第16話 特別なあなたへ
「さて、話をしましょうか? 時間もないので、出来るだけシンプルに」
歌玉紗枝は動かない。
姿勢を正し、頭を下げたまま微動だにしていない。
だが、それでも全身を湿らせている汗は、僕らが見ている背中からでも、十分に見て取れた。
ふいに、笹山村さんが言っていた言葉が甦る。
彼女と出会った時の話だ。
『新郷禄先輩って人は、私の憧れなんです』
確かに、見た目だけなら憧れるのも無理はないなと思う。
高貴さ、清純さ、美しさ、その全てが体現したような人なのだ。
歌玉を精神的に追い込んでいるような今の状況でさえ、その美しさは変わらない。
事実、僕らは圧倒されていた。
新郷禄先輩は、あまりにも妖艶なのだ。
だが、騙されてはいけないと僕は自分を強く保つ。
この先輩は、あの薬師谷先輩の仲間なのだ。
きっと、見た目からは想像も出来ないような邪悪な一面を持っているに違いない。
そう恐れる僕の目の前で、新郷禄先輩が言葉を口にした。
歌玉の後ろにいた僕らへ向けて。
「そんなに警戒しないで欲しいな、宝田健太郎君。君の事も紗枝からすでに聞いている。伊藤巻信子がいなくなったのでしょう? 私が紗枝を呼び出したと言うのも、そこに関係しているの。タイミング的に今日にもなったのは偶然だけど」
心の底を揺さぶって来るような声だった。
新郷禄先輩は、声でさえも美しい。
「しかし、昨晩、紗枝から聞いていた話では、紗枝がここまでの人数と一緒に来るとは思わなかった。もちろん、一人ではなく複数人で来ると思ったのは私の想像でしかなかったのだけど。ねぇ、教えて。どうしてこれだけの人数が紗枝を助けに来たの? 昨日、紗枝とは一騒動あったばかりなのでしょう?」
「それは、はい」
「それでも来たのね? どうして? 紗枝は、笹山村るるに酷いことをしたのではないの?」
僕は言った。
「歌玉が助けてと、俺達を呼んだからです。歌玉も薬師谷先輩に酷いことをされてたって知ったから、こうせずにはいられなかった。笹山村さんも助けたいと言って、一緒に来ています。彼女は、強くて優しい人間なんです」
「そう。それは簡単に出来る事とは思えないけれど、でも、まぁ、良いわ」
新郷禄先輩は歌玉に言う。
「紗枝。勘違いしないで欲しいのだけれど、私は別に叱責したくて
新郷禄先輩はスッと立ち上がり、歌玉の元まで歩くと、その顔に触れた。
「泣いていたのね。可哀そうに」
歌玉が再び泣く。
まるで、母親に泣きついた子供の様だった。
「あ、
「許す? 私は貴女も
新郷禄先輩は、そう言うと歌玉の頭を撫でて、背後にいた僕らに顔を向ける。
「笹山村るると言うのは誰?」
「わ、私です」
笹山村さんが名乗り上げる。
そして、新郷禄先輩は「あら?」と言った。
「どこかで見たことがある。どこでだったかしら」
「あ、あの、私。先輩と同じ中学出身です。一回だけ、話したことがあります。あいさつ程度でしたが、その……私、新郷禄先輩に憧れてて、どうしても、またお話したくて」
複雑な顔をして聞いていた新郷禄先輩は、笹山村さんの顔にも触れた後、抱きしめた。
「ごめんなさい。貴女の人生を滅茶苦茶にしてしまった。いつか。絶対に償うから」
「先輩……」
これらの光景を見て、僕は肩の重荷が外されていくのを感じた。
多目的室に入る前は、ガオちゃんが言っていた様に、対決になる可能性も考えていたのだ。
新郷禄先輩はしばらくして笹山村を離した後、僕らに言う。
「ダメ元であなた達にも聞いておきたいのだけど、薬師谷悦子の居場所を知っている人はいる?」
「えっ、薬師谷先輩もいないんですか?」
歌玉が驚いていたが、僕らにとっても意外だった。
新郷禄先輩が「ええ」と返事をして、続ける。
「十日ほど前から連絡が取れないし、学校にも来てないの。紗枝は最後に連絡を取ったのはいつ?」
「私もそのくらいです。お金が必要だって言ってました。伊藤巻と
だから、歌玉と伊藤巻は田中々にもさせようとしていたのか。
思った瞬間。新郷禄先輩が目を細めて笑ったのが見えた。
だが、楽しくて笑っているわけではないのは、誰の目に見ても明らかだった。
「薬師谷悦子がただ家出をしたのなら、私と連絡を絶つ理由がない。にも関わらず、連絡がつかないのは、私に後ろめたい事をしていた自覚があるんでしょうね。何のためにお金を集めていたのかまでは分からないけれど」
一度言葉を切って、新郷禄先輩は言う。
