第18話 笹山村るるは、恋をする

 そしてその日の放課後。

 僕は田中々と帰ろうとしたが、それは出来なかった。


 笹山村さんが僕の所まで来て、僕に相談したいことがあると言うのだ。


「今日でなくてはダメなのですか?」


 田中々はそう言って、笹山村さんに確認を続ける。

 まるで、自分も用があると言わんばかりに。

 だけど、笹山村さんも特別な用事があるらしかった。


「うん。ごめんね、田中々さん。どうしても、今日話したくて」

「私が一緒にいてはダメな話なのですか?」

「そこまで言われると、その」


 チラリと田中々が僕を見る。

 僕は、どうすれば良いのだろうか。


「いえ。別に良いです。ただ、お話が終わった後、健太郎君は私と帰ってくれますか? 怖いんです。一人でいると、死体が」


 そこまで聞けば、田中々の心境が痛いほど、分かった。

 思い出してしまうのだろう。

 田中々とは帰り道が方角的に一緒で、途中までは並んで自転車で帰ったりもできる。

 実際、ガオちゃんと三人で駅まで行って、それから二人で帰るのが、日課にもなっていた。


 そして怖いのは、僕も同じだ。

 どんなホラー映画よりも酷い、圧倒的なトラウマみたいなものが、あの遺体を見たことで生まれている。


 田中々の心情を察したのか、笹山村さんが慌てて言った。


「う、うん。ごめんね、田中々さん。すぐ済ませるから」

「はい」


 僕らは話が出来る場所を求めて、歩く。

 多目的室は複数あるが、どこも勉強をする生徒や、集まってお喋りをする生徒で埋まっていた。

 図書室には無範智恵理がいるだろうし、笹山村さんがいるとなればハイパーと化して話の邪魔をしてくるだろう。

 体育館裏も、どこもかしこも運動部が練習していたりと、今日に限って人がいない場所がない。

 唯一人がいないのは、駐輪場くらいの物だったが、割と誰かに聞き耳を立てられる可能性がありそうで、躊躇した。

 田中々と出会った時のように、突然誰かが背後に現れる可能性もある。

 そこで、僕らは学校の外へ出ることにした。


 僕らは校門を出ると、正面にある小さな公園を見る。

 

 シーソーとトイレしかない、公園だ。

 自転車の僕らと並走して駅までたこ焼きを食べに行くと言い張った、4月のガオちゃんを思い出し、少しだけ懐かしく思う。

 ここならば、誰かが来ても遠目で分かるだろうし、声の大きさを調整して田中々に公園の外で待ってもらえば、言いにくい話も出来るだろう。


「ここで良い?」

「うん。それでね、相談事なんだけど、実は、困ってて」

「何かあったの?」


 笹山村さんは、しばらく言いにくそうに黙っていたが、しばらくして、僕に打ち明けてくれた。


「告白されたの」

「告白?」


 胸がズキンと痛み、知らずと汗が噴き出た。

 いや、気温自体高いのだけれど、そういう意味でもなく、ただ、笹山村さんの相談内容がショックだったのだ。


「誰に?」


 僕が聞くと、笹山村さんは信じられない名前を出した。


「外貝君」

「え?」


 理解が追い付かなかった。


「外貝君って、同じクラスのだよね」

「うん。内野之さんと付き合ってるはずなのに。昨日、ちょっと、しつこいくらい私にいろいろ言って来てて。手紙とかも渡されて」

「手紙? 何で、そんな? あいつは内野之さんと別れたわけじゃないんだろ?」

「そうみたい。でも、とにかく好きだって、言ってきて」


 意味が分からない。

 内野之はどうしたんだ? 本命は笹山村さんで、内野之はどうでも良いとでもいうのか?

 僕の心は怒りに燃えていた。

 内野之を――恋人を、そんな適当に扱う奴がいるか。


 元気だったころの内野之を思い出し、歯を食いしばる。

 やっぱり、外貝は許せない。

 いつか、必ず決着をつけなければ。


 それに。

 笹山村さんが告白されたと聞いて、すごく嫌な気持ちになった。

 多分、僕は笹山村さんのことが好きなのだろう。

 そう自覚すれば、想いは強くなっていた。


「私、外貝君は苦手。あの人といると、嫌なことを思い出すから。手紙も捨てちゃったけど、気持ち悪くて読めなかった」


 笹山村さんがそう言って、僕の目をじっと見る。


「宝田君。私、男の人が苦手。でもね、宝田君だけなの。宝田君は、平気なの。だから。私、宝田君と、その。良かったら、私と……」


 その時、田中々が手を振って合図しているのに気づいた。

 どうやら、人が近づいてきているらしい。

 

