第5話 僕は彼女も出来ない

 教室に帰ると、ガオちゃんが待っていた。

 帰って良いと伝えていたのに、律義に待っててくれたらしい。


「健太郎、田中々。生きてたか?」

「ああ、なんとかね」


 僕が言うと、田中々がフフッと笑って言う。


「『上からくるぞぉ、気をつけろっ』、ですか?」


 言い方が変に芝居がかっていた。

 もしかして、朝の「てへぺろ」みたいに、何かのモノマネか何かなのか?


「何だ? それ」


 ガオちゃんも頭にクエスチョンマークが浮かんでいるような顔をしている。


「すみません。愛すべきゲームのセリフでしたが、マイナー過ぎましたね。失礼しました」


 ゲームのセリフ?

 意外とゲーマーなのか、田中々。

 しかし、田中々のギャグセンス――ギャグだかどうかは良く分からないけれど、笑いのツボは分からない。

 と、ガオちゃんが急に調子を取り戻したかのように笑い、僕の肩を叩いた。


「それにしても、お前らやるじゃん! めちゃスッとしたぜ!」

「いたた、何が?」

「渋谷塚のクソジジイだよ。お前と田中々が何も言わなかったら、オレがやってた! ぶん殴ってたかもしれないぜ!」


 やっぱり、と思った。

 見た感じかなり怒っていたので、ガオちゃんなら手を出してたかもしれない。

 あんまり考えたくもないけれど。

 命拾いしたな、渋谷塚。

 と、ガオちゃんがにたーっと笑って、僕に言う。


「とりあえず健太郎。ちょっと付き合えよ。ご褒美くれてやるからさ」

「ご褒美?」

「お前と行こうと思って、旨いたこ焼き屋見つけておいたんだ。頑張ったご褒美に、おごってやるから、行こうぜ」


 僕は感動した。

 渋谷塚に殴られた頭の痛みも吹っ飛びそうだった。

 あの暴虐なるガオちゃんが、おごってくれると言うのだ。

 しかも、たこ焼きは僕の大好物である。

 きっと、ガオちゃんは僕と再会した後で僕に食べさせようと、何日も前から調べていたに違いない。


「もちろん行くよ!」

「田中々も来るか?」

「行きます」


 間髪入れず答える田中々。

 こうして僕らは草蒲南高校の最寄り駅、八束やたば駅まで向かうことになった。

 僕と田中々は自転車だったが、電車通学のガオちゃんはスニーカーに履き替えると、革靴をカバンにしまい込み、校門で屈伸をしている。

 自転車がないので、走ろうと言うのだ。


「ガオちゃん、俺たち、乗らないで押して歩くよ」


 押すと言うのは、もちろん自転車である。

 だが、ガオちゃんは言うのだ。


「なめんなよ? オレ、中学校時代は陸上部だったんだ。お前らが全力で漕いでも離されないぜ?」


 初耳だったが、そんなことはさせられない。


「いや、でも、走ったら疲れるでしょ?」

「平気だって」

「良いから良いから。田中々も押して歩こう」

「元からそのつもりです」


 ガオちゃんはつまらなそうに「まぁ、良いけどさ」なんて言ったが、これはこれで正解なのだ。

 僕らは自転車を押し、あるいは大きな体を揺らし、話しながら歩く。

 校門を出ればすぐ目の前に公園――シーソーとトイレがあるだけの小さな公園が横にあり、それを無視して直進すれば、あまり大きくもない用水路めいた小川が住宅街の中を流れていて、川沿いに歩くと治水緑地とか言う聞きなれない名前の開けた場所に出る。

 そう言った地形の横を談笑しながら歩くのは、青春ならではと言ってもいいだろう。

 だから、これで正解なのだ。


「そう言えばガオちゃんって部活決めた? 中学校時代に陸上部だったってことは、高校でもやるの?」

「あー、陸上はもういいかな。だから多分、帰宅部」


 意外だった。


「部活、やらないんだ」

「ああ。何て言うか、文化部は性に合わなさそうだし、運動部はもう、めんどい」


 めんどい?

 嫌な予感がして、聞いた。


「……何か、やらかしたの?」

「まぁな。中二の終わりくらいの時に、急に顧問が変わってさ。そいつがロリコンのセクハラ野郎で、やたらオレの腰とか胸とかベタベタ触って来たからブチ切れてぶん殴っちまったんだ。そしたら、やりすぎちまったみたいで。他の先生にもめっちゃ怒られたし、部活はオレだけ大会出られなくなったし、ぼっちになったし」


 渋谷塚の横暴に僕が声を上げたのが正解だったと再認識した。

 僕が間接的にでも止めなければ、頭に血が上っていたガオちゃんは、何の躊躇ためらいもなく、渋谷塚をぶん殴っていただろう。

 この巨体が本気で拳を振るったら、渋谷塚何てひとたまりもない。

 教師を殴ることで、中学生だったガオちゃんにどんな処分が下されたかは知らないけれど、高校生ともなれば、重い処分になる可能性もある。

 そう考えたら、心の底から止められて良かったと思う。


 と、考えていたら、ガオちゃんがボソボソと何か言っている。


「健太郎ってさ、昔からオレがやり過ぎちまう前に、止めてくれたじゃん? あの時、それ思い出してさ。だからか、高校で会えてホッとしてんだよ。渋谷塚の時だって、だいぶ助けられたと思ったんだぜ?」

