十七話 終結


『カイトさん、これ……』

 ミリが机の上に置かれていた日記を指差し、沈んで声で呼びかけてくる。カイトとセレカティアは机と歩み寄り、カイトが無言でその日記を手に取って適当なページを開いた。

『オルダが死に、ダントが死に、ノエルが死に、ランが死んだ。死んだ者の場所、思い入れの場所を巣食うと言われたミスト。これは、ただ巣食うのではないだろう。この四年間で、私は推測する。ミストは人間。この結論に辿り着けられたいくつもの死に感謝する』

 次のページを捲る。

「感謝って……舐めてるわね、あのおっさん……」

 セレカティアが不愉快とばかりに吐き捨てる。

『推測をしても、ミストを視る事が出来ない私では、ここまでだ。しかし、素人の私がここに辿り着いたのだから、彼らはミストの正体を知っている筈。何度聞いても、分からないの一点張りをしていたが、きっと知っている。私は必ず、正体を突き止めてみせる』

 次。

『大きな還し屋事務所に頼っても駄目だ。小さく、それでいて小規模に収まる還し屋。近くでは、クリス・サリウスが最適だ。知名度もあるも、たった二人で活動している。都合の良い。彼女に、真相を聞こうではないか。ここまで犠牲を払ったんだ。良い答えを利かせてくれ』

 そこで、日記が終わっていた。

「ふざけんなっ!!」

 カイトは日記を力の限り床に叩きつけ、そのまま足で踏みにじる。

 隣で同じようにして読んでいたミリは、言葉を一言も発さず、ただ俯いて体を震わせていた。

「おい、クリス。あいつが犯人だ。あの野郎……ぶん殴ってやる……っ」

 大きく貼られている紙を見上げていたクリスに見やり、一歩踏み出した。そこで、彼女が人差し指を立てる。その指は、歩く事を止めろというものであり、止む無く踏み止まる。

「あなたの気持ちは分かるけど、これは私達の管轄じゃない」

「そんなの知るかよっ!! 人を殺してんだぞっ!?」

「新人が口出しするな。いいから、警察を呼んできなさい。門を出て、右に向かえば署があるから」

 見向きもせず、手だけで指示してくる彼女に、カイトは顔を険しくさせるが、上司のいう事には逆らえない。小さく舌打ちをし、クリスの後ろを通って抜けてきた通路へと向かう。

 そこで突然、暗がりとなっていた部屋に明かりが点いた。ミリの淡い光と違って、強い光に、手を顔の前に当て、光を遮断する。

 すると、

「明かり一つないのに的確に探すとは驚いた。いやはや、還し屋の眼は素晴らしいね」

 覚えのある声がし、抜けようとした通路を見た。

 そこには、屋敷の主、ファルト・ノムシアーナが笑みを浮かべて、通路を抜けてこようとしていた。彼はカイト、クリスの順に見るなり浮かべていた笑みを更に深めさせ、軽く拍手をする。

「どうやって部屋の仕掛けに気付いたかは知らないが、よく辿り着いた。称賛に値するよ」

 自分が一連の死を作り上げた殺人犯だとバレたのにも関わらず、まるで他人事のように接してくる。そんな彼にカイトは開いていた手を握り締め、歯を剥き出しにして吠えた。

「何が称賛だ。人を殺しておいてへらへらしてんじゃねぇっ!!」

「真実の解明に協力してもらっただけだ。本当に、尊い犠牲だよ」

「てめぇ……っ」

 カイトが彼を自らの拳で殴ろうと一歩踏み出した。しかし、それをファルトは懐から取り出した拳銃を彼に突きつけることで制止させる。そして、甘いと言わんばかりに舌を鳴らし、鼻を啜った。

「おっと、動かないでくれないかな? これ以上、殺したくないんだ」

「……クズがっ」

「研究者に、犠牲は付き物だよ。彼らはその犠牲になっただけだ」

 彼は人の死を何とも思っていないだろうか。そうでなければ、このような発言も出来ないし、罪悪感を抱いている様子も窺えない。

 還し屋に援助していた目的が、ミストの正体を知る為のものだったのだろう。しかし、全ての還し屋の口からは語られる事はなかった。だから、その手で命を奪い、正体を掴もうとした。

(とことんクズか……)

 少しでも、彼を良い人だと思った自分が恥ずかしい、自分が求める物の為に、人を殺めるとんでもない悪人だ。

 ファルトは視線をカイトからクリスへと移すと、「さぁ、答えてくれ」、と言った。

「推測は合っているのか。若干二四歳で数百のミストを返したクリス・サリウス君?」

「数百とは言い過ぎではないですか?」

 軽い口調で話すクリスが、彼を振り返り、わざとらしく肩を竦ませた。

「ミストが人間。面白い推測ですね。原則を完全無視しましたか」

「皆、記された情報を真実だと信じている。私は、それを取り払って考えた。私の推測に、間違いがあるというのかい?」

「人間という考えは確かにありましたね。ですが、それが違うからこそ、不明となってる。表向きは、です。一つ、真実を言いましょう」

 彼女は笑みを浮かべさせて、人差し指を立てる。

「貴方は神の書を読みましたか?」

「もちろんだ。それがどうした?」

「人が死ねば、生まれ変わる。それを邪魔する者、悪魔」

 悪魔という言葉に、ファルトの表情があからさまに曇った。

「君は、ミストの正体を悪魔だと言いたいのか? 馬鹿馬鹿しい」

「専門家である言葉を無視するんですか? 一番知りたがっていた情報でしょう?」

 平然と嘘を吐くクリス。しかし、素人から見れば、彼女の口調、表情は偽りを述べている様には取れないものだった。普通の人間ならば、専門家という立場に彼女の言葉をその場で信じてしまうだろう。