「私が恐れているのは、伊藤巻信子が薬師谷悦子と一緒にいて、また望まない金稼ぎの道具とされていることよ。私には、我慢できないことが二つあるの。仲間に裏切られることと、私の仲間を傷つけられること。私は、私を裏切り、私の後輩たちを傷つけた薬師谷悦子を決して許さない」
本能が危険を知らせてくるような、ゾクッとするような言い方だった。
やはりこの新郷禄と言う先輩も、只者ではないと思う。
と、その時、歌玉が言った。
「そう言えば、昨日、林の中で見つけたこれを見つけました。とっさに拾って、ポケットにしまったのですが」
歌玉はポケットからおもむろに何かを取り出し、新郷禄先輩に見せる。
そこにあったのは、髪留めだった。
「悦子が付けていたものと一緒ね」
「はい。林の中で落ちてるのを見つけて。見覚えがあったので、つい拾ってしまいました」
「そこまで劣化していないところを見ると、ここ最近の落とし物かしら」
先輩の言う通り、金属製のその髪留めに、錆や腐食が見られない。
「これが悦子の物だとしたら、妙ね。聞いたところ、ただの林の様だけど、その場所には何かがあるのかもしれない。今日の放課後にでも行ってみましょうか?」
「え?」
「その林にです。何かが見つかるとは思えませんが、念のために」
昨日の『鳥』を思い出し、またもや得体の知れない恐怖を感じた。
「あの、ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「不審者みたいな人影を見たんです。鳥の頭みたいなのを被っているようにも見えました。遠くて良くは見えなかったですけど。ちょっと怖くて」
歌玉が言い、新郷禄先輩が答える。
「なるほど。一人で行くのは少し怖いわね。じゃあ、健太郎君。悪いんだけど、付いて来てくれる?」
いきなり指名されて驚いた。
「俺ですか?」
「ええ。それと、数人借りれないかしら。紗枝以外に私の仲間はここにいる二年生の
どっちが木場下で、どっちが今井間なのか。
二人が無言で頭を下げて来たので、僕も挨拶をしておいたけど。
新郷禄先輩が言葉を続ける。
「拾った場所も分からないので、紗枝には付いて来てもらおうと思っています。でも、二人だけでは不安だわ。お願い出来ないかしら。無理を言っているのは分かっているのだけれど」
「分かりました。他の人にも付いてきてくれるか、放課後までに俺の方から聞いてみます」
新郷禄先輩は「頼んだわよ」と言い、昼休み終了のチャイムが鳴った。
。
放課後、林に付いて来てくれたのはガオちゃんと田中々、それから夢川田だった。
武雅は「悪いんだけど、あんな臭いところは二度と行きたくない」と言い、笹山村さんは今まで相当無理していたのか、体調を崩してしまった。
そして無範智恵理は笹山村さんを家まで送ると言い、一緒に帰ったのだ。
「聞いてはいたけど、すごい臭いね。何なのかしら」
「知らねぇっスよ。近くの工場じゃないっスかね」
ガオちゃんは露骨に嫌な顔をしている。
多分、先輩に付いていくのが僕で無かったら、きっと来なかっただろう。
「夢川田さん。顔色が悪いけど、大丈夫?」
「え、ええ。大丈夫。この臭い、何とかならないかしらね。苦情とか出てないのかしら」
「出ているとは思うけど」
「健太郎君。私はそうは思えません。住宅が周りにありませんからね。通りも遠いですし」
田中々も会話に参加しながら、口に手を当てて吐き気をこらえているようだ。
悪臭が漂っているがこれは本当に何の臭いなのだろう。
頭の中で色々想像したが、まるで分らない。
何しろ、犬の糞よりも強烈なのだ。
牛乳と納豆とチーズとコーヒーと生ごみ――ありとあらゆる臭いをブレンドして放置したような、そんなイメージも沸く。
だが、そんなものを商品として作り出している工場があるとは思えない。
林の中は5月の風が舞う様に吹き、木々に囲まれたこの場所を、臭いがぐるぐると回り続けている。
空は晴れていて、まだ陰りを見せる予兆もなかったが、まるで一種の地獄の様だった。
そんな中を僕らは歩き続け、そして――
「ここです。ここで見つけました」
歌玉が言ったのは、昨日、田中々が突き飛ばされたところである。
「やはり、何もないただの林ね。ここに悦子が来たとしたら、何のため? 誰かに会ったのか、それとも」
独り言が激しかったが、それ以上に気になるのはカラスの鳴き声だった。
昨日の比ではない。
少し遠いが、まさに騒音と言っても良いような量のカラスの鳴き声が聞こえている。
「うるさいな。どこにこんなカラスがいるんだよ」
イラついたガオちゃんの声につられ、カラスの鳴き声が聞こえてくる方角を見た。
