十六話 ノムシアーナ

「やっぱり、倉庫のミストは奥さんじゃなく、メイドで決まりね」

 寝室にて寝間着を着、ソファに深く腰掛けたクリスが、天井を見上げて苛立った様子で言った。

 現在、午後一二時を回った頃。

 あれから、ミストが存在する位置を隅から隅まで、念入りに探し回った上、メイドや執事に何度も質問を投げ掛けた。その結果、舞踏室で亡くなったとされていたメイドは、実際には物置部屋で亡くなっていたのが分かった。頭の強打による死と記されていたが、舞踏室では、強打したような箇所は見受けられず、腐食が進んでいた木の箱の角に、見落とす程に少量の血痕が発見した。

 これで、倉庫のミストがファルトの妻である可能性が激減する。いや、零になるだろう。そもそも、四年もこの場に居座り続ければ、物置部屋全ての物が腐ってしまっていた筈だからだ。

「いや、ちょっと考えれば分かった事だったろ」

 彼女と一人分の空けて座るカイトは、目を細めさせ、彼女を睨む。しかし、胸元が空き、僅かに見える谷間に視線がいってしまい、すぐに視線を逸らさせる。

「うるさいなぁ。私もおかしいなって思ってたっつの」

「その資料、誰が書いたんだ?」

 ソファの前にあるテーブルの上で、無造作に散りばめられた書類を顎で指す。

「ファルト。この感じだと、偽装したのは彼みたいね。事件を事故に見せかけようとして……、まいったわね」

 困った様子で頭を掻く彼女にカイトは眉を潜め、首を傾げさせる。

「何か問題でもあんのか?」

「還し屋のパトロンの家で殺人事件が起きたら、大問題でしょうが。この家もそうだし、還し屋の評判もガタ落ちよ。けど、見逃す訳にはいかないのよね……」

 つまらなさそうに部屋を彷徨いていたセレカティアが立ち止まり、頷く。

「ですね。ましてや、ノムシアーナ家となれば、今までの活動も裏目に出てしまいますもんね」

 確かに。事件だと分かってしまえば、黙っていられない。しかし、誰が犯人なのかはまだ分からない。

 クリスは右手を上げ、親指以外の指を立たせる。

「可能性があるのは四人。仕えて十年のメイド、ノエル。五年の執事、シーノ。四十年のヴァール。そして、主のファルト。あなた達は誰が怪しいと思う?」

 話を振られ、カイトは顎に手を当て、唸る。

 十年と五年のメイドと執事の可能性は低いと考える。理由としては、女性が噴水にて溺死させる、箱の角に強くぶつけさせるなどが出来るとも考えにくいからだ。一方の執事は、単純にそこまでする動機が浮かばない。初めて起きた事故死は、彼が仕えて僅か一年半足らず。それに加え、誰かに恨むような事はなかったと聞いた。共犯で何かするにしても、彼にメリットは無く、殺人を犯す必要性を感じない。

「俺はヴァールが怪しいと思うな……。四〇年、ここに居るしよ。雰囲気が怪しい」

「あたしはーーノーコメントで」

「要するに、わかんねぇんだろ?」

「うっさい」

 セレカティアはカイトを睨みつけ、つま先を踏みつけてくる。それにクリスは彼女の手を掴み、引き離す。

「セレカ、ダメだよ。けど、カイト。あなた、探偵向いて無さそうね」

「……なるつもりもねぇよ」

「私は彼が犯人だとは思わないわ。むしろ、彼は――」

 彼女が、ヴァールが犯人だと思わない理由を述べようとした時だ。何処からともなく、『カイトさぁん、クリスさぁん』、とミリの鬼気迫るといった声色が聞こえてきた。

 カイトとクリスは声のする方角を探る為、周辺に視線を彷徨わせていると、丁度一人分空いたソファの間に彼女の上半身だけが、壁をすり抜けてきた。

『聞いてくださいっ!』

「うおぅっ!?」

 予想だにしなかった登場の仕方に、カイトは驚きに体を後ろに退かせた。その際に、ソファから体が投げ出されそうになったが、なんとか崩れた体勢を整えさせ、彼女を睨みつける。