 それでも、納得出来ないでいるファルトは別だった。

「信じると思うのかい? 君のその戯言を」

「さぁ? それは貴方次第です」

「くだらないな。君までも、話さないか」

 ファルトは引き金に指を掛けると、照準を彼女の額へと定める。

 その様子を、クリスは目を細めさせ、一瞬だけカイトに視線を向けた。その目配せは何を伝えようとしていたかを、何となくだが受け取れた。

 合図で飛び込め。

 一瞬間違えば、どちらかが死ぬ事になる。しかし、この状況を打破するには、何か行動を起こさなければ、どうすることも出来ない。その生きるか死ぬかの賭けを、彼女はしようとしている。

 女性にさせるようなことではないのだが、選択権は彼女が持っている。判断力、決断力は彼女の方が上なのだから、否定できない。

「本当の事を言えば、金を渡して帰してあげよう。君達も黙って帰ってさえすれば、この問題は何の障害もなく終わる。お互いに得する話だろう?」

「隠滅ですか……却下ね」

「そうか、残念だ」

 空いた手で鼻を押さえるファルトは、心底残念そうに呟く。そして、鼻を押さえていた手を離し、視線を落としたところで、彼の動きが止まった。

 彼の行動に疑問を抱いたカイトは彼の手に視線を移す。

彼が動きを止めた理由。それは、彼の手に大量とは言わないが血が付いていたからだ。鼻から流れる血は、止まる所を知らずに流れ続け、床を赤く染めていく。

 その異常な現象はそれだけではなかった。

 天井に付いていた明かりが、不規則に点滅し始める。調子が悪くなったにしては、突然過ぎるし、時々、目を覆いたくなる程の光を放つという不気味な現象が続く。

「な……に……」

 ファルトの息遣いが荒くなっていき、体をふらつかせ始める。最終的には、自力に立っていられなくなったのか、近くの壁に背中を預け、大きく咳き込んだ。

何が起きた。

 カイトは状況が把握できず、クリスの方に目を向けた。彼女はこちらを見る事もなく、目を細めさせ、ファルトの症状を黙って見つめているだけだった。

「おいクリ――」

 彼女の名を呼ぼうとした時だ。

 明かりが激しく点滅している中、彼女の背後にある壁から、ミリと同じ淡い光が徐々に漏れ出した。そして、悲しげな表情を浮かべた綺麗な女性が、壁から現れる。

 女性の顔はどこかで見た事がある。確か、机の傍に置かれていた写真に写っていた女性だ。おそらく、彼女はファルトの妻、オルダなのだろう。

 何か言葉を発そうと口を開いたが、クリスが強く咳払いした事で、強制的に止められてしまった。オルダはそのまま、とうとう跪いてしまったファルトに近付いていき、彼の頬に手を当てようと手を伸ばしたが、案の定、すり抜けてしまい、悲しげな表情を一層濃くなる。

 彼女もミストになっていた。死してなお、彼を想っていたが故に、ミストと化して四年間も彷徨い続けていたというのか。誰にも視認される事も無く、孤独に過ごしてきただろう。今、彼に及ぼしている症状も、彼女のしたことなのかまでは分からない。しかし、彼がしてきた事を考えると、これ以上、罪を重ねさせない為にしたのかもしれない。

 そんな事を考えていると、不意にクリスから声を掛けられた。

「カイト、今の内に行きなさい。あとは、私に任せて」

「……けどよ」

「いいから。私のいう事を聞きなさい」

「……分かった」

 カイトは彼女の指示に従い、抜けてきた通路へと歩く。通る際に、辛そうに呼吸をするファルトを見下ろす。彼は何か言おうと口を開くも、肝心の言葉が発せられる事もなく、静かに開閉するのみだった。

無様。それだけを思い、通路を抜け、書斎を出た。

 なるべく事を大きくしない様に、静かに歩く。自分達以外に起きている者が居ない為、しんとした空気が屋敷内を包んでいた。月の光のみが廊下を照らし、視界を奪われる事はなかった。屋敷から出て、ふと噴水の方へ目をやる。そこには、さも当然の様に発光し続けるミスト。

 彼は何を思って亡くなったのだろう。ファルトに殺される時、裏切られた時、何を思ったのだろう。悲しんだのか、怒ったのか、恨んだのか。それは無くなった本

人しか分からない。

 鼻の奥から、液体が流れる感覚に陥り、鼻に手を当てる。鼻を拭った後に、それを見下ろすと、少量の血が指に付着していた。

 死んだ人間と生きている人間。

 同じ空間に居て、とても近い。しかし、それと同時に果てしなく遠い。目の前に居ても、触れる事が出来ないもどかしさに、彼女はあの表情から何を思ったのだろう。

 触れられない悲しみか。人を殺めた夫への失望からきた悲しみか。

 考えれば考える程、頭が痛くなる事にカイトは舌打ちとため息しか出なかった。

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