第十七話 王子妃の指輪。

 古物商の店を出て、王子は私の肩を抱き警戒しながら町を歩く。何食わぬ顔で買い物をして、いくつもの角を曲がり誰か追ってはいないか確認し続ける。


「……すまない。足がつらいだろう。抱き上げて運びたいが目立ってしまう」

「いえ。まだ歩けます」

 成人してからは歩いたことのない距離を歩いている。歩きやすいと選んだしっかりとした皮の編上げ靴が重い。一度目は王子とマリーが助けてくれた。二度目はないかもしれないと思うと、足の痛みも我慢できる。


「……すまないが非常事態だ。宿屋に部屋を取る」

「宿屋ですか?」

「その部屋から館に転移する。時間は掛かるが、動き回って見つかるよりはいい」


 王子はそのつもりで白墨チョークを買っていたらしい。手近な宿屋に入って、料金を払った。


 宿屋で一番上等の部屋だと聞いていたのに、案内された部屋はそうは思えなかった。壁紙もなく、何の装飾もない木でできたベッドとテーブルと椅子。湖畔の館の庭にある小屋と大差ない。


「旅人向けの宿屋は、これでも良い方だ。準備をするから、座って待っていてくれないか」

 私が椅子に座ると王子はテーブルを端に寄せて部屋の中央に立った。

「今から魔法陣を描く」

 そう言って上着を脱いだ王子は床に屈み込み、白墨で円を描き、複雑な紋様を書き込んでいく。


 魔法の知識が一切ない私には何も手伝うことはできない。ひやりとした部屋の中でも、首や背中に汗をにじませながら魔法陣を描き続ける王子を見守ることしかできない。せめてお茶でも淹れたいと思っても、茶器も何も置かれていない。


 昼が過ぎ、日が傾きかけた頃になって魔法陣は完成した。

「出来た! イヴェット、待たせてすまない。この何も書いていない場所を通って、中央に立っていてくれ」


 広い床一面に白墨で描かれた魔法陣の中、何も描かれていない道が残っている。預かっていた鞄を胸に抱き、慎重に中央へと向かう。


「よし、残りを描く」

 外側から中央に向かって、後進しながら王子は模様を描いていく。最後の一カ所がすべて描き込まれた。


 王子が目を閉じて深く息を吸っては吐く。微かに歌うように紡がれる呪文が魔法陣を赤く発光させた。


「……帰ろう。私たちの館へ」

「はい」

 頷くと王子は指を鳴らし、魔法陣が強く光り輝く。瞬きと同時に館の隠し部屋へと転移した。


「……あ、あの……宿屋に残った魔法陣から、誰かがここに来たりしないのですか?」

「大丈夫。白墨で描いた魔法陣は一度使うと消えてしまう。常設の魔法陣は水晶や宝石の粉を固めてあるんだ。……イヴェット!?」


 もうダグラスは追いかけてこない。安堵した私の体から力が抜けて、記憶が途切れた。


      ◆


 その後の私は三日間、高熱を出して寝込み、その間ずっと王子が看病してくれた。

「……申し訳あ……」

「イヴェット、謝らなくていいと何度も言っているだろう?」

 王子はそう言って笑う。私が目覚めると、いつもベッドの脇の椅子に座っている。ちゃんと眠っているのだろうか。


「同じ言葉なら、礼の方がいい」

「……ありがとうございます。……あの……マリーは?」

「あちらにしばらく残ってもらうことにした。転移に使っている家がマリーの夫の持ち物だと知られるのも時間の問題だろう。常設の魔法陣を撤去して、新たに別の拠点を作る」


「……どうして私を探すのでしょうか。死亡届も出していたのに」

「それはわからない。届は確かに出されていたことを私も確認している」

 不安に震えると、王子がそっと手を握る。


「……私が生きていると証人になってしまうからでしょうか……」

 口封じ。恐ろしい考えが浮かんでしまった。〝百華の館〟の主人たちが死んでしまった今、ダグラスが人身売買に関わった証人は私しかいない。


「大丈夫だ。私が必ず護る。私がイヴェットを匿っていることは知られているかもしれないが、まさか転移魔法で国外に移動したとは思っていないだろう。足取りはあの町で途切れ、追ってくる可能性はない」

