第18話
翌日。日の出と共にベッドから抜け出し、持ち込んだ水で顔を洗う。
そして前日に整備しておいた装備を着込み、六華の調子を確認する。
最後に薬品や道具を詰め込んだポーチを身に着け、ドアノブに手を掛けた。
ダンジョンから戻るのが極端に遅いという事が無ければ、翌日の朝食は晄と共に取る事になっている。
どちらが提案した訳でもないが、二人で行動しているのだから、その日の予定や行動方針などを朝食の内にすり合わせるのは普通だろう。なにもおかしいことはない。
これまでもそれが当然だと思っていたし、これからも当然のことだと思っていた。
そんな調子に自分へ言い聞かせる。
しかし、なぜかドアノブを回せずにいた。
「あぁ~!! なにやってるんだよ! 俺!」
頭を抱えて叫んでも離れない、昨日の記憶。
晄には落ち着けと言っておきながら、俺が他の冒険者を殴り飛ばし、あまつさえ酒場の中で武器を使ったのだ。
それに昨日は余りの気まずさから、酒場の弁償代を晄に押し付けて、宿へと引っ込んでしまった。
この件に関して言えばリーフやゼノンへの謝罪も必要だろう。
ただ最大の問題は、晄を顔を合わせるのが非常に気まずいということだ。
家族同然に育った晄を侮辱されたのだから、あれぐらいの反応は当然だ。
そう自分へ言い聞かせるが、どうしても晄と顔を合わせずらい。
「今日ぐらい、時間をずらすか」
結局、正体不明の気まずさを理由に、いつもとは違う時間に部屋を飛び出る。
そして一筆書いた手紙を晄の部屋の扉の下から差し込み、逃げ出すように支援機構へと向かうのだった。
◆
「珍しいですね。レイゼルさんと晄さんが別行動するなんて」
唐突に晄の名前を出されて、思わず言葉に詰まる。
だが、もう一人の仲間と言って差し支えないエンリーが、俺の単独行動を疑問に思うのも当然だろう。
そんな彼女に嘘を付くのは心苦しいが、どうにか事前に考えてあった言い訳をひねり出す。
「つい昨日、ほかの冒険者から気になる話を聞いてな。調べ物なら一人の方がはかどるだろ」
「それでいきなり、ゴルデット工房と研究者協会の資料を読み漁りに来たんですね」
「急に顔を出して悪かったな」
現在、俺は支援機構の資料室へ足を運んでいた。
と言うのも、リーフやゼノンから聞いた話の詳細を調べる為だ。
ゴルデット工房や研究者協会は、独自に鋼の獣の研究を進めているという。
獣から得られる鋼を商品への流用ができる工房ならまだしも、研究者協会が研究を行う利点を見つけられない。
つまり、協会が鋼の玉座に固執する特別な理由があるのではと、何処かで考えていたのだ。
ただこれも、ダンジョンの攻略を放り出して行うほど重要な調べものではない。
言ってしまえばこれも、晄と顔を合わせないようにするための言い訳の一つだった。
それを知ってか知らずか、資料を持ち出したエンリーは微かに眉をひそめていた。
「それに関しては構いませんよ、仕事ですから。ですがレイゼルさん。昨日の事は少しいただけませんよ」
「もう知ってるのか。さすがは敏腕職員」
「嫌でも耳に入ってきますよ。レウォールでは名の通ってる冒険者パーティなんですから、レイゼルさんが殴り飛ばした『砂塵』は」
「そうなのか?」
「そうですよ。アーティファクトの専門家で、ゴルデット工房のお抱えでもあります。酒の席での殴り合いなんて冒険者にとってはあいさつ代わりなんでしょうけど、工房からの印象は良くないと思いますよ」
あの言動を見るに、ただのチンピラ程度にしか思っていなかったが、まさか工房の依頼相手だったとは。
やることなすこと、全てが悪い方向に向かっている。殴り合いが良い方向に作用することの方が珍しいだろうが。
ただこれ以上に状況が複雑になるのは、俺としても望むところではなかった。
