第五章 白き結界地に火種は燃ゆる 3

 一度目の山の案内は、中々上手く打ち合わせの通りに進んだ。あらかじめ決めておいた道筋をたどり、地理を説明していく。途中妖といさかいになることもなく、葛良も真剣な面持ちで地形や霊力の痕跡を調べるのに徹していた。また、何度かわき道をそれては何かを確認するそぶりを見せていたので、おそらく罠を仕掛けたところを確認していたのだろう。密かに何人か山伏天狗に指示をだし、一行を追尾するよう伝えていたので、おそらくその場所はすべて紫金に報告が言っているはずだ。


 昨日の夜、痕跡をすべて消すと怪しくなるので大事なところだけ消すように、と指示していた通り、いくつか神獣の痕跡は残っていた。そこを目ざとく見つけた葛良の実力はなかなかのものだ、と市伊は舌を巻く。山中で大きな獣を見たことはないかと聞かれ、本物の情報も多少織り交ぜて話してやると、葛良が一番食いついたのは狐の話だった。


 彼女の話を聞いていてわかったことが二つあった。以前神獣捕えの罠にかかったのが「狐」だと知っていた、ということが一つ。葛良の言う「邪悪な妖」は「狐」ではない、ということが二つ目だ。彼女曰く「狐」は「邪悪な妖」の使役なのだという。まずは狐を捕らえ、邪悪な妖の居場所を吐かせる、というのが彼女の描く筋書きらしかった。


「――日も傾いてきたので、今日はここまでにしましょう。市伊さん、また明日もご協力をお願いできますか? 今日いくつか気になる場所があったので、そこを重点的に調べたいのです」


 柚良と紫金に報告するための情報整理をしていた市伊の思考を、葛良の声が引き戻した。明日、神獣の痕跡のあった場所を詳しく調べたいのだという。その部分は信用のおけない市伊を同伴させず、夜に山に入って勝手に調べるのだと思っていたので、その申し出は意外だった。


 もちろんご一緒させていただきます、と答えた市伊に、葛良は少しばかりほっとした表情を見せた。なんだかんだいっても、まだ一八歳の娘である。ずっと気を張りながら駆け引きをするのもしんどいのだろう。 彼女も味方が欲しいのだ。そこをうまく利用しなければと気を引き締めて、協力できることなら何なりと、と市伊は葛良に頭を下げてみせた。


「ご協力、痛み入ります。必ずや邪悪な妖を捕まえ、村と王都を救います」


 きっと本気でそう信じているのだろう。酷く真剣でまっすぐな目に見つめられて、市伊は自分の表情を隠すようにもう一度頭を下げた。瑞希とあまり年の変わらない娘を騙し、手の内を探るようなことをするのは大変気の引けることだったが、背に腹はかえられない。この村を、そして大城山を──「邪悪な妖」と目される柚良を護るためだと己に言い聞かせ、それではまた明日、と葛良に別れを告げた。


 次の日、葛良が真っ先に向かったのは、以前銀星が罠に捉えられていた場所だった。入念に市伊が術を使った痕跡は消していたが、そこを長い間検分する葛良を待つ時間は、中々心臓に悪いものだ。なんとも言えぬ居心地の悪さを表に出さぬよう苦心しつつ、周辺の薬草を採る振りをしてごまかしながら、市伊は葛良を待っていた。


「市伊さん。もうひとつ一緒に行っていただきたい場所があるのですが、よろしいですか」

「俺が案内できる場所であれば、何なりと」

「実は、昨日通り過ぎた峠のあたりなのです。何か力の流れがおかしいような気がして……私の思い違いであれば良いのですが」


 峠、と聞いて市伊の心臓が大きく飛び跳ねた。峠は柚良の神域に繋がる入り口である。普段その場所は柚良と紫金の術、大と佐井の守護によって隠されている。だが市伊のように力を持った村の人間であれば、その網をくぐり抜けてしまう可能性もあるかもしれない。本当なら近づいて欲しくない場所ではあったが、ここで拒否をすれば怪しまれるだろう。うまく道案内をして彼らがたどり着かないようにするしかない。


「わかりました。峠はここからあまり遠くはありません。ご案内しましょう」


 絶対に柚良の神域に立ち入らせてなるものか。そう堅く胸の内で誓いを立て、市伊は歩き出した。柚良も、この山も、村も。全部、己の手で護ってみせると決めたのだ。そのためなら、どんなことをしたって構わない。その決意を決して葛良には悟らせないよう平静を装いながら、峠までの道をたどる。そこまで長くない道のりが、今日は酷く長く感じた。


