第四話 来たれり、百倍の大敵

「右前方の地平線に、敵斥候らしきものが現れました。その後方に敵騎兵の大部隊、こちらに向かって前進中であります」


歩哨の一人が喘ぎながら報告にやってきた。

鈴得はすかさず尋ねる。


「大部隊……。具体的な兵力は?」

「分かりません」


歩哨が答えられぬのも無理はなかった。


なぜならロシア軍は目視では数えられぬほど、

大部隊であったのだ。


〈致し方ない〉


鈴得は心の中でそう呟くと、

次にやるべき命令を下した。


「わかった。土壁の中へ入れ」


鈴得の指示に歩哨は敬礼をすると、

直ちに壁に背を合わせ銃を構えた。


それを見て皆が臨戦体制に入る。


部下達は土壁の上に半身を現したまま、

化石したごとく前方を見はじめた。


大敵の来襲にすることはただ一つ。


「死守」


鈴得以下全員、

一心一体となって、

ただ死所を守備するだけである。


部下達の悲壮な決意が、

ありありと鈴得中尉に伝わってきた。



「強敵ロシアコサック。敵は多勢。だがやるしかない……」



そんな中、

鈴得は幼き頃に父から聞いた話を思い出していた。


幕末の頃。

40年近く前の話である。


文久元年(1861年)。

まだ徳川幕府が健在だった頃のこと。


対馬に、ロシア軍艦が

「軍艦が破損した。修理をさせてくれ」

と来航したことがあった。


その時、対馬藩は、

反対派と穏健派に分かれ対立がはじまったが、

断れば巨大な艦隊を前に

何をされるか分かったものではない。


対馬藩は、

仕方なく「修理するまでなら」ということで、

停泊を許可した。


だが、数か月を過ぎても、

ロシア軍艦は去ろうとしなかった。


とっくに軍艦は修理されているはずなのに……


しかも、あろうことか、

ロシア兵達は対馬沿岸の測量と軍事施設の建設を始めたのである。



「やめてくれ」

と言ってもすんなり聞く相手ではない。


ああ言えばこう言い、こう言えばああ言い、

段々と、武力をちらつかせはじめ、

遂には対馬藩士を拉致し殺害。 


その上、島民への乱暴や様々な暴挙を働いたのである。


そう、

ロシアの狙いは軍艦の修理などではなかった。


彼らの目的は「対馬の占領」であったのだ。


極寒の国ロシアにとって、

不凍港の獲得は何よりの悲願。


そのため対馬はロシアからみれば、

アジア支配の第一歩となる喉から手が出るほど欲しい魅力的な島であったのだ。


イギリスが清から奪った香港のように……



それに対し日本政府の代表、徳川幕府は

指をくわえて何も出来ず、

役人たちも「ことなかれ」が大半。


中には「ロシアの無法に屈するな!」

と心ある者もいたが、彼らはすぐに更迭されてしまった。


無力な幕府の前に、

このまま対馬は占領されるかにみえた。


だか突如、

ロシア軍艦は対馬から撤退することとなった。


立ち上がった対馬住民の勢いに逃げ帰ったのだろうか?


