ファイナルカウントダウン ――死の街と化し封鎖された東京――


 東京は死の街と化していた。二か月間で死者は十万人を超えた。

 接触感染を恐れ誰も外に出ない中で、政府の死体運搬車だけが遺体を積んで走り回っていた。

 キメラは遺体が最大の感染源となるため、政府は特別仕様の遺体運搬車を準備して、火葬場へピストン移送した。

 遺骨も全て有害ゴミとして扱われ、そのまま地中に埋められる。

 基本的人権も何もあったものではない。世界に冠たる大都市東京は死神が治める街となった。


 東京の首都機能は完全に終焉を迎え、政府の要職者も大阪に移動した。ただ笹川代議士だけは並みいる要職者が大阪に逃げる中で、東京に踏みとどまった。

 それが旧権力者の意地なのか、彼の持つ政治家としての責任感なのかは分からなかったが、厚生族の長老として、都知事と一緒に最後まで東京で指揮を振るい続けた。その姿は流石は一国のリーダーとして権勢を振るった男として、世の中に感動を与えた。


 だが、その笹川代議士も昨日死んだ。

 厳重な衛生網を潜りぬけて届いた死神の鎌は、日本国民を絶望に陥れるに十分な効果があった。

 岩根さんは笹川代議士の死を聞いて、自分を死の淵迄追い込んだ相手だということも忘れ、涙した。それは共に戦場を駆けた戦友に対する涙だったかもしれない。


 キメラは厳重な隔離の中でもじわじわとその感染範囲を拡げつつあった。他県への安易な移動は完全に遮断されていた。それでも移動を希望する者は日々増加した。

 キメラの感染から死までの時間が短いことから、移動者は都の境界に作られた個室テントで二日間を過ごし、そこで発症しなかった者だけが抜けることができた。

 この非人道的な扱いにも関わらず、暴動が起きなかったのは、死ぬまで東京で踏ん張って都民に語り掛けた笹山代議士の功績かもしれない。


 それでもキメラの感染範囲の拡大は止まらない。これだけ人の接触を抑えながら、拡がる理由が分からなかった。現在は、北が一番酷く埼玉と群馬の県境迄拡がり、東は習志野迄拡がっている。


 そして西は横浜を超えて茅ケ崎迄来ていた。小田原を超えれば富士沢にもリーチが掛かる。政府は感染拡大の原因究明に必死だが、まったく成果が上がらなかった。そして移動者検査用の個室テントの群れが、じわじわと富士沢に近づいてくる。


 一方世界は燦燦たる状況となっていた。死者は三億人を超え、日々加速度的に上昇している。特にアメリカは燦燦たる状況で人口の四分の一が死を迎えた。

 厄介なのは発祥の地であるウクライナ、モスクワを含むロシアの西部がほとんど病魔に侵されてないことだった。西側諸国は再びロシアの生物兵器であることを疑い、日々憶測記事が溢れかえった。

 ペーチン大統領に続いて、ロシア連邦軍参謀総長がキメラに侵されて死亡してなければ、核ミサイルのボタンに指がかかっても、不思議ではない緊張状態が続いていた。


「ついに大阪、広島、福岡でキメラの感染者が出たみたい」

 藤山さんとFJSのサービスプログラムの打ち合わせの席に飛び込んできたのは毬恵さんだった。

「うーん、西の主要都市も始まってしまったか」

 これまで東京一極で収まっていたキメラの猛威は、今後複数都市で加速度的に始まると考えなければならなくなった。


「富士沢では守られても、海外から送られてきた食品に手をつけない要請は、大都市では徹底しにくいんですかねぇ」

「都会では一人暮らしだったり、最低限の暮らしをしている人もいるから難しいかな」


 これまでの感染パターンとしては、最初の富士沢と東京の二パターン共、海外から調達した食品から発生しているため、仔細を知る笹倉代議士を中心に国民に対して、スーパーなど地元で調達した食品以外は食べないように要請していた。

 富士沢市ではこれをさらに徹底し、食品を一旦市で買い上げ、市民に配給という形をとっている。


「不思議なのは、実質上封鎖している東京から、感染地域がじわじわと拡がっていることです。何か人の移動以外の原因で感染が拡がっているとしか思えません」

 不気味な感染の拡がり方に、毬恵さんは眉を顰めた。


「だけど、鳥やネズミなどの動物は人間以上に感染して死ぬまでの時間が短いから、遠距離の媒体者としては成り立ちにくいと思う」


 そう言いながらも、それならば都市封鎖を警察や軍隊が行う諸外国において、あれほど感染が広がることも考えにくいと思った。我々が気づいてない盲点があると考えた方が自然だった。別の感染ルートについては、二カ月前の対策会議の時からずっと考えているが、未だに何も思いつかない。


 全世界の医療関係者や学者もそれについては研究しているはずだが、未だに世界のどこからも有力な情報は上がってこなかった。


 絶望的なのはマイクロチップ内のキメラの情報には、感染源のヒントになるようなものが一切ないことだ。三一世紀にはほぼ無害になったウィルスだけに、仕方がないのかもしれない。


「何かあるのかもしれないな。だが、その何かが分からない」

 この問題を考えるといつも未来が暗くなってしまう。

「世界中の学者が調べて結果が出てないんだ。柊さんがそこまで責任を感じる必要はない」

 そう言って慰めてくれる藤山さんの苦悩は私よりもっと深い。


 四十年間の教員生活の中で送り出した教え子たちの多くは、東京に職を求めて移り住んでいる。今、諸所の事情で富士沢に戻れぬまま、東京に残った教え子たちの死亡連絡を、藤山さんは毎日のように受けているのだ。


 妙子さんの話では、毎夜卒業アルバムを眺めてじっと動かない時間があるらしい。

 この見えない敵との戦争は長期戦の様相となり、その緊張状態に人間の精神が絶えれるかどうかが、新たな試練となり始めている。


 台東区で感染が発生して三か月が過ぎ、ついに三島でも感染者が出た。次は富士沢が感染地帯なることは間違いない。キメラウィルスの感染地域は加速度的に拡大している。


 日本では既に死者が五十万人を超えた。世界はもっと悲惨で、公式に発表されているだけで十憶人を超え、もはやその数字が正確なものかも分からなくなっている。


 東さんの緊急招集で、富士沢市役所のキメラ対策本部に集まったメンバーは、みんな無口になっていた。東さんは感染者が発生した時の対応手順と、収容先のキャパシティを確認していたが、誰の目にも収容キャパシティが圧倒的に不足している。


 対策が開始された当初は、飛沫感染を徹底的に防げば、感染は抑えられるという想定に基づいていた。しかしここにきて、海外から空気感染してるのではないかという、絶望的な報告が上がってきている。


 N95マスクを手配しようという案も出たが、空気感染の発表直後に大規模な買い占めがあちこちで発生し、元々生産量が少ないこのマスクの入手は断念せざるをえなかった。頼みの普通のマスクも、中国が世界の工場として機能しなくなっており、十分な量は手に入らない。


 手応えのある案がまったく出ないまま会議は終了した。うなだれて帰る関係者の中で、一人慎二先生だけが何かを決意した目で私を引き留めた。いつも朗らかな慎二先生のこういう顔は珍しい。

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