草蒲市女子高生連続殺人事件篇
2000年 5月26日、金曜日
第15話 だから僕らは決意する
家に帰り、用意された夕食をとった後、入浴をし、自室の布団に潜り込む。
こんな当たり前に過ごしていた日常の一つ一つが、今は酷く辛い。
田中々は僕のせいではないと言っていたが、それでも、自分がもっと上手くやれてればこんなことにはならなかったと言う、自覚がある。
『
僕は伊藤巻達の行為を、ただただ酷いと思っていた。
決して許せされない、許せない行為をしたと、糾弾するはずだった。
しかし、彼女たちも笹山村さんと同じだったのだ。
『田中々さん、ありがとう。宝田君も。その、
出会った日の伊藤巻や歌玉を思い出すと、胸が張り裂けそうになる。
いったい、誰と、どれだけの事を薬師谷先輩にさせられたのか。
今、伊藤巻や歌玉はどうしているだろう。
笹山村さんは、どうしているだろう。
涙が出ている自分に気づき、決意する。
絶対に、二人を助ける。
例え、あの恐ろしい薬師谷先輩に逆らうことになったのだとしても、僕は絶対にあきらめたりしない。
。
翌日。
5月26日、金曜日。
学校に登校した僕は、歌玉と伊藤巻の登校を待つ。
話をするつもりだった。
僕の決意を聞いてもらいたい。
例え、過去の記憶は消えないとしても、傷ついた心も元の状態に戻らないとしても、また皆が笑って過ごせるように。
……しかし、来ない。
いや、7時50分と言う時間を考えれば、いつかのように僕が早く来すぎただけなのかもしれないけれど。
それでも登校時間が来れば人は集まりだす。
最初に来たのは夢川田で、次がガオちゃん。
ややあって田中々が登校し、次が武雅まつり。
廊下を無範智恵理が歩くのが見えて、一緒に来たのか笹山村さんが教室に入った。
笹山村さんのフォローもしなくてはとも思う。
昨日は遅くなったので解散の流れになったが、笹山村さんのこともとても心配だ。
僕はすぐさま彼女の元へと向かった。が、席まで行って顔を合わせたところで、何も言えなかった。
立ち尽くし、数秒。
笹山村さんは泣きそうな顔をして、僕の名前を呼んだ。
「……宝田君」
それだけだった。それだけを言って、笹山村さんは、黙ってしまった。
きっと、何を言えばいいのか分からないのだろう。
僕だってそうだ。
僕は笹山村さんの顔を見ただけで罪悪感で胸がいっぱいになり、言葉を上手く出すことが出来そうにない。
それでも僕は言った。
今、最も言いたいことを。
簡単に、今の僕の気持ちを込めて。
「大丈夫?」
笹山村さんは頷き、しばらく下を見た後、顔を上げて口を開く。
「うん。ありがとう。私……。私ね、帰ってから、ずっと宝田君に会いたかった。宝田君が、私のために色々してくれてたんだなって思ったから。お礼を言いたくて」
素直に嬉しくなった。
思わず涙が出そうになったが、こんな場所で泣くわけにもいかない。
教室に人が集まりつつある。
「私、また笑えるかな?」
笹山村さんがそう言うと、僕は自然に言葉を返していた。
「うん。笑えるよ。きっと」
笑っていて欲しい。
細い指。小さな手。小さな肩。
笹山村さんに傷つかないで欲しいと思うのは、切なる僕の願いだ。
教室が賑わい、僕らはその場を離れる。
遠目で外貝君がこちらを見てつまらなそうな顔をしていたが、今だけは放っておいて欲しい。
席に戻り、僕は再び伊藤巻達を待った。
ホームルームが開始する5分前に歌玉が来たが、伊藤巻は、まだいない。
伊藤巻は渋谷塚が来ても、教室にはいなかった。
渋谷塚は空席になっている伊藤巻の席を一瞥すると舌打ちし、言った。
「クソガキが。連絡が来てねぇぞ。遅刻か? 欠席か? 問題ばっかり起こしやがって。大体な……」
くだらない説教が始まり、伊藤巻の席が空席以外は、いつも通りの朝が始まった。
ためにもならない渋谷塚の話をホームルームで聞き終わると、いつも通り授業を受ける。
1限目。2限目。3限目。4限目。
昼休みになっても、伊藤巻は来ない。
心配する僕のもとに、夢川田とがやって来る。
「伊藤巻さん休みなのかな」
「分からない。来て欲しいけど」
僕はそう返事をしたが、夢川田が僕に言う。
「宝田君が責任感じることないって。落ち込まないでよ」
「でも」
「おいおい、なんだよ、それ。宝田らしくもない。いつも自信満々のあんたはどこにいったの? 昨日のは、みんなで笹山村さんを助けようとした結果じゃん」
武雅まつりがふんふんと鼻を鳴らしてそう言った。
