恋の予感 ――遠山に示唆され動き出す私


「だから柊さんの気持ちは伝えなかったのか?」

 自分の気持ち?

 なんて言えばいいかよく分からなくて黙っていると、

「柊さんは毬恵ちゃんのことどう思っているのか言わなかったのか、と聞いてるんだ」

 と、言った。


 珍しく藤山さんがイラついているような気がした。

「怒っていますか?」

「怒るわけないだろう、なんで……」

 そう言いながら、藤山さんは機嫌が悪いように見えた。

「いや、何か機嫌が悪いような感じがして」

「何で私が人の恋路に機嫌が悪くなるんだ」

 今度こそはっきりと二人の間に気まずい雰囲気が流れた。


 下を向いて黙っていると藤山さんが口を開いた。

「いや、すまん。柊さんの話を聞いていると、妙子のことを思い出して思わず腹がたってしまった」

 ますます訳が分からなくて、

「すいません、何が何だか分からなくて……」

 とても、この頓智合戦のような話が続いても、まともに意味を理解できるか自信がなかった。


 藤山さんは、少しの間私の顔を見続けていたが、気を取り直したように話し始めた。

「妙子はまさにそんな感じだったんだ。今の柊さんみたいに、私がどんなに直接好きだと言っても、意味がよく分からないという顔をして、反応がなかった」

 まさに昨日の私だ。

「今思えば、単に好きの意味が分からなかっただけだ」

「どうしてそう思うんですか?」

「うーん、分からないか。じゃあ教えてやるが誰にも言うなよ」


 藤山さんはますます怒ったような顔をして話し始めた。

「私があの手術の前に意を決してプロポーズして結婚しただろう。二人で暮らし始めて妙子が私に言ったんだ。昔私が妙子に何度か好きって言ったことを思い出して、それが恋愛感情ならどんなに幸せだろうっていつも思ってたと」

「?」

 私にはまだ藤山さんが何を言いたいのか分からなかった。


「そうなんですかじゃない。きっと毬恵ちゃんは、昨日言わなきゃ良かったと後悔して、落ち込んでいるぞ」

「えっ……」

「同じなんだよ。私のときと」

「でも、事務所に帰ってからは毬恵さんはずっと笑い続けてました。機嫌も良さそうで」


「それはますます柊さんのことを好きになったということだよ。私のときとまったく同じだ。やれやれ、毬恵ちゃんもえらい人間を好きになったもんだ……それでどうなんだよ、柊さんの気持ちは?」

 藤山さんに好きかと聞かれて、頭の中が真っ白になった。異性を好きという感情がどういうものか正直分からない。


「分かりません。ただ昨日の毬恵さんのことばかり考えると、身体が熱くなったりはします」

 藤山さんはかなり困ったような顔をした。

「それは好きってことじゃないか?」

「分かりません。今まで異性を好きになったことはないので……」

「まさかこれが初恋ってことはないよな」

 藤山さんは苦笑いをした。

 だがその通りなのだ。これが恋という感情ならば、まさに初恋だった。味覚に続いて恋の感情も芽生えたかもしれない。


「とりあえず、後で電話して好きだと伝えておけ。そうしないと明日以降ぎくしゃくするからな」

「まだ好きかどうか分からないのに電話で伝えるんですか?」

「今聞いた感じなら大丈夫だ。第一人を好きになったことがないんだろう。だったら言葉で自分を追い込んでいけばいい」

「分かりました……」

 今日の藤山さんもいつもよりも強引だった。しぶしぶ承諾した。


「ところで今日来たのは一馬の話なんだ」

「岩根さんですか」

「ああそうだ」

「そうか、あの後行ったんですよね。会えましたか?」

「会えたさ。じっくり話もした。単刀直入に言うと、一馬は柊さんの仕事を手伝いたいと言っている」


 手伝いたい? どういうことだ?

 私が今の情報をうまく整理できないでいると、藤山さんが補足してくれた。


「一馬の事務所に行くと、みんな落ち込んでいた。まあしょうがないな。笹山など気分を悪くして早々に帰ったそうだ。だが、一馬はそう落ち込んでいなかった。あの中で一人だけ前を向いていた」

「前を……」

「そうだ。私の顔を見たら一馬の方から寄って来たよ。そして、いきなり切り出したのが手伝わせてくださいだ」

「そんな、大丈夫なんですか? 岩根さんの立場とか……」

「もちろん聞いたさ。支援者たちの手前がある。笹山との関係も悪くなる。それでもいいらしい。一馬がほんとうに求めているのはつながりだ。でも人がいない町ではつながりもくそもない」


 岩根さんが手伝ってくれれば、この計画は一挙に進み始める。国会議員秘書としての顔の広さや政治手法の巧みさは、自分たちの比ではない。東市政に最も必要な人間だ。

 だが、反面笹山金権体質の裏の顔であったことも確かだ。今回の選挙の勝利は、それと決別したという意味がある。今更その中心人物の一人を引き入れて、世間の理解は得られるのか?


 私は困惑した。普通に考えたら駄目だろう。それでもあの街頭演説が忘れられない。素晴らしい話だった。どうしてもあのアイディアを取り込みたい。そして岩根さんに引っ張って行ってもらいたい。


 悩んでいると、藤山さんが口を開いた。

「一応、昨晩の内に丈晶に会って、この話をした」

「東さんは何と言ってました?」

「全て話を聞いて、『いい話ですね、よろしくお願いします』、だとさ。あいつも懐が深くなったもんだ。ただし、クラウドハウスの話は、東市政のメイン政策であると同時に、柊さんのアイディアだから、柊さんが納得した上で進めて欲しいとも言われた」


 それを聞いて心は決まった。

「分かりました。異存はありません。それで岩根さんはどういう立場で参加するのですか?」

「一馬は政策秘書の一人で構わないと言っていたが、それでは礼に欠くと丈晶が言って、副市長ということになっている」


 さすがは東さんだ。副市長ということは強力な支援者であると同時に、いざと成れば自分の後を狙う一番手と成りえる立場だ。

「そこまで決まっているなら進めてください。私としても心強い」

「よし、では一馬のところに行ってくる」

 それにしても政治とは面白いものだと思った。昨日の敵が今日の友、状況次第でころころと人間関係が変わってゆく。


 藤山さんが帰った後で、毬恵さんへの電話を思い出した。昨夜のことも思い出して、また身体が熱くなる。

 病気にかかったのかもしれないと思った。電話したい気持ちはあるのだが、手がボタンんをうまく押せない。

 藤山さんの顔を思い出して、ええいと気合を入れて電話を掛けた。


 呼び出し音が三回続いて、応答があった。

「はい、柴田です」

「毬恵さんですか、三上です。昨夜のことですが、私も毬恵さんが大好きです。落ち着かないので電話しました。ごめんなさい」

 それだけ言って、返事も聞かずに切ってしまった。


 変な奴だと思われたかもしれない。電話をしたことを後悔した。グジグジしていると、LINEにメッセージが届いた。

――電話ありがとうございます。とても嬉しかった。私の気持ちも昨日のままです。

 短いメッセージにはそう記してあった。

 私は、飽きることなくいつまでもそのメッセージを見続けた。

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