第8話 餌たちの追憶(後)

「削ぎ肉の時間だ!!」


看守長の怒声が寮内に響き渡る。


少女達は全員、木製の首枷と呼ばれる三つの穴の開いた一枚の木の板で出来た首と手だけを固定する枷を着けられた。

そして寮から隣接した加工場へと隊列を組んで移動させられた。

寮は全部で四棟あった。他の棟からも引率され違う加工場へと向かう死狼餌達の姿が見えた。


「整列しろ!」


死狼餌の少女達が列を作る。全員で二十人。等間隔で四列を作って並んでいた。

看守の男の一人が整列した少女達の腹や腕を遠慮なく触る。


「今日は二トン近く餌を生産しなければいけない」


カイサはざっと軽く計算した。それは一人当たり百キロ必要だった。

脂肪の塊と化した数人の仲間を差し引いてもそれは一人の体重を大きく超えていた。


「しかし今日、全員分の麻酔薬はない」

少女達のなかで小さくどよめきが起こった。


「安心しろ。麻酔薬なしで肉を削ぎ落すことは絶対にしない。今日は効率も考えて体重が百三十キロを超えた者のみを対象に削ぎ肉を行う」


体重百三十キロ――。


当然カイサは対象外だった。

日頃の体重管理のおかげでカイサは死狼餌の中で一番体重が軽かった。

ミチも当然体重がそこまで重いようには見えない。全体で対象者は恐らく四人ほどだ。


ミチが前の列からカイサを振り返り目で合図を送った。彼女は嬉しそうだ。

このときばかりはカイサもミチにつとめて自然に返した。


「おい!カイサ!」


急に看守長が見つけたようにカイサの名前を呼んだ。

カイサが一驚する。今のやりとりを見られたのだろうか。しかしそれは違った。それはもっと良くないことのためだった。


「この中でお前はずば抜けて再生能力が高いな?削ぎ肉の対象だ。お前も一緒に来い」


口答えしようとして口を開いてやはり止める。カイサは渋々と頷いた。


「待って!」


それを見ていたミチが隊列を割って進み最前列から飛び出した。枷をされたまま看守長の前に跪く。


「私も入れてください。その方が早く終わります」


余計なことを。あいつ馬鹿なのか。カイサは小さく舌打ちをした。

看守長はミチの体を上から下までまじまじと眺める。


「お前は痩せすぎだ。全く使い物にならん。それにお前の分の麻酔薬はもうない」

「麻酔薬は要らない」


その言葉に死狼餌の少女達はおろか看守達も、その場にいた全員が驚いた。


「それは……出来ん。そんなことをすれば我々は首だ」

「なら私とカイサを入れ替えて下さい」


看守長はなるほどと笑う。

「友達のためか。死狼餌は人間関係を築いてはいけないのを知っているな?」

「いえ、私とカイサは友達ではありません。ただの仲間です。死狼餌の仲間です」

「ほう。いいだろう」

看守長はひどく忌々しいと言わんばかりの顔を作る。


「つまりお前はここの〝仲間〟全員のために二トンの肉を一人で生産することもいとわないわけだな」


ほれ、見ろ。いくらなんでも無茶苦茶だ。早く助け船を出した方がいいだろうか?

