第十八話 透明な糸。

 今日も出掛けていく王子を見送り、三階の夜空が描かれた部屋に私は一人で入った。中央には白い織機と足踏み式の糸車。王子が作業台として机を入れてくれたので、ここで仕立てを行うこともできる。


 精霊を使役し魔法を実現する魔力と、無から有を生じる神力。竜の力はどちらとも違う聖なる力を秘めている。その骨で出来た織機と糸車は、周囲を清浄へと導いた。だからこの部屋だけが綺麗なのではないかと王子は言っていた。


 これは竜の愛で出来ているのだと思う。愛する番にはすでに伴侶がいて、一旦は身を引くことが最善だと考えたのだろう。竜が二千年を生きると言っても、運命の愛の相手から数十年離れる選択は苦しいものだったに違いない。


 織機に手を触れると、じわりと温かい。竜は自らの骨をどうやって取り出したのだろう。痛みは無かったのだろうか。考えれば考える程、竜の愛は深いと思う。


 注文した材料のうち、綿花はすぐに届いた。ごみを取り、洗って干してを繰り返し、美しい光沢のある綺麗な綿が大きな籠五つに入っている。これだけあれば、シーツ三枚分の布を織ることができる。


 織機と糸車の前には、それぞれ美しい白い椅子が置かれている。これは竜の骨ではない。糸車の前に座って糸を撚り、足踏み板を踏むと、からからと澄んだ心地よい音が鳴る。慣れ親しんだ音が心を落ち着かせてくれる。


 指先に集中していると、何もかも忘れることができる。ただひたすらに細く細くと糸を紡ぐ。糸巻きがいっぱいになったので手を止めると扉を背にして王子が立っていた。上着を着たままで、今帰って来た所なのかもしれない。


 天窓からは夕方の光が差し込んでいる。もうそんなに時間が経っていたのか。


「あ、申し訳……」

「イヴェット、私には謝らなくていいっていってるだろう?」

 そうは言われても、王子の存在に気が付かなかった失礼は謝罪しても足りない。……何かが記憶に引っ掛かる。


「アルテュール、何か御用ですか?」

「菓子を買って来たからお茶に誘いに来た。イヴェットが糸を紡ぐ姿は、とても綺麗だな。声を掛けてこの光景を壊すのが惜しいと思った」

 王子の言葉でどきりとした。もしかしたら……ダグラスも私が布を織る姿を見て、そう思っていたのだろうか。……違う。きっといつ売れるか時期を見ていただけ。


「ここで菓子を食べるなら、持ってくる」

「いいえ。降ります」

 差し出された手に、手を伸ばす。王子の手は温かくてほっとする。最初の作品は王子に贈る何かにしよう。王子と手を繋いで歩きながら、私は自分の思い付きに微笑んだ。


      ◆


 王子はとても忙しいのに、必ず館に戻ってくる。夜には女主人の部屋の長椅子で、二人並んで就寝前の花茶を飲む。

「明日の朝は、イヴェットが起きるよりも先に出掛ける予定だ」

「私、起きてお見送りをします」


「それは不要だ。イヴェット、君の体調はまだ完全には遠い。しっかり眠ってくれないと私が困る」

 笑いながら王子が私の手を取った。テーブルに置かれた瓶からクリームを取り、私の手に塗り込む。


「このクリームはノーマ推薦の物だ。どんなに手が荒れても、このクリームを塗ると治るらしい」

 大きな手が、私の指や手に丁寧にクリームを塗っていく。最後にはその大きな手で包み込んで温める。私が綿花を洗うことに夢中になって手入れを忘れてしまった時、手が荒れていることに気づかれた。


「もう少し良い匂いだったらいいのにな」

 王子が苦笑する。効能を優先したクリームは、花や果実の香りではなく薬草の匂いそのもの。


「……ありがとうございます。……でも……もう手荒れは治っています」

「また手荒れしないように、という予防措置だ」

 王子の手に包まれた私の手は、とてもしっとりとしている。


「今日は王城で晩餐会だったが、どうも堅苦しくてしかたないな。イヴェットと一緒に食べる方が楽しくて料理も美味く感じる」

 最近、一緒に食事を食べていないと王子が子供の様に口を尖らせるので笑ってしまう。

「今日の食事はノーマと一緒に食べました」

 マリーはまだ、館に戻っていない。ノーマからは、王子の幼い頃の話を沢山聞くことができて楽しい。


「……春までにはすべて終わらせる。マリーはもうすぐ来てもらえるだろう。それまで寂しくさせてしまうな。すまない」

「私のことよりも、職務を優先させてください。私はこの館から外には出ません」

 これ以上、王子の邪魔をしてはいけないと思う。こうして毎日顔を合わせるだけでも嬉しい。


「……そろそろ眠らないとな」

「はい」

 王子が私の手を引いて、寝室の扉の前に立つ。手が離れ、王子の腕が私を抱きしめる。


「イヴェット、嫌なら嫌と言って欲しい」

「いいえ。……とても温かくて……安心できます」

 とはいえ、私自身の腕を王子の背に回す勇気はない。王子のシャツを握りしめるのが精一杯。


「額に口づけてもいいか?」

「……はい」

 目を閉じると、そっと額に唇が触れた。


「おやすみ。明日は夕方には戻れると思う」

「はい。気を付けて」

 王子の腕が離れ、寝室の扉が開かれた。また明日と王子は私の頬を撫でて優しく微笑んだ。


      ◆


 日々秋が深まり、冬の足音が聞こえてくるようになった。そろそろ雪が降るのだろうかと、洗濯物を干し、曇りそうな空を見上げる。

『ノーマ、私、夜空の部屋にいますから、何か用があれば鐘を鳴らして下さい』

『はいよ! 頑張ってねー!』

 ノーマは私が今、王子の為に布を織っていることを知っている。手巾やシーツ類、フリーレル王国では、新年に新しい白い物を使い始めると一年間幸せが集まると言われているとノーマに聞いた。


 庭の片隅に放置されていた鐘を鳴らすようになったのは、ノーマが三階に上がるのが怖いという理由と、私が布作りに熱中して食事を抜くことがあるから。


 紡いだ糸を布に織り上げていく。上質な素材のせいなのか、これまで織ったどの布よりも光沢が美しい。丁度糸巻き一つ分を織った所で立ち上がって背を伸ばす。この部屋の窓は天窓のみ。赤と緑の月を模した色ガラスが美しい。


 次に壁に描かれた白い月を見て、何かが違うと気が付いた。近づいて白い月に手を触れて押すと、一度絵が壁に沈み込み、ゆっくりと扉のようにこちら側に開く。

「あ!」


 扉の中には木箱が置かれた棚があり、木箱には指で回転させることができる糸巻きに手持ち用の取手がついている物が入っていた。一つを手に持って、親指で弾くと糸巻きが回る。


「……これは……何の糸かしら?」

 糸巻きのいくつかに、見たことの無い透明な細い細い糸が残っていた。一つの糸巻きを取り上げて、指で糸に触れると粉々になってしまう。もしかしたら三百年前の物なのかもしれない。


「繭糸? でもこれは透明よね……」

 蚕の繭の抜け殻を解いて絹糸を紡いだこともある。あの時の生成色とは全く違う。


 幸いにも糸は他の糸巻きに残っている。博識な王子に聞いてみようと、私は白い月の扉を閉じた。

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