(19)

 店長の素晴らしいクリスマスプレゼントで気分が盛り上がった俺と千秋は、仕事が引けたあと美春を引き取りに行った。精神状態が落ち着くまでという条件だったから、施設には長く置いてもらえないんだ。美春も少しだけ冷静さを取り戻してきたようだし、この前面会に行った時に俺と千秋の状況は伝えてある。俺たちが美春に「勝手なことをしやがった罰だ、ざまあみろ」と居丈高に罵れるような状況でないことはわかるだろう。まあ、なんとかなる。

 最初は千秋のアパートに置いてもらおうと思ったんだが、千秋が渋った。狭いアパートに二人はきつい……と。美春は俺の家に戻りたくなかったかもしれないが、他の選択肢がない。当座は我慢してもらうしかない。


 家に着くまでの間、美春とぽつりぽつりと話をした。まだそっとしておいた方がいいのはわかっているが、美春の置かれている状況……特に金銭的な状況だけは把握しておく必要があった。ケースによってはタイムリミットがあり、突然借金取りにつきまとわれるようなことになると三人揃って討ち死にしてしまう。それだけは避けなければならないからな。そして、俺の懸念はやはり当たっていた。


 二年前離婚が成立し、家を出てすぐ。自分の城が欲しかった美春は、有り金の大半を頭金にぶち込み、都内にワンルームマンションを買っていたんだ。社の先行きが見通せない中で危険なギャンブルに出るのは絶対に避けるべきだったと思うが、それを今さら悔いたところで始まらない。美春は、退路を断って社と心中する覚悟だったんだろう。

 15年ローンで月々10万の支払い。夏冬のボーナス時に50万ずつ。他に扶養者のいないシングルだから、社が順調ならば大きな負担にならなかった額だ。だが、社の倒産でローンが支払えなくなった。蓄えをほとんど全部頭金で使ってしまっていたから、残り金は雀の涙。ここ数ヶ月給料が支払われておらず、もちろん退職金なんか出るはずもない。まさに天国から地獄。美春が、この世の終わりだと激しく悲観したのも無理はない。


 でも、俺は逆の見方をしていた。頭金を張り込んだ分、残債が極端な高額にならなかったんだ。それはむしろラッキーだろう。いろいろ制約のかかる自己破産や任意整理にするより、現状渡しでマンションを売りに出して残債を消した方がいい。頭金分がローン利子と相殺されて無駄になるが、築浅だし立地もいいからローンを先倒し完済できるだけでなく、いくらかは手元に現金が残るかもしれない。

 債務の繰延がどうのとごちゃごちゃ言ってたから、借金漬けになるより一文無しの方がまだマシだと説得した。それでなくても、これから心の債務がずっしりのしかかるんだ。カネの問題は先にクリアしておかないと、本当に身動きが取れなくなる。


 あとは当座の居場所をどう確保するかだけだ。俺はシェアハウスの話を切り出してみた。相手に対する感情が乾き切ってしまっただけで、激しく憎しみ合って別れたわけではない。夫婦に戻る必要はなく、同居人として家をシェアすればいいだろ。そう提案した。家を出る前だって各自の仕事優先で、ほとんど相互干渉していなかったんだ。その頃と大きな違いがあるわけじゃないからね。


 美春には葛藤があったと思う。だが、どこにも居場所がなくなった田村さんと同じで、他に選択肢がない。職さえあれば、住居がなくてもカプセルホテルやウイークリーマンションで当座をしのげる。でも……無職じゃどうにもならないんだ。失業保険でまかなえるのはわずかな期間に過ぎない。その間に求職活動できればいいんだが、今の精神状態ですぐに動くのは無理だよ。ひびの入ってしまった心を修理するにはどうしても時間が要る。家は、再起を前向きに考えられるようになるまでの療養所だと思ってくれればいい。

 渋々だろうけど、あいつは俺のシェア提案を飲んだ。


 千秋は、俺以上に美春のことが心配だったんだろう。住んでいたアパートを引き払って家に戻ると言った。安定した稼ぎが得られるようになるまでは窮乏生活が続くから、家賃の要らない実家を利用したいという腹づもりもあったと思う。


