最終話 老将の目に涙あり

どれくらい意識を失っていたのだろうか…


体中の激痛とともに鈴得は目を覚ました。



一瞬、何が起きたのか分からなかった。


痛みは全身にいきわたり、手、足、胴体と

無事なところがないくらいの重症のようだ。


だが鈴得は寝台の上に寝かされている己を見て

事の重大さに気がついた。


「敵に捕われたか!」


瞬時、捕虜となった無念が頭をよぎる。


だがそれ以上に、

部下達を先に逝かせながら、

己が死ねなかった悔しさに憤った。


重症にもがきつつも、

鈴得は次の処し方を考え始めていた。


〈どうすべきか?〉


ロシア兵の残虐ぶりは同僚たちから聞いている。


かの義和団事件の時の清国人への無道ぶりは、

諸外国の中でも目を伏せたくなるものがあったという。


そのようなロシア兵に捕まった無力な自分に、

一体どのような拷問が待っているか分からない。



ならば最終手段。


〈一人でも多く道連れを作るしかない……〉


最後の力で敵の首をへし折り、

こちらも舌を噛んで死ぬ。


だが、この満身創痍の身でどこまで出来るか……


鈴得がそのような考えを巡らしていると

寝台の傍へ、

堂々たる軍服に身を包んだロシアの将軍が、

参謀と副官らしき者たちを従えて静かに部屋へ入ってきた。


将軍の右手には、

鈴得中尉の軍刀が鞘に収められたまま握られていた。


どうする?


相手が油断しているのは今しかない。


あの軍刀を取り返せれば戦える!!


機先を制するため今すぐにでも襲い掛かるべきか?


鈴得の狙いをよそに、

将軍はゆっくりと何事かを言い出した。


しばらく後、近くにいた参謀らしき一人が、

上手な日本語で通訳をはじめた。


「私はコサック騎兵団司令官ミスチェンコである」


〈この男が、ミスチェンコ!!〉


鈴得はロシア軍最強のコサック司令官を前に息を呑んだ。

白髭が見事な将軍であった。


ミスチェンコは大きく頷くと、ゆっくりと口を開き、それに続き、通訳も日本語で話をはじめた。



「私は日本人は降伏する白旗を知らないと聞いていた。事実、各所の戦闘において、それは真実であった。今回の戦闘において、我々は、貴官の勇敢な行動に、真の「勇気」を教えられた。そのため勇敢なる貴官を、捕虜とするには忍びない。願はくば静養せられて、日本軍へ貴官を送り還すことを、快く思ってもらいたい。全快された時は、再び祖国日本の為に忠勤を励まれんことを祈る」



あのロシア兵がこのような事を言うなど……


鈴得は自身の耳を信じられなかった。


だが、老将の目は澄み切り鈴得をじっと見つめている。


「我々がロシア帝国に忠誠を誓うように、あなた方も大日本帝国に忠誠を誓う勇士である。どうかこの場だけでも敵であることを忘れてもらいたい。たとえ敵でも、勇士を称える事に何の問題があろうか」