「責任があるなら、みんなにあるって。落ち込むなよ、宝田は」
「そうだぜ、健太郎」
ガオちゃんがケケケと笑う。
「昨日のことが原因だとしても、腹が痛くて来れないのかもしれないしな。殴ったのはオレだし、お前は気にするな」
みんな優しかったが、それはそれぞれが自分に責任があるのかもと恐れているからかもしれない。
でも、今の僕には癒しとして響く。
「ありがとう、みんな」
「何がありがとうだって?」
無範智恵理がやって来た。後ろに笹山村さんがいる。
「へいへい、宝田。お前、調子乗んなよ? ボクはお前を認めないからな?」
「な、なんだよ、無範」
「結局のところ、ルルちゃんを助けたのは親友のボクってことさ。お前は役立たずなんだよ!」
昨日に引き続き、笹山村さんと一緒にいるからか意味不明の強気を見せている無範智恵理。
話している言葉も良く分からない。
まるで暴走状態である。
ふと、この状態の無範をハイパー無範と名付けようと思った。
悲しきハイパー無範。
みんなは扱い方が分かっているのか、彼女の言葉をほとんど無視している。
「笹山村さん。大丈夫?」
「う、うん。みんな、ありがとう」
夢川田が言うと、笹山村さんは少しだけ笑った。
その笑みがぎこちなくても、僕は嬉しい。
しかし、それもわずかな時間だった。
この和やかな空気の中、歌玉がやって来たのだ。
「何だお前は! もうルルちゃんには近づけさせないぞ!」
怒れるハイパー無範は置いといて、僕は言った。
「こいつは気にしないで。ちょうど良かったよ、歌玉さん。話がしたかったから」
「あ、ああ」
歌玉はハイパー無範の怒りに面食らっていたが、僕としては話を続けてもらいたい。
僕が
「あのさ。宝田。昨日言ってくれたよね。助けたいって。力になってくれるって。
「もちろんだよ。何があったって、味方になる」
簡単に答えてしまったが、何を言われようが、意見を変えるつもりはない。
だが、歌玉はそれでも食い下がって来た。
「
確かに、僕に想像出来ることは限られているし、笹山村さんにしたことは許せるものではない。
だけれど、決意したとおりだ。
僕はもう、引かない。
ちらりと笹山村さんを見ると、顔を青くしていて、明らかな怯えがあるように見えたし、武雅や無範なんて不満だらけの顔をしている。
それでも僕は迷わない。
ガオちゃんや田中々の、僕に任せると言った顔。
夢川田の、好きにすればっと言った少し突き放した顔を見て、僕は言った。
「それでも、だよ。力になる」
瞬間、無範智恵理がもの凄い形相で叫ぼうとしたが、ガオちゃんが彼女の口を塞いでいた。
モガモガとうるさかったが、無範の心境を想うと絶対に許容できないだろうことは想像に難しくなかったし、拒否するのも仕方がないだろう。
決意しているのは僕だ。他人に無理強いは出来ない。
「無範さん。良かったらなんだけど、笹山村さんと外れてくれないか?」
「い、良いのか?」
「うん。正直、笹山村さんをもう、巻き込みたくない。これ以上付き合ってもらっても、笹山村さんも辛いと思うし」
だが、それを否定したのは当の笹山村さんだった。
「う、ううん。宝田君。私も。私も力になりたい。だから、手伝わせて」
若干、声は震えていたが、しっかりとした言葉でそれは聞こえた。
が、意味が分からない。
笹山村さんは、言うなれば被害者である。
痛みも苦しみも、全て歌玉達からもたらされたようなものだ。
それなのに、どうしてそんなことを言えるのだろう。
僕が疑問に思い、黙っていると、笹山村さんは言った。
「本当は私も嫌。男の人にされたことを思い出しただけで気持ち悪くなるし、伊藤巻さんも歌玉さんも許せないけど、でも。私、分かったから。伊藤巻さんも、歌玉さんも、私と同じように苦しんでたって。だから……私もみんなみたいに助けたいの」
歌玉はうろたえながらそれを聞き、涙をぼろぼろとこぼした。
「ごめん。るる。ごめん。私……ごめんなさい」
「
紗枝と言うのは歌玉の下の名前だっただろうか。
思う間にも歌玉の涙が次々と溢れて、床に落ちていく。
そして、様子を見ていた無範が複雑な表情で言った。
「ちくしょう! ルルちゃんがそう言うなら、私も付き合うしかないじゃん! でもな、私は絶対に許さないからな! いつか、償わせてやる! 絶対に!」
武雅まつりも不満そうに言った。
