4.魔法のような何か
「寝ちまってたか、くそ……」
ぶつぶつと言いながら起き上がるソウザキ少佐に、ロスマン少佐が言う。
「……ねえ、その、大丈夫かい?」
「いえ、別に俺は大丈夫です――」
と答えつつも、ふらふらと起き上がる少佐の姿は、とてもではないが大丈夫には見えず、なんだまだ酔っているのかまったく少佐は本当にしょうがですね、といつもなら言うところだったが。
少佐の表情を見て、私は黙る。
黙らざるを得なかった。
なぜって、そういう表情だったのだ。
「――エリア14の、交戦事故」
「……少佐?」
「交戦事故の中でも、最悪の事故になってるターミナルと有人機の遭遇戦だ。ターミナルの航空路設定のヒューマンエラーと、気象状態の悪化による電磁兵器の着弾地点のズレが完璧に重なった。ターミナルの部隊と有人機の四機編隊が至近距離で、有人機側が不意打ちを受ける形で交戦した。その結果、有人機部隊の二機が撃墜されて、パイロットが三人戦死――生き残ったのは、たった一人」
「……」
「ナギマ中尉は二階級特進して――だから最終階級は、ちょうど今の俺と同じ少佐」
「……」
「そして俺はエース・パイロットになった」
私は、ぽつぽつ、と言葉を口に出すソウザキ少佐の表情にちょっと怯えながら、
「あの、少佐……だ、大丈夫、です?」
と、消え入りそうな声で呼びかける。
その言葉に、ソウザキ少佐はこちらを見――途端に、その顔が憑きものが落ちたようになって、同時にちょっと苛立だしげに自分の頭をわしゃわしゃと掻いて、言う。
「……悪い。どうも酔い過ぎてるな、ちょっと外の空気吸ってくる」
「わ、私も一緒に行きますよ。少佐」
「来んな来んな。俺は酔っ払いだぞ。お前は赤トンボといちゃいちゃしてろ」
「何を言いますか。酔っ払った上司を放っておくわけにいきません。他人様に迷惑を掛けるようなら私が止めねばなりません」
「……勝手にしろ」
と言ってソウザキ少佐は歩き出し、私は、ちょっと心配そうな顔をしているロスマン少佐に対して「ソウザキ少佐のことは私が面倒見ますんでご安心下さい」と告げて頭を下げ、ソウザキ少佐を追いかけようとして――一旦引き返し、怪訝そうな顔をするロスマン少佐に言う。
「あの……ブロンクスがそろそろ死にそうですので、勘弁してあげてやって下さい」
「あ」
と、ロスマン少佐は間の抜けた声を出して抱き締めっぱなしだったブロンクスを見下ろし、
そのブロンクスは、あるかどうかもわからない魂が抜け出たような顔で、
「……照れてないですよ」
と、かすれた声でつぶやいた。
□□□
ソウザキ少佐の後ろに付いて食堂から廊下に出て数歩進んだところで、
「ソウザキ少佐」
と、こちらを追ってきたバラッカ中佐が呼ぶ声に、ソウザキ少佐が、ぴたり、と立ち止まって振り向く。
振り向いたところで、ちょうど後ろを歩いていた私は少佐と正面追突。お互いに悲鳴を上げて廊下の床にどんがらがっしゃんぺったんぺたんとひっくり返る。
「……大丈夫かい?」
とバラッカ中佐が心配するのに対し、二人して『大丈夫です中佐!』と答えつつ立ち上がって姿勢を正し、次の言葉を待つ私とソウザキ少佐。
「君たちの息はぴったりだな」
と、バラッカ中佐が笑う。
「ソウザキ少佐――私は、君に感謝しなければならない」
「感謝、ですか?」
「マイヤー少佐のことだ。君が彼を変えた」
「……別に私が変えたわけじゃないですよ」
と、ソウザキ少佐はちょっと気まずそうに言った。
「仮に、私の言葉でマイヤー少佐が変わったのなら、それは、マイヤー少佐が元々変わることを望んでいたってことです」
「謙虚だね」
「ただの事実ですよ。マイヤー少佐は優秀です。HAIパイロットの必要性を理解してないわけがない。ただ、それ以上に彼は堅物で真面目ですから。いろいろと、ないがしろにはできないことがあったんでしょう。――今回、こっちの指導パイロットに選ばれたのと一緒に、彼が隊長を務めていた部隊が解体されたことは聞いてます」
「そうか」
「だから私はただのきっかけに過ぎません。他人にちょっと何か言われた程度で人間はそうそう変われるものではないですから」
「殴り合ったとしても、ね」
「……すみませんでした」
「いいさ、パイロットなんてそんなもんだ」
「……そうですか」