「ちょっと待って、笹山村さん」

「え?」

「誰か来るみたいだって、田中々が」


 言いながら、僕らも気づく。

 それは、陽気に鼻歌を歌いながらやって来るお爺さんで、手にした洗剤の入ったバケツを見る限り、どうやら清掃のために公園のトイレに行くらしかった。

 そのまま近づいてきたお爺さんは僕らの姿に気づき、にっこりと笑う。


「今から掃除なんだけど、トイレは使う?」

「いえ、僕は大丈夫です。笹山村さんは?」

「私も大丈夫」


 それを聞くと、お爺さんはさらに笑った。


「いやぁ、参っちゃうよ。ここのトイレ、普段から誰も使わないでしょ? いつ掃除しに来たって綺麗なんだもん。こんな公園じゃ子供だって遊ばないし、ねぇ」


 それだけ言うと、お爺さんは「さーてと。じゃあ、磨いてこようかねぇ」と言いながらトイレに入っていった。


「ごめん、話の途中だったね」

「うん。でも、今は、その」


 口ごもる笹山村さん。

 確かに、雰囲気がぶち壊しになった。


 そして僕は、伊藤巻の事を考える。

 あの日。僕が伊藤巻と歌玉を助けなかった日の言葉を思い出してしまったのだ。


『あの、さ。宝田君って、彼女とかいるの?』


 同時に、田中々の『モテて良かったですね、健太郎君』と言う言葉も思い出したが、今は良い。

 ただ、結果的にとは言え、伊藤巻と歌玉が酷い目に遭うのを止められなかったことを思い出し、いなくなってしまった伊藤巻が酷く心配になった。

 今、伊藤巻はどこにいるのだろう。

 何をしているのだろう。


「宝田君?」

「あ、ごめん。ちょっと考え事」


 鼻歌が聞こえる。

 きっと、掃除をしているお爺さんの物だろう。

 女子のトイレを掃除し終えたらしく、お爺さんは男子トイレに入ろうとしている。

 そして。


「ぎゃあああああ!」


 お爺さんの、悲鳴に、僕らは顔を見合わせた。


「何? 今の」

「お爺さん?」


 僕はとっさに駆け出し、トイレへと近づく。


「待って、宝田君! 何かあったら、私……!」


 僕は待たなかった。

 公園の外にいた田中々が走って来るのも見えたが、それよりも、お爺さんが心配なのだ。

 僕は自分のカバンを盾のように掲げると、恐る恐る、男子トイレの中を見た。


 お爺さんは、無事だった。

 腰を抜かしているようで、ひくひくと這うようにこちらに歩いてきたが、いったい何があったのだろうか。


「お爺さん、大丈夫ですか!」

「あ、あれ。あれ。あれ」


 お爺さんは呂律ろれつの回らない声でそう言いながら外へ抜け出し、入れ替わるように僕はトイレに入る。

 しかし、僕は中にあったを見た瞬間、心が冷えて、全身から血の気が抜けていくのを感じた。

 事実、信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。


「い、伊藤巻……!」


 それは伊藤巻だった。

 衣服は何も身に着けておらず、切断された四肢を周囲に散らかされていた伊藤巻が、トイレ奥の壁にもたれかかっていた。


 こちらに向いている虚ろな目。

 口から糸を引いている赤い線。


 間違いなく、死んでいた。

 死んでいるに違いなかった。


 二度目の死体。

 一度目が腐乱死体だったからか、僕は幾らか冷静にその伊藤巻を観察していた。


 いや、もしかすると、現実逃避をしていただけなのかもしれない。

 これは伊藤巻ではなく精巧な作り物で、誰かが作ったフィクションなのだ。

 そう思いたくなるほど、それは異様だった。


 腕は二の腕から消失し、足は太ももから先が無い。

 それらはまるでゴミの様に周辺に転がっている。


 死体の背後から、何か翼のようなものが広がっているが、あれは何なのだろう。

 張りぼてで出来た簡易な作り物の様だったが、伊藤巻が天使か何かの様に見える。


 ふと、伊藤巻の首から下――体の前後が逆になっていることに気づいた。

 服を着ていないのならば本来見えるはずの胸がなく、へそもない、凹凸の少ないつるりとした背中がこちらを向いているのだ。

 切れ目が見えることから、頭は切断された後で前後逆にして首に乗せられているのだろう。

 よく見れば、ひもで、乱雑に首が縫い付けられているのも分かった。


 だが、それよりも強烈な違和感は伊藤巻の下半身にあった。

 伊藤巻の股間に、が生えているのだ。

 それは上向きにそそり立ち、テラテラと光っていた。が、あくまで作り物の様である。


 伊藤巻は女の子なのだ。

 そんなものが生えているわけがない。

 思わず注視してしまって数秒。僕は、伊藤巻の股間に在るはずのない物が、どのようにして生えているのかを知った。

 前後が逆ということは、尻も前にあると言うことで、つまり……


 体勢からか、こちら側に下半身を突き出すようにして壁にもたれている伊藤巻の、の根元を想像した瞬間、急激に現実感が襲って来た。

 床を汚している粘ついて乾いた赤い液体。それらを知覚すると同時に、錆混じりの腐臭が鼻に触れる。

 僕はそこでようやく吐き気を感じ、えづいた。


「うっ、ぐ」


 胃から上がって来たものを、必死に飲み込む。

 吐くわけにはいかない。

 僕は気を強く持とうと顔を上げて、小さく首を振る。

 瞬間、すぐ横の壁に、張り紙がしてあるのが見えた。


『互いに思うことをひとつにし、高ぶった思いを抱かず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。』


 また、あの切り抜きの寄せ集めのような文字である。

 ふとその時、僕は背後に気配を感じて振り返った。


 失敗である。

 僕は自分の事で手いっぱいで、他の人を気づかう事を忘れてしまっていた。

 笹山村さんを。

 笹山村さんがトイレに入り、僕の後ろで伊藤巻の死体を見てしまっていた。


「い、伊藤巻、さ、ん」


 笹山村さんはトイレの床にへたりと座り込む。

 顔面は蒼白で、今にでも死んでしまいそうな顔で伊藤巻の死体を見ている。

 続けて田中々がトイレに入り、伊藤巻に気づくと、うっと呻いた。


 ダメだ。

 みんな、こんなところにいてはいけない。


「た、田中々。笹山村さん。早く、外に」


 僕らは外に出る。

 そして、僕は伊藤巻を助けることが永遠に出来なくなったことを知った。

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