十八話 還し屋の使命

 カイトが所作を出て行ったのを確認してから、クリスは肩で息をするファルトの下へ歩み寄った。

 カイトの顔を見る限り、納得できなかったのがよく分かった。目の前に殺人犯がいるのに、何もさせてくれない事が腹立しい。そう感じたのだろう。

(あんたがやることじゃないの)

 ここには居ない彼に諭すように笑みを浮かべた後、自力で立てないファルトの胸倉を掴み、無理矢理立たせる。

「な……ぜ……?」

 彼が口を開き、問い掛けてくる。『何故』の続きに何か繋げようとしているが、口から洩れる血によってそれも遮られた。それ程に、口内に血が溜まっていたのだ。

 途中で言えなくなっても、彼の聞きたいものは、大体察しがついている。

「ミストによる、人体の影響は軽い体調不良程度、だと思いました? 残念ながら、違います。悪魔は最も重い罪を犯した者に好意を示す。そして、仲間に迎え入れようと全身の血を抜こうとする」

 ありもしない事を淡々と告げていく。すると、みるみるうちに彼の表情が苦渋に歪んでいき、何か言おうと口を開いた。しかし、クリスは胸倉を捩じ上げる力を強める事で、それを許さなかった。

「罪人に発言権はないですよ」

 悲しげにこちらを見つめてくるオルダに、「仕方ないんです」、と小さく呟き、空いた手で拳を作る。

 一息を吐いたと同時に、彼の顔面目掛けて、自らの拳を叩き込んだ。

彼の体は後ろの壁に派手に叩きつけられ、力無く床にずれ落ちた。意識が朦朧としていた彼は気を失ったのだろう。それ以降、動くことはなかった。

 クリスは殴った手を軽く振り、付いてしまった血を払う。次に、深く息を吐くと強めに手を叩き、大きな音を部屋に響き渡らせた。

「さすが姐さん、清々しました」

 セレカティアは眉間に皺を寄せ、項垂れるファルトを足のつま先で小突く。そんな彼女の襟首を引っ張り、距離を取らせる。したくなる気持ちは分かるし、許されない事をした。だが、意識を失った人間に追い打ちする事をよしとは教えていない。セレカティアには、真っ当な還し屋の姿勢でいてほしい。

「はい、終わり終わり。もう、気が済んだでしょう? ……オルダさん」

 傍に居たオルダを振り返り、左右に首を振る。

「死んでしまってもなお、彼を想うのは構いません。ですが、この事態を引き起こす前に止めてあげられなかったのは、貴女の罪でもあります」

「…………」

 言葉を発する事もなく、俯く彼女。悔いているのだから、これ以上、責める訳にいかない為、机の近くで立ち尽くしていたミリに視線を移す。

「ミリちゃん、大丈夫?」

 すると、ハッとした様子で体を震わせ、ミリはこちらを振り返ってきた。彼女は重い足取りで歩み寄ってくると、気を失っているファルトに怒りの視線を向ける。

『私、彼を許しません』

「ぶん殴っておいたんだから、もう気にしないで」

『ですが――』

 食い下がってくるミリだったが、クリスは彼女の顔の前に人差し指を立てさせ、発言を遮断する。

「これは生きてる人が終わらせないといけないの。ミリちゃんは生きてはいるけど、体はどこかにあるだけで、不安定よ」

『……はい』

 顔を顰めさせ、俯くミリの頭を撫でるように手を動かしていると、書斎のドアが開く音が聞こえてきた。それを聞いた彼女は、すぐに俯かせていた顔を上げ、少しだけ晴れた表情を浮かべさせる。

