恋の芽生え ――いよいよ投票日


 快晴だった。

 今日は投票日だ。

 東さんは全てをやり尽くして悔いなしといった顔をしている。正直今のところどちらの陣営に軍配が上がるか、まったく読めなかった。

 ただ、投票率が上がらないと勝負にならない。幸いなことにこの好天は、東さんにとっては強い追い風に成るはずだ。


 この七日間、私はひたすらホームページに寄せられるコメントに対して、藤山さんの助けを借りながらFAQを更新し続けた。

 投票率を上げるために、動画サイトにはコンピュータで作った選挙ラップを配信し続けた。動画の中で作った私と木乃美をモデルにしたアバターは、ネットの世界で大人気を博し、熱狂的なファンサイトができるほど話題になった。


 直接の有権者ではないが、他府県の人からクラウドハウス構想が実現するなら、富士沢に移住したいという声も寄せられてきた。直接の票には結びつかないが、市のイメージアップは選挙には絶対にプラスに成ると、毬恵さんも喜んでくれた。


 選挙事務所には慎蔵先生と満江さんが来ていた。

 今日は日曜日だから病院は休みだ。

 ここに来る道すがら慎蔵先生は、

「勝ち負けは運だ、そこに一喜一憂することはない」

 と言った

 そしてこうも言った。

「ただ、自分のやってきたことは疑う必要はない。やった分だけ必ず後から返って来る」


 その言葉を聞いて、少しだけ気持ちが楽になった。


 事務所の人たちは、頃合いを見計らっててんでに投票所へと向かう。

 もちろん選挙権のない私は事務所で留守番だ。

 みんなの帰りを待っていると慎二先生が、志津江さんと木乃美を連れて選挙事務所にやってきた。投票所に行った帰りだと言った。

 私は慎蔵先生たちは、投票所に行って留守にしていることを伝えた。


 しばらくすると下条先生と斎藤さんもやって来た。二人とも投票所に行った帰りだ。投票所は今まで二人とも経験したことがないぐらい混んでたそうだ。


 私は投票率が飛躍的に上がると信じていたが、待ってるうちにだんだんと弱気に成り、せめて六十%を超えて欲しいと、だいぶ目標を下げてしまった。


 やがて、東さんたちが投票所から戻って来た。もう事務所としては何もすることはない。みんなただ選挙結果が出るのを待っているのみだった。


 毬恵さんが、インターネットで話題になったせいか、投票所にはテレビ局も来て、人の出足も上々だと教えてくれた。

 ネット上の速報では、投票率は既に四十%を超え、もしかしたら空前絶後の投票率に成るかもしれないと予測されていた。

 それを聞いても、私はまだ心配していた。


 お昼を過ぎたあたりで、藤山夫妻が連れ立って事務所にやって来た。

 藤山さんは私の顔を見るなり、楽しそうに言った。

「柊さん、ホームページのコメント欄は見てないのかい?」


 もう今日はコメント書きはないと思って、コメント欄のチェックを忘れていた。

 大急ぎでパソコンを開いてホームページを見る。なんとそこには凄い量のコメントが書き込まれていた。

――選挙行ったよ。東さんに投票した。

――投票所に行って友達に会ったけど、みんなクラウドハウスの話題でいっぱいです。

――絶対、東さんに市長になってもらって、街を盛り上げて欲しい

 そんな書き込みでいっぱいだった。おそらく、選挙に行った後で、スマホなどで書き込んだのだろう。


「藤山さん、凄いです。勇気づけられます」

 私が感激して声に出すと、藤山さんはおやっという表情をした。

「柊さんにしては珍しいね。いつものんびりと構えているのに。このぐらいの盛り上がりは予想していたけど、今の柊さんの表情は予想していなかった」

 そう言って珍しく大声で笑った。


 それから、また不安と期待が波のように交互に襲って来た。どうやら事務所にいるメンバーみな同じようだ。

 テレビでは夕方のニュースが始まった。なんと全国ネットで富士沢市の市長選挙が取り上げられている。画面は投票所の様子を映していた。祭りのような人だかりが、この選挙がただの選挙ではないと訴えていた。


