(16)


 明けて24日。クリスマスイブ。クリスマス本番は、本来は翌日の25日なんだろうけど、日本では間違いなくイブがクリスマスのメインイベントだ。街の賑わいも華やかさも今日がピークになる。

 さのやにとっても、まとまった稼ぎを叩き出すための大イベントになる。バートさんやバイトを含め、全職員にいつもより一時間早い出勤が命じられていた。俺を除いて、誰もがそれを開店準備のためだと思っていただろう。だが、店長は朝礼をすると言って全員を店舗の一角に集め、いきなり衝撃的な宣言をぶちかました。


「済まん、みんな。力及ばずで。さのやの看板を……下ろすことにしました」


 全員から悲鳴にも似た声が上がった。スタッフに向かって深々と頭を下げた店長は、厳しい表情で全員を見回した。一人一人をじっくりと。

 抗議の声をあげようとしている人、意気消沈している人、泣きそうになっている人……いろいろだ。みんなの表情を一通り確認した店長は、閉店の判断を下した経緯を説明し始めた。


「店を閉めるという判断は、昨日今日決めたことじゃありません。親父たちが最初に廃業を言い出し、そのあと私が店を引き継ぐことを決めた時から今に至るまで、ずっと選択肢の一つだったんです」


 しんと。店内が静まり返る。


「ここは、今のままなら誰が切り盛りしても先行かなくなるんです。ねえ、ノリさん。ノリさんなら分かるでしょう?」

「……ああ」


 諦めたようにノリさんが認めた。店長が、すっかり古ぼけてしまった店内をぐるっと見回す。勘のいい人なら、それだけで理由がわかっただろう。


「店舗がひどく老朽化していて、設備投資に踏み切らないともう保たないんです。建物の躯体はもちろんですが、電気関係や水回りもあちこちがたが来ています。設備もそうで、黒さんや本尾さんが使ってる保冷庫や冷凍庫、スライサー、惣菜で使っているフライヤーやシンク関係、店舗の陳列棚や保冷棚も含め、もう何もかも限界なんですよ」


 店長が薄暗い天井照明を見上げた。


「私は、親父たちが残してきた遺産を大事にちびちびとかじることでここを五年保たせてきましたけど、これ以上引っ張るのはどう考えても無理です」


 諦めにも似た吐息があちこちで漏れた。


「だから、閉めることにしました」


 店長の硬くて大きな声が店内に響き渡り、スタッフ全員の首が……垂れてしまった。


「で」


 店長の宣言が終わらなかったことで、「おや?」とみんなが一斉に顔を上げた。険しい表情だった店長が、一転して爽やかな笑顔を浮かべた。


「大手の。ブラボーマートの傘下に入ることにしました。ここは、ブラボーマート中町店ということになります」


 思ってもみなかった宣言に、全員唖然。先に我に返ったノリさんが怖々店長に確かめる。


「俺ら……は?」

「傘下と言ってもフランチャイズだからね。経営は店舗ごとに独立なんです。基本は今まで通り」


 安堵したんだろう。ノリさんが小さく息をついた。


「ただ、何もかも同じというわけにはいきません」


 店長は、そこで空気を緩ませなかった。さっき浮かべていた笑顔が、さっと回収される。店長のいつもの険しい視線が、スタッフ一人一人の表情をもう一度確かめ始めた。


「私も雇われの立場になるんです。賃金体系はブラボーマートの基準に合わされますので、どうしてもでこぼこができます。それは雇用を確保することの引き換えとして飲んでほしい」


 失職して路頭に迷うよりはずっとまし。みんなは大きく頷いた。


「年末年始の繁忙期が過ぎてから、店舗改修工事と全面改装のためにしばらく店を閉めます。その間の給料は出せません。私も含めて全員一律失職の形になります。その間に……」


 店長がここぞと大声を張り上げた。


「意識を。どうしても意識を変えて欲しい!」


 一言一言が容赦なく床で、壁で、天井で跳ねて、耳に食い込んでくる。


「ブラボーマートの名が付く以上、私たちはブラボーさんの方で指定している方式、ノウハウ、基準を、どうしてもクリアする必要があります。そのためにはさのやで培ってきたやり方を一度捨てて、意識を白紙に戻さなければなりません」


