戦う意義 ――選挙戦もいよいよ大詰め
続いて応援演説が始まった。満を持して笹山代議士が登壇した。順序的には逆だと思うが、笹山代議士の持つ不思議な威厳が、それをおかしく感じさせなかった。
「皆さん、私笹山剛は富士沢市の命運を握るこの選挙に当たって、本当に正しい選択を皆さんにお願いします。この重要な使命に今身体が震えております」
いささか大げさなあいさつだったが、自信が為せるわざなのか、この人が言うと様に成ってるように思えた。声は岩根候補より低い声だが、不思議と周りに良く通った。
「たった今、岩根候補が話したつながりのある社会こそ、人間が人間らしくあるために絶対に必要だと賛同いたします。これこそ、富士沢だけではなく、日本全体が欲っしているものです。それは国政を預かる自分だからこそ、自信を持って言えます」
藤山さんは今度は笑わずに、鋭い眼光で笹山代議士を見ていた。
「私は今回の選挙は今までの選挙と違うものだと思っています」
ここで口調が変わった。それまでゆっくりしたテンポで話していたが、ここでペースが切り替わり、畳みかけるような激しい口調となった。
「四年前、富士沢市は財政再建都市に陥りました。それは言い訳のしようがない。その当時の私も含めた政治家の責任であります。しかし、市民の皆さんはこの四年間本当に良く頑張ってくれた。市民の頑張りがなければこの財政再建は成しえなかったでしょう」
東の功績である財政再建を市民を褒めることによって、帳消しにしたようなものだ。自分たちの頑張りと言われて誰が否定するというのだ。それにしても間の取り方が上手い。自分の言葉が放つ効果を、聴衆が噛みしめる時間をちゃんと作っている。
「だが、もう我慢のときは過ぎたはずです。今こそ懸命に頑張る、市民の皆さんのための政治が、待ち望まれているのです。つながる社会を、目指しましょう」
最後の声は力強かった。
その後はやや滑らかな口調で、岩根候補の経歴や人柄が語られた。政策的には何の具体性もなかったが、とにかくその存在感はすごかった。国政を握る者の自信が、人々をこれだけ巻き込む力となることに唖然とした。
街頭演説が全て終わり、我々も帰ろうと藤山さんの車に乗り込んだ。走る車の中で妙子さんが感慨深げに言った。
「一馬君もすっかり立派になったわね」
「ああ、本当に目を疑うほどだ」
「お二人は岩根候補のことをご存じなんですか」
「ああ、教え子だよ。私にとっては、教職について最初の生徒だ。小学生の頃はおとなしいけど頭の良い子だったなぁ」
「そうですね。クラスの雑用なんかも不平一つ言わず黙々とやる子でした」
妙子さんは当時の岩根さんを思い出したのか遠い目をした。
「東さんとは違うタイプでしたか?」
「全く違うタイプだね。丈晶はクラスのリーダー的な存在で目立ってたしな」
「でも、時代も違ったから。一馬君は一九六七年生まれで、丈晶君は一九八二年生まれだから、二人の間には十五年の歳月が流れてるんだもの」
「そうだなぁ。一馬なんて一億総中流なんて時代だったからな。個性の時代なんて呼ばれた丈晶の頃とは違ったかもしれないな」
「その中でも一馬君は苦労しながらも、いつもコツコツと頑張る子だったわ。その頃からの特徴ね、あの眉間の皺は」
岩根候補の特徴は眉間にできる皺だ。困ってなくてもちょっとした表情の変化でそれは現れる。
「あいつ笹山の秘書が長かったからな」
ぽつんと藤山さんが口走った。
「笹山代議士の秘書をやってたんですか」
「そうだよ。一馬は元々国家公務員だった。厚労省かな。それなりに優秀だったんだが、笹山が代議士に成ってから地元の縁で引き抜かれた。笹山が首相に成れたのも、一馬の功績が大きかったと聞いている」
「笹山代議士って首相だったんですか?」
「なんだ知らないのか。今から十四年前の二〇○六年に首相に成ったよ。だが収賄疑惑で内閣のメンバーが次々に辞任して、最終的に本人が責任をとって辞めた。奴自信は挙げられなかったが、陰の仕掛け人とも噂されていた」
「でも今日は堂々としていましたね」
