第三十話 瞳の奥の煌めき。

 神殿の最奥で女神に花と今年一年の感謝の祈りを捧げ、私たちは広い廊下を歩いていた。廊下の外は雪が積もった針葉樹が濃い緑を見せていて、冬の弱々しい太陽と、赤と緑の月が済みきった青い空に輝く。


 出口の扉まであと少しの所で、後ろを歩いていた騎士が突然倒れた。振り向くと白いフードを被った神官が剣を手にしている。


「誰だ!?」

 騎士の誰何にも答えず、神官は騎士に剣を向けて斬り掛かる。周囲にいた神官たちは壁際で座り込み、頭を抱えて震えている。


 護衛の騎士が私たちを出口へと誘導しようとしてナディーヌの足が止まった。

「駄目です! 外には国民が!」

 大勢の人々がいる場所で騒ぎになれば、逃げ惑う人々によって更なる惨事が引き起こされるのは容易に想像できた。


 〝王子妃の指輪〟でアルテュールに助けを求めようとした時、ナディーヌが私を止めた。

「神殿で魔法を使うのは緊急時のみです!」

 ナディーヌが銀色のイヤーカフを外して地面に叩きつけると白い光が二人を包む。


「これは一体?」

「神力による防護結界です。まもなく騎士があの者を捕らえるでしょう」

 私たちを誘導しようとしていた騎士も、剣を振るう神官へと向かう。


 十五名の騎士と一人の神官の戦い。すぐに収まるというナディーヌの予想に反して、神官の剣は騎士よりも的確で速い。


「邪魔だな」

 神官服を脱ぎ捨てたのは、ダグラスだった。裾の長い動きにくい服から解放され、ダグラスの攻撃はさらに速さを増す。


「あの者は……」

 ナディーヌが呟いた。

「何者なのですか?」

 十五人の騎士を相手にしても、笑いながら戦う姿は恐ろしい。ダグラスは一体何者なのか。


「七色の光は女神や竜が持つ聖なる力と言われていますが、あの者が持つ光は違います。……おそらくは〝竜の混血〟の末裔」

 ナディーヌの茶色の瞳が金茶色に輝き、ダグラスを観察している。


「〝竜の混血〟?」

「竜は男性が卵を持ち、女性の胎内に産みつけます。ですから竜の女性が人間の男性と交わっても子供ができることはない。そう言われているのですが、女神の奇跡が起きて〝竜の混血〟が生まれることもあると。私は竜に会ったことがありますが、あの者から感じる聖なる力は弱すぎて、魔物と同じ邪悪な力の方が強い。闇に染まった力としか思えません」


 ダグラスは笑いながら十五名の騎士と戦っている。ダグラスの動きは目で追えない程素早く、次々と斬られた騎士が倒れていく。ダグラスに対抗できるのはアルテュールしかいないのかもしれない。


