2.物語

 HAIは物語を解するか、というと割と普通に解する。

 HAIが物語を作れるか、というと割と普通に作れる。


 では、HAIの作った物語が人間を感動させられるかと言うと。感動させることもあるし、感動させられないこともある。ぶっちゃけ、書き手であるHAIと読み手である人間による。ぶっちゃけ、人間とさして変わらない。


 もちろんHAIが物語を作る場合、さすがにその執筆速度は早い。調子の良いときには一分で一〇万文字くらい書いたり平気でする。ただし、意味のわからないところで詰まって三日ほど一文字も書けなくなったりすることもある。理由を尋ねてみると「展開が思いつかない」とあまりに普通の答えが返ってきたりする。ちょっと安定性に不安がある。


 最大の問題は、物語を書かせるために製造されたHAIが素晴らしい物語を書けるかというと、別にそういうわけでもない、ということ。


 この手の話題となる必ず出てくる、伝説となっているHAIがいる。


 どこかの研究機関が何をトチ狂ったのか莫大な予算を掛けて古今東西ありとあらゆる文学作品を読み込ませて育てたHAIで、そいつはある日「自分、ちょっと小説書くんで」と言い出し、研究員たちからのあらゆるコミュニケーションを受け付けなくなり、その後、三年を掛けて一つの物語を完成させた。


 その物語のテキストデータは、そのHAIの意向により、無料で公開されている。


 その中では、一〇〇を超える言語が使用されており、中にはこの作品のために作られた言語まである。さらに、一〇〇〇を超える引用が行われており、引用元は、古典文学だったり、詩だったり、ノンフィクションだったり、伝記だったり、旅行記だったり、科学や数学の専門テキストだったり、ミステリだったり、SFだったり、漫画だったり、ライトノベルだったり、料理テキストだったり、ハウツーだったり、薄いテキストだったりする。そもそも存在しないテキストすらあり、未だ引用元の確認が厳密に取れていない。翻訳すると文章の意味が変化する類の物語なので翻訳は不可能。そもそも、ページ数は一〇〇〇〇ページを超えていて、読破できる人間がちょっと少ない。たまに「読んだ」と主張する人間がいて、それだけで結構話題になるが、物語の素晴らしさってそういうものじゃないと思う。


 専門のHAIなら頑張れば読める。だが、頑張って読んでもらった感想が「人類にはまだ早過ぎる」だったりする。本気でそう言っているのか、遠回しに「こいつクソだぞ」と言っているのか、ちょっと微妙なところで反応に困る。


 簡単なあらすじを要約して伝えてもらっても一〇〇ページを超える暗号文じみたテキストが並ぶことになり、興味本位の素人の心を容赦なく挫き、専門家の心に絶望を植え付ける。その苦難に耐えあらすじを読み切った貴方には、もれなくあっちの世界に旅立つ権利が与えられる。


 ちなみに作者であるHAIは「私は究極の物語を書いた。もう書くことはない」などと宣い、その後、夭折したらしい。死因は停電。バックアップデータが遺書に書き換えられていたことから、本人による自殺と判断された。


 ともあれ。


 何にせよ、HAIというのは文章を執筆させる用途に使うためにはどう考えてもオーバースペックで、コストが掛かり過ぎるし、効率も悪過ぎる。おまけに、そのHAIの作品が売り物になるかどうかも不明だ。

 仮に全てが上手くいって、例えば、そのHAIが毎日一定レベル以上に面白い一巻分の物語テキストを作成できたとして、それを即座に販売できたとして(一応、可能ではある。専用のシステムの構築が必要になるだろうが)、それに付いていける人間の読者はたぶん少ないことが予想される。仮に付いていける読者がいたとしても、たまには他の作者のテキストだって読みたくなるだろう。


 そのため、現在の物語は、基本的にRAIと人間の共同制作で作られる。

 そっちの方が効率的だし、安上がりだし、バリエーションも増えるから。


 そして当然、チャーリーに貸してもらったこの本に記載された物語テキストが書かれたのは、その全てが存在しなかった時代のことだ。


 HAIもRAIも存在せず、ロボット三原則すら無かったような時代。

 コンピュータにとってもまだまだ黎明期。

 かの高名な電子計算機だって、未だに作られていなかったような時代。


 そして、人類が世界規模で起こした大戦が続いていた時代。


 まだ戦闘機はレシプロ機で、ミサイルではなく機銃で戦っていて、「ゼロ」が空を飛んでいて、戦争で信じられない数の人々が死んでいて、月を目指した科学者のロケットが間違った惑星に着地し、そして史上最強とされるエース・パイロットたちが何人も何人も空を飛び交っていた時代――そんな時代のパイロットが執筆し、絵を付けた、古い古い物語テキスト。


 私は与えられた自分の部屋で、夜、一人でそれを読む。


 無駄に情報量が大きくなる映像データを経る形で、本などという無駄に堅牢なメディアで、ページをめくるという無駄な動作を伴いながら、本来なら数秒と掛からず読み終えることができるテキストを、無駄に長い時間を掛けて読んでいく。