「あれは一つの芸だな。スキルだよ。一馬なんかがいろいろ施策を出していたんだろうが、結局笹山が口利きをしなければ実現しない。いい計画を立てる能力と、進めることができる能力は違うんだよ」
「勉強に成ります」
「柊さんも記憶が戻ればどっちもできると思うけどな」
記憶が戻ればという言い方が微妙だった。
「私は柊さんの記憶が戻って違う人になっちゃったら嫌だわ」
「柊さんは変わんないよ」
藤山さんが妙に力を込めて言った。
「ところで、今日聞いた限りでは、岩根さんの政策も立派だと思いました。笹山さんの後ろ盾があれば、実現もそう難しくないように感じましたが」
「ああ、それでも一馬を押せない理由が二つある」
「何ですか?」
藤山はコホンと一つ咳ばらいをしてから説明を始めた。
「一つは笹山が金権体質ということだ。どんな政策も最終的には自分のためだ。そしてもう一つが……」
「政策の具体性が乏しいと言うことでしょう」
意外なことに妙子さんが横から答えた。
「そうだ」
藤山さんは肯定した。
「妙子さんも政治に興味があるんですか?」
「嫌だわ、私はそんなに興味はないわ。でもこの人がいつもあなたの話をするから。あなたの良さは全てのプランに現実性があるって」
「今日の岩根さんの計画は現実性に欠けますか?」
「欠けるわね。それは私にも分かるわ。毎日計画の現実性を、この人からレクチャーされてるから」
妙子さんが少し得意気に言った。八十才を超えても、こういうところが彼女にはある。それは可愛い女性という印象を周囲に与える。
「私にはまったく分かりませんが」
「それは私から説明しよう。一馬にはみんなのつながりを深めようとする明確な目的がある。それは素晴らしいことだ。だが、どうすればつながりが深まるのか、具体的なアイディアがない」
「それはコミュニティセンターではないですか」
「それは今も既にあるだろう」
「だから数を増やすと。サービスも充実すると言ってました」
「どれだけ増やせばいいんだ? どんな建物を建てるんだ? どんなサービスをどうやって行うんだ?」
「それは話さなかっただけじゃないですか?」
「それはないな。この施策の対象に成る人間をあれだけ具体化して話してるんだ。あれば絶対に紹介するはずだ。それはこれから考えるのだと思う」
「それでもいいじゃないですか?」
「そのやり方が問題なんだ。おそらく一馬は当選後様々な専門家、俗に言うコンサルタントという奴だな。それを大量に集める。そういう人間がてんでに意見を出して施設を作る」
「それも一つのやりかたですねよね」
「そうだ。だがおそろしく金がかかる。下手な建物が一つ建つぐらい掛かるかもしれない。そしてこれだけ広範囲な用途をあげた以上、それぞれの提案を一つにまとめるのは至難の業だ。だが、それを纏める人間も現時点では紹介されてない」
「岩根さんがするんじゃないですか?」
「残念ながら一馬にはできない。市長として他の業務に忙殺される」
「そういうもんなんですね」
「だが、もっと悪いことがある」
なんだか想像がつかなかった。だが藤山さんの横顔は真剣だった。
「そうしたコンサルに払われる金の一部は、キャッシュバックとして笹山の懐に入っていくんだ。いわゆる裏金として。建設業界でもそういう気風は残っているが、談合叩きによる入札の厳格化で、動かせる金が非常に少なくなっていて、だいぶ正常化されてきた。ところがコンサルはアイディアなんで入札で決めにくいんだ」
そんなところにも金が動いているなんて驚いた。正直、手に負える範囲ではない。
「笹山がバックである限り、一馬の応援をするわけにはいかない」
「製紙業の活性化の話も、どこまで効果あるのか眉唾ものだ」
藤山さんの目はどこまでも真っ直ぐだった。六八才になるこの世界では老人に区分される男の目は、どんな若者よりも未来を見つめていた。
「信じます。そういう人が出てくることを」
その時ふと頭の片隅に、写真でしか見たことのない、アレクサンダー義人の顔が思い浮かんだ。
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