恋の芽生え ――全てが終わって私は


 テレビ局のインタビューを受けている東さんの姿を肴に、お代わりを貰って飲んでいると、慎蔵先生と満江さんがやって来た。

「おめでとう、柊さん」

 満江さんがにこにこしながら祝福してくれた。

「いえ、おめでたいのは東さんです」

「そんなことないわ、あなたが一生懸命やったことが実ったんだもの。こんなおめでたいことはないわ」

 満江さんは東さんの当選よりも、私の成果が嬉しいようだ。

「良かったな。だがこれからが勝負だ。丈晶も柊さんも」

 慎蔵先生はきっとクラウドハウスのことを言っているのだろう。

 もちろんその通りだ。富士沢の未来のためには、これから自分が馬車馬のように働くしかない。


――しかし本当に自分はそんな大事業ができる人間なのだろうか?

 東さんの仕事を手伝い始めてから、ずっとその疑問が頭から離れない。自分は、三一世紀ではAIの管理によって、死への恐怖も明日の食事の心配も知らずに苦労知らずで生きてきた人間だ。そんな人間にアレクサンダー義人のような偉業が成し遂げれるのか、夜に成ると仕事自体の失敗よりも、自分の器について悩んでしまう。


 東さんや岩根さん、そしてあの笹山にも感じた人としての器の大きさ、それがない者に果たして他人は信頼してついて来るのか。

 答えのない悩みが心の中にじわっと広がっていく。


「……でしょうか?」

「えっ、何だって?」

 思わず出た疑問の呟きを、慎蔵先生は聞き逃さなかった。

「あっ、いえ、自分にそんな大きな仕事が本当にできるのかなって、東さんや岩根さんを見て、心配に成りました」


 そう言った私の顔を、慎蔵先生と満江さんは不思議そうな顔で見つめている。

「いや、本当に私は人を引っ張るとかしたことがないもんで……」

 そこまで言って、あまりの情けない言葉に気づき黙ってしまった。そんな私に慎蔵先生がまじめな顔で向き合った。

「柊さんは十分魅力的だよ。人がついて来る器量がある。それは儂が保証する。きっと記憶がないから自信がないだけだよ」


 本当は記憶喪失ではないので、慎蔵先生の好意は嬉しいが、心は納得しない。冴えない私の顔を見て満江さんがクスリと笑った。

「柊さんって、女性がついて行きたくなる男性って、どんな人だと思う?」


 それは難問だった。今まで女性とそういう気持ちで付き合ったことがないし、そもそも恋愛という感情が今でも欠落している自分には分かるわけがない。

「それはやはり男らしい決断力のある人でしょうか……」

「ううん、それは大事だけど決め手ではないわ。本当はもっとシンプルなことなの」

「すいません、分かりません」

 あっさり白旗を上げた。百回答えても正解は遠そうに感じた。


「そんな難しいことじゃないのよ。自分にとって分かりやすい人。そういう人に女はついて行きたくなるの」

「そうなんですか、なんか逆な気がする」

 まったく分からなかった。なぜ満江さんが今この話をするのかも分からなかった。


「なるほどな」

 ええっ、恋愛の話とか一番遠そうな慎蔵先生が納得している。

「慎蔵先生は今の話、分かるんですか?」

「恋愛の話は儂には分からんが、満江の言いたいことは分かる」

「どういう意味ですか?」

「つまり満江は、柊さんは分かりやすいから、人がついて来るって言いたいんだよ。そうだろう」

 満江さんは満面の笑みを浮かべて頷いた。


「分かりやすいですか?」

「柊さんぐらい、自分の考えていることを隠さない素直な人は、他にはいないわ。だから同じ考えを示したとしても、妖怪みたいに分かりにくい人よりも、柊さんについて行くわ。絶対に大丈夫よ」

「そうだよ。妖怪みたいな丈晶だって、柊さんのことは信じるって言ってくれたんだろう」

 そういう考え方もあるのかと思った。


「頑張ったな! おめでとう」

 慎二先生が志津恵さんと木乃美ちゃん、それに斎藤さんも加えて四人でやって来た。

「慎二先生、ありがとうございます。でも私が頑張るのはこれからですから」

「そうよね。柊さんの作ったホームページや動画、全部見たわ。とっても分かりやすい。何よりも日本中の事務仕事の在宅請負は、特に子供を育てながら働きたいと思ってる女性にとっては、大きな助けになるわ。私は今週刊誌でエッセイの連載を持ってるの。そこで柊さんの構想を紹介させてもらうわ」

