第17話私はこんなにビッチじゃない!
ことが終わった後、僕はきれいな冴子の黒髪を撫でていた。それに冴子はくすぐったそうに笑っている。
しかし、冴子の表情が曇った。
「まだ、書こうとしないんですか?」
「うん」
僕は素直に頷く。曇り空から今にも雨が降り出しそうになる。
「実はさ、わからないんだ」
「わからない?」
「最近のネット小説とか売れ筋の小説を読んでも良さがちっともわからないんだよ」
「そ、それは・・・・・・」
雲が何重にも重なって、色を濃くしていた。
「冴子の小説もさ」
「はい」
「素直に褒め(ほめ)てあげられるといいんだけどね。でも、異世界転生というジャンルが好きじゃないから、良さがちっともわからない。他のネット小説も同様だ。こういう展開でなぜ人は感動するのか?面白くなければ読もうとしないだろ?なんでこんなに人気を博するのか、僕自身ネット小説を読んでイライラするところが多い。こんなもの面白くないし、文芸書だって、ネットやライトノベルよりかはマシだけど、非常に構成が雑で、読んだ後虚無感しか浮かばない。それにだ」
冴子の目が大きくなる。
「それに?」
「小説以外にも楽しいことはたくさんある。例えば、異世界転生モノ読むよりかは、ハイブリッドファンタジーのゲームをした方が楽しい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「また、それに、というけれど、それに僕は世界の中心じゃないからね」
「?それはどういう意味ですか?」
「最近のアニメや漫画を見ていると、自分がまるで世界の中心で輝いているような作品を多く見受けられる。でも、そうじゃないだろ?僕たちはみんな脇役でしかない。そのことを伝えるというのも僕の小説の使命だったんだけど、流行りの小説って、みんな世界の中心に自分がいて、自分が挫折すると、まるで世界が大きく危機状態に陥るようなそんな書き方がほとんどだ」
「はい」
「そんな主人公、いや、そんな自画像は苦しいだけだし、そして間違ってもいると思うから、僕は作品であなたは世界の中心にいないよ、ということを伝えてきたんだけどね。だけどその考えを敷衍(ふえん)させていったら、自分が怠けてもまるで問題ないじゃないか、とも思ってしまったんだ」
それに冴子は慌てた。
「そ、それは!」
「いや、これは事実だ。僕が小説を書かない大きな理由はそういう思想があるんだ。もちろん、世界の中心に俺がいて、俺の問題が世界の問題、というのも大問題だと思うけど、僕が書かなくなったのは、人間一人では何も救うことができない。だから、やめても世界に何も問題がない、と思って」
「そ、それは・・・・・・・」
冴子は言葉が詰まった。一度、俯いてからまた僕の方を見る。その瞳には強い光が現れていた。
「でも、私、あなたの小説で救われました」
「え?」
あの、累計200万部を売った『無双勇者』の作者が、ほとんど無名の僕の本で救われた?