「ちゃんとドアから来い、馬鹿っ!!」

 出入り口を指差し、怒鳴るカイトにクリスが呆れた様子でため息を吐き、触れない彼女の頭を撫でる素振りをした。

「小さい事でとやかく言うんじゃないのビビり。で、どうしたのミリちゃん?」

 怒鳴られた事で薄らと涙を浮かべていたミリは、クリスの問いに我に返り、再び慌てた様子で二人の顔を交互に見やった。

『し、書斎で大変な物を見つけたんですっ。それが……えっと……』

 どう説明したらいいのか分からないのか、視線を泳がせ、左手を口につけては『あーうー……』と唸る。最終的には、体全てが壁を抜け、そのままソファに座り込んで頭を抱えてしまう始末だ。

「……おい」

『すみません……。言うよりも、実際に来ていただいた方が分かると思うんです……』

 説明を放棄したように見えたが、彼女の表情を見る限り、説明する気はあったようだ。しかし、自分の許容範囲を裕に超えてしまう出来事がそこあったという事なのだろう。

 クリスを見ると、彼女は顔で出入り口を差すなりソファから立ち上がる。それに倣い、カイトもソファから立ち上がり、ミリを振り返った。

「ほら、行くぞ。お前が見たやつ、見せてくれ」

『は、はい……』

 ミリは重い腰を上げ、ふらふらと後ろをついてきた。四人は部屋を出て、ファルトの書斎へと向かう。なるべく足音を立てない様に、ゆっくり歩く。その中で、足音を立てようのないミリまでもがそのような歩き方をしており、『お前はしなくていいだろ』とつっこんでおいた。

 書斎の前に着き、カイトは扉の取手に手を掛けると、後ろに引く。だが、鍵が掛かっているらしく、扉が音を立てて揺れるだけだった。

「ま、当然だよな」

「ぶっ壊す?」

 セレカティアが数歩後ろに下がろうとする。

「考えが物騒だな、おい」

 セレカティアの手段を否定すると、手を離し、クリスとミリを振り返る。ミリはどうしようと言わんばかりに頭を抱え、しどろもどろとしていた。しかし、一方でクリスは特に困った様子もなく、頭を掻いた後、自分の胸の谷間に手を突っ込んだ。すると、二本の鉄製で十数センチの棒を取り出し、得意げな顔をして歩み寄ってくる。

「ちょっと退いて。私がやるから」

「お前、どっから出してんだ。てか、何する気だ」

「何って、鍵を開けるんじゃない」

 クリスはさも当然のように言ってのけては片膝を着き、二本の棒を鍵穴へ差し込み、慣れた手付きで動かし始める。その光景に、ミリとセレカティアが『おぉっ』と感嘆の声を上げ、小さく拍手をし始める。

「……慣れてんな」

「還し屋になると、これくらいやれないとねぇ。今度、教えようか?」

「結構だ」

「あらそう。便利なのに……っと、開いた」

 鍵が開いた音が聞こえ、クリスが取手を軽く引くと、小さく音を立てて扉が開いた。

 クリスは棒を胸の間にしまうと、何食わぬ顔で書斎へと入っていく。その後ろをカイトとミリは追い、書斎へと入る。

 ミリから発せられる光によって、中の状況が何とか把握できた。書斎は向かい合った壁には、端から端まで連なる本棚があり、右隅には作業をする机が置かれていた。そのすぐ傍には、亡くなったファルトの妻との写真が飾られており、彼女との思い出をいつまでも覚えておきたいという思いが伝わってくる。

 カイトは扉の側に設置されていたチェストに目を向け、その表面を指でなぞる。なぞった指の腹には、なぞった事で密集された埃の山が乗っていた。

(掃除もさせないのか?)

