3.クリスマスの夜
クリスマス・パーティには結局、ミニスカサンタの姿で参加した。四人揃って。
最初に私とアリスとが登場した瞬間、男性陣が野太い声で絶叫し、予想に反して女性陣も割と黄色い歓声を上げ――次にブロンクスとチャーリーが登場した瞬間、女性陣が発狂したような歓声を上げ、予想に反して男性陣の一部も野太い歓声を上げて沸き立ち、ああ世界は平和なのだな、と私は思った。
パーティの内容は、もちろん、わざわざ説明する必要はないと思う。
マイヤー少佐のお誕生日会と同じか、それ以上に無茶苦茶になった。
例によって酔っ払ったソウザキ少佐は、マイヤー少佐に絡んでいて、
「なあマイヤー少佐。あんただって男だ。こう、何か浮いた話はないのかおい」
「私は仕事とプライベートは分けて考えることにしている」
「そんな堅いことは言うなよ……ほら、お前だってデイジー可愛いと思うだろ」
「素敵な女性になるだろうとは思う――君もわかっているだろうが、彼女はチャーリーとはまた違った意味で聡明だ。あれはきっと良い上官になるよ」
「そういうことじゃなくてだな。こうその何だっけ、あれだ。『萌える』って奴だ」
「君の言っていることが理解できない」
「安心しろ俺もよくわからん。ただ、なんか母親がよく使ってた言葉でな――まあ、それはともかく、それじゃあ、あのアリスって娘はどうだ?」
「彼女は――彼女は、間違いなく天才だな。だが、軍隊というのは天才が生きていくには辛いところだよ。チャーリーにも、少しそういうところがある。……できれば、何かで彼らを支えることができればいいのだが」
「そうだな……」
と、ソウザキ少佐は頷き、それから、
「――いや、違うだろ。いや、えっと違わないんだけれど、それは確かにそうなんだが、そんな真面目な話じゃなくてだな。見ろ」
と言ってミニスカサンタの姿で食堂を飛んだり跳ねたりしつつ踊り空気抵抗をぽよんと結構な勢いと揺らすアリスを顎で差し、ソウザキ少佐はマイヤー少佐に告げる。
「どう思う?」
「サンタクロースだな。しかし、淑女として脚はもう少し隠した方が良い」
「それだけか?」
「それだけだ」
「嘘つけ。それだけな訳ねえだろうが。紳士ぶってんじゃねえぞおら」
「何のことだかわからんな。うん。何のことだかわからん」
「いやお前っ! その反応は絶対わかってるだろっ!」
「わからんと言っているだろう貴様私を愚弄するかぁっ!」
などと訳の分からない口論をし取っ組み合いの喧嘩をしていたが、まあ酔っ払い同士の戯言なので気にしないでおくべきだと思う。少なくとも私は気にしない。
そんなわけで夜も更け、私たちは食堂の片付けを行い、床に転がる酔っ払いたちは毛布を掛けるだけで放置し、全部終わったときにはもう深夜の〇時近くなっている。
子どもと軍人は、とっくに寝る時間だ。
だから、私も部屋に戻って睡眠を取る。
午前一時。
基地を管理するRAIによって自動で鍵が掛かるはずの扉が、開く。
現れたのは赤い装束に身を包んだ不審人物。
口には白い付け髭、背中には大仰な袋を背負っていて、忍び足で私が部屋の壁に掛けた巨大な靴下へと近づき――
「何をやってるんですかソウザキ少佐」
「うおわぁっ!?」
と、想像以上に良い反応をしてくれる少佐に、私は言う。
「乙女の部屋に不法侵入とはやってくれましたね少佐。覚悟は良いですか?」
「ま、待て――誤解だ、誤解!」
「まあ、冗談なんですが――ミニスカでない正規のサンタクロースに化けてプレゼントとは、なかなか味な真似をしてくれますね」
「……バレてたか」
「そりゃもうバレバレです。アリスもチャーリーも気づいてます。気づいていないのはきっとブロンクスだけでしょう」
「お前らなんでそんなあいつに厳しいんだよ。良い奴だろあいつ」
「そんなことは分かってます。でも何かこう、役割的に」
「不憫だなあいつ――あー……まあ、あれだ。起こして悪かったよ……」
