~2000年 5月30日 火曜日

第17話 新郷禄香苗は許さない

 2000年、5月26日。金曜日。


 薬師谷悦子の遺体があった場所で、その場にいたほぼ全員が恐慌状態になっている中、田中々が僕の携帯電話で警察を呼んだ。


 今後、僕らがカラスを見て、好意的に思うことは二度とないだろう。

 ハエもそうだ。

 きっと、黒と言う色を見れば、僕らはあの遺体を思い出す。


 それにしても、あの新郷禄先輩でさえ吐き、全く動けなくなってしまった中、冷静に動けていた田中々は、何者なのだろうか。


 分からない。

 ただ、結局は田中々も嘔吐して、警察に保護された時にはほとんど動けない状態になっていたので、ロボットでも忍者でもない、普通の人間であることに疑いは無いのだけれど。


 僕らは警察に保護され、事情を聴かれたが、僕はある程度は正直に答えた。

 25日に、そこで複数人で言い争いをしたこと。

 その時にも、鳥の頭をした物体を見ていたこと。

 その時、一緒にいた伊藤巻が行方不明になっていること。

 同じく行方不明になっていた薬師谷先輩の所持品がその場所に落ちていたこと。

 手掛かりを求めて、再び訪れた時に、鳥の頭をした物体が人の死体であることに気づいたこと。


 言わなかったのは、喧嘩の原因となった笹山村さんが伊藤巻と歌玉にされていたこと。

 伊藤巻と歌玉が薬師谷先輩にされていたことだ。

 本来ならば言うべきだったのは分かっている。

 だけど、歌玉と伊藤巻、それから笹山村さんを守りたかった。

 ただ、それだけのために僕はその件に関することを隠したのだ。


 一方で、精神的ショックが大きく、僕らは多大に消耗していた。

 無理もない。

 あそこまで損壊して、腐敗した人間の遺体を見てしまった。


 一番酷かったのは、意外なことにガオちゃんだったらしい。

 保護されてからはずっと泣いていて、全く話が出来なかったと言う。


 とにかく、僕ら子供にできることは、死体を発見した時の状況を説明するくらいの事で、僕らは心のケアが必要と判断された。

 それでも翌週の月曜日、5月29日には自宅に戻り、30日には学校に登校した。



 その日は、朝から酷く暑さを感じていた。

 最高気温は朝のニュースでは30度を超えるか超えないかくらいらしい。

 5月の終わりにして夏の到来を感じさせている。


 空は青くて、普段ならばわずかに浮き出た汗に風を受けて、爽やかな気分を味わっていたに違いないが、それは不可能だった。

 この暑さで思い出すのは、腐敗した遺体のことしかない。

 頭がそれでいっぱいだった。

 しばらくは忘れることは出来ないだろう。


 登校すると、笹山村さんが待っていた。

 いつかのガオちゃんの時の様に、待ち伏せしていたのかとも思う。

 ただ、下駄箱で僕を待つその姿に、僕は怯え切った自分の心が平静を取り戻していくのを感じていた。


「宝田君。大丈夫?」

「う、うん。笹山村さんも、体の方は」

「私は平気。それより、宝田君が心配で。顔色も悪いし」


 笹山村さんが僕を心配してくれている。

 そう思うだけで、涙があふれそうだった。


 そして唐突に自覚したのだけれど。

 もしかすると、僕は笹山村さんが好きなのかもしれないと思う。

 それはいわゆる恋と言う奴で、友情とか、そういう物とは少し違う。

 小さな肩をした、儚げだけども強く、優しいこの子といると、僕は心の平穏を取り戻すことが出来るのだ。


「それと、ね。ちゃんとお礼を言いたかったの」

「お礼?」

「うん。今の、このタイミングで言うのはちょっとおかしいかもしれないけれど。でもね、言いたいの」


 笹山村さんは言った。

 静かに、精いっぱいの笑顔を見せて。


「助けてくれて、ありがとう」


 僕は笹山村さんを助けることが出来たのだろうか。

 笹山村さんが無理をしていることは、分かっている。

 きっと、自分の事なんかそっちのけなのだ。

 遺体を見つけて憔悴しきっていることを隠せなかった僕を、元気づけようとしている。

 それが理解できれば、嬉しいと思う以上の感情を持ってしまうのも仕方がない。

 多分、僕は笹山村さんが好きなんだ。


「ありがとう、笹山村さん」

「うん。あのね、私……私ね。また、心から笑えるように頑張るから。私は、宝田君に」


 そこまで行ったところで、僕の背中を殴打する者が現れた。


「ラブコメは禁止だっつってんだろ!」

「智恵理ちゃん?」


 笹山村さんが口に手を当てて驚き、僕は痛みで悶える。

 信じられないくらい痛かった。

 振り返ると、教科書を詰め込んだと思われるカバンを振り回している無範智恵理がいる。


「無範、お前……」

「何だよ! お前がボクのルルちゃんをかどわかそうとしてるからだろうが! ルルちゃん、ダメだよ! こいつはケダモノなんだ! 男子はみんな性欲の塊なんだよ! 気を許しちゃダメだ!」


