第五章 白き結界地に火種は燃ゆる

第五章 白き結界地に火種は燃ゆる 1

 葛良が神社にやってきた次の日。市伊は日も明け切らぬうちに起き出し、水城神社に足を運んだ。


 だが昨日と同じように鳥居をくぐろうとして、はたとその前で足を止める。目をこらしてみると、鈴が結いつけられた縄のような仕掛けが幾重にも張り巡らされていた。昨日は気づけなかったものだ。ここを通ると、術者に来訪者の知らせが行く仕組みになっているのだろう、と当たりをつけて、市伊は慎重に足を運ぶ。神経を研ぎ澄ませ、鈴を鳴らさないよう通り抜けると、どっと汗が噴き出した。慣れないことはするものではない、と自嘲しながら、市伊は渡の部屋を目指して慎重に進んでいく。


 足を忍ばせ、どうにか目当ての部屋までたどり着くと、その前には昨日市伊に勾玉を託した青年が立っていた。ゆるりと微笑む彼の瞳孔は猫のように細長く尖っていて、彼は渡の式神らしいということにようやく気付く。短く要件を告げると身を翻して中へと招き入れてくれたので、市伊はようやくほっと一息つくことが出来た。


「朝早く押しかけるとは迷惑なやつじゃの」

「迷惑なのはこちらの方です。危ない橋を渡るのはこれっきりにしたいのですが」

「ほっほ。若い者には動いて貰わねばのう。鈍った身体と目には良い運動になったじゃろ」


 まるで市伊が来るのがわかっていたかのように、出迎えた渡はきっちり身支度をすませていた。ほんと食えないこの狸じじい、と胸中で悪態をつきながら、市伊は懐の勾玉を取り出す。慎重に手渡すと、渡はそっと箱のふたを開け、勾玉を撫でた。昔を懐かしみ、我が子を慈しむかのようなまなざしに、市伊は少しばかり目を見張る。こんな表情をする彼を、今まで一度も見たことはなかった。


「まぎれもない、柚良さまの神気じゃ。紫金さまの神気も込められておるな。あのお方達は、息災であったか」

「ええ。いまはまだ、変わらずお過ごしかと。柚良さまは、昨今の巫女達は己の姿が見えぬ、と嘆いていらっしゃいましたが」

「そうじゃな……玖珠木くすのきも、鍔木つばきも、坂木さかきも、生まれ出る女子たちの力はここ数代ですっかり皆弱くなってしもうた。融とて、同じじゃ」


 だからおまえを見込んで手塩にかけて育てたのに、という言葉は聞き流し、市伊はぐっと表情を引き締めた。


「だからひっそりと育てていた葛良にじじの持てる知識と術を全て教えていたのですね。融と夫婦になれるように」

「そうじゃ。だのに、あやつは都へと連れて行かれてしまった。挙げ句の果てに、柚良さまの山を荒らすなど……狂気の沙汰ではない。この村は、柚良さまあっての村じゃ。庇護がなければ、あっという間に朽ち果ててしまう」

「それは、どういう……」


 詳しくは柚良さまに聞け、という前置きをした上で、じじはこの村の成り立ちを語り始めた。


 その昔。妖と恋仲になり、混ざり者となったものたちは、人間側からも、妖側からも迫害される立場にあった。混ざり者の人々は都を離れ、遠く東の地へ安息の場所を求めてやってきた。そうしてたどり着いたのがここ、神木村の場所である。


 当時大城山を治めていたのは、樹齢三百年ほどにもなる桜の古木の精だった。名を、佐久夜花霞比売さくやはながすみひめという。彼女は行き場のない混ざり者たちを哀れみ、己の庇護の元に暮らしていけるよう村の代表者と契約を交わした。最初に彼女と契約を交わしたのが、第一代水城神社の神主、水城ひかるである。


 それから二百年ほど。桜の古木が朽ち果てるまでの間、代々水城神社の神主は彼女と契約し、その庇護を受けて平穏に暮らしてきた。幾度となく都からは「人間に徒なす異形の血をひく者たちがいる」と弓引かれることがあったが、その庇護のおかげで都の軍勢は村へ立ち入ることすら出来なかった。


 またあるときは、強い力を持つ妖の一族が混ざり者たちの力を手に入れんと攻め入ったときもあった。その時は古木の精をはじめとする大城山の妖たちが迎え撃ち、村人の犠牲を出すことなく攻め入った妖を追い払った。


 そうして村の平穏は保たれていた。だが桜の古木の精が寿命を迎え、朽ち果ててしまったことで状況は大きく変わってしまった。庇護を失った山と村は急速に荒廃し、幾度となく攻め入る都人や妖と戦い、どんどん疲弊していく。


 桜の古木の精は自らが朽ち果てる前に次代の山神を探したが、人間たちも護ってやろうという気骨のある妖を探すことが出来なかった。最後まで神木村の人間たちを心配しながら朽ち果てた古木の精は、最後にある方法を言い残し、世を去った。ただそれはあまりにも一人に全ての犠牲と重責を負わせる方法で、誰もそれを実行できないでいた。