「ソウザキ少佐」
「ん?」
「ちょっとお話が」
「そうか――俺もちょうど、お前に話さなきゃならんことがある。ここで話すか?」
「ここではダメです。乙女の部屋ですよ?」
「じゃ、外行くか」
と少佐は言い、付いて来い、と続けて。
そこで、へきしっ、とくしゃみを一つ。
「悪い……その前に、ちょっと着替えていいか? 意外と寒いんだよ。これ」
□□□
少佐の着替えを待って外に出た。
外は、思ったよりも明るかった。
月と星とが見える、冬の夜空だ。
クリスマスに相応しいかというと微妙だが、私としては一向に構わない。雪というのは戦闘機にとってそれほど好ましい存在ではない。
基地の敷地を当てもなく歩く。
てくてく、と。
ジャケットを着て、マフラーを首に巻いたソウザキ少佐の背中を追って歩く。
思ったよりもマフラーは雑にではなく、洒落た感じにきちんと巻いている。なら洒落て見えるかというと、お洒落に慣れていない男性が、お洒落な恋人に無理矢理マフラーに巻いてもらったような感じでちょっと可笑しい。
「先日ですね」
少佐の吐く息が白い。体温で暖められた呼気が冷えて起こる現象。
私の吐く息も白い。人間を模倣するための変態じみた技術の一つ。
「チャーリーに物語の本を借りました」
私が、その物語テキストのタイトルを告げると「ああ、あれか」とソウザキ少佐は顔をほころばせてみせる。
「良い話だよな」
「正直に言います。泣きました」
「へえ。お前みたいな奴でも、あの男の子の言葉にゃ思うところがあったんだな」
「いや、あの珍妙な男の子はどうでもいいです。どうせパイロット見た幻覚です」
「おいお前ふざけんなよ――ふざけんな」
と、割と本気で怒った様子で睨んでくるソウザキ少佐に、私はこう続ける。
「私に涙を出力させたのは、あのパイロットの方の言葉です」
砂漠のど真ん中に不時着したパイロット。
何もない世界で、ひとりぼっちの彼には。
あの男の子はどんな存在だったのか――どれほど欠け替えのない存在だったのか。
「あの男の子の心は、戦闘兵器である私が理解するには、ちょっとばかり綺麗過ぎます――でも、そんな男の子を見ていたパイロットの方の心なら、少しだけ理解できるような気がします」
「……そうか」
「消えた男の子が、ロケットも無しに大気圏を脱出して、光速で何年も掛かるか知れない自分の星に還っていったのだと信じることは、私にはできません――でも、それを信じたいと願うパイロットのことなら、少しは理解できます。そういうことです」
夜空を見上げる。
星と、それから月がそこにある。
それは金髪のちっちゃな男の子が還っていった場所で、そしてかつてロケットを開発した科学者が目指した場所だ。
私にとって、それらは私の有機レンズが捉える、途方も無い距離から届いているだけのただの光と、太陽光のただの反射だ。
綺麗だ、と人間ならば言うのだろうか。
少佐に聞いてみる。
「いや別に」
というのが少佐の返事で、その返事に私はちょっと呆れる。
「少佐は天文学部の出身なのでは?」
「まあそうなんだが。でも俺の場合何て言うか、こう――むしろ、腹が立ってくる」
「わっつ? どうしてです?」
「だってそうだろ。夜空にゃ星がこんなにあるんだぜ?」
「そりゃそうです」
「その一つにだって、まだ、人間は辿り着けちゃいない」
「ええ」
「腹立つだろ。火星くらい辿り着いてみたくならないか?」
「ホトリ博士にだって、火星には辿り着けませんでしたよ」
「まあな」
ホトリ博士はもういない。
かつて月を目指した科学者は、その夢を叶えてみせた。
でも、ホトリ博士の夢は叶わなかった。
かの科学者の月に向かうという目的は、良くも悪くも世界の流れに上手く乗ったが、ホトリ博士の火星に向かうという目的は制宙権を巡っての戦いが激化する世界の流れに真っ向から反対するものであって、つまりは時代が悪かった。