「もう、勘弁してくれよ……。」
「話を聞いたとき、本当に驚きました。感情的な晄さんと違って、レイゼルさんは知的な印象があったのですが。なんで初対面の相手と殴り合いになったんですか?」
「何故と言われてもな。それは……まぁ、どうだろうな」
「まさか晄さんに関係があるんですか?」
勘が鋭すぎるエンリーの言葉に、返す言葉が見つからなかった。
ここで俺が適当に言いくるめても意味が無いのはわかり切っている。
いずれ晄とエンリーが会話をすれば、俺の下手な嘘や言い訳が露見するだろう。
なら少なくとも、エンリーには事実を話したほうがいい。
「……そうと言われれば、そうかもしれない」
最大限、言葉を濁した俺を見て、エンリーはなにかを察した様子だった。
恐る恐るその顔を見れば、今まで見たことのない笑顔が浮かんでいる。
かつてここまで彼女の勘が冴えわたっていた事があるだろうか。
「ははぁ、なるほど。大体事情は分かりましたよ。そしてなぜ今日、レイゼルさんが一人で行動しているのかも」
「仕方がないだろ。顔を合わせづらいんだよ。落ち着けと言った手前、晄を侮辱する見え透いた挑発に乗って、相手を殴り倒したんだからな!」
やけくそ気味に全てを吐き出す。
昨日の事が頭をよぎるたびに、同じ思考を繰り返し、自己嫌悪に陥る。
なぜあんな事をしてしまったのかは、うっすらとわかってはいる。
きっと晄を馬鹿にされたことを許せなかったのだ。
それでも今までの俺ならもっと冷静に対処できたはずだ。
だというのに、なぜ昨日はあそこまで感情に任せた行動に出てしまったのか。
どれだけ考えた所で答えは出ず、大きなため息だけが口を突いて出る。
ただ俺の吐露を聞いたエンリーは、長考の末に言い聞かせるよう口を開いた。
「これは支援機構の職員ではなく、晄さんの友人としての助言ですが、きっと晄さんはレイゼルさんの行動を気にしていませんよ。それよりこうやって距離を取る方が、その気まずい関係を長引かせることになると思います」
同性であり、直近の晄をよく知るエンリーの言葉は、信じるに十分値するものだ。
とは言え理屈や正論で今の感情がどうこうできるとは到底思えない。
できる限り冷静さを取り戻した状態で晄とは顔を合わせたかった。
「……それもそうだな。ただせめて今日だけは顔を合わせたくないんだよ」
「それは構いませんが……なんだが、おふたりを見てるとムズムズするんですよね」
「楽しそうでなによりだよ。まったく」
「いやいや、おふたりが円滑にダンジョンを攻略するためのお手伝いをしているだけですよ。楽しんでいるなんて、とんでもない!」
そんな事を言い放つエンリーの顔には、楽しそうな笑みが張り付いていた。
しかし相談に乗ってくれたエンリーを責める事も出来ず、ほかの思考を排除するように資料を読み漁っていく。
鋼の玉座に関する物から始まり、ゴルデット工房や俺が殴り飛ばしたという砂塵のメンバーに関する資料、そして研究者協会が発表した研究論文。
次々と読み進めていくが、ふと手が止まる。
そこには鋼の玉座を一番初めに踏破した冒険者達の名前が並んでいた。
それど同時に見知った名前がそこに記されている事にも気付く。
「なぁ、エンリー。この名前は……。」
「そレイゼルさんが思っている人物で間違いありません。当人は余り語りたがりませんけど、鋼の玉座に関する情報がどうしても欲しいなら、彼を訪ねるべきですね」
そう言って、なぜかエンリーは力なく笑うのだった。
そのエンリーが浮かべた表情の意味を知るのは、随分と後になってからの事になる。
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