 言いたい放題である。

 かどわかす、なんて言葉を使う奴なんか初めて見たぞ。

 ハイパー無範め。


「言ってることも滅茶苦茶だし、いきなり殴るなよ」

「きゃあ! 近寄らないでよ、この変態! どエロ!」


 意味が分からない。大声で何てことを言うんだ、こいつは。

 いくら何でも酷すぎる。

 ふと、無範の後ろに黙ったまま立っている田中々の姿があるのに気づいた。


「……田中々?」


 田中々はボソリと何かを呟いたが、それが何を言ったのかは聞き取れなかった。



「健太郎君、少し良い?」


 昼休み、新郷禄先輩が訪ねて来た。

 どよっとクラスが色めき立つのが分かる。

 無理もない。

 遺体発見時に嘔吐していた時でさえ、新郷禄先輩の美しさは変わっていなかったのだ。

 それほどの美しさを持つ先輩が、突然に現れたのである。


「何ですか?」

「少し、話をしたくて。歌玉紗枝は?」

「欠席です。ショックが大きかったみたいで。ガオちゃ」


 ガオちゃんと言いかけて、「石母棚さんも欠席です」と言い直す。


「そう。相当なショックを受けていたものね、あの子」


 ガオちゃんをあの子呼ばわりするのも流石だと思う。

 とは言え、僕は席を立った。

 話がしたいとなれば、僕の教室ではなく、

 と、ちょうどそこへ夢川田と田中々がやって来る。

 どうやら遠目で見て、急いで来たらしい。


「新郷禄先輩。夢川田です。私も話があります」

「あなたも? 良いわ。行きましょう」


 僕らは歩き、呼び出しの際に集まった、多目的室に到着した。

 中には数人の先輩たちが昼食をとっていたが、新郷禄先輩の顔を見るなり、いそいそと弁当を持って多目的室を出ていく。

 どうやら、新郷禄先輩は他人に避けられる口らしい。

 とんでもない美人ではあるが、やはり、薬師谷先輩の仲間であったりするからなのだろう。

 と、会話をする状況が整ったようだ。


「まず初めに言っておきたいのだけど。あなたたちが黙っていてくれて嬉しい。もちろん、歌玉紗枝と、伊藤巻信子が、薬師谷悦子にされていたことだけど」

「はい。正直、言うか迷いました。でも。もし私だったら、誰にも知られたくないと思って」


 夢川田が神妙な面持ちでそう答える。

 新郷禄先輩は頷き、それに同意した。


「そう。あれは人に知られれば、ていのいい玩具にされるわ。弱みにされかねない」

「ええ。世の中には、人を好機の目で見て、平気で指をさす人たちがいますからね」


 そう言った夢川田は、ため息をついた。


「その人に欠点があれば何をしても良いと思う人は、どこにでもいますから」


 田中々が頷いて、夢川田に言った。


「分かります」


 それだけだった。

 他に何か言う事は無いのだろうかと待ってみたけれど、そう言うわけでもないらしい。


「ところで夢川田さん、話って?」


 僕は夢川田に発言をうながした。

 夢川田は、「ええと」と言い、続ける。


「私の叔父が警察官なのは、宝田君には前に話したと思うんだけど。それで、その叔父さんから、色々聞けたことがあって」

「聞けたこと? 殺人事件のことで何かわかったことがあるの?」

「はい。新郷禄先輩は知りたいんじゃないかなと思って。まだニュースでは遺体の身元は報道されて無いので」