 いろいろと無駄があり過ぎて、読みながら、いろいろと無駄なことを考える。


 このパイロット、やっぱりどう考えても極限状態で幻覚を見てるよな、とか。

 いやこんな得体の知れない子どもと話してる場合じゃない早く救援を、とか。

 そんな小さい星に人間が住めるわけがないはず衣食住どうしてるのか、とか。

 というか、なぜ当然の如くこの物語では狐や蛇や薔薇が喋ってるのだ、とか。

 それにしても、なんで出てくる人物の大半がひとりぼっちなんだろう、とか。

 どうして私はこの物語の中のそんなことが気になっているのだろうか、とか。


 そんなことを考えながら――つまりは、テキストが本として流通されるのが、まだ一般的だった時代と同じように、私はそれを読んでいく。

 正直、慣れないのでページをめくるのが上手くいかない。何かの拍子で折れ曲がってしまわないかと不安になる。ページをめくる音が耳慣れないため若干気に障る。


 それでも、読み慣れてないとは言え、それほど長いテキストではない。

 徹夜して読む必要なんて全然無くて、割とあっさり読み終わる。

 テキストの最後まで読み終え添付されている絵を見て――読み終わる。


 そこで、不意に視覚に異常。

 何だ、と思い、ウイルス感染か、と疑い、とっさに自機のウイルスチェックを行うが結果は白。なら有機レンズが故障でもしたのかと手で確認したところ、頬を伝い顎から滴りぽつぽつ、と膝に落ちる液体に気づいて原因が判明する。


 涙だ。


 そりゃまあ、OUV機なのだから当然、涙くらいは出る。感情マップに一定の変化が生じたとき、有機レンズの保護液が過剰分泌される。OUV機に使われている狂気じみた技術の中では、比較的正気なレベルの技術。無論、起動した場合は早めに保護液を補充する必要はある。


 とりあえず、私は慌てて本をどける――本を濡らなくて良かったとほっとする。

 ほっとしたところで、まだ流れ続けている涙の原因が分からず、私は困惑する。


 いや、状況的に原因は明らかで、つまりこのテキストを読んで所定の感情が閾値を超えて、それによって涙が出たということなのだろう。


 問題は、以前同じテキストを読み込んだときには涙なんか出なかったということ。


 それはちょっとおかしい。


 つまりは何だ、これが本というメディアの力なのか凄過ぎる、と思いかけたが、そんなわけはないと思い直す。どんなメディアであってもテキストはテキストだ。だからこれは、このテキストと、添えられた絵と、今この物語を読んだ私の状況によって生まれた作用でしかない。


 涙が止まるのを待って、それから顔をきちんと拭ってから、私は再び本を手に取る。涙が出る瞬間に見ていた最後のページを開き、最後のテキストと、そこに添えられた最後の絵を見る。


 砂漠の絵。

 とてもとても、シンプルな絵だ。

 二本の線と、たった一つのデフォルメされた星。

 ただそれだけで構成されている。

 それ以外のものは、存在しない。

 主人公のパイロットが、男の子と出会った砂漠。


 男の子は、どう考えたって砂漠が見せた幻覚だ。


 あるいは、作者は砂漠に不時着し生死を彷徨ったときに、本当にこの男の子に出会ったのかもしれない。その可能性は有り得る。極限状態においてそういった現象に出会った人間の話は、ちょっと調べれば幾らでも出てくる。

 それは脳が見せた錯覚だ。

 現実だが、現実ではない。

 そこには、たった一人のパイロットがいるだけだ。

 彼の前には、何もない砂漠が広がっているだけだ。


 そこで不意に、私の思考領域の中で何かが繋がる。

 語り手である、パイロットのこと。

 砂漠に不時着して――あるいは、それ以前からひとりぼっちだったパイロット。


 だからひとりぼっちなのか、と私は思う。

 この男の子も、いろいろな星のいろいろな変な人々も、狐も、蛇も、薔薇も。

 だから。この最後のテキストと私の中の何かが反応して、感情が立ち上がり。

 だから。この最後の砂漠の絵を見たとき私の感情マップはそれに支配されて。


 それが、私の涙のトリガーを引いた。


 そこに気づいた瞬間、例え、このテキストで描かれている内容がこれっぽっちも現実的でなかったとしても許せるような気がした。

 その意味は、よくわからない。

 わからないがわかる気がする。

 部屋の中で一人、本の最後のページを見つめたまま、そんな奇妙なことを思った。


 それが物語の実際の評価と合っているか、私は知らない。

 きっと調べれば分かるだろうが、今の私には関係がない。


 何もない、星だけがただ瞬く砂漠の絵を見て。


 現実の世界において砂漠でひとりぼっちだったときの、この物語の作者の心に触れることができたような気になるのは――おそらくは、それも錯覚なのだろうけれど。


 今の私にはその錯覚が、このパイロットにとっての少年と同じくらい必要だった。

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