 店長の声が途切れると、店内が恐ろしく静かに感じる。


「自分の仕事スタイルにプライドがある。それは分かります。私にももちろん私なりのプライドがあります。でも、そのプライドをどこまでも押し通すことで自分の首を絞めてしまうなら、プライドの意味がありません。どうしても出し方は調整しないとならない」


 店長がトーンを緩めた。


「もっとも。親父たちがやってた頃と私がやってた間では、微妙にいろいろ違ってきています。これまで出来たんですから、そんなに気張らなくてもきっとこなせます。ただ、意識だけは絶対に変えておいてほしい」


 そういうことか。変わらないと思ってしまうと、どうしても今まで通りにやらせてくれというエゴが出る。それがあちこちで吹き出すと店長が制御できなくなるんだ。だからあえて、ということなんだろう。


 最初お通夜のような雰囲気だった店内は、徐々に熱を帯び始めた。


「改修・改装工事の間の三ヶ月。なんとか乗り切りましょう。パートさんやアルバイトさんは休業期間中無収入になってしまうので、ブラボーさんに頼んで繋ぎの仕事の斡旋をお願いすることにしています。それを単なる場繋ぎと考えず、新店舗で働くための研修だと思ってくださるとうれしいです」


 店長は、並んで立っていた俺とノリさんをじっと見据えた。


「職員のみなさんは、失業保険でなんとかしのいでください。できる限り、現状に近い雇用条件で再雇用できるよう努力します」


 なるほど。アメリカでいうレイオフに近いんだろう。でも、失職するのは店長も同じなんだ。俺らが文句を言う筋合いはない。


「きれいになる店内で、気持ちも新たに、これまで以上にやる気を出して働けるようにしましょう!」


 店内いっぱいに、はいっというくっきりした返事が響いた。俺がざっと見回した限りでは、しょぼくれている人はいない。改装後も雇用が継続され、雇用中断中も職の斡旋があるなら、それはそれで仕方ないと割り切れたんだろう。


 俺らの表情を確かめたあと、大きく頷いた店長が二つ目の案件を切り出した。


「次に。ブラボーマートの体制になってから、システムを少し変えます。どうしてもブラボーさんの基準を満たさないとならないからね。今までは私のワントップで動かしてきたんですが、何から何まで私が決めるのはとても危険なんです」


 危険、か。無理と言わなかったのは店長らしいな。もっとも、危険なのは間違いなくその通りだと思う。店長が不在になった途端に業務が全部滞ってしまうし、店長だけに異常な負荷がかかり続けてしまう。おでん屋で俺が指摘した欠点は、どうしても解消しなければならないんだ。

 俺らを見回した店長は、ノリさんをさっと指差した。


「ノリさん。今まで通り、経理全般をお願いします。金庫番はノリさん以外にはいません。それで」

「ああ」

「出来るだけ早く、部下と後継者を育ててください。ノリさんこけたらみなこけたじゃあ、フランチャイズに切り替える意味がないです」

「そらそうだ。人は採ってくれるんだろ?」

「もちろんです」

「じゃあ老骨に鞭打つかあ」


 はははははっ! 明るい笑い声がいっぱいに響いた。


「パートさんやアルバイトの採用。彼らの教育、指導。横井さんにお願いします。横井さんは他業種から転職してこられた方です。目が一番醒めてて、変な色がない。温和で辛抱強い。なぜなにをちゃんと説明してくれて、しかも押し付けがましいところがない。があがあやかましい私と違って、上手に人を動かしてくれると思う。二人必要な副店長の一方。人事担当をお願いします」


 まあだ現実のものとは思えないが。請けるしかないよな。


「微力ながら、協力させていただきます」

「ああ、ただし」

「はい?」

「副店長だから特別給料が高いということはないです」


 どっと笑い声が上がった。まあ、今の主任だってそうだからな。


「店長、もう一人は?」


 高村さんが、じっと店長を見ている。こほんと一つ咳払いをした店長が、にいっと笑った。


「これから紹介します」


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