さんはと、俺はよく知っていますから」


 ――言葉は言霊である。力のある言霊は呪となり、人の行動を縛る。上手く使え。


 山伏天狗たちに言われたことを思い出しながら、市伊はそっと言葉に力を込める。昨日、紫金と別れたあと。市伊は月士と渡り合うすべを聞くために山伏天狗たちのところへ行った。彼らも、もとは皆人間の術者である。術者のことは、術者に聞くのが一番早い。渡と迂闊に接触が出来ない今、一番適任なのは山伏天狗たちだった。彼らも市伊を通じて山を救う手立てを講じられることを大変喜び、自分達の持っている知識を惜しげもなく授けてくれた。相手と重要な取引をするとき、必ず言葉に力を込めて「言霊」にせよ、と言うのも彼らに教えてもらった方法だった。


 言霊によって呪がかけられれば、当然力のある術者はその意図に気づくだろう。ただ、これを打ち破ればすなわちこの言葉を守る気がないと宣言するようなものである。勝ち気なことをいくら言ってはいても、見知った人間にそこまでする豪胆さはなかろう。それが市伊の見立てだったのだが、どうやらそれは当たったらしい。葛良は抵抗することなくその言葉を受け入れた。己の付け焼き刃の知識が通用したことに胸をなで下ろしつつ、市伊は笑顔を浮かべて頭を下げた。


「お心遣い、痛み入ります」

「私とて、全てを壊しに来たわけではありませんので。任務内のことだけをさせていただきますよ」

「では明日、山へご一緒して案内をさせていただきましょう」


 そういって葛良の言葉を承諾した市伊は、それでは明日にと言い添えて、部屋を退出した。明日に備えて、色々とやることがある。この山と村を守るために動く、と決めたからには、徹底的にやるつもりだった。


 りん、りりん、と鈴をかき鳴らし、神社の鳥居をくぐる。まずは紫金に遣いを送り、柚良に言伝を。どこを案内してよく、どこを隠すのかの確認を。そして、山中の妖への通達を。術師一行に、決して手を出してはならないと、すべての妖へ知らせる必要がある。


 市伊が夜までかかってそれを終え、家に帰り着いたときにはひどく疲れ切っていた。




 次の日の朝早く。一行は水城神社を出発し、大城山へと向かった。葛良の手勢は五人。いずれも漆黒の衣に身を包み、目以外を隠した頭巾をかぶっている。昨日見たような式神ではなく、きちんとした生身の人間である。息の殺し方、音をたてぬ足さばき、無駄のない体の動かし方はどれも見事で、隠密に行動をすることに長けた者たちのようだった。


「市伊さん。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。精一杯お役にたてますよう、務めさせていただきます」


 深々と頭を下げ、手を差し出してくる葛良と握手を交わす。ちりり、と胸の奥を焦がすのは、自分に向けられた警戒と敵意だ。きっと融から市伊の悪評を聞いているのだろう。祖父である渡から散々才能がないだのさっさと市伊に跡継ぎの座を譲れだの言われていたら、そりゃ恨みたくもなるだろうな、と市伊はため息をつく。実力主義の渡はいかんせん要らぬ軋轢あつれきを生みすぎる。ここは何としても上手くやらなければ、と決意を固めて、市伊は葛良と共に村を出発した。

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