鈴得はあまりのことに唖然とするほかなかった。


と同時に死んでいった66名の部下達が心に浮かんだ。


だがミスチェンコ将軍は鈴得の心中を察したように


「死ヌノハ辞メテクダサイ。恥ジル事ハナイ。アナタハ死力ヲ尽クシテ戦ッタ`サムライ'ナノデスカラ」


拙いながらもミスチェンコ将軍はゆっくりと鈴得に語りかけた。

見ると老将の目には涙がきらめいていた。


そして、さげてきた軍刀を鈴得中尉の胸に抱かせたのである。



副官が進み出て、一通の書類を枕元に置く。


その文に曰く



一、 我等の将軍は貴官に対し、貴官の部下重傷の兵卒と衛生員一名とともに、自己の軍隊へ帰還する権利を与う。


一、 貴官の豪胆と忠勇に対し、貴官の軍刀を残すことを、我等の将軍より命令せらる。





このような書類を、敵から贈られ、そして親切に自陣に送り還されたことは、古今東西の戦史でも稀であろう。



鈴得が再三、鬼と聞かされていたロシア軍人は、

決して鬼ではなかった。


むしろ情と誇りを何よりも大切にする、

国は違えど同じ志を持つ一人の人間であったのだ。


堪えきれず鈴得の目の奥は熱くなる。


〈だが部下の66名は皆死んだ。彼らのためにも自分は泣いてはならない〉


ミスチェンコ達ロシア兵が去った後、

鈴得は残された部屋で、ただ一人肩を震わせるしかなかった。






日本に武士道があれば、

ロシアにもコサック魂があった。


さすがにミスチェンコ将軍は、

涙ある勇将であった。


その後、鈴得は己一人が生き残ったことへの罪悪感と、ミスチェンコへの恩義に苦しむこととなる。


〈自分一人生き残ってしまった〉


〈部下達の死は無駄死にだったのか?〉


否、そうとも言い切れない。


鈴得小隊やその他の部隊の活躍により、

「自家窩棚」を始めとした補給陣地は守られ、

彼らが時間を稼いでくれたおかげで、津川大佐の援軍が到着。


コサック騎兵大集団は津川隊に反撃され、

遂に日本軍の兵站線の襲撃に失敗することとなり、ロシア軍は遠い戦線へ退却したのである。


こうして補給路を確保し崩壊を免れた乃木軍は、

満州軍と合流し、全線をあげて沙河より奉天へ進撃。


3月10日の奉天会戦で、

ロシア軍に勝利をおさめたのである。


もし鈴得隊の奮闘がなければ、

日本軍の補給路は落とされ、

乃木軍の合流が不可能となっていたかもしれない。


そうすれば奉天で、

兵力の勝るロシア軍の反撃を受け、

日本陸軍は敗北していた可能性もあるのだ。


一小隊長といえども、

鈴得巌中尉の功績は実に大きいものであったといえよう。



その後、明治38年(1905年)8月。


日露戦争は、日本の勝利により終結した。


これにより日本は、

徳川時代以来の懸念であった不平等条約を打破し、非白人国として初めて対等国として扱われることとなったのだ。


条約を結んで実に50年もの歳月を必要としたのである。


たが、そのためにかけがえの無い多くの命が失われていったのもまた事実。


人類の歴史に戦争が無くなることはないのであろうか?


それは歴史のみ知るのかもしれない。



鈴得のその後は、軍を除隊後、

故郷群馬県伊勢崎市で後発の教育に勤めたという。


日露戦役について英雄綺譚を語る戦友が多い中、

鈴得は多くを語らなかったと言う。



一方のミスチェンコ将軍は、

日露戦争終結後も軍属としてロシア帝国軍の一翼を担い続けた。


1906年9月〜第11カフカーズ軍団長就任。

1908年5月〜トルキスタン軍管区司令官就任。

1912年9月、カフカーズ軍管区に配属。


順調に軍歴を重ねていったミスチェンコ将軍は、

1914年に勃発した第一次世界大戦にも

第2カフカーズ軍団を指揮して出陣。


1915年3月には

南西戦線の第31軍団長に任命された。


だが、1917年2月。

ロシアでは革命が発生し、ニコライ2世は退位。

ロシア帝国は崩壊し、臨時政府と共産ボルシェビキによる権力抗争がはじまることとなる。


そしてミスチェンコは同時期の二月革命後の高級指揮官粛清で軍団長を罷免され、1917年4月、退役させられた。


その後、実権を握ったボルシェビキにより、

帝政ロシア側の代表として糾弾されたミスチェンコは多くの資産を奪われたという。


「軍人の誇りである、サーベルは許して欲しい」


という願いも虚しく、階級章、勲章、サーベルすべてを奪われたミスチェンコはその場で拳銃自殺を遂げたという。



「人生で泣いてよいのは赤ん坊の頃だけ」


父の教えを守り続け、

父の死でも決して涙を見せなかった鈴得巌。


たがミスチェンコ将軍の非業の最期を知った時、

鈴得は、膝を崩し嗚咽し、いつまでもいつまでも号泣し続けたという。



まさに武士道とコサック魂の邂逅であった。


〈了〉









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サムライの涙 ヨシダケイ @yoshidakei

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