約束


「この怪我、どうしたんだ?」

「……部活中に転んだりぶつけたり」

「本当か?」

「……どうして?」

「いや、何て言うか……RAC部の連中と上手くできてるのか不安でさ」

「……みんな良い人」

「そうか。なら良かった」


 本人の口から聞けて取り越し苦労だったと安心する一方、RAC部での生活に満足している今の霧雨を見て寂しさを感じている自分がいた。

 転んだ怪我にしては少し多過ぎる気もするが、原因はハードな練習ということか。危うく黒山を否定するようなことを言い掛けたが、口にはせず黙って呑みこむ。


「……でもつまらない」

「つまらない? 何がだよ?」

「……部活は退屈」

「その割には毎日しっかり練習に行ってるように見えたけどな」

「……練習すれば強くなる」

「まあ、そりゃそうだ」

「……私が強くなれば、空也のチームも負けない」

「!」


 霧雨がRAC部に毎日顔を出していた理由。

 それは他でもない俺のためと聞いて、驚かずにはいられなかった。


「………………なあ霧雨。聞いてもいいか?」

「……何?」

「どうしてRAC部じゃなくて、俺のチームに入ってくれたんだ?」


 霧雨は俺が辛い時、不思議なことにいつも傍にいてくれる。

 一葉と双葉を預かることになり甲斐空也と愉快な仲間達を作り上げた時もそうだったし、小学生の頃に至っては塞ぎ込んでいた俺に幾度となく手を差し伸べてくれた。


「……約束したから」

「約束? いつのだよ?」

「……空也とじゃない。空也のお母さんとの約束」

「母さんと?」


 小学校に入学した直後、俺は母親を病気で亡くしている。

 普段から親父は仕事で家に居ないことが多く、母子家庭で育てられたと言っても過言ではない俺にとって、そのショックは計り知れないものだった。


「何を約束したんだ?」

「……秘密」


 そう言われると気になるが、深くは詮索しないでおこう。

 何にせよ俺を支え、励まし、導いてくれたのは他でもない霧雨なのだから。

 不登校になってからの数ヶ月間、少女は毎日欠かすことなく呼び鈴を鳴らしてくれた。朝に一度と学校から帰ってきた後に一度、必ず我が家へと足を運んでくれた。

 そして今もこうして、霧雨は俺の隣に居る。

 当たり前のように傍にいたから、こんな大事なことを忘れていたのかもしれない。


「……空也としたのは別の約束」

「ん? どういうことだよ?」

「……空也は約束を守らない」

「この前も言ってたけど、俺ってお前との約束破ったか?」


 これといって思い当たる節もなく、力が抜かれた霧雨の腕をそっと離すと、少女は湯船でチャプチャプと音を立てつつ質問に質問を返してきた。


「……昔、私と勝負した時のこと覚えてる?」

「勝負って言うとハンターか?」

「……そう」

「ああ、覚えてるよ」


 ハンターというのは少人数で行うラックのようなもの。極端に言えば一対一でもできる簡単な勝負で、俺は霧雨と幼い頃によく遊んでいた。

 家に引き籠っていた俺が再起したのも、毎日我が家へ赴いていた霧雨がある日を境に身の丈ほどあるバインドアームズを持って来るようになったのがきっかけである。


「……空也、壁に激突してた」

「仕方ないだろ。最初はスライプギアを履くのが久し振りだったんだから」

「……唇を少し切っただけで、死ぬって大騒ぎしてた」

「吐血したって勘違いしたんだよ。それに滅茶苦茶痛かったんだぞ?」

「……賭けもした」

「ああ、負けた方が駄菓子屋で奢りのやつか。あったあった」

「……空也、約束破った」

「いやちょっと待て。負けた日には、ちゃんとねりねり買っただろ?」

「……最後の一勝分、財布忘れたとか言ってまだ貰ってない」

「約束を守らないってそれかよっ? 細かいなおいっ!」

「……ねりねりの恨みは恐ろしい」

「わかったわかった。今度ちゃんと買ってやるから」


 しかしまあ懐かしい話ばかりで、語り出したらキリがない。

 難しいテクニックを初めて成功させた日。

 ルールブックを手に取り、頭の中で試合を思い描いていた日。

 次から次へと思い出が蘇る中、俺はふと気付いた。

 一葉と双葉の二人に、本当に味わってほしかった感覚が何なのかを。


「そっか……そうだよな」

「……どうしたの?」

「いや、ラックの面白さについて考えてたんだ。俺がやり始めたのも続けてきたのも、霧雨と一緒に練習して上達していくのが楽しかったからなんだな」

「……空也のお父さんの影響もある」

「それも少しはあるのかもしれないけど……その、何て言うかさ……」


 少し口籠った後で、小さく呟く。

 ずっと近くに居てくれた少女に、感謝の意味を込めて。


「霧雨がいないと、寂しいんだよ」

「……もっかい」

「言わないっての。でも、いつもありがとうな」

「……空也」

「何だよ。また死亡フラグってか?」

「……意外に筋肉、少ない?」

「…………」


 人が真面目に話していたというのに台無しである。

 何を思ったのか少女は唐突に俺の太腿を掴むなり、興味深そうに揉みほぐしてきた。


「……? 今何か硬い物に――――」

「当たってないっ! 当たってないから、さっさとその手を離せっ!」

「……空也のエッチ」

「ぐ……」


 以前にも聞いた言葉だが、その時に比べて無駄に破壊力が高くなっている。

 セクハラをされているのはこちらの筈だが、わざとなのか本気なのか照れ隠しをするような声色から放たれた一言は完全にストライクだった。


「もういいっ! 俺は出るぞっ!」


 流石に理性を保っていられず、死亡フラグみたいな台詞と共に腕を払う。

 裸を見られることも構わず霧雨から逃げるため浴槽を脱出。少女の身体を押しのける際、掌が得体の知れない柔らかい物に触れた気がしたが深くは考えないでおく。


「……空也」

「何だよっ?」

「……約束、楽しみに待ってる」

「……………………ああ。奢る前にちゃんと迎えに行くから、それまで待っててくれ」

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