それとも、火星はあまりに遠すぎたのかもしれない。
火星に行く計画は中断され、各国が牽制し合う中で軌道エレベーターの建造は頓挫し、宇宙には見えない国境線が引かれ、軍の衛星とデブリが飛び交う場所となった。
ホトリ博士は、火星に人類が辿り着くのを見れないままに、亡くなった。
それが十年ほど前のこと。
死因は病死とされているが、暗殺されただの、今は脳だけになっているだの、実はAIだっただの、病死は病死でもデザインド・チルドレン特有の遺伝子疾患でホトリ博士は今では禁止されているその技術で人工的に作られた天才だっただの、とにかくそういう噂は尽きない。
そういうところも含めて、ホトリ博士は伝説的な人物となっている。
「あの人が死んだときの俺は、高校生で」
ソウザキ少佐のつぶやくような声。
「確か、昼休みにそのニュースを見つけて――家に帰ったら、お袋に泣き付かれて死ぬほどびっくりした。……親父が帰ってくるまで、ずっとそのまんま」
がりがり、と頭を掻いて少佐が言う。
「……アレが泣いているのを見たのは、そのときが最初で最後だ」
「少佐のお母様、本当にホトリ博士のことが好きだったんですね」
「たぶんな。……それに、たぶん俺もだ」
「物心付く前に会ったことしかないと聞きましたが」
「それでも、お袋から飽きるくらいに話を聞いてたからな――だから、ガキの頃の夢は宇宙船のパイロットになることだった。火星に行く宇宙船の、パイロット」
「火星に行く宇宙船とか、今の状況じゃまず無理ですよ」
「知ってる」
「……仮に作られたとしても、現状を鑑みて、パイロットはHAIです」
「それもちゃんと知ってる。……でも、何か、上手く諦められなくてな。少しでもいいから宇宙に近づきたくて――だからこうして、戦闘機のパイロットなんてやってる。でも、それだってもうお払い箱なわけで、とんだ間抜けだよな。俺も」
「少佐が戦闘機のパイロットになっていなければ、私はここにいませんよ」
「――悪い」
と少佐はまた頭をがりがり、と掻いて、それから、ぽつん、とつぶやいた。
「火星は遠いな――すぐ隣の星なのに」
「私たちHAIは、高性能なAIです」
と、私は言う。
「ああ、そうらしいな」
「だから、適当なやっつけ仕事で作れるようなものではないんですね。……だからこそ、多少の弱点があったとしても、こうして世界中で使われ続けている。それは、ちょっとでもHAIの知識を持っていればわかります」
「そうか」
「でも、私たちの開発期間は確かに一年でした。開発に当たったのは確かにホトリ博士とアルバイト学生、そして当時はまだ幼稚園児だったホトリ博士のお子さんのたった三人。確かにホトリ博士がその開発に使えたのはほんの雀の涙みたいな予算だけで、開発に使われたプログラムには確かにネットで無料ダウンロード可能なフリーウェアが大量に使われていて、確かにホトリ博士は火星開発機に時間を取られていました――じゃあ、どうしてHAIは生まれたのか」
「どうしてだ?」
「そんなもん、答えは決まっています――頑張ったんでしょう。全力で」
「頑張ったって」
と、ソウザキ少佐が呆れたように言う。
「なんだそりゃ」
「いえ、ですからホトリ博士は頑張ったんです――たった一年で何とか結果を出さなきゃいけなくて、でもアルバイトを一人雇うくらいの予算しかもらえなくて、そのアルバイトの学生が賃金にまるで釣り合わないくらいに頑張ってくれてもそれでも全然足りなくて、開発に使えるプログラムも限られていたから、ネットにあるありとあらゆるフリーウェアをかき集めるしかなくて、時間がないからそのAIを育てるための『話し相手』を自分のお子さんにお願いするしかなくて、しかもその上で火星開発機もちゃんと火星に届けなくちゃいけなくて――それでも、頑張ったんです」
「……頑張った、ね」
以前も言いましたが、と私は偽物の白い息を一つ吐く。
「私には、ちょっと理解できません」