 一度ばらばらに砕けた家族が奇妙な形で復元されることに、全く違和感がないと言えば嘘になる。それでも、俺たちは生きていかなければならない。

 二年の間に三人揃って失職するという思いがけないアクシデントが続いて、俺たちはそれぞれに深刻なダメージを食らい、一時はくたくたに萎れた。それは根を傷めててしまったポインセチアのようだ。傍目にはもう二度と回復しないように、枯れてしまったように見える。

 でも、それは見かけだけのこと。ポインセチアはそんなにやわじゃない。田村さんに言った通りさ。


 萎れて、ちりちりになって、最後に落ちてしまう葉。でも、そうなるのはポインセチアの防御反応なんだよ。傷んだ葉に固執せずにあえて切り捨てることで、ポインセチアは新たな芽を出し、それを伸ばす。

 俺たちの失職も同じようなものかもしれない。俺らは社から切り落とされように見えるし、そう感じていた。俺らは落とされてしまった葉で、ぴんぴんしている茎が忌々しいと思ってしまう。だが、実は逆なんだ。俺らは自分を守るために、社という葉を切り離した。俺たちの方が、生きている茎なんだよ。葉が落ちた跡はまだ傷口のように生々しいが、もう新しい芽は見えてるんだ。

 もっとも、新芽がしっかり成長して最初のような見事な姿を見せるようになるまでには、十分な時間が要る。美春だけでなく、俺や千秋にもその時間はまだまだ必要なんだろう。


◇ ◇ ◇


 離婚後俺との接触を徹底拒絶していた美春はもちろん、その時から自活を始めた千秋も、家には二年間寄り付いていなかった。俺は、それぞれの部屋を全くいじっていなかったから、二年前から時が止まったままになってる。感傷ゆえにそうしたわけではなく、単に片付けるのが面倒臭かったから放置しただけに過ぎない。

 二人はかつての部屋をこそこそ片付け、寝起きできるように整えたあとリビングに降りてきた。


「遅くなったが飯にしよう。出来合いしかないけど、いいよな」

「出来合いって言っても、クリスマスバージョンでしょ?」


 俺がダイニングテーブルの上にずらっと並べたオードブルの盛り合わせを見て、千秋がにやにや笑っている。


「そりゃそうだよ。今日はどこに行ってもこんなものしかない。まあ、俺らもクリスマスのおこぼれを頂戴するとしよう」


 安物のワインと缶ビールを並べ、席に着こうとしたら千秋の声がした。


「ねえねえ、パパ」

「なんだ?」

「あれって……」


 窓際に置いてあったポインセチアの鉢を指差して、千秋が首を傾げている。美春も、それに目をやった。


「あんたに、こんな趣味あったの?」


 美春にずけずけと聞かれて、思わず苦笑する。


「ガーデニングの趣味はなかったよ。今もない。でも、これだけは特別なんだ」

「てか、これ、なに?」

「おいおい」


 ポインセチアに決まってるだろと言おうとして、あっと思った。そうなんだよな。こいつは去年も今年もクリスマスに赤くならなかった。今はまだ緑のままなんだ。その上、大して手をかけているわけではないから葉がどれも小さい。


「まあ……赤くないとわからんよなあ。それ、ポインセチアなんだよ」

「えええっ?」


 二人揃って、信じられないという顔をする。無理もない。売り物のような赤く大きな苞はどこにもなく、みみっちい小さな緑の葉が茎の上の方にだけちょこちょこと連なっているだけ。

 俺の言ったことが信じられなかったのか、席をたった二人がポインセチアに顔を近づけてじろじろと見回している。


「うそお……売り物と全然違うじゃん」

「見た目はな。でも、間違いなくポインセチアさ。そいつは、俺がさのやで店員として働き始めて最初にやらかした大失敗の証拠なんだ」

「大失敗?」


 千秋が、わからないというようにことっと首を傾げた。


「俺が最初に持たせてもらった売り場が、入り口の生花のところなんだよ。で、入荷したポインセチアを水のやり過ぎで全滅させちまったんだ」

「げげっ!」

「枯らしたわけじゃないんだけどね。根が傷むと、葉が萎れちゃって商品価値がなくなるのさ」

「あ……」


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