第6話 さっきは彼女が出来そうだったが、もちろんそんな上手くはいかない

 振り返れば、やたらオシャレな服を着た男と、草蒲南高校の制服を着た女子が言い合いをしている光景が、そこにあった。


「ぶつかったら謝れよ!」

「だから嫌だって言ってるでしょ! そっちからぶつかって来たのに!」


 今さっき始まった言い争いの様だが、いきなりヒートアップしている感じがある。


「やだ、喧嘩?」


 伊藤巻が、息を飲み、口で手を押さえて顔をしかめた。

 そして、僕は気づいてしまっていた。

 凄まれている女子に見覚えがあるのだ。

 同じクラスの女子である。

 武雅むがまつりと、内野之うちのの優子ゆうこだ。


 この二人、いつも一緒にいるけれど、どちらかと言うと内野之の方が記憶に残っている。

 背は小さいけれど、やたら元気な女の子で、髪型はオカッパみたいなクリッとしたショートヘアー。今まで話したことはなかったけれど、教室で一番声がデカい女の子なのはクラスの誰でも知っている。

 その内野之が縮こまり、武雅が庇う様に前に出て、男の怒りに対抗しているのだ。


「大体、女の子とぶつかったくらいで、何を大げさに言ってんの? いきなり謝れだなんて言わなくても、お互い気をつけようね、で良いじゃん!」

「い、いいよ、まつりちゃん。私も悪かったし……」


 内野之は必死に武雅の暴走を止めようとしているが、武雅の方は頭に血が上ってしまったらしい。


「何言ってんのよ、優子! こっちから謝ることないって!」

「じゃあ、俺が悪いって言うのかよ!」

「そうよ!」

「何だと!」


 険悪に次ぐ険悪。

 事態は悪化の一途をたどっているようだ。


「健太郎君、止めに行かないんですか?」


 そう言ってきたのは田中々で、相変わらず感情が表に出ていないような、起伏のない声をしていた。

 だが、ここで黙っている分けにはいかない。

 入学早々、女子にモテてしまう自分は特別な存在なのだと感じていたし、もし僕が特別な存在なら、ここで止めるべき行動に出るはずなのだ。


「……そうだよな。ごめん、伊藤巻さん。俺、止めてくる」

「え? ちょっと、宝田君?」


 制止の雰囲気を振り切って走り、声を上げた。


「あの!」


 言ってから、何も考えていないことに気づく。

 声はかけたが、こんな修羅場的状況をどうやって鎮静化させたら良いのか。

 正直、勢いだけで行動してしまったけれど、怒れる男がしっかりと反応したからには、後悔する暇もない。


「いきなり誰だお前は!」

「そ、その女子たちのクラスメイトです。あの、俺があやまるので、ここは許してくれませんか?」


 何とかそれだけ言ってみたが、武雅と内野之はキョトンとしているし、男も許すつもりが無いらしい。

 こちらを睨みつけながらズカズカと歩いてきた。


「何でお前があやまんだよ! 関係ないだろ!」


 言われた瞬間、パニックになった。

 頭の中が真っ白になって、どうするべきなのかが分から無い。

 ただ、何かを言わなければ殴られる可能性もある。

 そう考えた僕は、とにかく喋ることにした。


「そこをなんとか! ……あ、そうだ! たこ焼きを一緒に食べませんか?」

「は? たこ焼き?」

「はい! たこ焼きです!」


 男は絶句していた。

 武雅と内野之も絶句していた。

 僕も絶句していた。


 いや、僕まで絶句している場合ではない。

 黙ってないで、とにかく何か喋り続けなければと、僕はまくし立てた。


「そこのたこ焼きが絶品らしいんですよ! 友達のお勧めなんですけど、この辺りじゃ一番のたこ焼きらしくて、そりゃもう、びっくりのカリッカリでトロットロで! 草蒲市全体で見ても一番美味しいお店なんじゃないかな、うん! そんなわけでご馳走しますんで、是非!」


 僕はいったい何を言っているのか。

 正直、土下座して謝った方が数倍マシな気もしてきた。

 大激怒してる男がたこ焼きを買ってもらったくらいでご機嫌になるか?