 志津恵さんが実感の籠った言葉で絶賛してくれた。


「ありがとうございます。皆さんの気持ちが嬉しいです」

「何言ってるんだ。記憶を失って大変な柊さんが、この街のために頑張ってくれてるのに、俺たちの方こそ感謝だけでなくやれることはやらないと」

 慎二先生も真剣な目だった。


「私も何かお手伝いしたいです」

 斎藤さんが切なそうな顔をして申し出た。

「それならいっそのこと、柊さんの身の回りの世話をしてあげればいいじゃないか」

 慎二先生が冗談か真剣なのか分からない顔でそんなことを言うと、斎藤さんの顔が真っ赤に変わった。

 志津江さんが「あなた」とたしなめると、慎二先生はしまったという顔で小さくなる。周りに気まずい雰囲気が漂った。


「パパ、駄目だよ。柊一君は木乃美と仲良しなんだから」

 木乃美ちゃんにまで叱られて慎二先生がますます小さくなった。その反面愛らしい木乃美ちゃんの姿を見て、周囲に笑いが戻った。

――木乃美ちゃん、ありがとう。

 私は木乃美ちゃんに心の中でお礼を言った。


 東さんがインタビューを終え、後援会長達と一緒に祝勝会に行くことになった。

 慎蔵先生と慎二先生も誘われたようだ。

 志津江さんと木乃美ちゃん、それに斎藤さんは夜も遅いので家に帰った。

 斎藤さんは別れ際も顔が赤かった。


 私は東さんの勝利が決まってから、ホームページの確認をしてないので、それを理由にして行かなかった。

 本来なら人脈作りも兼ねて行った方がいいのだろうが、まだ大勢の飲み会に慣れてないので、今日は勘弁してもらった。

 ホームページのコメント欄にはたくさんの祝福が届いていた。

 単純に当選を喜ぶ声から、当選したのだから公約の実現に邁進して欲しいという要求迄、様々な内容だった。

 いずれにしても東市政に対する期待感が高まっていることは感じられる。自身の責任の重さをひしひしと感じながら読んでいると、背後に人の気配を感じた。誰もいないはずだがと、怪しんで振り向くとそこには毬恵さんが立っていた。


「戻って来たんですか?」

「ええ、女性秘書だと飲みの席では、どうしても後援会長とか男性に気を使ってしまうので、いつも先生が気を利かせて帰りなさいと言ってくれるんです」

「ああ、そうなんですか」

「基本的にスタッフの皆さんへの気配りは凄い方ですから」

「そうなんですね……」


 言葉に詰まった。

 毬恵さんと二人だと事務処理に関すること以外は、こちらから話すことが浮かばない。

 それでも沈黙は苦手ではないので、黙って毬恵さんを見つめる。


「本当に感謝してます」

「えっ、何をですか?」

「先生の当選に向けて力を尽くしてくださったので……」

「ああ、それは自分自身のためにやったことですから。私もいい経験になりました」


「そうじゃないんです。本当なら政策秘書である私が考えなければならないのに、柊一さんは凄いです。考え出すことが凄いし、それを実行する能力もある」

「それしかできないじゃないですか。毬恵さんみたいにみなさんを纏めて指示しているわけじゃないし、凄いのは毬恵さんですよ」

 毬恵さんは下を向いて、フゥーとため息をついた。いつも颯爽としているのに、両肩が落ちて背が丸まっている。


「何か気に障ったことを言ってしまいましたか?」

 毬恵さんが顔を上げると、その目には涙が滲んでいた。

 慌てて何か言おうとしたが、何も言葉が浮かばず、ただ毬恵さんの顔を見るだけだった。

 ずいぶん長い時間が流れたような気がした。毬恵さんは気持ちが収まったのか、ニコッと微笑んで言った。

「柊一さん、おなかが空きませんか?」

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