第五話 弾雨の下に……

ダダダダダッ



小隊全員が土壁から一斉に半身を乗り出すと、

猛射撃を開始した。


66丁の銃口より放たれた弾丸は空を裂き、

一弾も逸れることなく、敵騎兵団の正面で炸裂する。


一瞬コサック達の動きが止まった。


反撃か!?

警戒した部下達であったが、鈴得は落ち着き払っている。

刹那、コサックはドサりと将棋倒しに崩れた。


「みたか。これぞ長篠」


鈴得の言葉に、

部下達は遠い昔の戦「長篠の戦い」に思いを馳せた。


「さながら敵は武田騎馬軍でしょうか」


部下の一人が冗談混じりに鈴得に問う。


内田兵長である。

皆、内田の言葉に笑った。


「ならば我等は織田徳川連合軍。この戦い。我等の勝ちは必然!」


鈴得の叫びに部下達は

「おお!」

と、奮い立った。


67対10000。

誰がどう見ても絶望的な戦力差である。

たが、逃げる事は許されない。

ならば闘気、士気だけでも絶対に負けてはならない。


皆が皆、あえて自身を奮い立たせるのだ。



「さあいくぞ!! 撃てっ。撃てっ」


炎を吐くごとき鈴得中尉の激励に、

込めては狙い撃つ66名。


銃身は熱を帯び、66名の浴びせかける猛急射に、

さしものコサック大騎兵団もたじろぎだした。


が、そこはコサックである。


戦況が不利と判断するや、

急速度で二つに分かれ左右へ馬首を返した。


見事な大旋回である。


しかもコサック達は死傷者を馬上より引き上げつつ遠く退却し、その後には主亡き馬が追い従っていった。


仲間や仲間の遺体を掬い上げる技量と主人亡き馬を見捨てぬ心根は、見事としか言いようがない。


後には死馬と傷つける馬が、三々五々と横たわっているだけであった。


「撃ち方、待てっ!」


鈴得中尉の号令が響き渡った。


弾は一発も惜しいため、無駄弾は許されない。


66名は小銃を肩から下ろすと、

地平線へ去り行く敵影を見送りながら、

初めて我に返った。


〈敵は遥かに小さくなった。逃げたのだ〉


ふと微笑している自分に、鈴得中尉は気が付いた。


「射方、止めっ!」


今度は朗らかな号令だった。

66名は小銃を下へ立てる。


全員が無事。


そう任務に生きたのだ!