「……アルテュールを呼びます」

「この結界内では呼び出せません。一度解くことになります」

 それでも、このまま待っていても騎士たちが犠牲になってしまうだけ。神力の結界もダグラスには斬られてしまうかもしれない。


 ナディーヌの結界が解かれ、私は指輪を胸に抱く。

「アルテュール! お願い! 助けて!」

 早く来て欲しいと願いながら叫ぶと、赤い光の魔法陣が私とナディーヌを包んだ。


「子供騙しだな!」

 ダグラスが残っていた二名の騎士を斬り、こちらに向かって剣を振り上げて跳ぶ。


「!」

 魔力で強化した筈の防護の魔法陣が、ダグラスの一撃で霧散してしまった。


「強化しても基本構造は同じだ。あの男は破られた結界の術式を根本から変える頭もないのか」

 右手に血に塗れた剣を手にしたまま、ダグラスは私に左手を伸ばす。


 ぞっとした。その血に染まる手に触れられたくない。 

「触らないで!」

 叫びと同時に、私から発した白く輝く光がダグラスの手を弾いた。


「……綺麗な光だ」

 血塗れの甘い微笑みに心が怯む。心の闇まで見透かされそうな水色の瞳の奥に得体の知れない煌めきを感じる。その煌めきに捕まってはいけないと、理性が叫ぶ。


 そう。ダグラスに出会った時から、私はその煌めきが怖かった。自分の意思が塗り替えられそうな、まるで〝竜の番〟のように強制的な運命の恋に堕ちてしまいそうで。


 私の心はロブを、アルテュールを愛しているのに。


 これ以上ダグラスの瞳の奥の煌めきを見てはいけない。目を逸らさなければと思っても、体が動かない。


「誰も助けにはこない。私の手を取れ」

 ダグラスが再び手を伸ばした時、私を背に庇うようにして赤い光に包まれたアルテュールが現れた。


「すまない。遅くなった」

 アルテュールはすでに赤く光る剣を手にしている。言葉を交わす間もなく、ダグラスが七色に輝く剣を振り上げ、アルテュールが剣を受けた。


 アルテュールとダグラスの剣戟の音が廊下に響き渡る。呻きながら横たわる騎士の傷をナディーヌが白く光る手を当てて治癒していく。


 震えるだけの私は護られるだけで何もできない。無力感が涙になって零れ落ちた。


 ――愛する人々を護りたい。力が欲しい。

 心に強く願った時、神殿の鐘が鳴り響く。


『月の光の糸を紡ぎなさい』

 それは女神の声。導かれるままに右手を空に掲げれば、光輝く糸が現れた。紡いだ糸は倒れた騎士たちの傷を縫い合わせ、癒していく。 


 激しい剣戟が続く間にすべての騎士たちの傷が癒え、全員が立ち上がって剣を手に取った。


 囲まれたダグラスが動きを止め、姿勢を低くして剣を構える。それは王城庭園で結界魔法を斬った時と同じ構えだと気が付いた。ダグラスが狙うのは、アルテュールの剣。


「やめて!」

 目にも止まらぬダグラスの一撃で砕かれたように見えたアルテュールの剣が白い光で輝く。アルテュールは光の剣を振り上げ、ダグラスを斬る。


「……ちっ!」

 舌打ちをしたダグラスは左肩を斬られた血を振りまきながら、囲んでいた騎士を跳び越え、廊下の窓を突き破って神殿の外へと出て行った。騎士たちがその後を追う。


「イヴェット!」

 安堵で床に崩れ落ちそうな体をアルテュールが抱きしめても、零れる涙は止まらなかった。


      ◆


 結局、ダグラスの行方は掴めなかった。血痕は水路の手前で途絶えていて、捜索しても痕跡は見つからなかった。


 王城の馬の世話係の一人も姿を消していて、どうやらダグラスに買収されて王族の動向を漏らしていたらしい。この世話係の行方もわからない。


 ダグラスが〝竜の混血〟の末裔ということは、王城で戦った際にアルテュールは気が付いていたらしい。魔法を斬ることができたのも、その血のなせる業。


 魔力と神力、そして竜の力。これまではお伽話と思っていた不思議な力が身近にあって、私自身にも備わっていたことに驚いている。


 あれからナディーヌに神力の制御を教わっているけれど、私の神力は何か危機的状況でなければ発動しないらしく、普段は全く使えないことがわかった。少し残念だと思っても、それでいいとも思う。


 神力のことを考える度に『綺麗な光だ』と甘く笑うダグラスの顔が浮かんできてしまう。あの瞳の奥の煌めきを思い出してはいけないと囁く理性を信じたい。


「イヴェット。王城に行かずに、この館で準備をしよう」

「アルテュール、大丈夫よ。王城には王族の結界魔法が掛けられているのでしょう? 私がそこから出なければいいのよ」

 結婚準備の書状や品々は膨大。王城からわざわざ運ぶのは、忙しいアルテュールの負担にしかならない。


「だが……」

「心配してくれてありがとう。いざとなったら私には神力があるし、この指輪があるから」

 アルテュールに抱きしめられると心の底からほっとできる。……ダグラスの腕の中は不安と恐怖しか感じなかった。


「……アルテュール……お願いがあるの」

「何だい?」

「少しの間だけ、瞳を見せて」

 懇願すれば、アルテュールは仮面を外してくれた。隠されていた顔の上半分は黒い蛇の鱗で覆われ、青い蛇の瞳はロブの面影を残している。戸惑う瞳の奥を覗き込んでも、優しさを感じるだけ。あの危うい煌めきは感じない。


 鱗で覆われたこめかみに手を当てて、その柔らかく硬い不思議な感触を確かめると嬉しくて笑みが零れる。

「……毎日見ている私自身が怖いのに、イヴェットは怖がらないんだな」

「だって、アルテュールの心は変わらないもの。……好きよ」

 たとえ異形の姿でも、心の底から愛しいと思う。頭に浮かんだ言葉を素直に口にすると、アルテュールの耳があっという間に赤くなった。


「……私も好きだ」

 見つめ合いながら告げられた言葉が嬉しい。高鳴る鼓動が、心にわだかまる不安を払拭していく。


 ……早くあの煌めきを忘れなければ。

 アルテュールの優しい瞳に、私は微笑んだ。

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