5 そして無様な姿を

 噂を頼りにグランマの家へ行ってみた。寮を起点に考えると、グランダッドへ行くよりもずっと近い。

 ごく普通の小さな家だった。ドアベルを鳴らしてみたが、誰も出てこなかった。ミックさんたちが同居しているはずだから、奥さんがいるかなと思ったんだけど。

 車庫を覗いたら空っぽだった。どうやら出掛けているらしい。

 ドアの端にセキュリティ会社のシールが貼ってある。C-PS。カーディナル・パーソナル・セキュリティ。大手の警備会社だ。


(C-PSの防犯センサーに不具合があったなんていう噂は聞いたことないな。ということは、グランマの家のセンサーだけ壊れてた、っていうことか)


 なんともタイミングの悪い話。これさえきちんと作動していたら、いくら息子だからってあんな大きな顔ができたわけないのに。

 ちょっと周りを見てから(玄関脇の花壇にぼろぼろのチューインガムが刺さっていた。いたずらかな?)裏口の方に回った。こっちのドアにも警備会社のシールがある。取り替えられたばかりのように綺麗な扉だった。犯人は扉を壊して入ったらしい。あの粗暴な男のやりそうなことだ。


(どうすればアイツから権利書を取り返せるのかな……盗み出されたものだ、って証明できれば……いやそれでも、息子ってだけで許されちゃうものなのかな……)


 僕は眉根を寄せて唸ったが、すぐにやめた。考えるのはあと。


(またウルフに意見を聞いてみよう)


 彼もきっとグランダッドのためなら一肌脱いでくれるはずだ。

 表へ戻ってきたら男女の二人組が立っていた。僕は一瞬びくりとしたが、すぐに緊張を解いた。雰囲気的に刑事さんではなさそうだったから。

 男性の方がにっこりと笑いかけてきた。僕とあまり歳の差はないように見える。なんだか不思議な雰囲気のある青い目をしていたが、服とか顔立ちは軽薄な感じだった。焦げ茶色の髪をポニーテールにしている。毛量があって重たそう。


「やあ。君、この家の人?」


 僕は一瞬だけ迷ったが、正直に答える。


「いえ、違います」

「違う? じゃー、何してたの」

「用があってきたんですけど、誰もいないみたいだったんで。裏にも誰もいませんでした」

「ふぅん。いなかったんだぁ」


 男性は女性の方を振り返った。女性は三十代くらいに見えた。茶髪のベリーショートで、きつい目つきをしている。ちょっと珍しいくらい綺麗な緑の瞳――それにじろりと睨みつけられて、僕は思わずたじろいだ。


「君、大学生?」


 目つきと同じくきつい声音。怒ってるわけじゃなさそうだけど、なんだか怖い。


「えと、はい、そうです」

「この辺りだとグランリッド?」

「はい」

「そこに今年入学した魔法使いのこと、知っているか」


 僕は目をぱちくりさせた。知ってる、と言うか、そんなのウルフ以外にいないだろう。


「知ってそうだな。なら、伝えてくれ。――グレムリンが二匹、この辺りに潜んでる。見つけたら捕まえて連れてこい、と」

「グレムリン……?」

「そうだ。頼んだぞ」


 それだけ言うと、女性はふいと背を向けた。男性の方がひょいと僕の方に顔を寄せて「くれぐれも殺すな、ともね。よろしくー」と囁いて、女性の背中を小走りに追っていった。

 僕は妖精に騙されたような気分で二人が立ち去るのを見送った。なんだったんだろう、今の二人は……。



 それからもうしばらくあちこちうろついて、夜になってから寮に戻った。セントラルヒーティングは無事復活していた。ありがたい。雨の中を歩き回ったせいで骨の髄まで冷え切っていた僕の体に、この暖かさは神様のお恵みのように思えた。


「ただいま――……うっ」


 至福の気分はすさまじい酒のにおいによってぶち壊された。

 ウルフのベッドには、骨を抜かれたカエルみたいな謎の赤い生物が横たわっていた。どうやらしこたま飲んできたらしい。まさかとは思うが、注文された分をすべて飲んできたのだろうか。


「あーあーあーあー、これはひどい」


 コートも着たままだしブーツも履いたままだ。どっちも雨に濡れているのに。

 どうしようかな。僕はとりあえず彼の肩を揺すってみた。顔色は普段よりさらに白くなっていた。このにおいがなければ酔いではなく、体調不良を疑っていただろう。


「おーい、ウルフ。大丈夫? 起きられる?」


 返事はない。これ、生きているだけ屍よりも悪いんじゃないか?