 指に乗った埃を払うと、次にいくつもの本が収納されている本棚へと歩み寄り、一冊ずつ本のタイトルを目で読み上げていく。

 それらの本は、自分がクリスの下で還し屋になるべく読み漁った本がいくつもあった。他にも、伝記もあれば周辺の土地の情報が纏められた本もある。一目で読み込んだ事が分かる程にくたびれた本を見る限り、主として。そして、還し屋の理解者としての役割を懸命に担っているのが受け取れた。

「懐かしい。これ、絶版になったやつじゃない。保存状態も良いし。持って帰りたい」

 クリスがミストに関する文献に目を通して、そんな事を言っていた。

 本来の目的を忘れているのではないのか、と目を細めさせていると、ミリが不安気に近寄ってきて、ある本棚を指差す。

『カイトさん、ここの本棚』

「ん?」

 ミリが差した本棚は、自分が見ていた本棚の二つ右隣り。カイトは本棚に歩み寄り、下から本を見上げていく。その本棚は、主にミストの関する文献で占められており、どれも見た事が無いものだった。クリスの事務所にも、それなりの量の文献が置かれているが、ここには、彼女に無いものしか並べられていない。

『下から五段目の棚』

 そう言い、彼女は指を差す。差した先は、自分の目線と同じ高さにある位置だった。

『左から三番目の本と五番目の本』

「なんだよ」

 カイトは疑問の声を上げながら、言われた本に指を掛ける。

『それを、内側に引いてください』

何が起きるのかは言わず、彼女はそれだけを告げる。答えを言われない事が歯痒く思ったが、彼女の言う通り、指に掛けた二冊の本を手前に引いてみせた。

すると、手に掛けていた段と上の段の境目から、切り離されるように一筋の切れ目が音を立てて入った。

『この本棚を右にずらしてください』

「……おう」

カイトは彼女の言われた通り、本棚の左側を両手で掴み、横にずらす。何冊もの本が収納されている為、重いと思っていたのだが、下に車輪が組み込まれているらしく、特に力を込めずともすんなりずらす事が出来た。

ずらした本棚は隣の本棚に一体化するように張り込んだ事に、クリスは片眉を上げ、その本棚を下から五段を一段ずつ触っていく。

「あ、これ、良く出来た作りものじゃない。凝ってるなぁ」

そして、本棚がずれた事で新たな部屋が現れた。それを見たクリスが、今度は呆れた様子で目を細めさせる。

「男って、こういうの好きよねぇ」

『……ですね』

背後から女性陣の呆れた言葉が背中に刺さる。

しかし、カイトにはそれについて反論する事が出来なかった。何故なら、両親がまだ生きていた時、自宅の屋根裏を秘密の部屋として、物を持って遊んでいた事があったからだ。

「…………」

カイトは彼女達を振り返らず、少しだけ屈んで通り抜ける。

抜けた先は殺風景なもので、端に机が置かれているだけだった。とてもではないが、秘密の部屋とは言い難い光景。秘密であれば、自分だけが知る秘密をそこにいくつもおいておくものだが、ここにはそれも見当たらない。暗いという状況を差し引いても、特に注目するべきものはないのではないだろうか。

(ミリが見せたいのって……)

「ミリ、お前の――」

見せたいものってなんだ、と言おうと口を動かしている間に、今まで見せた事がない速度で彼女は机の方へと飛んでいく。突然の事に、『うおっ!』と情けない声を上げてしまい、背後からクリスの抑えた笑い声が聞こえてきた。

「おい、ミ……リ……」

一直線に飛んでいった彼女を振り返り、怒ろうとしたのだが、彼女が指し示す場所に言葉を失った。

「なんだ……これ?」

机の側には何枚もの大きな紙が結合したものが貼られていた。そこには、四年間で亡くなった四人の男女の写真が亡くなった順に並べられており、その下に小ささな字で細かな状況が記されている。そして、右端には大きな字でこう書かれていた。


『ミストは人間?』

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