しかしミチは臆さなかった。


「もちろんです。是非やらせて下さい」


看守長は明らかに恐慌した。

ミチのその決意を目の当たりにして動揺せざるを得なかったようだ。さらに看守長はもう一度、上から下までミチの体を見て深くうなる。


それは『現実的に考えてミチのような細身の少女から二トンも回収するとなると一晩中かかる』と考え至ったようにも見えた。

しかしこのままミチを取り置くのは彼自身相当悔しかったらしい。


看守長は部下の看守に「この馬鹿と体重適合者だけを連れてこい」と耳打ちし、ミチの前にズシズシと歩み寄ると勢いをつけてミチの顔を殴った。


ミチの体は少女達の悲鳴と共に隊列の方へと宙を舞い、地面に滑り込むように着地した。

少女達は枷をされているせいもあり誰も受け止めず、ミチもまた枷をされていて受け身を取れなかった。


しばらくミチは起き上がらない。しかし流石は死狼餌。血の混じった唾を吐きゆっくりと体を起こす。

前歯が二本折れていた。しかし前歯は既に少しずつ再生を始めていた。ミチの瞳が死狼の目のように赤く光っている。


「お前達は不死身の死狼の魂を植え付けられた。体内に死狼と同じく魂胞を持っている。人間じゃない。死狼でもない。家畜以下だ」


看守長はそう捨て台詞を吐いて逃げるようにその場を離れた。





「何やってんだよ!?お前」

カイサがミチの胸倉を掴んだ。

ミチが帰って来たのはいつもの削ぎ肉が終わる時間より四時間も遅かった。とっくに夜になっていた。

帰って来たミチは何食わぬ顔でカイサに声をかけ、着替えると一人で夕食を取りに行こうとした。カイサはそこを捉まえたのだ。


「何が仲間だよ!?頭おかしいのか、お前?」

それは殴り掛かりそうな勢いだった。

「勝手に仲間呼ばわりするなよ……気持ち悪いんだよ」


「カイサは私の希望だから」

くぐもった声で言う。ミチの表情は読めなかった。いや疲れていただけかもしれない。


「カイサは一度餌から普通の暮らしに戻ってる。だから私の希望なの」


「違う……あなたは勘違いしてる」


カイサに平手打ちが飛ぶ。


「何がよ⁉人間らしい生活に憧れて何が悪い?自分だけおいしい思いして」


「いいえ」


カイサはミチの胸倉を掴んだ手を下ろした。


「実際私は生まれてからほとんど人間らしい経験をしていない。あなたも知っている通り親に捨てられ、不自由な施設で愛も知らずに育ち、毎日のように家畜が食べるような食事を食べ、看守に嫌らしい目で見られ、その上一度も若い男と普通の会話すらしたことがない」


ミチから離れたカイサはギュッと拳を作った。擦れる音がするほど歯を食いしばる。


「……だから私は耐えられる。私は幸せを知らない。これが私の普通の生活。幸せを知らなければ不幸もなくなる」


ミチは視線を落とし黙ってカイサを押しのけるとそのまま食堂へと向かった。





次の日、カイサの他の加工工場への移送が決まった。

二日後だ。理由は明白だった。その晩、カイサとミチは例の看守の休憩室で酒を飲み交わした。


「駄目。やっぱりお酒って好きになれない」

カイサが瓶を片手にワインを呷る。ミチは強そうなお酒を飲んでいた。

「カイサはだらしないのね。移送されなかったら私がここでお酒というものを教えてあげたのに」


ミチはへべれけに酔っていた。カイサの背中をバンバンと叩く。やめてよとカイサは笑った。


酔いも手伝い悪くない気分だった。カイサはミチの上機嫌な饒舌を苦笑いで聞く。

ミチは自分のことを友達ではなく仲間だと言った。

出会い方が違えばもしかしたら。カイサはミチを見て微かに顔を綻ばす。


「明後日にはカイサもここに居ないんだね」

「いつものことだよ。遅かれ早かれこうなってた」


ミチは酒瓶の中身を飲み干すとゆっくりとそれを置いた。ミチの顔が刹那、薄く曇る。それから目を瞬いて蝋燭の光を見つめた。


「ねえカイサ、なんで死狼は人間の肉と魂を食べるか知ってる?」

「なんで?」


そんなこと考えたこともなかった。それは食べるからだ。カイサにとってそれは当たり前のことだった。


「心ある生き物には生命力があるんだって。生きる意志とかいうやつ?」

ミチはこちらを向いておかしいよね、と笑う。なにそれ、とカイサも笑った。


「本能とはまた別の生命力。魂にある『生きたいという強い意思』それを食べるの。死狼って。それが魂から肉体へと伸びていて魂と肉体を繋ぎ止めている」


こんな感じでね、とミチは自分の体からカイサの胸へと一本の真っすぐな線を描いた。


「死狼は人の『生きたいという強い意思』が絶ち切れたときに食いちぎられた最後の肉のひとかけらからその人の魂を食べるの。そして魂から切り離されても肉体に『生きたいという強い意思』が生命力の痕跡として残り続ける。だから肉体を食べても人間の生命力を食べられる」