「せめてコートと靴くらい脱げよ……」


 溜め息がこぼれ落ちたが、放っておくわけにもいかない。とりあえず靴を脱がしてやって、それからコートに手をかけた。

 瞬間。

 ウルフの手がびくりと跳ね上がって、僕の手を払った。


「触るな!」


 酔っ払いとは思えないほど鋭い声に立ちすくむ。

 彼は拗ねた幼児みたいに、もぞもぞと体を丸めた。膝を抱き込んで、自分を抱き締めるみたいに、あるいは外敵から身を守るみたいに、小さく小さく身を縮める。


「父さんのだから……ごめんなさい……僕が着ちゃいけないのは、分かってるけど……」


 ごめんなさい、ごめんなさい、と彼はうわごとを繰り返した。

 僕はよろよろと後退って、自分のベッドに座った。頭にニクロム線を通されたみたいに、芯の辺りがぼうっと熱を持っていた。払われた右手がぴりぴりと痺れる。

 彼のコートがお父さんの形見であることは分かっていた。確認する勇気はなかったけれど。だから風邪をひきそうになるのにも構わず着続けているのだろうって。


(……でも、着ちゃいけない、ってなんなんだろう……そんなふうに思いながら、どうしてずっと着ているんだろう)


 グランダッドのことにウルフのことが混ざってきて、僕の頭の中は奇妙なマーブル模様になった。濡れた大理石マーブルで足を滑らせたみたいに、ベッドへ体を転がす。枕もとにはジョージ・オーウェルのコラム集。彼は一九五〇年に肺結核で亡くなった。

 死んだ人が遺したもの。それを受け取る生者。

 持つべき人。持ちたい人。持ってはいけない人。

 そして、失われた命とは二度と交信できない。そんな当たり前の話。最も単純明快で厳格な、ゼロとイチの決まり事。たとえ生者の受け取り方が間違っていたとしても、死者にはもう口出しできない。生者の世界は生者にしか干渉できないのだ。


「……よし」


 僕はゆっくりと起き上がって、デスクに座った。忘れる前に今日調べたことを書き残しておかなくては。大切な遊び場を守るために。

 でも僕がメモ帳の一番上に書いたのは『幽霊はどんな原理で現れるのか?』だった。(だって気になるじゃん! 死んでるのにひょいひょい出てくるなんてさ!)



 翌日、ウルフは昼過ぎにようやく起き上がった。


「……はぁ、幽霊、ですか……」


 さっそく尋ねてみると、いつになく覇気のない返事がきた。片手で頭を押さえ、あくびをするのも恐る恐るやっている。二日酔いがひどいのだろう。まぁ、当然だ。

 それでもきちんと答えてくれるあたり、根が律儀なんだと思う。


「……はっきり解明されてはいません。よく言われるのが、未練を残しているとか、洗礼を受けていないとか、悪魔に殺されたとか、そういう理由です。無論それだけではなく、エイト・ブリッジのように、殉教したのちにその場を守護し続けるためにとどまる、ということもあります……」


 半分寝ているような目を擦って、彼はおもむろに立ち上がった。頭をふらふらと揺らしながらクローゼットの方へ行ったから、着替えるのだろう。


「禁じられた魔法の中には、魂を縛って無理やり幽霊にしたり、墓から起こしたりするものもあります……。また、幽霊狩猟ワイルドハントなどの大きな心霊現象が発生した際には、触発されて起き上がる死者も多く見られますね。……その場合、個人の人格は残っていないことが多いので、何にせよ交信は不可能ですが」

「死者が幽霊になることを“起き上がる”って表現するの?」

「他に言いようがないと思いませんか?」

「ゾンビと混同しない?」

「そちらは“動き出す”と言うので」

「なるほど」


 ふんふん頷きながら振り返る。


「それでさ、ウルフ。ここからが本題なんだけど――」


 と、しなやかな筋肉といくつかの傷痕がついた背中に向かって話しかけた、その時。

 バツンッ、と音を立てて電気が消え、暖房が沈黙した。


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