正義の行方 ――拡大する被害 覚悟を決める私――


「さあ、我々もできることをやりましょう。三上さんは申し訳ないですけど、慶新大病院の応援に向かってもらえますか。柴田君も三上さんのサポートをお願いする」

「そんな、私は東先生のサポートはしなくては」

 毬恵さんが驚いて反論した。


「私なら大丈夫だ。ここには頼りになるスタッフがたくさんいる。それに最も頼りになる人が今こっちに向かっている」

「誰ですか?」

 毬恵さんが不審そうに問う。


「藤山先生だよ。今こっちに向かっているとメールが入った。これは頼もしいぞ」

 なんとFJSを仕切っているあの藤山さんが、この戦いに参加しようとしている。確かに心強い援軍だ。

「分かりました。東さん、毬恵さんをお借りします」

 私は力強くそう言って、まだ躊躇する毬恵さんの手を引いて、会議室を出て行った。


 夜通し対策に奔走し、ついに朝を迎えた。朝日の差さない暗い朝だった。昨日の快晴が嘘のように秋雨が降り続けている。


 外科部長の田辺先生が、コンビニで買ってきたパンを食べながら、医局のテレビで六時のニュースが始まるのを待つ。ネットにはあれ以来続報はなかった。

 まだ被害連絡はないはずだから、ニュース報道は考えにくい。医局には慎二先生と橋本先生が来ていた。草森病院長と園川内科部長は、昨夜遅く車でいったん帰宅している。


「私もお邪魔していいかしら」

 ドアの方を振り向くと総看護師長の珠子さんが立っていた。彼女も看護師の対策を徹底するために昨夜駆け付けてくれたのだ。


「いつごろ次の死亡者が出ると思いますか?」

 医局のソファに座っている私の隣に座り、珠子さんは早速橋本先生に質問した。


「そうですねぇ。昨日の感染者たちの鍋会が十八時に始まったとすると、感染はその直後になると思います。そこから若干の個人差はあるが、発症したのが次の日の十二時頃、つまり約十八時間後、そして死亡したのが十八時だから六時間後。つまり感染して二四時間前後で死に至っています。昨日彼らが榊原記念病院に来院したのが、十四時ごろとすると、次の死亡者は十三時から十五時の間です」


 聞いていてすごい計算だと思った。人の死を正確に予言する。まさに神の領域ではないだろうか。


「おはようございます」

 毬恵さんが起きてきた。昨夜、今日やることを一通りまとめたところで、お願いして仮眠してもらったのだ。

 毬恵さんはなかなか寝ようとしなかったが、次に交代して仮眠を取りたいと言うと納得して寝てくれた。正直なところ、毬恵さんの細い身体で無理をされると心配で集中が途切れてしまう。


「これから六時のニュース?」

 そう訊きながら、当然のように私の隣に座る。三人掛けのソファで細身の毬恵さんとは言え、肉付きのいい珠子さんとの間に挟まれ、やや窮屈な感じだ。そんな私を見て、慎二先生が微笑む。


――六時のニュースです。今朝都内の病院で、世界中で猛威を振るうキメラウィルスに感染した患者が、二名同時に亡くなりました。

 耳を疑う。予測では死亡者が出るのはもっと遅いはずだ。

――亡くなったのは、コンビニ店員の香田博さん二二才と、コンビニ近くに住む大学生坂田道明さん二〇才です。香田さんは昨夜八時ごろ、突然身体の怠さを訴えた後に吐血し、救急者で台東区の榊原記念病院に搬送されましたが、容態は回復せず本日未明に亡くなりました、また坂田さんは昨夜十時ごろ、友人と飲食店で懇談中に吐血し、同じく榊原記念病院に搬送され、今朝四時に死亡しました。


 コンビニ店員、そうか昨日の四人の感染者のうち一人が夜中に何らかの都合でコンビニに行ったのだ。大方たばこでも切れて買いに行ったのかもしれない。そうなると、コンビニの周囲の人間は全て感染の可能性がある。


――原因はキメラウィルスと断定され、政府は榊原記念病院に隔離室を要請し、関係した医師、看護師、搬送した救急隊員をそこに収容することとしました。また同じく榊原記念病院で前日に同様の症状で亡くなった方が四名いたことが判明し、政府は幸田さんたちとの関係を調べています。


 アナウンサーはそれだけの情報を淡々と告げて、このニュースを終わった。榊原病院の中継もなければ、病院関係者のインタビューもない。それだけ入念な情報統制が引かれたことは間違いない。


 ふと周囲を見るとこのニュースを見ていた全員が言葉を失っていた。毬恵さんはぎゅっと私の右の二の腕を握っている。こうなることを予期していた者さえこの状況なのだ。今ニュースを見てキメラの上陸を始めて知った者は、きっとパニックになったろう。


 私は意味もなく壮介さんと昌代さんの死を思い出した。あの時に初めて死を知った。それは悲しいがどことなく神々しい、人生を十分に生きた者の誇れるべき死だと言えた。

 だがキメラウィルスは違う。まだこれからいくつもの物語を織りなすことができるのに、突然人生の舞台から追われ、無念を感じたまま迎える死だ。


 だからと言って不死がいいなんてちっとも思わない。あの壮介さんと昌代さんのような生き方がしたいだけだ。だが今、死神は着実に大切な人たちに近づいて来ている。

 毬恵さんが、木乃美ちゃんが、慎蔵先生が、満江さんが、ここで知り合った多くの人々に向かって、悪魔が歩み寄って来ているのだ。

 それなのに自分はこれを止める術を知らない。マイクロチップ頼みの自分はただの無力な男なのだ。


 誰も動けないでいた。死神の怖さを良く知っているだけに動けないでいるのだ。だが、こんなことではダメだ。立ち上がらなければならない。動かなければならない。昨夜の東さんのように、みんなの軸に成らなければならない。そう思っても誰も声が出ない。


――ダメだ、ダメだ、ダメだ、立ち上がれ自分! みんなに激を飛ばすんだ。

「しっかりしろよ! 今踏ん張らないと後悔するぞ! やれることを全力でやるしかないだろう。日本とは言わない。だが少なくとも富士沢を救うのは、今ここにいる私たちしかいないじゃないか!」


 いつの間にか立ち上がって叫んでいた。マイクロチップは立ち上がることまで指示できても、音声までは制御はできない。何が起きたのか自分でも分からなかった。


「そうだよ! 柊さんの言う通りだ。富士沢の命運を担っているのは俺たちだろ。橋本、頑張れよ。お前が一番の頼みの綱だろう!」

 慎二先生だった。慎二先生が私の激に応えてくれた。


「そうだな。悪い、分かっていたんだが、目のあたりにして怯んでしまった。俺にしかできないよな」

 橋本先生も立ち上がった。


「うちの先生方は日本一です。看護師たちはどこまでも先生方を信じて頑張ります」

 珠子さんも立ち上がった。

 呆然としていた毬恵さんも顔を上げた。


「敵は手ごわいけど頑張りましょう。市も全面的にバックアップします。総力戦です」

 やっといつもの毬恵さんに戻った。


 その時、佐川さんの顔が浮かんだ。そうだ佐川さんだって理不尽な力で亡くなった。でも人生を生きることを諦めたわけではなく、納得した死を迎えるために戦っていた。

――佐川さん、今度は私たちが戦います!

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