正義の行方 ――東が市役所で会議を招集――


「ねぇ、気になるニュースがネットにあがってるんだけど」

 毬恵さんのグラタンを食べていると、スマホの画面が差し出された。そこには、『都内で四人が死亡、キメラウィルスか』という見出しがあった。スマホを受け取って記事を読むと、台東区で高熱を発症した四人の患者が、台東区の榊原記念病院に来院し、診察後六時間で四人とも死亡とあった。


「毬恵さん、間違いないね」

「だとすると、この病院封鎖しないと危なくない?」

「そうですね。すぐ東さんに連絡してもらえますか」


 毬恵さんが電話している間、私は亜希子さんに電話した。

――どうしたの、こんな時間に。

「亜希子さん、台東区の榊原記念病院でキメラが発生したようです。四人が来訪して六時間後に死亡してます。テレビでは放映されていません。ネットだけの情報です。すぐにこの病院を封鎖しないと危ない」

――分かったわ、笹山に連絡をしてみる。

 電話を切ると毬恵さんはまだ、東さんと話をしていたので、これからすべきことを考える。


 都内で四人も死んだとなると、いずれはキメラが国内に発生したと国民に知れ渡る。パニックになる前に正しい情報を伝えることが必要だ。


「東さんが緊急会議をしたいって言ってる」

「分かった。すぐ行こう」

 私は毬恵さんと共に市役所に向かった。

 市役所に着くと、既に東さんがスタンバイして待っていた。


「柊さん、夜分遅く召集して申し訳ありません」

 東さんは律儀にそう言って頭を下げた。

「非常事態です。これから数時間が感染を抑え込めるかの命綱です」

「そうですね。そういう対応を取れる者を呼びました」

 会議室には続々と有識者が集まっていた。


 市役所からは島田副市長兼総務部長、総務課長、広報課長、情報政策課長、防災危機管理課長、財政部長、市民部長、消防本部長の七人が、外部の公的機関からは富士沢警察署長が参加した。他に電話で慶新大病院とつないで、草森病院長、田辺外科部長、園川内科部長、橋本呼吸器内科長、慎二先生それに岩根さんと亜希子さんも参加した。


「皆さん、緊急招集にも関わらずこうして集まってもらってありがとうございます」

「キメラウィルスが発生したと聞きました」

 島田さんが青い顔で尋ねた。

「はい、ネットニュースによると、台東区の榊原記念病院に四人の重症患者が来院し、六時間後に死亡したとあります」


 東さんの説明に、島田さんは青い顔のまま憤りながら、

「なぜ、ネットニュースでしか流さないんですか。政府はこの事態を把握してないんですか? そんなわけない。どうして政府は何も指示を出さないんだ」

 と、悲鳴のような声をあげた。

 一番冷静であるべき人が、一番興奮していた。


――島田さん、政府の対応については後で話せばいい。今は情報の分析を急ぎましょう。

 電話口から岩根さんの冷静な声が流れ、島田さんは不満そうに口を閉ざした。

――では、私から今得ている情報について共有します

 岩根さんに代わって発言したのは橋本さんだった。感染のスペシャリストの登場に緊張が走る。


――この情報はネット情報に加えて、岩根さんの奥様が集めてくださった情報も加味したものです。死亡した四人は台東区在住の大学生二人と専門学校生二人です。大学生の一人は中国からの留学生です。四人は昨夜日本人の大学生の部屋に集まり、中国からの留学生が実家から送られた鹿肉で鍋パーティをしました

「鹿肉って、まさかウクライナ産じゃあないですか!」

 橋本さんの発言中にも関わらず、思わず叫んでしまった。


――いえ、そこまでは分かっていません。四人は鍋パーティをしながら盛り上がって、その日はその部屋に泊まったそうです。次の日の朝、一人が腹痛を訴え、そのうちに吐き気がする、身体が怠く成るなど、次々に身体の不調を訴え始め、最後には吐血する者まで出て、救急車を呼んだようです

 かなり拙い状態だ。救急隊員にも感染の危険がある。


――救急車はそのまま榊原救急病院に四人を搬送し、病院では四人をウィルス性の食中毒と診断し、採血して検査に回した上で緊急入院させたようです。ところが検査結果は全て陰性で、有効な治療が施されないまま午後四時に四人は死亡しました

「橋本さんは、この状況をどう判断されますか?」

 東さんは努めて冷静な声で訊いた。


――はい、中江さんの症状と酷似しており、キメラウィルスだと断定できると思います。

 会議室内に静寂が流れた。全員の思考が止まった瞬間だった。

「それで、今後どうなると思いますか?」

 静寂を破って、東さんが訊いた。


――推測ですが、救急隊員、治療にあたった医師、看護師、入院した病棟にいた患者、居合わせた見舞客、この病院に関係する全ての人に感染の危険があります。また感染した人たちの今夜の行動によっては、更に多くの人に感染が広がる可能性があります。全ては明日、死亡と言う形で結果が出るでしょう。