 実況を伝えるアナウンサーが、この選挙に対する市民の意識の高さを、投票所に来た人へのインタビューで伝えた。

 投票率はこの時点で七十%を超えており、市長選としては一九七一年の安中市長選挙の九二%を、超えるのではないかと予想されている。


 投票率が予想もしない高さとなり、事務所内に活気が出始めた。

 ここにいる全員が、自分たちの目標としている頂へ、確実な第一歩を踏みしめた予感を抱き始めたのだ。


 時計の針が八時を示したところで投票が打ち切られた。最終投票率はなんと九四%、市長選の最高投票率を四八年ぶりに打ち破った。

 だが、もう全員の意識はそこにはなかった。これから始まる開票結果に皆の意識が集中する。今回は国営放送のWEBサイトで、リアルタイムに開票結果が公開される。


 八時三十分、開票率三十%の時点で、東さんが約三百票差で上回っている。まだまだ勝負はこれからなので、誰一人浮き足立ったりしない。


 九時に成ると、今度は岩根さんが約五十票差で逆転した。但し開票率は六二%とまだまだ当確には程遠い。テレビ局の出口調査でもほぼ互角らしく、まったく予想がつかない状態で進んでいる。


 九時半になった時点で、今度は東さんが約百票差で、再び岩根さんを上回った。この時点で開票率は九十%に達した。それでも当確は点かない。


 緊張したまま時間が経過し、集まった人たちに疲労の色が見え始めた。

 不思議なことに藤山さんは活き活きとした顔で、なんだかこの状況を楽しんでいるようだった。


「楽しそうですね。私は胸がドキドキして堪りませんよ」

 私が不思議そうな顔で訊くと、藤山さんははてという顔をして、私の顔をじろっと見てから言った。

「柊さんこそ十分楽しんでるじゃないか。顔がまったく疲れてない。ここまで来たら、当事者以外は楽しむしかないさ」

 そう言ってニカっと笑う。


 十時を回った時点で、両者の差は一挙に縮まり、二三票差とほぼ変わらなくなって来ていた。開票率も九五%と成り、次の更新で開票が終了するだろうと誰もが思った。もう誰もしゃべらない。静けさが事務所内を覆った。


 突然、事務所の代表電話が鳴った。他を制して東さんが自ら取る。

「はい、分かりました。ありがとうございました」

 その場の全員が、受話器を置いた東さんの言葉を待つ。

「皆さん、私は市長を継続します。ありがとうございました!」


 力強くて大きな声が、事務所内に響き渡ったとき、歓喜の声が一斉に湧いた。たくさんの人が手を叩きながら東さんの下に近づく。

 大勢の支援者が東さんと喜びを分かち合う中で、手元のパソコンを見ると、WEB情報が更新されていた。


 開票率一〇〇%。東丈晶九六,三一二票、岩根一馬九六,一六五票、僅か一四七票差の大激戦だった。


「痺れますね」

「フフ、まあいい選挙だったんじゃないか。特に大きな選挙妨害もなく、互いに政策だけを主張して正々堂々と戦った」

 藤山さんは満足そうな顔をして立ち上がった。

「どこに行くんですか?」

「一馬のところさ。悔しいと思うが、これだけの戦いをしたんだ。もし話せれば労ってやりたいと思ってな」

 勝利に浸る東陣営から去って行く藤山さんの背は大きかった。


 ダルマに目が入れられ、鏡割りをした酒が配られる。ここにいる人たちは一週間ではあるが、寝食を削って戦った友だ。

 みんな旨そうに酒を飲み干す。

 私は三一世紀にいる頃は酒というものを飲んだことがなかったが、こちらに来てから味が分かるようになったこともあって、慎蔵先生につきあってちょくちょく嗜んでいた。

 だが、今日の酒は特別旨い気がした。酒とは気持ちが入って飲むと、こんなにも旨いものなのだと気づいた。

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