『カイトさんでしょうか?』

「違うわ」

 屋敷から警官が居る場所はそんなに離れてはいないが、数分で往復出来るような距離ではない。そう考えると、ここに来る者はただ一人だ。

「もう一人の、責任を持つべき人。ですよね、ヴァールさん?」

『え……?』

 彼女の驚愕の声を聞きながら、書斎に続く通路を振り返る。すると、ヴァールが慣れた動作で通路を通り、その後に礼儀正しく、クリスに向けて頭を下げてきた。

「お気づきでしたか、クリス様」

「分かりますよ。貴方の視線、時々ミリちゃんに向けてた」

 それに、と続け、自分の右こめかみを数回叩く。

「そのシミ、老化によるものじゃないですよね。傷でしょう?」

『傷――還し屋のですか?』

 セレカティアが「あぁ……」と自分の目の周辺をなぞり、納得したように数回小さく頷く。

「確かに、傷ならそれくらいの大きさ、ね」

『どれくらいの大きさなのか分かりませんでしたが……ここまで』

「だからこその手術よ」

 クリスは小さく笑みを浮かべ、そんな彼女からヴァールへと視線を戻すし、目を細めさせた。

「四年間、ファルトが執事やメイドに手を掛けるのを見ていたんですか? 何故、一人目で通報しなかったんですか? 名誉の為ですか?」

「今となっては、後悔しております。こうなる前に、正体をお伝えなさっていれば……」

 気を失っているファルトに目をやり、沈んだ口調で語るヴァールだが、何も知らない一般人にミストの正体を伝えるのは禁じられているし、重罪だ。そんな事、彼も重々承知なはずだ。

「余生を牢獄で――ですか」

「妻を亡くした今では、この世に未練などございません。自宅で妻の姿をしたミストを視た事で、今までの行いが二度に渡って殺すと分かってしまい、私は還し屋を辞めました。自分がしてきた行為は、とても軽率なものでした。クリス様は何故、正体を知りながら還し屋を続けおられるのですか?」

 ファルトからこちらに視線を戻した彼は、理解し難いと言わんばかり見据えてくる。そんな彼の言葉に、クリスは首を左右に振った。

 二度に渡って殺す。そういう風に思った事など、一度も無い。自分を返し屋に導いたある人の考えが、今の自分の考えを形成させていると言ってもいい。

「ヴァールさんの気持ちが分かります。実際、そう思い、辞める人を何人も見てきました。ですが、こう考える事が出来ます」

 人差し指を立て、笑みを浮かべてみせる。

「人を救うんです。放っておけば、半永久的に存在し続ける存在を、次の命に生まれ変わる手助けをする。そう考えられる筈です」

「救う、ですか」

 ヴァールはオルダに目を向けるなり、そう呟いた。

 オルダは悲しみ表情の中に、綺麗な笑みを作り、手を動かし始める。その動作は、ただ動かすのではなく、一つひとつが意味を成しているように見えた。それが、手話である事を、一瞬遅れて気付いた。

「奥さん、耳が」

「ええ、オルダ様は御幼少の頃に、御病気によって音を奪われてしまいました。ミストとなった今では、音を聞く事が出来る様ですが、言葉を出すのが慣れていない為に手話で話しております」

 そう告げると、彼女と同じように、慣れた手付きで動かしていき、何かを伝える。手話を取得していないクリスは、彼らが一体どのような会話をしているのか把握出来ないで居たが、オルダの表情が和らいでいくのを見る限り、悪いものではないようだ。

 ヴァールは一つ息を吐くと、苦笑する。

「私にも、貴女のような考えが出来ていれば、妻を安らかな気持ちで還せたでしょうね」

「そう思っていただけるだけで十分です。オルダさん」

 クリスはオルダを見る。

「心の準備はよろしいですか?」

 心優しい彼女だが、ミストである以上、いつまでも存在している訳にはいかない。そこに居るだけで、どんな人であろうとも、他に悪影響を与え続ける事になってしまう。それは拭えられない事実だ。

オルダは返事する為に、手を動かそうとしたところでクリスに手話が伝わらない事に気付き、慌てて手を元の状態に戻す。そして、躊躇いがちに口を開いた。

「すみませ……んでした。あり、がとう……ございます」

慣れない様子で言う彼女に、クリスは笑みを浮かべさせ、ゆっくりと右手を上げる。しかし、それをヴァールがクリスの手を掴む事で止めた。

「いえ、ここは私にやらせていただけませんか?」

「え?」

「今なら、救う気持ちというものが分かります。どうか、お願い致します」

 頭を下げてくる彼に、困った様子で頬を掻いた後、彼の手を離して一歩下がる。

その動作を見たヴァールはもう一度、深々と頭を下げると、オルダの方を向き直った。

 オルダはヴァールに向けて笑みを浮かべさせ、口を開く。

『ありが、とう……ヴァール』

「こちらこそ、今までありがとうございました」

 ヴァールは今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、手を差し伸ばした。

彼の数十年、それはノムシアーナ家の為に尽くしていた。その中でも、オルダに対して、絶対的な信頼を寄せていたのかもしれない。女性ではなく、家族として愛情を抱いていたからこそ、あの様な表情を浮かべているのだろうか。

(嫌なものだね。別れって)

 クリスはこれから行われる別れの儀式を、逸らす事無く見届けた。

 生まれ変わったオルダが、再び彼に会えるのを願って。

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