第二十九話 女神の神殿。

 翌日からアルテュールは私を王城へと連れて行くようになった。アルテュールの私室で、結婚式の招待状や贈り物を準備する。当初の予定では館でこれらの準備をする予定と聞いていた。あまりにも量が多いので、アルテュールが運べる量ではないということだろう。


 公爵家の侍女に手伝ってもらって、細々とした準備をこなす。アルテュールは人に任せられる物は任せていいと言ってくれていても、公爵夫人によると直筆の招待状は相手に喜ばれると聞いていた。


 夜になると並んで長椅子に座り、お互いの一日を報告しながら花茶を飲む習慣は変わらない。

「イヴェット、今日もお疲れ様」

 今日もアルテュールは私の手にクリームを塗り込む。

「最近、洗い物はしていないのに……」

 荒れる理由がないと思いながらも、大きな手で丁寧に撫でられると嬉しい。


「紙は手の脂を吸ってしまうから乾燥してしまうだろう? 今日は何枚の招待状を書いたんだ?」

「百五十枚だけ。もうすぐ終わるから、次は挨拶状なの。挨拶状の文面は印刷してもらうことになっているから、署名だけで終わりよ」

 式の招待客は三千組。最低限と言っても膨大な量になる。


 クリームを塗り終えたアルテュールは、私の指輪を手巾で拭う。王子妃の指輪は本当に指から外れなくなっていた。回転させることができる余裕があるのに、抜こうとすると動かなくなる。


「私も手伝えるといいんだが。……すまない」

「いいのよ。公爵夫人や侍女たちが手伝ってくれているし、嬉しくて仕方ないの」

 王城の人々は優しくて温かい。他の王子妃とお茶の時間を過ごすこともある。


「マリーも外国から帰ってくる。ローラット侯はまた我が国へ大使として就任予定だから日中は一緒にいてもらえるだろう」

 アルテュールが笑って、私の手を自分の頬に当てる。


「どうしたの? 何か問題が起きているのなら、正直に話して。私ではどうにもならないかもしれないけれど、貴方のことは知っておきたいの」

「…‥イヴェットを私だけのものにしておきたいと思う気持ちと、多くの人と知り合って味方を作って欲しいと思う気持ちがせめぎ合っている。……これが嫉妬という感情のようだ」

 嫉妬という言葉を聞いて、一気に顔が熱くなる。


「嫉妬だなんて……私は……アルテュールのものだから……」

 そう口にしてから恥ずかしいと気が付いた。アルテュールの耳が見る間に赤くなっていくのに驚く。


「そ、そ、そうか……わ、私もイヴェットのものだ」

 アルテュールは口を引き結び、ますます耳を赤くしてしまった。壊れそうなくらいに心臓が早鐘を打ち続け、あまりの恥ずかしさに走って逃げ出したいと思っても、手を握られているので逃げられない。


「……お、お、落ち着いて、茶を飲もうか」

「は、は、はい」

 手を解放されて、花茶を飲んでも落ち着ける訳がなく。そわそわとしたまま、私たちはひたすらお茶を飲み続けた。


      ◆


 静かな湖の館と常に賑やかな王城を行き来していると、アルテュールが別荘を持つ理由がよくわかるような気がする。王城では常に注目されて、お茶を飲む時間も完全には気が抜けない。


「もうすぐ新年のお祝いですわね。イヴェット様は何をご用意なさったの?」

 アルテュールの兄、第二王子の妃ナディーヌは茶色の髪と瞳。私と同い年の可愛らしい女性。


「手巾とシーツと枕です」

 上質な綿花を使った布は、柔らかく光沢が美しい。出来上りには自信がある。


「ご自身で織られた布で作られたのでしょう? うらやましいです。私は今年も茶器です」

 機織りも刺繍も苦手だと眉を下げるナディーヌは、得意な絵画を活かして茶器に絵付けをしていた。一昨年作ったという目の前に置かれた白い茶器には、第二王子の紋章と精緻な花が控えめに描かれている。