〈よくぞ、やってくれた!〉


鈴得は部下の全員を一人づつを抱きしめたい気になった。


だが今はそんな場合ではない。

次の戦いに備え体力を回復せねばならないのだ。

鈴得は休憩の号令を下した。


「休め!」


すると一人が軍帽をほりあげて叫びだした。


「やったぞ!あのコサックに勝った!」


「万歳!」


勝どきが続々と皆の口から湧き上がる。

鈴得も万歳を唱えながら微笑した。


まさか67名で10000に勝つとは……

鈴得は部下達の奮闘を心より誇りに思った。


だが、この時、左前方を眺めた鈴得は、ハッと瞳をこらした。


遥かに砂煙がのぼっているのが見える。


その下には長蛇のごとき黒影があった。


まさか、あれは……


それは「敵砲兵」の陣地進入であった。


鈴得の顔から微笑が消えた。


鈴得を見た部下もまた、左前方を一斉に眺める。


確かに砲兵である。


大きな傾斜が波を打ってる遥か向こうの高地に、

陣地を占めた敵砲兵は,

砲車から脱した馬を引いて後ろへ隠れた。


「来るぞ!」


誰かが叫ぶ。


一瞬に重苦しい沈黙が、全小隊を覆った。


遠くで見えた白煙、閃光。


瞬時、空にピューッと音をまいて、

敵砲弾のすさまじい轟音が、集落の後ろに鳴り響いた。


ドガーーーーンッ。


小隊の真後ろで、砲弾が炸裂したのだ。


「伏せっ」


土壁の真下に皆が折り敷くとすぐさま、号令をかけた鈴得中尉も飛び降りた。

頭上からは、砲撃で舞い上がった粉塵が降り注いできた。


ロシア軍は、鈴得小隊の見事な反撃に、

余程の大人数であると判断したのか、正面切っての攻撃は被害が大きいと避けたのであろう。


砲兵による遠距離砲撃を開始したのである。



だが鈴得小隊に、砲兵は無い。

遠距離反撃は出来ないのだ。

そのため、敵の砲撃にはただただ伏せるしかない。


ズガン、ズガン。


来る、さらに来る。

十数発の砲弾が近くで炸裂する。


「皆、無事か!」


「66名。皆、無事であります!」


「分かった。おそらく敵が接近してきたら巻き添いを恐れ砲弾は止むはずだ。砲弾を凌いだ後、近づく敵を倒す。この戦法でゆくぞ!」


「ハッ!」



鈴得中尉は皆の士気が旺盛であるのを確認すると、

一人、土壁の端から顔を上げてて敵状を見た。


と、前方の正面、右、左に、群がりあらわれた幾団の敵部隊が、

横隊、縦隊、ズズズズとひろく散開すると、

三方一斉に前身をはじめた。


コサックの徒歩戦攻撃であった。


騎馬戦に敗れた敵は、徒歩戦に移ったのである。


その前進を助ける砲撃は、距離を正確に測り、

一弾更に一弾、鈴得小隊の陣地土壁へ盛んに命中し始めた。


〈敵砲弾がここまで正確とは。接近時に砲撃が止むとの憶測は甘かったか〉


鈴得が思うや否や、

暴発音と共に厚い壁が飛きとんだ。


ズガーンッ


破壊の下に折り敷いている66名は、鈴得中尉の顔色を見あげた。


「立て!」



皆が立ち上がった。


残りの弾丸は少なく、こちらには一門の野砲も機関銃も無い。


鈴得中尉は敵の前身を見つめつつ、軍刀の柄を握りしめた。


敵砲弾が命中する響きの中に、

鈴得中尉の目は敵の前進を見つめている。


恐れなく、危ぶみなく、鈴得は静かに前方を見渡した。 


今しも潮の如く、迫りくる三方の敵、大きな徒歩戦だ。


散兵線の後ろに一群の機関銃隊が、三方ともに陣地を占めた。


散兵線が停止した。


ダダダダッ。


ロシア軍が撃ちだした機関銃と小銃火の包囲の下に、

鈴得中尉は朗々と応射の号令を下した。


が、衆寡敵せざる激戦に、

鈴得達の射撃の響きも、敵の包囲射撃に消されるばかりの近距離に迫った。


圧倒的な敵の猛攻撃。


突如、鈴得の前に血塗れとなった松尾伍長が倒れてきた。

脈を調べた。

すでにこときれていた。死……


松尾伍長。

隊内一のひょうきん者で、

厳しい戦場での毎日を、

くだらない冗談で笑わしてくれる男であった。


鈴得小隊が大きなケンカをせずにすんだのは、

ひとえに、このひょうきん者の松尾の存在が大きかったのだ。


その側では、斥候の内田も倒れていた。


隊内一の俊敏な内田のおかげで、

敵情視察にどれだけ助かったことか。


その内田は敵の猛射に血の海に倒れ、

頭半分が無くなっていた。


いや松尾、内田だけではない。


気付けば、戦死、重傷、その他、土壁の下に血と共に折れ重なり、

残れる兵はわずかに11名となっていたのだ。


その時である。


バーンッという音と同時に、

鈴得中尉の右腕がだらりと伸びたように下がった。


瞬間、身体が痛みで熱くなった鈴得。


右手に熱いものが流れてきた。

とめどなく流れてくるのは己の血であった。


撃たれた……


と思うやさらなる一弾。


バーンッ


今度は外側から貫いた。


鈴得中尉はよろめきつつ


「撃てっ!戦友の弾を拾え!」


と叫び、

右手の軍刀を左腕で取り直すと、

土壁の上に直立して更に激励した。


残れる者は既に7名となっていた。


だが鈴得は断固として射撃を続けた。


気付くと敵は300メートルの近くまでに迫って来ている。


声を限りに7名を激励する鈴得中尉。


「撃て撃てっ!」


バーンッ。


叫んだ刹那にドッと前へ倒れおちた。


ついに左ももを撃ち抜かれたのだ。


右腕、胴、左もも。


もうまともに動ける身体ではない。


だが鈴得は土壁の下で、もがきながら何とか起き上がろうとした。


そう、鈴得は死ぬ前に一つ。


やらねばならぬ事があったのだ。


鈴得は右腕、左脚と、出血に痺れながらも、

何とかポケットの底から一枚の紙を取り出した。


それは軍用地図であった。


敵に地図を奪われてはならない。


もし地図を奪われたら味方の情報を全て知らせることになってしまうため、たとえ死んだとしても、この地図だけは敵に奪われてはならないのだ。


やることをやらねば死ねない。


鈴得は地図を噛み破り、噛み割くと、

撃ち抜かれた傷口からほとばしる鮮血に塗らしては、靴の下にふみにじった。


地図は細かく切り裂かれ鈴得の血に染まり、

何が書かれているか全く分からなくなった。


これでよし。


辺りを見ると部下達にもう動ける者はいなかった。


皆斃れたのである。


最後の時がきた……


「皆、良く戦ってくれた!本当にありがとう。俺も逝く」


鈴得は軍刀を再度左手に取り直すと、

下腹へぐさっと突き刺した。


「天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳!」


ロシア軍側は、もう反撃が無いのを悟ったのか、

砲撃がまばらになった。


「だが絶対に捕らえられてはならぬ」


鈴得はただこの一念に、

喉の下へ、返す一刀を貫く。


更に左手に籠めた満身の力により

喉の動脈を三度突き刺すと倒れふした。


鈴得はそのまま深い暗闇の中に落ちていった。






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