 遺体。

 正直、昼ご飯の前に思い出したくはない。

 だけど、夢川田はポケットから手帳を取り出すと、若干顔を青ざめながらも言った。


「遺体は薬師谷悦子さんの死体で間違いなし。でも、腐敗と損壊が酷かったらしくて、死亡推定時刻がまだわからないらしいの。バラバラになった手足と首から、完全に他殺であるとは断定されたけれど。鳥の頭は作り物で、切断された首に、縫い付けられるように付けられていたそうで」


 想像すると吐き気が襲ってきそうだった。

 夢川田の顔は、僕よりもキツいように見えるのだけれど、どこか気丈にふるまっている。


「まるで悪夢ね。妖怪か何かの仕業にも思えるけど」


 新郷禄先輩がファンタジックなことを言った。

 が、それまで黙っていた田中々が「そうですか?」と口にする。


「私はそうは思いません。これは人の手によるものだと思います」


 夢川田がそれに同調した。


「私もそう思います。叔父さんが良く言うんだけど、不思議なことは確かにこの世界にはいっぱいあって、説明出来ないことも確かにあるけれど、それでも徹底的に調べれば大抵は人の仕業だったって。それに今回なんかは、近くの地面に台車の車輪の後が見つかったらしいから」


 そこまで聞いて疑問に思った。

 おかしい。

 夢川田が詳しすぎる。


「あのさ、夢川田。何でそんな事まで教えてもらえたんだ?」

「実は、時々、叔父さんの手伝いをすることがあって。詳しくは言えないんだけど。ただ、姪とは言え、高校生にこんな事を漏らしてるなんて知れたら、叔父さんが処分を受けるかもしれないし。内緒にしてね」


 夢川田はそう言うと、顔色の悪い新郷禄先輩の顔を見て、謝った。


「ごめんなさい。お昼の前にする話じゃなかったですよね」


 それはさっき僕も思ったけれど、当たり前だ。

 あの腐った匂いを思い出すだけでも吐き気が襲ってくる。

 だが、先輩は表情を険しくしているのは、吐き気だけではなかった。


 先輩は「いや、良いよ。ありがとう、夢川田さん」と言うと、こんなことを言うのだ。


「私は、私の仲間を傷つけた者は誰であろうと許さない。悦子は、私を裏切ったとはいえ、私の仲間だった。小さな頃からの友達で、中学校も一緒で、私の腹心的な存在だったと言って良い。だから、良く知っている。確かに、悦子は恨みを持たれるタイプだったけれど、だからと言ってその悦子が殺されたのは許せることではない。他殺と言うのなら、私を敵に回したがっている奴がいると、私は判断する」


 それは、復讐に燃える女神の様だった。

 容姿の美しさも相まって、神話の登場人物にも見える。

 ふと、夢川田が思い出したかのように、言った。


「伊藤巻さんは、まだ見つかってないんですよね?」

「ええ。私が今、一番恐れているのはそれなの。ただの家出であって欲しいけど。でも、私は嫌な想像しかできない」


 実際、その通りだった。

 僕の頭の中も、伊藤巻の無事なイメージが何一つとして湧いていない。

 僕らは伊藤巻の無事を願ったが、それは叶うのだろうか。


 分からない。

 ただ、僕らに出来ることはほとんど無い。

 警察の捜査が進めば、きっと犯人も見つかるのだろうか。

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