「できないか」
「『火星に行きたい』なんて気持ちは、ちょっと分かりません。……だって、火星なんか行ってどうするんですか」
「だな」
「あんな星、行ったところで一面の荒野に化け物みたいな砂嵐が吹いているだけです。月と一緒で、遠くから眺めている方がずっと情緒がありますし、コストパフォーマンスだっていいです」
「言えてる」
「仮に成功したところで、絶対、国家間の資源競争が始まるだけですよそれ。偉い人たちが顔を寄せ合って火星の地図にペンで線を引く作業が始まるだけです」
「だろうな」
「たぶん、戦争になります」
「わかってる」
「それでも――少佐は、『火星に行きたい』なんて思うんですか?」
「ああ」
と、少佐は星空を睨んで言う。
「そう思うよ」
「そうですか」
「間抜けに見えるか?」
「かもしれませんね――でも、それは、私たちHAIが作られたのと同じです」
「同じ?」
「私たちHAIを最初に開発したのはホトリ博士ですが――でも、ホトリ博士は天才的な閃きや発想によって、いきなり何もないところから、ぽんっ、とHAIを生み出したわけではありません――リンゴが落ちるのを見ただけで重力を発見することは、どんな偉大な天才にだってできやしません」
当然、そこには『人間と同じように考えられるAI』を作るために人類が積み上げてきた、膨大な数の先行研究が過去にあったはずだ。
ホトリ博士と同じくらい必死だった同世代の研究者の人たちもいただろう。
それ以外にも、当時の最先端の数学があって、人間についての研究があって、研究開発に必要なRAIの開発者だっていて、そもそも天才なんて言われている以上相当にエキセントリックだったであろうホトリ博士の言葉に耳を傾けてくれる上司がいたはずで、考えれば考えるほど酷なことをやらされていたとしか思えないアルバイトの学生も、忙しいためにあまり構ってもらえなかったであろうホトリ博士のお子さんのことも、もちろん忘れちゃいけない。
あるいは、専門的な視点から見れば滑稽にしか見えないような――それこそ、大砲で月へ旅行するような――AIについて描かれた無数の物語。もしかしたら、そんなものも、何かの役に立ったのかもしれない。
「きっと――ホトリ博士が作れなくてもHAIは生まれていたはずです。私たちは、ホトリ博士の天才的な発想によって唐突に生まれたわけじゃなくて――世界中の科学者や技術者たちの、必死の努力と願いの積み重ねの中から、この世界に生まれてきたんです」
私には、と続ける。
「どうして人類がそんなことをできたのか、ちょっと分かりかねます――『人類と同じように考えられるAI』なんて、火星に行くのと同じくらい荒唐無稽です。そんな無駄なもの作ってどうする、ってな話です」
「おいおい」
と、ソウザキ少佐が呻く。
「無駄どころか、今の世の中、半ばHAIで成り立ってるようなもんだろ」
「今となってはそうかもしれませんが――でも、当時はRAI全盛期でしたから。『人間と同じようなAI』を作る、なんてのは荒唐無稽な夢物語扱いで、実用性の高いRAIばかりが持てはやされていた時代です――それこそ、火星みたいなものだったんです」
だからきっと、と私は言う。
「HAIがこうして生まれてきたように、人類は火星に辿り着くでしょう。いつの日かホトリ博士の夢は――少佐の夢は、叶いますよ」
「そうか」
「百年後とかかもしれませんけれど」
「厳しいな、おい」
少佐は笑って、それから、
「デイジー」
「はい」
「俺の話、聞いてもらってもいいか?」
「どうぞ――何の話ですか?」
「エース・パイロットの話だ」
「貴方の話ですか?」
「俺とは違う」
と、ソウザキ少佐は即答した。
「正真正銘の人類最後のエースで――たぶん、人類最強だったパイロットの話だ」
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