「それはどういうことかな?冴子」
「私、『無双勇者』執筆中、すごく悩んでいました」
「ああ」
それはわかる。小説を生み出すのはかなり苦しいことだ。
「売れに売れたけど、でも私自身、その本が書きたかったというと・・・・・・・そんなには書きたくはなくて、でもファンレターで、笑えました、とか泣けました、とか感動しました、というお手紙を読むたびにものすごい虚無感に包まれていて、こんな、適当に作ったもので感動されても、という思いがすごくあった。
それ以前は私は好きなものを書いていたんですけど、それは全然売れなくて、どうしてこんな面白いものが読まれないんだろうと、いつもお思っていました。私はものすごく面白いと思うのに、なぜ?という思いがすごくあって、それで担当に勧められた『無双勇者』を書いたら大ヒットして、私がそんなに好きじゃない本なのに、私が好きな本よりも圧倒的に売れて、だから、ものすご虚無感がありました。
そういう時にあなたの本に巡り会えたんです。それは奇跡でした。こんな面白い、こんなにワクワクさせる本があるんだなと思って感動して、アタタカイヤミを読み終えた頃には涙が止まりませんでした。あまりにも面白かったから、こんな作品に出会えたことに感謝して涙を流したんです。
だから、書かないと言わないでください。私にとってあなたは光なのですから、私はこれから、あなたのような作品を目指して次の作品を描くつもりです。だから、お願いだからやめるなんて言わないで、一緒に頑張りましょう」
そう言って冴子は僕の手を握ってきた。
「頑張ろう、か」
僕はムクッと起き上がる。
「慎吾くん?」
「悪い、冴子、今日の夕飯の支度してくれるか?」
それに冴子は流されるままに頷いた。
「はい」
「今から小説を書くからさ」
それに冴子の顔がパーッと光り出した。
「慎吾くん!いや、サマエル先生!」
「思いついたんだ。小説のアイディアが、プロットもなしに本番で書く」
それに冴子はダイヤモンドの笑みをした。
「はい」
そして11月の下旬。
すっかり冬の景色になり、僕もちぢみながら小説を書いていたが、ようやく、暫定的に小説が完成した。
「ふー」
時間は午後1時食卓の椅子に座って小説を書いている僕。僕は昼食を食べてラストスパートをかけようやく完成した。
そうしていると食卓に冴子がひょっこり顔を覗かせ(のぞかせ)てきた。
「その顔、できましたか?」
さすが同業者。勘が良い。
「ああ、今、USBに保存するから、見るか」
冴子は鶏の表情をした。
「はい!ああ、どんなのを書いたんだろう?とても気になります!」
「まあまあ、読もう」
僕が書いていたのは食卓の角のテーブル。冴子の執筆部屋だが、俺たちは相互にパソコンを持ち込んでいる。
メモリを保存中。冴子がニヤニヤとした顔で聞いてくる。
「それで、どうでしたか?サマエル先生、自信のほどは?」
そう言ってグーで握り締めた右手を突き出してくる。多分、マイクのつもりだろう。
「うーん、今回は少し趣向を変えてみました」
「というと?」
カエルの横綱がずいっと前に出る。
「いつもは自分が書きたいものを書いてきましたが、今回は時代に合わせてサクサク読めるものを書きました」
「で、思ったようにかけましたか?」
それに僕は首を横に振る。
「いいえ、やっぱり流行りのものって、本当に何も考えずに読めるものですけど、小説という性質上、文で説明しなくちゃならない部分が最低限あるんですね。特にキャラクターの表情とか心情とかを描写していたら、今流行の、サクサク読めるものとは違ってしまいました」
「うんうん」
冴子は熱心に聞いていた。
「だから、やっぱり、今時流行りのものはかけないんだよね。今時の流行りのラノベはいわゆるラベリング、これはこういう存在だよ、という世間の慣例やその業界の慣例に従って説明をするというものだから、正直言ってそんなふうに書けない」
「うんうん」
「例えば似たようなキャラクターがいた場合、それは似たようなキャラクターだから、端的に言えば、キャラクターとしては全くの別物で、僕なら、やはりそのキャラクターらしさを読者に伝えなければならない」
「うんうん」
「だから、どうしても、軽く書くだけでも、それでさえも描写にページが取られる。それにラノベはキャラクターを動かしてナンボだから、その肝心のキャラクターがテンプレではいけないと思うんだよね。そこのところは大手出版社もわかっていないというか、読者がテンプレものばかり求めているというか、そんなところだからこそ、ラノベはバカにされ続けているんだと思う」
「なるほど」
それに冴子はサツマイモのホクホクとした笑顔の表情だった。
「よし、これで完了。後は取り出して・・・はい、できたよ」
僕はメモリーを冴子に渡して、パソコンを下に置く。冴子はメモリーを持ったまま、パソコンをテーブルに持ち上げた。
「じゃ、読みますか」
「邪魔なら出て行こうか?」
「うん、そうして。でも・・・・・」
冴子が何か言いたそうだ。なんだろう?