 大丈夫。繰り返し囁きながら、王子は私を抱きしめた。心臓の音が心地いい。


「イヴェット、白い織機と糸紡ぎの正体が分かった。体調が戻ったら使ってもいい。だから早く体調を整えよう」

 私を励ます為なのか、王子が明るく声を上げた。


「あれは、何で出来ていたのですか?」

 もしもあの織機が使えるのなら、助けてもらってばかりの私も布を織って何かを返すことができる。


「竜の骨だそうだ。この館を作った貴族が日記に書き残していた」

「竜の骨? 初めて聞きます」

 この世界に竜がいることは知っている。海の向こう、遥か彼方の大陸では竜王陛下と呼ばれて敬われる存在がいると聞いたことがある。


「私は幼い頃に今上の竜王ユーリウス・バルツァーレク陛下に会ったことがある。普段は人の姿に変化していらっしゃるが、空を飛ぶ時には銀色の竜にお戻りになる。……この話は別の時にしようか」

 長くなるからと王子は笑って、分厚い革表紙の日記を開いた。


「織機の話はここから出てくる。日記の主が結婚して三年目。二人目の子どもが出来た直後のことだ」


 あの織機は、日記の主である貴族の妻――織物が得意な伯爵夫人が竜から贈られたものだった。ある日竜が現れて伯爵夫人を見初めて口説いたものの、夫人はきっぱりと拒否をした。


 竜は諦め、自分の骨で作った織機と糸紡ぎ機を夫人に贈り、せめて自分の替わりに側に置いて欲しいと願って姿を消した。


「――日記に書かれていたのは、ここまでだ。日記の主が死んだ後、その竜が伯爵夫人を迎えに来たことは我が国の公式記録に残っている。夫人は所謂、〝竜の番〟だったらしい。夫が死んだ後、竜の妻になった夫人は竜と共に外国へと向かった。竜の番は寿命を分けるというから、まだ存命だろう」


「竜は伯爵夫人が独り身になるのを、ずっと待っていたということでしょうか」

「そうだな。だが二千年を生きる竜にとっては、短い時間かもしれない」

 〝竜の番〟といえば、出会った瞬間にお互いに運命の恋をすると聞いたことがある。運命の恋を心に秘めて、相手が独り身になるまで待っていたなんて本当にお伽話としか思えない。


「糸の原料を取り寄せようか。綿と毛と絹。麻は少し時間がかかる」

「ありがとうございます。代金は私が支払います」

 館の管理人としての給金を先月から頂いているから、自分で買いたいと思う。


「わかった。じゃあ、まずは見本を取り寄せよう。イヴェットが糸にしたい物を選ぼう」

「はい」

 

 手を動かしていれば、この不安も忘れることができるかもしれない。明るく励ましてくれる王子に私は心から感謝した。 


      ◆


 私の熱が下がった朝、王子はどうしてもフリーレル王国に行かなければならないと、私を隠し部屋へと連れて行った。


「イヴェット……この館にいれば安全だとは思うが……護衛が一人もいないのが心配だ。だから、この指輪を贈りたい」

 王子がポケットから取り出した箱に入っていたのは、花の彫刻が施された金の台座に紅玉が嵌め込まれた美しい指輪。


「これは?」

「何か危機があった時、この指輪に触れて私の名前を呼べば、すぐに駆け付けることができる。ただ……これは……呪いの指輪のようなもので……一度指に嵌めると、二度と外せない」


「外せないのですか?」

「ああ……これは…………」

 王子が耳を赤くして口を引き結ぶ。迷っているのか、次の言葉まで少し時間が掛かった。


「……〝王子妃の指輪〟だ。我が国では王子が生まれた時に、それぞれの魔力光に合わせた宝石と魔力を使って指輪を作る」

「それは駄目です。私は着けることができません」

 思わず両手を背中に隠すと、王子が困惑の表情を見せた。


「何故?」

「……私には着ける資格がありません。それは未来の王子妃の為の指輪です」

 私は貴族でもなく、一度結婚した女。例え私を護る為でも、この指輪を着けることは絶対にできない。王子が妃を迎えた時、指輪が愛人の指に嵌まっていたら妃はどんなに悲しむだろう。そう考えただけで恐ろしくなる。


「……イヴェット……」

「この館にいれば安全なのでしょう? 大丈夫、私はここから出ません。だから安心して行って来てください」

 独りの不安を笑顔で隠した私は、出掛けていく王子を見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る