(18)
クリスマスイブの慌ただしさにかき回され、雑然としているスタッフルームの一角。俺は、田村さんと差し向かいで昼飯を食べていた。だが、田村さんは目の前の弁当箱を見つめたままずっとフリーズしている。
やっと仕事に慣れてきたと思ったら、さのやが店じまい。また失職かと思ったら実は新装開店で、今度はきれいなところで働ける。つなぎの仕事も斡旋してもらえる。あまりにアップダウンが激しくて、気持ちが落ち着かないって感じだな。
「主任。わたし、まだアタマがよく回らないんですけど」
「ははは。田村さんだけじゃない。みんなそうでしょ」
「主任は知ってたんですか?」
「昨日の夜に知らされたんです。さのやを畳んで、フランチャイズで再出発というところまではね。市原さんとのことは私も知らなかったので、びっくり仰天ですよ」
「そっかあ……」
でも。店長のアナウンスの中身はバラ色なんかじゃない。逆だよ。恐ろしく重いんだ。スタッフは、その重さを本当に理解しているだろうか。
さのやを閉めるという宣言のあと、店長は個別にスタッフの表情を確認していた。その時点で腰が引けていた人には、個別に退場勧告するつもりだったんだろう。でも再出発に対するスタッフの反応が予想外に良かったから、厳しい話に持って行きそびれたんだ。
その上、市原さんとの結婚話を披露したことで厳しさが祝賀ムードにすり替わってしまった。店長は、外様の市原さんをスタッフに早く馴染ませようと、あえて道化を買って出たんだろうな。確かに効果抜群だったけど、店長の警告はどうしても薄まってしまう。
正直、経営環境は今よりずっと厳しくなるんだ。状況が軽視されるのはすごくまずいんだけどな……。その心配が、ぽろりと口をついてしまった。
「それにしても、店長と市原さんはでかい賭けに出たなあ」
「え?」
「無借金でやってきたこれまでとはわけが違う。二人には、ずっしり重いストレスがかかります」
「あの、どうしてですか?」
そうだな。店長よりも、むしろ俺らの方に覚悟がいる。それも含めてしっかり説明しておこう。
「店舗の改装は、親会社のブラボーさんがやってくれるわけじゃないんです。親会社がつけてくれるのは、信用だけなんだよね」
「えええっ?」
田村さんの手元から箸がぽろっと落ちた。
「フランチャイズっていうのはそういうものなんです。さのやの名前では絶対にお金を貸してくれない銀行も、ブラボーマートの名前でなら融資してくれる。親会社がくれるのはそれだけ。信用とノウハウと社の納品ルートを貸すから、あとは自力でがんばりなさいってことなんですよ。収益をピンはねされる上に、もし業績不振になったら店長が全責任を負わなければならないんです」
「そ……んな」
「甘くないですよ」
ふうっと大きな溜息をついて、一度箸を置く。
「市原さんは、もっと大変です」
「え?」
「今までずっと無借金でやってきたさのやをそのまま手伝うならともかく、借金まみれになる店長を、安定した給料をもらえるコンサル会社を辞めて手伝うんですから」
「あ……」
田村さんに、質問を一つ投げかける。
「田村さんなら、もし今の店長にプロポーズされたら受けますか?」
「……」
じっと俯いてしまった田村さんが、小さく首を横に振った。
「無理……です」
「でしょう? 待遇の問題だけじゃない。知り合いが誰もいないところに、裸一貫で飛び込んでいかなければならない。しかも、未来の保証が何もないんです」
「じゃあ、どうして?」
田村さんには、まだ理解ができないかもしれないな。でも、いずれ田村さんも同じ道を歩き始めると思うよ。
「ははは。それは店長と市原さんに直接聞いてみないとわからないです。でもね」
「はい」
「私ならこう考えます。店も結婚生活もゼロから作れるなら、最初から一人で何もかも背負わなくていいって」
「あああっ、そっかあ!」
田村さんが、ぐんと大きく頷いた。孤立の辛さは、田村さんも身に染みてわかってるはず。店長の気持ちはよく理解できるだろう。
「だから、私やノリさんに正式に役をつけたんです。自分一人で何もかもは負えない。頼むから分担してくれってね」
「そうですよね。一人じゃしんどすぎますよね」
大きく肩で息をした田村さんが、自分の弁当箱をじっと見つめた。後悔に足を引っ張られ続ける生き方をどこかで断ち切れるだろうか……そういう迷いの気配が漂ってくる。俺や店長だけでなく田村さんも、今まさに転換点にいるんだろう。
「市原さんが言ってたみたいに、誰かが反対したり邪魔してるわけじゃない。スタッフのやる気と能力は揃ってるんです。あとは指揮系統をきちんと整えれば、店長は戦略を立てて商品を動かす部分に集中できる」
「はい」
「自分の責務を少しだけでも減らせれば、潰れるかもしれないという不安より、もっと店を盛り立てるぞっていう前向きな意欲が湧きます。店長だけでなく、我々にとってもその方がずっといいですよ」
「わたしもそう思います」
今後のことについてああでもないこうでもないと話をしていたところに、店長が千秋を連れてどたどたと駆け込んできた。
「ああ、横井さん、いたいた。田村さんもいるな。ちょうどいい」
「なんですか?」