 大城山が山神を失ってから三年。これ以上の山神の不在は山に死を招く。そういって水城神社の神主の元に、三匹の神獣たちが現れた。金毛の大狐、白毛の大鹿、緑髪の大天狗は村人たちに村を捨ててどこかへ行くか、新しく山神となる女子を山に捧げるかの二択を迫った。村人たちを庇護する重責がないのであれば、山神を引き受けようという妖はいる。だが立ち退く気がないのであれば、人間側から山神をたてよ。それが彼らの主張であった。


 村人たちの意見は真っ二つに割れた。村を捨て、都人の手の届かないような奥地に逃げ延びようという者。誰か娘を山に捧げて、新しい山神を立てよう、という者。娘を山に奉じるとて、誰を立てるのか。そのために玖珠木、鍔木、坂木の三家があるじゃないか、ここから娘を出せば良いだろう。力のある娘が産まれるよう、定期的に異形の血を混ぜているのはこういうときのためだろう。いやここ数代の娘たちは皆力が弱まっていて、到底奉じられるほどの力の持ち主はいない。力のないものを捧げれば、その重責で潰れてしまう。ではどうすれば。


 そんな議論がいくつもいくつも交わされたのち、村人たちはある一人の娘の存在を思い出した。前代玖珠木家当主が神社の巫女に手をつけ、密かに産ませた子ども。彼女は近年まれに見る実力の持ち主で、水城神社の次期神主と夫婦になることが決まっていた。その子を捧げれば良い。皆そう口をそろえていった。両親を失った子供を捧げることに、誰も異を唱えるものはなく。あっという間に彼女は山へ奉じられ、山神となることが決まった。その彼女の名を、南木柚良なぎゆらという。


 彼女は、自分が山神となることに一切異を唱えることなく受け入れた。そうして柚良は山神となり、大城山と神木村は、神の庇護を取り戻した。柚良は自分を捧げることを決めた村人たちを一切恨むことなく、神木村の村人たちを始め、自らに庇護を求める者たちを広く厚く護っているのだそうだ。


「だから……都人は葛良をここに送り込んだのか。神木村出身の彼女なら、柚良さまの庇護は効かない」

「そうとも。ましてや、遠縁とは言え柚良さまと葛良には同じ玖珠木の血が流れておる。そんな人間を攻撃するなど、柚良さまに出来ぬ事をわかっておるのじゃ」

「なんて非道な……」


 渡の話を聞き、都人たちのやり口を理解した市伊は絶句した。巧妙に張り巡らされた罠は、恐らく葛良すらも利用したものに違いない。一体、彼女はどこまで知らされてここまで来たのだろうか。


「あやつは今、自分が月士であることを誇り、笠に着ておる。じゃが、都ではどうかの。いくら月士の長の娘とは言え、正妻腹の子でもなければ、長の手元で育てた娘でもない。実力があるとは言え、風当たりは強かろう」

「そこを利用している、と?」

「その可能性は大いに有る。例えばこの任務が成功すれば正式に月士として認めてやる、といわれたらどうじゃ」


 誰一人として知り合いがおらず、誰にも認められていない集団に放り込まれた娘。おまえの実力を見込んで特別任務を課す。見事任務を達成した暁には、皆おまえを正式な月士と認めるだろう。そう言われれば、それはとても魅力に満ちた甘いささやきに違いない。


「――じじ、俺は葛良の手下になったふりをして、彼女のやり口を暴き出します。この村と、柚良さまを護るために」

「頼んだぞ、市伊。もはやこの村と大城山の命運はおまえにかかっておる」

「その代わり、瑞希のことを頼みます。俺に何かあったときは、どうか……」

「皆まで言うな。重々わかっておる。葛良に手出しもされぬよう、護りも固めよう。おまえが気にせず動けるようにな」


 ありがたい申し出にお礼を言って市伊は頭を下げたが、渡の方からも逆に頭を下げられてしまった。融がもっとしっかりしていれば、おまえと瑞希を巻き込むことにはならなかったのに。そう口惜しそうにいうじじの口ぶりから、融は葛良の側に着いたのだと悟った。一回りほど年は離れているものの、葛良は融の元許嫁である。葛良が都に連れて行かれたが故に離された二人だ。折り合いが悪く、なかなか神主の座を譲らぬ祖父とどちらを選ぶかなど、あまりにも明白だった。


「では、あまり長居も良くないので、俺はそろそろ退散します。今度はちゃんと、入り口の鳴り物をならして入ってきますよ」

「何から何まですまぬな、市伊。あのお二方にも、よろしく伝えてくれ」


 そう言ってもう一度頭を下げる渡に短く別れの言葉を継げると、市伊は来たときと同じく誰にも気付かれぬよう、そうっと道を戻っていったのだった。

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