第29話 領主ガンマディス・ドール

 そんな夜中の来訪もありながら、一日一本ハートさんのミルクを飲みながら療養をしていたら、全治3カ月が何とまあ、1ヵ月で治るのだから、つくづく恐ろしいものだ。俺、相当寿命を削っているのでは、と不安になる。


 だが、早期は俺にとっては喜ばしいことだ。少し鈍った体を鍛えなおせば仕事にもすぐに戻れるだろうし、何より報酬から引かれる費用が減る。入院代は俺持ちなのだ。


「さすが、筋肉猪と戦って勝っただけのことはありますね。すごい生命力です」

「いやあ、ははは……」


 自分の力ではないんだけど、看護師さんが感心してくれるので、とりあえず乗っかっておこう。


「いやあ、療養所開いて以来の大盛況だったね」


療養所の所長に挨拶に行ったら、あきれるように所長は言っていた。

 主に野次馬が大量に来たことを言っているのだろう。申し訳ない。


「騒がしくしちゃって、すいませんでした」

「予定ではあと2ヵ月で退院だからね。野次馬も外にはおらんだろうし、さっさと帰った方がよかろうな」


 おじいちゃんの所長は、大量におかれた見舞いの果実をかじりながら見送ってくれた。なんでも、知らない人からも大量の見舞い品をもらったらしいのだが、とても俺が食いきれない量なのでもらっているそうだ。


 頭を下げて療養所から出よう、とも思ったが、外に人がいる。自分が今出て行けば、騒ぎになるだろう。せっかく挨拶したところだが、俺は自分の個室で3時間待った。


 スキルを発動して、他の患者と一緒にとロビーを出ると、やっぱり野次馬がいた。最初ほどではないが、結構な人数だ。


 俺はスキルの効果で気配を消しているので、彼らに気づかれることはない。


(まさか、家帰るためだけに使うとはなあ……)


 俺は、野次馬の外側をぐるりと回ると、そのまま堂々と療養所を歩き去った。


 療養所は町の中心から少し離れたところにあるので、ちょっと歩けばすぐに見慣れた光景になる。


(……荷物だけおいて、ギルドに挨拶に行くか)


 俺はそう思って、さっさと家に帰った。帰ると、部屋が妙に片付いている。筋肉猪との戦いに向け、結構いろいろ準備して汚れたりしていた気もするんだが。


 ふと見ると、たたまれた布団に書置きがあった。


『無事で帰ってきてください』


 誰の手紙だろうか。裏を見ても、名前は書いていない。だが、この人が片付けてくれたのか。なんだか胸にじん、と染み入る。


「……無事に帰りましたよ、と」


 俺は荷物を置いて、一度布団に座った。


 ……うん、なんか懐かしいにおいだ。


 しばらく家を空けていたからか、何だかこの部屋の匂いが恋しくなってしまっている自分がいる。


 ひとしきり部屋の香りを堪能すると、俺は立ち上がった。


 ギルドに退院報告と報酬の受け取りをしに行かなければ。


***************************

 宿から出ると、誰かがこちらへ向かって走ってくる。


 息を切らして走ってくるのは、マイちゃんだ。


 マイちゃんは、俺のことを素通りして、宿の中へ駆け込む。


「すいません、コバくん帰ってきてませんか!?」


 俺?なんか用事だろうか?


「……俺ならここにいるけど」


 俺はマイちゃんに話しかけた。


「え!?」


 マイちゃんはその声に驚いて振り向く。この瞬間、俺のステルスは消え去った。


「こ、コバくん……!?」

「今からギルドに行こうと思ってたんだけど。退院報告」


 頭を掻きながら言う俺の胸倉を、マイちゃんは両手でつかんだ。


「いいから、早く来てちょうだい!あなたのせいで大変なことになってるのよ!?」

「え?なんだよ大変なことって……」


「領主さまが!あなたに会いに来ているのに、あなたがいないのよ!」


 ……え?


「とにかく!すぐにギルドに行くわよ!早く!」


 マイちゃんは俺の手を握ると、結構な勢いで走り始めた。


 だが、ギルドの事務員であるマイちゃんの体力など、たかが知れている。


 途中でばてたマイちゃんを背負って、俺はギルドに向かった。


「お前、退院したならすぐに報告しろよお!」


 ギルバートさんが、今までにない血相で怒っている。こんなに怒られたのは、かなり久しぶりだった。


「……いやほんと、すいません」

「お前に俺の気持ちがわかるか?領主さまに、「英雄の退院のタイミングを把握していないのか?」ってお叱りを受けたぞ!なんでそんな早く治ってんだお前!入院してろよ!」


 最後の方はひどくね?とも思うが、まあ、ギルバートさんが叱られたのは俺のせいだし、仕方ない。俺は本当に、平謝りするしかなかった。


 ギルドの最上階の応接スペースにて、領主さまが待っているとのことだ。ギルバートさん

に尻を蹴り飛ばされて、俺は部屋に入る。


「……やあ、君がコバだね。筋肉猪を討伐したという」


 目の前に座っているのがこのバレアカンの町を含む俺の地元の領主、ガンマディス・ドール子爵だ。


 年齢は、確か37歳と領主にしては若い。5年くらい前に代替わりしたんだったか。青い髪に青い目をした、いかにもな美青年、という感じだ。少なくとも実年齢より若く見える。


