Advend of The Devil

前兆 ――東のもとで全力で働き始めた私――


 真夏の厳しい日差しが脳天を直撃する。向かいのやや低い丘に慶新大病院を見据えながら、私はハンカチで汗をぬぐった。目の前には完成した『富士沢クラウドハウス(略称FCH)』があった。


 選挙から一年、東さんの市政の下でがむしゃらに働いた。一番大変だったのはクラウド事業を始めるために、各省庁に出す認可書類の作成だった。その膨大な量を見たときはさすがにへこたれたが、毬恵さんの献身的なサポートと、岩根さんの強力なプッシュのおかげで、無事に認可を得ることができた。


 FCHの建設も、議会承認から用地買収、建設会社の選定など未経験のことばかりで、普通にやったらそれだけで一年かかりそうだったが、公共事業で辣腕を振るった岩根さんの尽力で円滑に進み、私は本業の設計作業に集中することができた。


 事務処理のアウトソーシング事業もFCH建設と並行して進められた。プログラム関係は完成していたので、問い合わせのあった企業に対する、カスタマイズ作業を中心に活動し、既に八社の受注に成功している。メイン処理を行うサーバーは既存のクラウドサービスをレンタルしているが、FCHの稼働と共に、移設する予定だ。

 この事業はFCHと同じく、市の直営事業と成るが事業名は『富士沢事務処理サービス(略称FJS)』と命名された。藤山さんはFJSの所長に任命され、今では市の職員となっている。


 FJSは人が事業の要なので、人材の募集と教育が成功の鍵となる。初期の人材集めは富士沢市の大手製紙会社から始められた。

 藤山さんは製紙会社の経営者と合意を得た後で、実際にFJSに移籍する専門家たちを粘り強く説得し、大きなモチベーションダウンなしに核となる組織を作った。その過程では東さんも激務の中で何度も足を運び、信頼感の醸成に一役買った。


 FJSの核となる組織には人事、経理、営業事務のスペシャリストがたくさんいた。藤沢市の中小企業のアウトソース化を進める中で、各企業の担当者を吸収し教育していくときに、この初期メンバーは指導者として大きな役割を果たした。

 現在では百名を超える大組織に成長したFJSだが、藤山さんの四十年に及ぶ教員経験と情熱が加わったからこそ、今の姿があると言っても過言ではない。


 一方、笹山代議士は不気味なほど静かだった。岩根さんが東陣営に与したことで、富士沢市の利権を諦めたのか、心配していた市の直営事業に対する、議会勢力を使った反対もなかった。

 岩根さんは、笹山代議士は様子見をしているだけだと言う。いたずらに感情に任せて動くタイプではなく、冷静に情勢を見極めてここぞという時に一気に動く。それが笹山剛だから油断は禁物と、皆を引き締めた。


 私の身にも大きな変化が起きた。

 先月、毬恵さんの多大な尽力のおかげで富士沢市民となることができたのだ。


 東さんの顧問弁護士と共に家庭裁判所に出向き、戸籍取得のための手続きをスタートさせたのが十カ月前のことだった。

 その後、月に1度のペースで家裁へ通い、書記官と面談をしたり、慶新大学病院で撮ったMRIなどの検査画像を提出したりした。

 指紋を登録し、就籍の理由を書いた書類を提出した。書類作りは特に大変で、公園で木乃美と出会った日から現在までを詳細に記入した上で、今後の市政に参加するために身分が必要なことを訴えた。


 全ての手続きが終了し、ようやく就籍許可の通知をもらった。登録で恥ずかしかったのは、見た目から年齢が二五才となったことだ。既に三百年生きている身としては、若者として扱われることに良心の痛みを感じるが、身体のパーツ交換ができないこの世界では、これからどんどん加齢していくことは間違いないので、それも良しとした。誕生日は便宜上木乃美と出会った日にした。


 戸籍を手に入れて一番嬉しかったことは、これで私もこの世界の一員になったと、心から感じたことだ。承諾してもらえれば、毬恵さんと結婚することだってできる。

 藤山さんの強引な勧めに従い、毬恵さんに告白して付き合いだしたのだが、私たちは話しているだけで、楽しい関係だと気づいた。お互いの中に相手をリスペクトする気持ちがあり、話し合う度に、その気持ちが強くなっていく。