「何か言いたいことがあるの?」
それにコクリと冴子はうなずいた。
「ねえ、聞いていい?」
「どうぞ」
「なんで、また書こうと思ったの?私の言葉に応援されたから?」
僕は唇を結ぶ。
「うーん。それもある」
「他には何か理由が?」
「実は、何もないということが書こうとした理由なんだ」
それに冴子は僕が言った意味が、言語がわからないとてもいいたげに目をパチクリさせた。
「それ、どういうこと?」
「ああ、うん。実は前から書かないほうがいい理由が山のようにあったんだ。普通に考えて売れる作家を目指すより、正社員か、なんかもっとしっかりした職業についたほうがいいだろう?」
「はい」
「だから、僕が思うに、もともと小説で大ヒットをさせよう、という考え方が現実味がないし、僕も本気でそれを信じていたわけじゃないんだ」
「はい」
「でも、技術が向上するにつれ、相手の作家の粗さも分かり、自分がどう考えても洗練されていくことがわかり始めた時には遅かった。僕は売れない作家の罠にハマってしまったんだ。技術やストーリーが稚拙な本が売れて、僕の洗練された本が一時審査も通過しないなんて、正直言って気が滅入った。それが僕の抱えたスランプだったと思う」
それでなんとなく冴子の顔に勘付くものがあった。
「なるほど、それでそれを気にしないようになったということ。つまりやっていくのに不合理な面がただ大きいということに気付いて、それを気にしないようにしたんですね。最初の時のように。だから、何もないから書ける、ということですか」
「そういうこと。冴子、頭いいね」
冴子の小さなほっぺたがほんのり赤く色づき首を横にふった。
「いえいえ、先生ほどでは」
「じゃ、出るね。いいかな」
「はい」
冴子はニコニコしながら手を振っていた。そして、僕はリビングに移動してぐったりソファーにもたれかかった。
疲れた、何も考えれない。
ボトルコーヒーを少しの牛乳を入れ飲み、YouTubeで配信されている格闘ゲームをiPadで眺めているとドアが開く音が聞こえた。
振り返ると、手をニパニパさせた笑顔の冴子がいた。
「全部読んだよ」
「お、早いな」
「まあね、分量もそんなに多くなかったし、読みやすかったよ」
僕はiPadを置いて冴子をソファーに座らせた。
「それで感想は」
冴子は指を顎に置いて、うーんと、考えるような仕草をする。
「それねぇ」
「うん」
「あらかじめ言っておきたいことがあるの」
「うん」
「私、あそこまでビッチじゃない」
風船の中の緊張の空気が萎んだ。
「うん」
僕は苦笑をする。
「あ!今笑ったでしょー!?でも、いておくけど、私あそこまでビッチじゃないし、初対面の時にパンティーを見せていない!」
僕は高笑の渦を生み出した。
「もう!」
プンプン怒る冴子を僕はなだめた。
「ごめん、ごめん、あれは掴みなんだ。普段はそんなことはしないけど掴みを入れるためにあんなことを書いた。ごめんね」
プイッと顔を背ける冴子。
「ごめん、ごめん。そうだ、今日は外食にしよう。僕が奢るからなんでも頼んでよ」
「でも、あなたの気持ちを知れて良かった」
「え?」
思わず冴子の顔を見る。冴子は菩薩(ぼさつ)の表情をしていた。
「あなたがなんで苦しんでいるのか知れて良かった。私、読んでみて良かった」
僕はまじまじと冴子を見つめる。そしてギュッと抱きしめた。
「慎吾!」
冴子の抗議を聞かず言の葉をつなぐ。
「冴子、好きだ。大好きだ」
それに冴子の体に張っていた緊張も緩んだ。
「私も」
それから、見つめ合って、僕たちは深いキスをした。
ビッチすぎるよ!冴子ちゃん! サマエル3151 @nacht459
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