「このあたりが、昨日通った峠道です。どこか気になるところはありますか?」

「案内感謝いたします。少し、あたりを歩いてみても良いですか」

「ええ、どうぞ。俺もお供いたします」


 峠に着いたあと、葛良はしばしの間じぃっと目をこらしてあたりを見回していた。それからそうっと歩き始めたのは、何の変哲もない樹と樹の間だった。市伊が声をかけて止めるまもなく、葛良の通った空間がゆらり、と波打つ。慌ててその後ろ姿を追いかけると、彼女は正しく神域の入り口の第一関門を突破していた。


(──やはり、彼女に柚良の術は効かない。俺が結界をすり抜けたように)


 予想はしていたのであまり動揺はしなかったが、それでも状況が厳しくなったのには変わりがなかった。まだ大と佐井の守護、そして紫金の術は破られていない。そこをどう突破してみせるのか、市伊は葛良の動向を注意深く見守っていた。


 神鹿しんろくの大の守護は、大地を駆け巡る蹄の護りである。特定の場所を正しく踏んでゆかなければ、神域への道は開かれない。


 神鼬しんゆうの佐井の守護は隠遁する獣の護りである。術者は迷路のような道を進むとき、己の霊力の印をつけていき、道に迷わないようにする。ところが佐井の守護により、その印は残ることなくすぐにかき消えてしまう。


 神狐しんこの紫金の術は、霧に紛れて忍び寄る狐の妖術である。術のかかった濃霧は景色の判別を困難にさせる。元々峠は寒暖差が激しく、霧が発生しやすい。その霧を自由自在に操り、侵入者を惑わせるのが彼女の妖術である。


 その三枚の守護は、葛良の腕を以てしても全部を読み解くのは非常に難しいようだった。あちこち調べて周り、ぐるぐると同じ所を歩き回ったり、何か術を唱えてみたりしていたが、突破するまでには至らない。この先に何かある気はするのですが、と悔しそうに唇をかみ葛良が探索を切り上げたのは、もう日が暮れようと言うときだった。


「市伊さんは、この場所のおかしさに気付きませんか。この一帯だけ、霧が異常なほどに濃いのです」

「実は、この峠は夜と昼の温かさが大きく違います。霧がずっと発生しているのは、その所為だと村の長老に教わりました。今まで何度かここを通ったことはありますが、俺にはあまりおかしな気配は感じられませんね」


 できる限り言葉を選んで、市伊は霧が濃い理由を説明した。不自然にならぬよう。何も知らないかのように振る舞わねば、市伊自身にも疑いの目は向けられてしまうかも知れないのだ。


「そう、ですか……うまくは言えませんが、ここだけ色んなものが自然に配置されすぎていて、それが逆に不自然に感じるのです」

「不自然、ですか……」

「ええ。巧妙に注意をそらし、誰かがここに興味を持つことを防いでいる。そんな気がします」


 きっぱり言い切って、葛良は元来た道へと戻っていく。彼女の観察力と霊力の流れを見る力、勘の良さ。どれも想定より上だったと言わざるを得ない。さらなる策を講じなければ、遠からずこの護りは破られるだろう。そう己の力不足を痛感しながら、市伊は葛良と共に村への帰路についた。


「この二日間、多大なるご協力をいただき、ありがとうございました」

「いえ、お役に立てたのならば何よりです」

「正直、私は市伊さんを疑っていたのです。じじのように、ここから私を排除したいのかと」


 村に着き、神社の入り口まできたところで、葛良はそう切り出した。市伊は少し苦笑いをしながら、疑いは晴れましたか、と返す。少女は真剣な目で少しだけ間を置いて、ひとつこくりと頷いた。


「もしあなたがじじの側で、邪悪な妖を護りたいのであれば、きっとあの峠には案内しなかったはずです。あそこは要の地で、巧妙に隠されている。破られれば致命傷になるはずの所へあなたは案内してくれた。だから私はあなたを信じることにします」

「お眼鏡にかなって何よりです。これからも、力になれることがあるなら何なりとお申し付け下さい」

「ええ、そのつもりです。私はどんな手を使っても、邪悪な妖を倒し、その首を持ち帰らねばならぬのです。あなたにご協力いただけるなら、これほど心強いことはありません」


 これからもよろしくお願いしますね、と頭を下げて葛良はお付きの黒子たちと共に引き上げていった。市伊は最後までその後ろ姿を見届けてから、くるりと踵を返す。そうして疲労でぼうっとなる頭を何とか回転させて今後の策を練りながら、家までの道を歩き出したのだった。

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