「もし、君が言わなければ、私が彼に君と同じことを言っていた。――いや、本来なら、それは私が言うべきだった。中佐である私の言葉なら、彼は素直に従っていただろう。殴り合いになることもきっとなかった。でも、そのときはきっと――」
バラッカ中佐は、未だ馬鹿騒ぎが続いている食堂へと視線を向けて、言う。
「――こんな風にはならなかっただろうな」
「……かもしれませんね」
「私は、今の任務を終えた後、大佐へと昇進することが決まっている」
「おめでとうございます」
「そして、パイロットとしてはもう引退だ――いい加減もう飛ぶのはやめろ、という上からのお達しだね。これからは地上勤務になる」
「……そう、ですか」
「デイジーくん」
不意にバラッカ中佐に視線を向けられ名前を呼ばれ、私は驚いて、ぴしり、と機体の各関節部をぎしつかせて答える。
「は、はい!」
「本当のことを言うと、私は、君が飛ぶのは無理だと思っていたんだ」
「え?」
「君のシミュレーションでの結果を見て、きっと君が空を飛ぶことは難しいと思っていた。そして、その君に対しパイロットとしての経験が浅いソウザキ少佐を付けることが決まった時点で、絶対に無理だろうな、と確信した。誰だってそう思う、と」
私はとっさに、ソウザキ少佐へと視線を向けた。
ソウザキ少佐は肩を竦めるだけで何も言わない。
「それでも、私は君たちを見捨てるつもりはなかった――と言えば聞こえはいいかもしれないが、実際は、それでも駄目だと思っていた。見捨てはしなくても、諦めてはいた。それが私の本音だったんだ」
でも、とバラッカ中佐は唐突に笑い出す。
くつくつ、と。
楽しそうに、本当に楽しそうに笑いながら。バラッカ少佐が言う。
「今、君たちはそれを覆して空を飛んでいる――物の見事にこっちの鼻を明かされたよ。毎度アリスくんに驚かされっぱなしの私だが、正直、君たちにはもっと驚かされた。まったく――こんなに愉快なことはない」
バラッカ中佐は不意に笑みを止めた。
「つくづく、自分が年を取ったと気づかされたよ。……昔は、私も君たちと同じ側にいたはずなのにな。こんな体たらくじゃ、地上勤務を命じられるのも納得だ」
それから、バラッカ中佐は食堂への扉を開きつつ、私たちに向かって告げる。
「これからの空は、もう君たちのものだ――よろしく頼む」
からん、と。
鈴の音を立てて締まる扉を見てから、私はソウザキ少佐に告げる。
「私って相当な欠陥機だったんですね……」
「もう昔の話だけれどな。今は違う」
「少佐のおかげです」
「馬鹿。そんなわけねえだろ」
「わっつ?」
と聞き返す私の頭に手を伸ばす少佐。それに対して、いつもの通りに弄くられることを警戒してツインテールを私はガードしてみせて、
赤トンボが、ぱ、と飛び上がって、
「デイジー」
ぽふ、と。
少佐はそれで空いた私の頭の上へと手を置いて、言う。
「お前が頑張ってくれたおかげだよ」
手が離れ、赤トンボが再び戻ってきて、私はツインテールをガードしていた手を下げ、きびすを返して歩き出した少佐の背中を追いかけ、私は言う――彼を呼ぶ。
「――ソウザキ少佐」
「何だ?」
「いえ……」
と、私は自身の動作に困惑して、
「何かこう、呼んでみたくなったのです」
「何だそりゃ」
「何でしょうかね。何かこう、上手く言語化できません」
「そうか」
と、ソウザキ少佐はちょっと笑った。
そのときの自身の感情マップを、もちろん私は保存している。
当然、後になってから分析してみた。
だから、そのときのよくわからない私の感情を形作っていた様々な数値はきっちりと残っていて、成る程成る程、そうか喜びの数値がこうで、ほほう悲しみの数値がこうでみたいなことをデータとして提出することは可能だ。
問題は、ではそれらの数値の集合によって出力されていたそのときの私の感情は何なのか、ということで、それがいまいち分からない。数値の集合体は数値の集合体でしかなくて、このデータがそのときの感情です、と言われても理解にはほど遠い。
そのために言語化する必要があるのだが、少なくとも、私の中の辞書を何度検索してみても、それを一発で表すことができる正確な単語は見つからなかった。
だから、
――ソウザキ少佐。
と、私に言わせたそのときの感情は、今のところの私にとって、魔法のような正体不明の何かとして分類されている。
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