 後悔ばかりの数秒が過ぎたが、もはやどうすることも出来ない。


 しかし。数秒後、男は複雑な表情をして言うのだ。


「あー、くそ! 意味わかんねぇ。何だよお前、調子狂うな」


 それだけ言うと、イライラしながらもちょっと笑い、僕に続ける。


「もう、それで良いよ。持ち帰りで一つ買って来て。それでお終いにするから」

「は、はい! 任せてください! すぐに買ってきますんで! 武雅さんと内野之さんも大人しくして待ってて! 二人の分も買ってくるから!」


 何だか知らないけど上手く行きそうで、びっくりしていた。

 とは言え、この機を逃す分けにはいかない。

 僕は風のように走り、たこ焼き屋の店頭に立った。

 すると、お店の店長らしき人がニコッと笑って言うのだ。


「兄ちゃん、外の声、聞こえてたよ。あんなに褒めてくれるなんて嬉しいな! ありがとね!」

「あ、はい。騒がしくして、すみません」

「良いってことよ。元気なのは良いけど、喧嘩しないようにな。持ち帰りは袋で分けとくからな」

「お願いします」

「あいよ!」


 良い返事の後、たこ焼き屋の店長は手早い動きでたこ焼きを焼き始める。

 ……なるほど。

 ガオちゃんがお勧めするだけのことはあると、僕は感心した。

 なんて素晴らしいお店なんだ、ここは。


 調理器具から、具材から、作っている店主の技術の冴えから……特筆して言いたいことも沢山あるのだけれど、長くなるので省かせてもらう。

 ただ、タコは海の広大さを感じるほどのたくましさを、ぶつ切りにされてもなお保っていたし、トロトロの生地を巻き込みながらくるりと回転して現れた、まるで熟した果実のような球体に、僕はワクワクした。


「お待たせ!」


 僕が走って戻ると、男と武雅は談笑していた。

 もはや争いは消え去ったようで安心もしたが、何で急にそんなに仲良くなっているのか。


「あ、宝田君」


 内野之優子がやって来て、えへへと笑いながら言う。


「あの人、大学生なんだって。うちの高校の三年生の人と友達らしくて、駅で待ち合わせしてるって」

「そ、そうなんだ。あ、たこ焼きです。袋で分けてもらったから。あの人と、内野之さんのと武雅さんのと、三パック」

「ありがとう! これ、食べたかったんだ!」


 内野之はたこ焼きのパックが入れてある袋を全て受け取ると、男と武雅が話しているところへ駆け寄って行った。


「まつりちゃん! たこ焼き来たよ!」

「良かったね、優子」

「うん! あそこのたこ焼き、すっごい美味しいって聞いてたから、すごい楽しみ! 隠れた名店なんだって!」


 えへへ、えへへへと、見ているこっちも笑顔になりそうなくらい楽しそうな内野之を見て、ふぅーっと息を吐いた。

 一安心である。

 一時はどうなることかと思ったが、何事もなく済みそうで良かった。

 と、後ろに気配を感じて振り返ると、伊藤巻と歌玉、それに田中々がいた。


「相変わらずお見事ですね、健太郎君。こんなの、健太郎君にしか出来ません」

「お、おう」

「基地のみんなも大喜びですよ。あなたの後ろに隠れていれば、どんな敵だろうと楽勝ですね」


 ……?

 意味が分から無かった。

 褒められると悪い気はしないが、相変わらずって何だ?

 基地って?

 しかし、突っ込んで聞いてみる気にもならない。

 田中々の事だ。またマイナーなゲームか何かのセリフをパロディみたいに言っているのだろう。

 それも多分正解のようで、田中々は「脳天直撃」などと言いながらゲーム機の名前を口にしている。


 ただ、そんな田中々の後ろにいる伊藤巻が、すごく複雑な顔をして僕を見ているのが気になった。


「伊藤巻さん?」

「……宝田君ってさ。誰にでも優しいんだね。誰のためにでも頑張れちゃうの、素敵だと思う」


 言葉とは裏腹に、先ほどまであった熱意のようなロマンスさはない。

 何か失敗をしてしまったかなと思ったけど、別にまぁ良いさと自分を納得させた。


 と、あの男が「おっ」と口にし、立ち上がって手を振っているのが見える。

 僕に何か用なのだろうか。


「なんだろう」

「行ってみれば?」


 歌玉は興味なさげに言う。

 が、男が手を振っている対象が僕でない事に気づいた時、二人の様子が一転した。


「伊藤巻と歌玉じゃん。何やってんの、こんなところで」


 男に手を振られていた人間は、いつの間にか僕らの至近距離まで接近していたらしい。

 草蒲南高校の制服を着た新しい女子だった。

 首元にあるリボンの色は、緑。

 僕ら一年生の青い色とは違う、三年生の色である。

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