 慎蔵先生や満江さんのように、長い間一緒に暮らしていく上で、何が必要かと考えたとき、会話が楽しいというのは必須要件だと思った。だから私たちは二人でいるとき話してばかりいる。

 私は完成したFCHにFJSのシステムを移行したときに、毬恵さんにプロポーズしようと決めた。


「結合テストも無事終了です。おめでとうございます」

 FCH管理システムの主任開発者を務める中江隆なかえたかしは、単体テストをクリアしたモジュールの結合テスト結果に喜びの声をあげた。


 この管理プログラムのメインとなる機能を、ユニバーサルゲートキーパー、略称としてUGKと名付けた。UGKはあらゆるハッキングとウィルス攻撃から、サーバーを死守する信頼の要だ。

 UGKの一番の特徴は外部からの攻撃に対して、通常のパターンマッチングに加え、全体を管理するAIが、人間で言うところの違和感を持って侵入を遮断する。これは三一世紀での常套的な手法であり、このAI部分に関して言えば、私の頭の中にあるマイクロチップの基本ソフトが移植されたのに等しい。


 管理システムが稼働すれば、FCHは操業開始となる。

「ありがとう、これは中江さんの成果です」

 私は中江さんの六か月に及ぶ奮闘を称えた。


 中江さんは三八才、都市銀行のオンラインシステムのSEとして八年間働いた後で高給を捨て、フリーのSEとして独立した経歴を持つ。その腕は確かで、私のような未来の技術をコピーする偽物ではなく、紛れもないシステムの天才だった。

 中江さんの書くコードはシンプルで分かりやすく、かつバグも少ないことから、プログラマーとして早期開発に大きく貢献してくれた。それだけではなく、システム全体を俯瞰する能力が優れていて、漏れのないテスト計画を作成して、各単体モジュールの精度向上にも貢献してくれた。

 ただ、ひとところで働くことは、もう懲り懲りだそうで、今回のプロジェクトもこの結合テストが終了したら、しばらくこの報酬で海外に行くと言っていた。


「これで中江さんはしばらく日本を離れることになりますね」

「ありがとうございます。結構長く働いたので海外が恋しいです」

 中江さんはまるで刑期を終えた囚人のように語る。確かにその表情は囚人のように、これから自由になる期待で喜色に満ちていた。


「それにしてもこれだけの技術を持ちながら、一か所に定着しないなんて、人類の進歩に関して言えば、損失のようなものですね」

 私は彼の腕を惜しんで、半分冗談で彼の生き方を揶揄した。

「勘弁してください。もう企業勤めは懲り懲りです。ただ、このプログラム開発は退屈しなかった。こんなアーキテクチャーは初めてお目にかかりました。まったく三上さんとの才能の違いを思い知らされます。久しぶりに全力で取り組んので、しばらくはのんびりしたい気持ちでいっぱいです」


 まったく中江さんらしい。でも三一世紀の自分たちはAIに労働は任せて、まったく働いてないのだから文句は言えない。


「それじゃあ楽しんできてくださいね」

「ええ、実は昨日から一緒に海外に行く友達が家に来てるんです」

「そうなんですか。仲のいいお友達なんですか?」

「生き方とか、感じ方とかが妙に波長が合うというか、よく言うじゃないですか、一緒に居て楽な人間って、彼女はまさにそんなタイプですね」


 女性なのか、意外に思った。中江さんのような生き方をする人間は、異性は生きる上で負担になるから避けるのかと思っていた。

「その方は恋人ですか?」

「うーん、そこまでの仲ではないですね。でも快楽的な指向で愛し合ったりはします」

「快楽的な指向ですか。なんだか羨ましいですね」

 事実、お互いの気持ちを確かめ合っても、私と毬恵さんはまだ躰を重ねたことはない。だからこの時代の言葉で言えば、私はまだ童貞だ。


「まあ、お互い淡白なんで、そんなにしませんが。それに彼女は変わり者なんですよ。昨日の夕食も久しぶりの日本だから寿司でも行くって聞いたら、これ食おうって言って、海外から持ち帰った真空パックされた肉を食わされたんです」

 そう言って中江さんは白い歯を見せて笑った。

「では、長い間ありがとうございました」

 私のお礼の言葉を聞いて、中江さんは旅立つために立ち上がった。

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