「正直、私は絡みも薄いし、これでバイバイしようかとも思ったんだけどさ。実際、怖いし。そこまで付き合う義理、あるかなって。でもさ、今抜けたら薄情者に見えるよね。宝田には昔助けてもらった借りもあるし。だから、良いよ。私も付き合ってあげる」
どうせ暇だしねっと、武雅が続けると、歌玉の目からはさらに涙が流れた。
「みんな、ごめん。ごめんなさい。助けて、みんな」
僕らに助けを呼ぶと言うことは、それなりの事があったに違いない。
ただ、歌玉が言ってきたのは、僕らの想像以上の事だった。
「伊藤巻が昨日、家に帰ってないらしくて」
その言葉が出た瞬間、誰もが固まっていた。
あんな状況で別れて心配もしていたけれど、まさか、そんなことになるとは僕も思っていなかった。
「歌玉さんは、あの後、一緒だったんじゃないの? 昨日のことだけど。林には戻ってないよね?」
多分、林の中に見た不審者かもしれない物体――鳥の頭をした人影を恐れての発言だろう。
夢川田の言葉に、歌玉は頷く。
「あそこからは一緒に出た。そのあと林には戻ってない。怖かったから、駅まで一緒に歩いたけど、でも、伊藤巻が一人にさせて欲しいって言うから、別れたの。多分、繁華街の方に行ったと思うんだけど、それから会ってなくて。昨日の夜、携帯に電話しても出ないし、家にもかけたけど、帰ってないって」
「そんな」
「もう、どうすれば良いのか分かんないの。もしかすると、
歌玉の目から溢れた涙はこぼれ続ける。
僕の顔からも血の気が引くのが分かった。
昨日言えなかった言葉が、胸をギリギリと痛めてつけている。
「そんな。そんなのって」
絶望して、呟いた。
多分、僕のせいだ。
僕が、もっと、伊藤巻のために動けていたら……
「健太郎君のせいではありませんよ」
僕の顔を見た田中々が、昨日言ったことと同じ発言を再びした。
だが、本当に僕のせいではないのだろうか。
やはり責任を感じてしまう。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
「歌玉さん。伊藤巻さんが行きそうなところに心当たりは? 行きそうな人の場所でも良いけど」
「分かんない。分かんないの。男は、薬師谷先輩がいつも連れて来て。私は嫌だったから、連絡先なんて交換しなかったけど、でも、伊藤巻も交換してないかどうかなんて、分からなくて」
歌玉が続けた。
「それで、その。実は、先輩に呼び出されてて、これから行かなくちゃいけないの。伊藤巻がいない説明もしなくちゃならないと思うし、私。このままだと、何をされるか」
ギョッとした。
先輩と言うのは、薬師谷先輩だろうか。
いずれ対峙すると思っていたけれど、心の準備が出来ていない。
しかし、行くしかないんだ。
今の歌玉さんを、絶対に一人にはさせない。
「行こう、歌玉さん。俺たち、ついていくよ」
僕が言うと、歌玉は目をゴシゴシとこすり、「ありがとう」と、ただ一言だけ言った。
。
歌玉に導かれて付いていくと、多目的教室に到着した。
多目的教室と言うのは、生徒が自由に使って良いとされて校内に複数存在している教室である。
「ついに対決か? 良いぜ。どんな奴だろうが、オレがぶっ潰してやる」
「ちょっと……」
夢川田があからさまに眉をひそめる。
ガオちゃんの言葉は実に頼もしくもあったが、頼むから暴力は最後の手段にしてほしい。
「行こう」
僕らはドアを開ける。
いつもならば、ここで昼食を食べている生徒も多数いるはずだが、人払いでもしているのか。室内には女子が三人しかいなかった。
どれも見慣れない顔で、三人中二人は二年生らしく、リボンの色が赤。残る一人は三年生の緑だ。
思わず薬師谷先輩か、と身構えたが、顔が違う。
……いや、違うと言うレベルではない。
僕など、思わず目を奪われてしまった。
あまりにも美しく、可憐で、清純そうだったのだ。
艶のある長い黒髪に、白い肌。
目は切れ長で、まつげが長い。
背丈はガオちゃんほどではないが高く、痩せているわけではなさそうなのに、体はユリの花を思わせるようなしなやかさを思わせる。
これはきっと姿勢が良いためだろう。
服装の乱れもなく、佇まいは完全に優等生そのものだった。
「遅かったわね、紗枝」
その人は、歌玉を下の名前で呼ぶと、僕らを見て笑った。
「一人で来るとは思っていなかったけど、こんなに大勢とはね。で、紗枝。私が何のために
「は、はい。
涙顔の歌玉はそう言うと、静かに礼の姿勢を取った。
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