瞬間、腰を抜かしかけた。
また、あの鳥の被り物を付けた人間がいるのだ。
「先輩、あれです! 俺達が昨日見た、不審者みたいなのって」
「あれが?」
僕が指をさした先に、それは確かにあった。
「人なの? あれ」
「そ、そう言われると、自信が」
今日は形が変わって見えた。
近くにカラスが大量にいるので、形が判りづらくもあるのだけれど。
でも、それでも人間だとしたら、あんなに周囲にカラスがいる事があり得るのだろうか。
「行ってみましょう」
新郷禄先輩がそう言い、スタスタと歩いていく。
本気かよと思ったけれど、付いていくしかなかった。
もし、あれが本当に不審者だとしたら、放っておくことは出来ない。
だが、臭いが強烈になるのを感じて、僕はえづいた。
「なんだよ、これ」
新郷禄先輩もウッと呻き、それでも口に手を当てて前に進んでいる。
ガオちゃんと田中々、夢川田も、涙を出しそうなほどつらそうな顔で歩いていた。
そして――
「カラスの山かよ、ここは」
ガオちゃんがイライラした顔でそれを見た。
それは不審者などではなく、黒い鳥の頭をした
ただ、大量のカラスが群がっていたので、それが本当に案山子なのかは判別できそうにもなかったけれど。
ただ、近づいた僕の足元に、ちょっとした大きさの木箱があった。
僕がギリギリ抱えて持ち運べるような大きさの箱である。
悪臭にえづきながらも僕が興味を持ったのは、その箱の
『特別なあなたへ』
その彫ったかのような文字の線は、中学時代の図工の授業で使った彫刻刀を思い出す。
その彫った溝に、何らかの塗料が流し込まれて赤い色が付けられていた。
「ああ、もう、うっせぇな! カラス何て大嫌いだ! どっか行っちまえよ!」
ガオちゃんが案山子に向かって、近くに落ちていた石を投げる。
驚いたカラスが一斉に案山子から逃げ出した。
そして。
「……な、何、あれ」
カラスが離れて分かったことがあった。
鳥の頭をした案山子は、草蒲南高校の女子が着る制服を着ていた。
さらに言うと、この悪臭の原因はその案山子に間違いなかった。
鳥の頭の下――案山子の首元にはウジが湧き、大量のハエがたかっていたのだ。
カラスと共に一斉に空中へ飛んだハエが、その正体を明らかにしたのである。
瞬間。ボタボタと、制服の端からドロドロの物体が落ちた。
腐った肉だった。
内臓の一部なのか、それは節のようなものがいくつかついていて、地獄からやって来た芋虫のようにも見える。
だが、だとすれば、この案山子に見えたものは――
ドロリとした赤黒い液体が、糸を引きながら腐肉の上にこぼれ、地面に流れ出す。
同時に、周囲の枯れ葉や木っ端に紛れて、細かい肉片が散らばっていることにも気づいた。
きっと、カラスが
「な、何だよ、これ。何で、こんな」
げぇ、と言う呻き声と共に、ビチャビチャと水音が聞こえた。
ガオちゃんが吐いたのだ。
夢川田がそれにつられて嘔吐し、歌玉もそれに続く。
吐き終わったガオちゃんが呻き、それから悲鳴を上げた。
「ひ、ひいいいいいい! いやあああああああああ!」
泣きながら叫んだそれが、ガオちゃんの悲鳴とは思えなかった。
ガオちゃんは腰を抜かしたように座り、必死に案山子から距離を取ろうと足をバタつかせている。
そして、僕は。
僕の足元にある木箱の蓋がずれたのを見た。
僕の足が箱に当たってしまったからだ。
特に封などしていない、ただの木箱に見えたが、中にチラリと何かがのぞいていて、僕はその蓋を手に取った。
開けるな、と本能が囁いているが、僕はその蓋を持ち上げる。
そして、開けてから後悔した。
中には、腐敗して黒ずんだ、切断された人間の手足と、それらに抱かれるようにしている人間の頭部が入っていたのだ。
それは目を見開いて僕を見ている。
「や、薬師谷先輩……!」
何故、分かったのか。
その頭部にある髪の毛の色から分かったのか、それとも顔立ちを覚えていたのか。
僕は、その頭部が薬師谷先輩の物なのだと確信した。
そして、蓋の裏側に張り付けられていたと思われる紙がはらりと地面に落ちる。
そこには、新聞の文字を切り抜ぬいて組み合わせたかのような文字が貼られて、文章になっていた。
『欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す』
死。
これは、
人間の死体だ。
紛れもない人の死体が、そこにあった。
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