「え?」

「まぁ、とにかく、たこ焼きはオレがご馳走してやるぜ。急ごう急ごう!」


 最後は照れ隠しのように大声で、しかも早口だった。


 。


 そうして僕ら三人は草蒲南高校の最寄り駅、八束やたば駅へと到着していた。

 ガオちゃんお薦めのたこ焼き屋は、一番栄えている場所から少し離れた場所にある小さな専門店だったのだけれど、よくこんな所を見つけたなと、素直に感心する。


「へへ、良い匂いだろ。カリッカリのトロットロでめちゃ旨だから、期待しといて良いぜ。じゃあ、買ってくるからな」


 僕らの前で意気揚々と笑ったガオちゃんがお店に行き、少しして、帰って来た。

 しかし、僕が疑問に思ったのは、ガオちゃんが手ぶらだったからである。

 どうして何も持っていないのか。


「……たこ焼きは?」

「たこ焼きはまだ無い」


 ああ、注文を受けてから焼き始めて、作り立てを提供するタイプか、と一人で納得する。

 が、なんとなく、ガオちゃんの言葉が何か含んでそうだったので、一応聞いておくことにした。


「なんで?」

「財布を学校に忘れたから、買えてない」


 ずっこけた。

 ガオちゃんがワッハッハと笑う。


「いやー、ツケにしてくれって頼んだけどダメだったわ。多分、六限目の体育の時にロッカーに入れてそのまんまかも。ちょっと取りに行ってくるから、健太郎は田中々とここで待ってろよ」


 仕方のない奴め、と思う。


「良いよ、今日は俺出すから」

「いや、定期も財布なんだよ。どっちみち取りに行かないと帰れないし。健太郎、ちょっと自転車貸せよ」


 それが狙いか、と思った。

 最寄りとは言え、駅までは全力ダッシュで走っても10分以上かかるので、理にはかなってはいるけれど。


「すぐ帰って来るからな」


 ガオちゃんが僕の自転車に乗って行ってしまった後、田中々が言った。


「楽しい人ですね、石母棚いしもだなさん」

「え? ああ」


 石母棚。

 ガオちゃんの名字なのだけれど、昔は違う名字だったはずだ。

 昔のままの名字だったら、すぐにガオちゃんだと気づいたと思う。

 何で名字が変わっているのかは知らない。

 もしかすると、何か重い事情があるのかも。


 と、田中々の方を見ていると、視線の端からひょっこり現れた奴らがいた。


「あれ? 宝田君じゃん! 田中々さんも」

「伊藤巻さんと、歌玉さん?」


 ポニーテールの運動系、歌玉と、小悪魔ギャルの伊藤巻だ。

 先ほど別れたばかりだと思ったが、偶然にもほどがある。

 伊藤巻が、ししッと笑って言う。


「ちょっと、運命感じちゃったかも」

「運命?」


 頭の中でベートヴェンの曲が自動的に再生された。

 なんて言ってる場合じゃない。


「そんな、大げさな。一緒の高校に通ってるんだから、こういう事もあるよ」

「ちょ、ノリ悪いじゃん。ってか、何してんの? こんなところで、二人で」

「人を待ってる。ガオ、じゃない、えーっと」


 ガオちゃんと言いかけたので、言い直す。


「ちょっと石母棚さんと待ち合わせしてて」

「あー、あのおっきい、いつも宝田君叩いて笑ってる……」


 歌玉が「ちょっと伊藤巻」と伊藤巻の制服の端をつかんだ後、僕に言う。


「あのさ、宝田君。石母棚さんなんだけど、悪い噂があって」

「悪い噂?」

「そう。何でも、前の中学校の時に、教師を殴って大怪我させたとか」


 大怪我? とも思ったが、ガオちゃんに殴られたのならあり得る。

 まぁ、触れないでおくけど。


「ああ、それ聞いたよ。何か、セクハラされて手が出たって言ってた」

「し、知ってて一緒にいられるんだ。怖いもの知らずって言うか、何て言うか」


 歌玉が若干引いてるが、伊藤巻はそうでもないらしい。


「ね、歌玉。そうだよね。宝君ってさ、カッコいいよね。勇気あるって言うか」


 さすがに照れた。

 顔が熱くなって、何も喋れなくなる。

 って言うか、照れない方がおかしい。


 しかし、伊藤巻は追撃の手を緩めない。


「あの、さ。宝田君って、彼女とかいるの? あたし、てっきり、石母棚さんと付き合ってると思ったんだけど」

「彼女じゃないよ。幼馴染なだけで」

「そうなんだ」


 チラッと田中々を気にする伊藤巻。


「田中々さんとも、違うんだよね」

「違いますよ、伊藤巻さん。私は彼女じゃないです。と言うか、宝田君には彼女なんていません」

「やった」


 田中々がいつも通りの平坦な声で答えて、伊藤巻が小さくガッツポーズをする。

 ……なんだこれは。

 ふと、田中々の「モテて良かったですね」と言う言葉が甦ってくる。

 これはもしかして、そういう事なのだろうか。


「じゃあ、さ。宝田君。もしよかったら、あたしと」


 と、伊藤巻が何かを言いかけたが、その言葉は最後まで言えなかった。


「てめぇら、どう落とし前つけるんだ?」

「そっちからぶつかって来たんじゃん!」


 凄む男の声と、それに対抗した声――どこかで聞いたことがある女子の声が、背後から聞こえて来たからである。

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