「今、佐藤くんが来るからちょっと待ってて」
すぐに、佐藤くんがはあはあと息を弾ませながら飛び込んできた。
「店長。話っていうのはなんですか?」
「それぞれにある。まず、田村さん」
「はい」
「今はパートだけど、正職員になる気はあるかい?」
「ええっ?」
突然の提案に驚いた田村さんが、目をまんまるにしてる。
「そ、そりゃあ採用していただければすごく嬉しいですけど」
「お子さんのこともある。正職員なら福利厚生をフルに使えるし、休暇も堂々と取れる。拘束時間は増えるけど、その分収入も確実に増える。前向きに考えてほしい」
「わっ! わかりましたっ!」
田村さんの表情がぱっと明るくなった。俺の予想と違って外からのアクションだったけど、やっぱり転機が来たね。これで追い風が吹くはずだよ。田村さんの反応を確かめた店長が、短く説明を足した。
「パートさんやアルバイターの指導は、横井さん一人で全部はできないの。職員にもちゃんと受け持ってもらいたいからね」
「店長、それは他のパートさんにも打診してるんですか?」
俺が訊いたら、店長が即座に認めた。
「もちろん。ただ、パートのままの方が気楽でいいという人もいるし、家庭の事情やご主人の仕事の関係でパートしかできない人もいる。そこはケースバイケースで行く」
「なるほど」
にっと笑った店長が、今度は佐藤くんに話を振った。
「佐藤くんは来春卒業だろ? 就職先は決まった?」
「いえ、まだです。ほんとに厳しいです。僕のいる大学は、一流大学というわけじゃないので」
「うちで働かないか? ゆくゆくは商品選択、調達の権限を分野で分けて任せたい」
「幹部……ってことですか」
「もちろん。君にやる気があるなら、先々ブラボーの本部に加われるかもしれない。ブラボーは学歴不問の実績第一主義だからね」
がっと目を見開いた佐藤くんは、大きく頷いて答えた。
「お誘い、本当に嬉しいです! 前向きに考えます!」
「頼むね」
くるっと振り返った店長は、千秋と正対するなりとんでもないことを切り出した。
「ええと。横井さんが二人いるから千秋さんでいいかな」
「あ、はい」
「今は、高村さんの助手をやってくれてるよね」
「はい」
「調理を持ってみる気はある?」
「え?」
千秋の目が点になった。
「わたしが、ですか?」
「そう。改装の時には精肉と鮮魚を一つのコーナーにまとめてコンパクトにする。保冷庫や冷凍庫の占めるスペースをけちりたいんだ」
慌てて、確認する。
「店長、それ、黒さんや本尾さんには?」
「もう言ってある。スペースが有限である以上、効率的に利用しないと面積当たりの売り上げを伸ばせない」
すぱっと割り切ってみせた店長が、千秋に続きを話した。
「でね。その浮いたスペースを使って、惣菜の隣にベーカリーを入れたい。パンを作って売りたいんだ。高村さんの惣菜と連携させる形でね」
「わっ!」
千秋の顔がみるみる上気する。
「下手にプロを入れるとその人の癖とかエゴが表に出てしまうから、ブラボーの系列店と同じものをきちんと作れる人が欲しいの」
「全く経験なくても出来るんでしょうか」
不安を素直に言葉にした千秋を見て、店長がすかさずフォローした。
「誰でも最初は素人だよ。本部から技術の人が来て指導してくれるから、やる気と根気があれば必ずこなせる」
「あの、オリジナルは作っちゃだめなんですか?」
「いや、定番以外は各店で工夫してやっていいってさ」
「やりますっ!」
いきなり即決かよ。佐藤くんみたいにワンクッション置かんかい。まったく!
決めたらいきなりぶっ飛ぶのは美春譲りだなあ。だが、千秋のことだ。製作者として自分の名前が出ることを誇りに思える仕事は、絶対に手放さないだろう。
店長が後ろ手に俺たちをぐるっと見回した。
「残念だけど、これからもリスクは取り続けないとならないんだ。それが怖いなら。耐えられないなら。今のうちに引いて欲しい。チャレンジする者だけが
若者をあおった店長は、最後に一言付け加えることも忘れなかった。
「でもな。やる気とかチャレンジ精神というのは、最初っからあるものじゃなくて育てるものなんだよね。育てるためには静かな時が要る。じっとして、水や空気や太陽の光を感じ取って、ゆっくり自分に取り込む。そういう余裕がないとやる気は起きない。横井さんが前に言ってたみたいに、めりはりはすごく大事だね。今回、痛感したよ」
「店長、みんなに意向を聞いて回ってるんですか?」
俺が確かめると、店長が大きく頷いた。
「そう。今のうちに人事絡みのごたごたに筋道をつけておかないと、横井さんにものすごい負荷をかけてしまうから。改装が終わるまでの三ヶ月は、できれば命の洗濯に使ってほしいな」
「ああ、それじゃあ」
「うん?」
軽く突っ込んでおく。
「店長はその間に市原さんと式を挙げて、新婚旅行に行かれるってことですね」
「はっはっはあ!」
真っ赤に茹で上がった店長が、高笑いで照れをごまかしながらスタッフルームを出て行った。そのふわふわ浮き足立っている後ろ姿を見送りながら、揃って大爆笑する。
わはははははっ!
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