「新年に使い始めるのは白い物が一番とわかってはいるのですけれど、ついつい絵を多くしてしまいそうになります」

「とても素敵な絵です。白地が映えて美しい茶器だと思います」 

 絵を描いたことがない私には、ナディーヌの感性が素晴らしいとしか思えない。


「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しくなってしまいますわね」

 ナディーヌが頬を赤くした。この周辺国では、絵を描くのは男性というのが常識。最初に聞いた時には、内心驚いたことを思い出す。


 談笑していると、侍女が小さなカードをナディーヌに差し出した。王城では相手の部屋に訪問する際に、こうして先触れを出す。

「あら? お義兄さまから私たちにお願いがあるそうです。イヴェット様、訪問を承諾してもよろしくて?」

「はい。もちろん」

 ナディーヌが義兄と呼ぶのは第一王子。返答してすぐに部屋の扉が叩かれた。


「お茶の時間に申し訳ない」

 精悍な顔立ちの金髪碧眼の第一王子オディロンは今年三十歳。着席の勧めを断り、時間がないのか立ったまま話し始めた。


「急な話だが、これから私の妃の替わりに中央神殿へ献花に行ってもらえないだろうか」

 王子妃による中央神殿への献花は、年末の行事の一つ。女神に今年一年の感謝の祈りを捧げる。


「喜んでお受け致します。何かありましたの?」

 ナディーヌの問いに、オディロンが耳を赤らめた。

「いや……その……どうやら懐妊したようだ……」


「おめでとうございます!」

 とても喜ばしいことだと思う。王城に来たばかりの私の耳にも、世継ぎはまだかと待ち望む人々の声は入っていた。心理的な重圧を受けているのではないかと心配になる程。


「ありがとう」

 控えめな笑顔で喜びを見せるオディロンを私たちは心から祝福した。


      ◆


 急いで正装に着替え、ナディーヌと二人で厳重に警備された馬車に乗って中央神殿へと向かう。この国では女神信仰が深く息づいていて、王族も貴族も平民も頻繁に神殿へ祈る為に訪れると聞いていた。


 初めて見る王都は美しい建物が並び、大勢の人々が行き交う。久しぶりに見る人々の賑わいは国の活気を示し、明るい空気を感じる。本当に豊かな国なのだと思う。


 白い石造りの神殿はとても大きく重厚な建物。正面には大階段が作られ、高い尖塔と鐘楼が太陽の光を受けて神々しい輝きを周囲に振りまく。祈りを捧げる為に人々が大勢訪れていて、騎士や神官たちが私たちが通る為の道を開かなければならない程。


 花で作られた大きな輪を二人で持ち、護衛の騎士たちに囲まれながら神殿の奥へと進むとナディーヌが懐かしいと呟いた。

「私、辺境の神殿の巫女でしたの。寄付の少ない神殿の収入の手段として絵を描いていたのです。最もそれは表向きの理由で、私は絵が描きたかっただけなのですけれど」


 貧しい農村に生まれたというナディーヌは、売られるようにして神殿へと入った。巫女として務める中、視察に訪れた第二王子に見初められ貴族の養女となって王子妃になったと話す。


「素敵なお話ですね」

 私と同じ、夢のようなお話だと思うと答えるとナディーヌは声を潜めた。

「……本当は、私が強い神力を持っていると知って会いに来てくださったの。年齢の条件が合う貴族女性の中には、神力を持つ者がいらっしゃらなかったそうだから。……選択肢が無かっただけ」

 寂し気な笑顔をナディーヌが見せた。


「出会いは何にせよ、ナディーヌ様をとても大事にされていると思います」

 公式行事の中でも、二人は仲睦まじい。

「……ありがとうございます。そうですわね。とても優しくて……いつかこの夢が覚めてしまうのではないかと恐れているのです」

 ああ、ナディーヌも私と同じ恐怖を心の奥に抱えている。一気に親近感が湧いてきた。


「私も同じです。でも、信じるしかありません」

 空いた手を繋いで二人で微笑む。運命に遊ばれているような急激な環境の変化は、やはりどこか不安が付きまとう。同じ思いを持って、理解し合えることが心強い。


「ナディーヌ様は神力をお持ちなのですね」

「強い魔力を持つ方の伴侶には、神力を持つ者が最適なのです。力を全くもたない者や、魔力が弱い者と婚姻すると、弱い方が精神に異常をきたすことが多いそうです。〝王子妃の指輪〟に選ばれたということは、イヴェット様も神力をお持ちということですのよ」


「全く存じませんでした」

 私にも不思議な力があると聞いても、俄かには信じることができない。

「フリーレル王国では誰もが知っていることでも、レガルレア王国では知られていないと思いますから、知らなくても仕方のないことです。何か疑問がおありなら、私でよければお答え致します」

 頼もしい言葉が嬉しくて、私たちは話し続けた。

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