「ど、どうも……」

「まあ、かけたまえ」


 領主様に促されて、俺は席に座った。ギルバートさんとは違う緊張感のある人だ。


「……ギルバートの話では、あと2ヵ月は入院していると聞いたが?」


 まあ、最初はそう来るよね。


「ええ、ちょっといい薬を処方されまして……」

「そんな薬があるなら、ぜひとも知りたいものだな。それがあれば、傷病者も減るだろう」

 それはやめた方がいいんじゃないかなあ。下手すれば国民全員が中毒予備軍になりかねないから。


「ま、まあ、秘伝の薬みたいなんで、俺も詳しくは知らないんですけどね。ははは」


 とりあえず、ミルクのことはぼかしておこう。俺は笑って誤魔化した。


「……さて。本題に入る前に、少し雑談でもしようか」


 領主さまはそう言って座ったまま前傾姿勢を取る。


「私は、王都の貴族学院に通っていてね。そこで、冒険者学科に通っていたんだ」

「はあ」

「だから、筋肉猪を倒した時の話がぜひ聞きたくてね」


 目が輝きだした。さては、この人は冒険譚とかが好きなのかもしれない。


「……まあ、そんな面白い話じゃないですよ?」


 俺は筋肉猪について、自分の体験談を語りだす。


 あまりにも多くの人に聞かれるもんだから、エピソードとしてすっかり定着してしまっていた。


「……ってなわけで、なんとか倒すことができたってわけですね」


 ひとしきり話し終わって、俺は息を吐いた。こんなに緊張したのは初めてだ。


 領主さまは目を閉じ、黙って聞いていた。合いの手とかがないから逆にやりにくいタイプだ。本人は真面目に聞いているのだろうけど。


「いやはや、まったく。……ものすごく面白いじゃないか」


 領主さまは目を開けると笑顔を見せてくれた。どうやらお気に召したらしい。


「そうか、筋肉猪はそんなとんでもない能力を持っていたのか……。おまけに、毒も効かない強靭な肉体……とんだ怪物だな」

「え、ええ、そうですね」


 領主さまの言葉に俺が適当に相槌を打つと、机の上に何かが詰まった袋が置かれた。


「これは、筋肉猪の懸賞金だ。よくやってくれたね」

「あ、ありがとうございます……」


 持ってみると、かなり重い。中を開くと、大量のまばゆいばかりの金貨が入っていた。


「金貨100枚。それに、私の心ばかりのお礼も入っている」

「お礼?」

「あの怪物には、領民がかなり苦い思いをさせられていたからね。彼らを代表して、だ」


 それに、と領主さまは俺に向かってウィンクする。


「報酬、少なくなっちゃったんだろう?入院費用で」

「あっ……。そ、そうですね……」


 それを見越しての事か。細かいところに気の利く人だなあ。


 俺は、この時そう思った。思ってしまった。


ひとまず手元に金貨の入った袋を置く。


「……それで、実はお礼ついでにお願いをしたくてね?」


 置いた瞬間、領主さまの声に、俺の動きが止まる。

 なんだか、無性に嫌な予感がした。


 絶対にろくでもないことに巻き込まれる。そんな気がしたのだ。


「……な、何ですか?」

「実は、懇意にしているコーラル伯爵から、自分の領地の罪人がこのドール領へ逃亡した、という報せを受けていてね」


 コーラル伯爵。その名前を聞くのは3度目だ。


 ルーフェを買い、専属の娼婦としている男。このドール領に、自分専用の娼館を、冒険者を使って建設させた男。


 正直、あまりいい印象がないのだけれど。


「その犯罪者の逮捕に協力してほしいとのことなのだ。そこで、今やドール領随一の冒険者である君にも、協力してほしいんだよ」


「……犯罪者、ですか。誰がどんな罪で?」


 領主さまは手元に資料であろう書類を見て、それを俺に見せてきた。


 そこには、やはりそうであろう、名前が書かれていた。


「罪人の名前はルーファリンデ。罪状は……殺人だ」

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