いや違う。


西洋列強はそんなに甘くはない。


この時、

ロシアが本気になれば島民を追い出すことも可能であった。


ロシアが去った理由。


それはイギリス艦隊の圧力だった。


「ロシアの横暴に困っている。助けて欲しい」


という幕府の依頼を受けたイギリスは、

元々ライバルであるロシアの勢力拡大に

神経をとがらせていた。


そのためイギリスは、

清国に停泊していたイギリス艦隊を日本へ派遣。


このイギリス艦隊の圧力に、

ロシアは「対馬占領」を諦めたのだった。


「無事にロシアが去ってくれてよかった」


と安心したのは、年老いた幕閣達や幕府首脳陣だけである。


むしろ若き志士達は

「侵略者を追い返すのに外国の力に頼らねばならない」

と、この現状に憤慨していた。


「己の国を己で守れないとは……」


このことは後に新政府のリーダーとなる志士達に長く屈辱として残ることとなった。


加えて鈴得は、兵学校で歴史を学んでいたため

ロシアの拡張主義をよく理解していた。


フィンランド大公国とポーランド王国。


彼らは過去に、ロシアに敗れた結果、

属国となり世界地図から姿を消した。


今はロシアの一属州となっている。


彼らの住む地域の学校では

ロシア語教育が強要され母国語はほとんどが禁止された、とも聞かされた。


反乱は起きるものの、

当然、強大なロシアにかなうはずもない。


19世紀の世界は「弱肉強食」そのもの。


敗れた国は躊躇なく滅ぼされる。


負けたものは勝ったものに傅き生きていくほかない。


誇りも恥も全てを捨てて。



それが嫌ならば、戦って勝つ以外に道はない。


鈴得はさらに考える。


「もし日本が、フィンランドやポーランドのようにロシアに敗れたらどうなるのであろうか?」


おそらく北海道はロシア領となり、

続々とロシア人が植民を開始し、

入植した日本人のほとんどが追放されるだろう。


かろうじて現地に残ることを許された日本人も、

ロシア語を強要されおそらく日系ロシア人とされるにちがいない。


札幌はニコライブルグとでも名を変え、

日本人が北海道にいた足跡はすべて消される。


また日本政府中枢にはロシア政府顧問が派遣され、

軍事基地にはロシア帝国軍が駐留し、

日本はロシアの属国となる。


何よりも

「有色人種は白人に勝つことは出来ない」

という認識が世界に浸透し、

今後数百年は白色人種による世界覇権が続けられることとなるだろう。



「負けられない。この戦いだけは。死しても戦い抜かねばならない…」



鈴得はそう思うと、身が奮い立ち、

66名の部下達に最後の訓示をあたえた。


「みな死ぬのだ。わが兵站線の危急にのぞみ、敵の一騎でも倒して死ね! 各自の弾丸百十発、銃剣、日本精神。これを以て敵を倒すのだ」


「この戦いに日本のすべて、いやアジアの全てがかかっている。みな、任務のために死んでくれ!」


66名がゆっくりとうなずいた。


目の前に広がる茫漠たる原野は、

冬の日に照らされている。


自陣には東より寒風が吹きすさむが、

誰も寒さなど感じない


内より湧き上がる血潮が、

身をたぎらせているからだ。


その時、東方から遠く砂塵が上がってきた。

かすかにであるが地響きも聞こえてくる。


遂に敵の大騎兵団がやってきたのだ。


みると低き黒幕のごとき一列が、

はるか向こうの高地に現れ、

それらはむくむくと動き来る。


軍団は濛々と砂塵を蹴立てて

地響きとともに近づいてくる。


67名は粛としてこの大敵を見定め、

土壁の上に小銃を構えた。


「まさしく百倍の敵騎だな」


鈴得中尉は悠揚としてあせらず、 

彼と我との距離を目測した。


「約2千メートル」


こちらを侮っているせいかコサック達は、

あえて騎馬のまま近づいて来る。


鈴得小隊を蹄の下に一蹴すべく、

早足に迫ってきた。


先頭に走るは、中央に高く翻る双頭の鷲の軍旗。


あとに続くは、林のごとき長槍が閃く群れ。


彼らは駆け足に伸ばした。


震え揺れる地響きが、67名の足に伝わってくる。


「約1千メートル」


先頭に軍刀を振るコサック将校の数十騎は、

てんてんとして白馬に跨っている。


原野をおうて襲撃し来たる敵の大集団を見つめて、67名は瞬きもせず息をつめた。


死を思わず、制を思わず、

ただ一心に敵を見つめる。


まさしく

士道。

死道。


今しも鈴得小隊が、ただひと塊の炎と化して、

間近い大敵にあたるのだ。



800メートル……


600メートル……


近距離に長躯するコサックは一瞬に迫った。


が、なお一発も射撃しない鈴得小隊は皆、

ぴたりと土壁に粘りついたままだ。


550メートル……

500メートル。


時はきた。今だ!!


鈴得中尉は軍刀を上げた。


「500メートル!急ぎ撃てっ!」










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