「感染はどのくらいまで広がりますか?」

 東さんはこの事態に際しても冷静に進めている。

――キメラウィルスはその特性上、発症者がすぐに死亡するので、そう簡単に遠隔地に広がることは考えにくいです。今からでも感染の疑いのある者を緊急隔離すれば、拡大は抑えられると思います。それから遺体の処理についても注意が必要です。キメラは遺体が腐敗しても生き続けます。感染に注意して焼却する必要があります。


「島田さん、橋本先生の指示に沿った動きをするには、この情報をどこに伝えればいいですか?」

 島田さんは副市長であると同時に、市の広報や情報政策を統括している。東さんは役割に応じて対応を質問したのだが、島田さんはますます顔を青くしながら言った。


「菅野君、総務課長として対応を述べてください」

 島田さんに指名された菅野さんは、戸惑いながら言った。


「私よりは広報課長の対応範囲だと思います。坂本さんはどう考えますか?」

 菅野さんに振られた坂本さんは顔を真っ赤にしながら話し始めた。


「私より防災危機管理課長の方が詳しいかもしれませんが、お答えしますと、この段階ではマスコミに流すのは拙いと思います。理由は特に言えませんがそう思います。やはり市長から総務省に連絡されるのが一番ではないかと思う次第で……」

 坂本さんが気の毒に思えた。この会議にも島田さんに無理やり出席させられたとしか思えない。そう思っていたところに、電話を通して岩根さんの声がした。


――市長、もう一刻の猶予もありません。おそらく情報は笹山代議士や新田しんでん厚生大臣のところにも入っていると思います。もちろん安倉あぐら総理の耳にも入っているはずです。だが、今のところ何の動きもない。キメラの特性については、海外から十分に情報収集しているにも関わらずです。これは今回の感染媒体の入手ルートの調査を優先して、自分たちの落ち度とされる要因潰しに走っていると思われます。そしてその対策を確かめてから台東区の閉鎖に入るでしょう。おそらく明日の朝、死亡者が出たら動き出すはずです。


「それは確実ですか?」

 東さんの声にはやや怒りが感じられた。

――はい。九割がた。

「マスコミに橋本先生が説明してくれた事実を流すべきですか?」


――その必要はないと思います。テレビ局には総務省から報道管制が引かれたと思いますが、新聞社が明日の朝刊にこの情報を載せるでしょう。


「では、我々はできることを準備しましょう。坂本さん、ここは広報の力をお借りしたい。明日の朝一番で、市からの号外を流して、輸入食材を食べないこと、そして東京特に台東区周辺には行かないように、注意を徹底してください」


「了解しました。すぐに原稿を起こして、印刷所を手配します」

 坂本さんは今度は生き生きとして指示に従った。


「それから菅野総務課長は、キメラが想定される患者が発生したときに救急隊員、医療機関がとるべき防護策を橋本先生から聞いて、消防署や市内の各病院に連絡願います。特に病院には必要な装備ができるかを報告してもらって、できない場合はこちらから装備の手配をお願いします」


「分かりました。会議終了後すぐに取り掛かります」

「市川財政部長は、菅野さんの手配内容に対して、特別補正予算を組む準備をしてください」

 市川さんは闘志溢れる目で静かに頷いた。


「では、朝まで限られた時間です。役目のない人間も各自でやるべきことを考えて、時間を無駄にしないようにお願いします」


 会議が終了し、それぞれが市長の指示を遂行するために会議室を去った。後には東さんと私と毬恵さん、そして島田副市長が残った。

 ずっと俯いてた島田さんが顔を上げて東さんに言った。


「市長、申し訳ありません。私にはこの有事の際に副市長の大任は荷が重すぎる」

「どうしたいんですか?」

「私を解任してください」

 島田さんは訴えるように申し出た。


「島田さん、申し訳ないですがあなたは解任しません」

「なぜですか、私は今日の会議でもまったく役に立たなかった。こんな私が副市長兼総務部長では士気に関わる」


「そんなこと誰も思ってませんよ。私はあなたが財政再建のときに、誠実に仕事に取り組んだことを知っている。どんな小さな支出も一つ一つ目を通してミスを防いでくれたからこそ、今の富士沢市があると思っています。この手の問題は市役所で扱うには、本来は荷が重い仕事なんだ。それでもこれは、放っておくわけにはいかないことだ。さあ、坂本さんが今頃原稿を作っているところです。あなたが確認しないで誰が自信を持って発表できるんですか?」


 島田さんは東さんの顔をじっと見つめた。そして意を決したように立ち上がった。

「すいません、こんな時に。今の話は忘れてください。よし、坂本君を手伝わなくては」

 島田さんが速足で会議室を出ていく。

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