ミチはここからが面白いの、と言う。


「人は自分を見失ったときいつも自分に問う。『自分は何者か?何のために生まれて来たのか?何のために生きるのか?』でも私達が生きている意味なんて餌になるだけ。死狼の食べたい生命力なんてないはず。そうでしょ?」


ミチは立ち上がると窓を開け鉄格子にもたれ掛かった。淡い夜風がミチの短い髪を揺らす。


「前にいた町であったことなんだけどね」

ミチはそう前置きをした。


「あ、私の親友の話なんだけど。前にいた加工工場でその子が外に逃げ出そうとしたことがあったの。その子毎日肉を削ぎ落されるのが我慢できないって私に何度も話してたから、多分それが理由」


「寮は外へと続くドアは全て施錠されてるんじゃないの?」

「うん。そう」


窓の外を見つめるミチの顔が月明かりを受けて青白く光る。ミチはカイサを代弁するように続けた。


「それに寮の周囲数十メートルは見晴らしのいい平地と加工場と餌場だけ。そして高い壁に囲まれて入り口は狭い跳ね橋のみ。これはどこの工場も同じ。逃げられるわけない。皆そう思った」


「逃げ切ったの?」

「いいえ」


ミチは首を振る。


「でも壁の外までは出た」

「どうやって?」

「死狼の餌場に隠れてたんだって」

「は?」


「人肉を保管するところ。削ぎ肉の後、すぐそこに隠れてね。粉砕機ですり潰された肉の中で何日も過ごしたらしいよ」


「それって……」

カイサは絶句した。何も言葉が出て来ない。


「そして人肉が他の工場へと運び出されるタイミングで外へと逃げ出したんだけど結局捕まっちゃって……殺処分されちゃった」


ミチはこちらを向いて悲しそうに笑った。

「私その子に何もしてあげられなかった。ただ笑って愚痴を聞いてあげるだけだった」


ミチは寒っと軽く身震いして窓を閉めると壁を指でなぞりながら歩き出した。


「多分、多分だけどね。永遠の命を独占している貴族の人達も、その下で生命力を奪い合って略奪や争いを繰り返す民衆も、まして私やカイサのような少女達を恍惚酒と取引している闇商人も、恐らく誰もその『価値』に気付いていないと思うの。そしてその子がしたことの『意味』も。きっと私達以外。でも、それでも、私は、その子に対して本当に最後まで何もしてあげられなかった」


ミチがカイサの目の前で止まった。


「ねえ、カイサ。私達が何のために生まれて、誰のために生きているかって考えたことある?」


「……分からない」


「みんな誰かの役に立ってる。そうでしょ?」

「知らない。死狼のためじゃない?」

「少なくとも私は誰かのために生きたい」


ミチは蝋燭に近づくとそれをフッと吹き消した。


「私カイサに嘘をついてたの」



ミチがカイサに近づき抱きしめた。手で髪をすかれ口づけをされる。



『あなたのお母さんの話は全部嘘。あの身の上話は全て私の過去のことなの』



『で、あのロケットはここに置いてあったやつ。多分、看守の誰かの物だと思う』



『でも私思うの。我が子を〝愛〟していない親なんていない。私もきっと理由があってここに捨てられた。そうでしょ?』



『だってこのロケットに書いてある』



『私はこの写真の人が誰かも知らない。誰の親なのか、はたまた誰の子供なのかも知らない』



『でもここに、このロケットにはっきり書いてある』



――〝愛する我が子へ〟――



『ほらね』



ミチは笑った。


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